迷妄母娘

 香田美也子が不慮の事故にあったのは、娘の容子がまだ三歳のときのことだった。


 買い物に出かけたはずの美也子がやけに早く戻ったので、夫の均は玄関に迎え出て「どうした?」と声をかけた。


 美也子はぼんやりした様子で「自転車が壊れた」と答えた。見ると、片方の耳からわずかに出血していた。


 話を聞くと、どうやら後ろから来た車に撥ねられたらしい。


 均は慌てて妻を病院に連れて行った。後頭部を強く打ったようだったが、検査では特に異常は見つからなかった。他に目立った外傷もなかった。


 一日安静にしたあと、美也子は警察の現場検証に協力した。しかし、彼女は事故の詳しい状況をほとんど覚えていなかった。路肩にはひしゃげた自転車が転がっていた。


 目撃者も見つからず、誰が当て逃げしたのかは分からず終いだった。


 事故以来、美也子は時折激しい偏頭痛に苦しむようになった。


 しばらくすると、彼女の言動がおかしくなりはじめた。


 突然しゃがみ込んだかと思うと、そのまま岩のように動かなくなったり、いきなりうめき声を上げたりするようになったのだ。声をかけても上の空のときがあるかと思うと、前触れもなくヒステリーを起こしたりした。


 部屋に引きこもって頭から布団をかぶったきり、一日中出てこないこともあった。


 わけを聞いても何も答えないか、取り乱すかするだけだった。


 事故の後遺症ではないかと疑った均は、嫌がる美也子を病院に連れて行って再検査を受けさせた。結果はやはり異常なしだった。躁鬱病のような精神疾患でもなかった。


 以前と何ら変わりなく気持ちが安定していることもあった。しかし、ふとした拍子におかしくなってしまうと、もう手に負えなかった。時間も場所もお構いなしだった。


 均は、そのような妻にまだ幼い娘の世話を任せることができなかった。かといって、仕事も疎かにできなかった。彼は勤めている食品卸会社で昇進したばかりで、ホテルや大手スーパーといった大口の契約を任されていた。


 仕事でも家庭でも気を抜くことができない生活をしばらく続けたあと、均は妻と別れる決意をした。美也子の変調は原因不明で、対処のしようもなければ、よくなる見込みもなかった。これ以上は限界だった。


 均は娘の親権を主張した。美也子に子育てができるとはとても考えられなかった。しかし、弁護士を交えての話し合いの結果、親権は美也子のものとなった。病院での検査で異常が認められなかったことが彼女にとって有利に働いたのだ。


 均はそれ以上事を荒立てなかった。彼はおかしくなった妻の相手に疲れ果てていた。幼い容子にはまだ何も理解できなかった。


 二人きりとなった母と娘は、それまで住んでいた借家を引き払い、同じ横須賀市内の市営住宅に引越した。


 美也子は、短大を卒業してから出産するまで勤めていた会社から伝票整理と書類作成の仕事を委託で引き受けて、主な収入とした。


 娘である容子には、おかしくなる前の母の記憶はなかった。


 物心ついた頃には、母はすでに奇行癖のある人物だった。美也子は団地内でも一種の奇人扱いをされており、他人からの同情と軽蔑の入り混じった視線は娘にも向けられた。


 容子は、ひどく怯える母親に布団の中で抱きすくめられ、息苦しい夜を過ごしたことを覚えていた。「あいつらがいる」と美也子は震える声で言ったのだった。「誰?」と問うと、美也子はただ「見ちゃだめ」と答えた。


 容子には訳が分からなかった。しかし、母の緊張と恐怖は娘にもそっくり移った。


 容子は毎晩のように恐ろしい夢を見るようになり、しばしば小便を洩らした。すると、情緒不安定の美也子はヒステリーを起こし、娘を折檻するのだった。


 そのくせ、自分が怯えているときは娘しか頼るものがないとばかりに、すがりつくように抱きしめた。


 娘には母親が何に怯えているのか一向に分からなかった。彼女は、母親の緊張が伝わってくると歯をきつく食いしばるようになった。


 やがて、容子自身も近所の子供たちから敬遠されるようになった。


 幼稚園では問題児と見なされ、一度などある女の子の耳を引きちぎろうとした。


 小学校でも孤立した。容子は母親のいる家に帰るのがいやで、いつも道草をした。神社や寂れた公園で昆虫を捕まえては時間をつぶした。捕まえた虫を小川に捨てて、溺れるのを観察するのが好きだった。


 中学生のとき、容子は母親との生活にたまりかねて家出をした。


 他にあてもなく、父親である均のもとへ行った。


 均と美也子が別れてからおよそ十年、父と娘は一度も会っていなかった。それでも誕生日にはいつもプレゼントが届いていた。毎回必ず手紙が添えられていたが、容子は一度も返事を書いたことがなかった。


 手紙にあった戸塚の住所を訪ねてみると、知らない女がいた。


 均の再婚相手だった。女は希実といった。


 彼女は容子を招き入れると、均が仕事から帰るのを待つように言った。容子は、一目見た途端その女が気に入らないことが分かったが、ひとまず従った。


 均の帰りを待つ間、容子は二人の馴れ初めを聞かされた。


 出会いは希実が勤めていた横浜のスナックだった。離婚して一人になった均と、その仕事を続けるかどうか迷っていた希実は、知り合ってすぐに一緒に暮らしはじめた。「お互いに淋しかったのね」と希実は言った。


 最初は二人とも籍を入れるつもりはなかった。しかし、数年して思いがけず子供ができたとき、やはり籍を入れることに決めたのだという。


 均と希実の間に生まれた子供は女の子で、名前をなつみといった。すでに四歳になっていた。容子にとって、十歳年下の異母姉妹だった。


 帰宅した均は、唐突に訪ねてきた容子に驚いた。再婚の事情を説明してなかったことに気まずさを感じたが、やはり娘に会えて嬉しかった。


 均と希実の話し合いによって、容子はしばらく均のところで暮らすことが決められた。


 均はかつて娘を見捨てたことを今でも後悔しており、何とかしこりを解消したかった。美也子に連絡を入れると、彼女は「勝手にしろ」と投げやりに言っただけだった。


 一方、容子はこの家に来てみて初めて気がついたのだが、父親のことなどほとんど覚えていなかった。彼女は父親に対してどんな親しみも感じなかった。ただ、居心地の悪さを感じるばかりだった。


 なつみが無邪気な様子で遊び相手になってほしそうに近寄ってくると、容子は言いようのない不快感を覚えた。何も知らずに幸福そうにしているのが許せなかった。


 容子はなつみをいじめた。物陰を指して「ほら、あいつらがいる」と耳打ちしては、わけもなく怖がらせた。


 二人で留守番をしていたとき、容子は「あいつらと一緒に閉じ込めてやる」と言って、洗面所の足元についた狭い戸棚になつみを閉じ込めた。均と希実が帰宅して気がついたときには、なつみは脱水症状を起こして意識を失っていた。


 そのことがあって、容子は家を追い出されることとなった。


「できるだけのことはしたんだ」均は最後に言った。


 離婚当時のことの言い訳だったが、容子には何も響かなかった。


 美也子の元に戻った容子は、中学を卒業すると定時制高校に入学した。


 その頃になると、容子の不器量さはいよいよはっきりしてきた。


 彼女は太っていて、いつも仏頂面で愛想がなかった。毎日同じ服を着て、格好もみすぼらしかった。話しかけられてもまともに返事を返すことはなく、誰とも打ち解けなかった。


 入学するとすぐにアルバイトをはじめた。家にお金を入れるように言われたこともあったが、家にいるよりはましと思ってのことだった。


 陰気な性格のため接客業は向かず、コンビニやファーストフードはすぐにクビを言い渡された。それでも駅地下の土産物屋とスーパーの品出しはいくらか続いた。


 学年が上がると、年齢を偽って風俗店でも働いた。しかし、客に不評でわずか一日でやめさせられた。


 アルバイトをはじめては解雇されるのは、単に仕事内容が合わないからだけではなかった。彼女に盗難癖があり、店の商品や売り上げ、同僚の私物にちょこちょこと手を出すからだった。


 現場を押さえられることはなくても、彼女は常に周囲から疑いの目で見られた。それでも本人は悪びれることはなく、遠まわしに責められても素知らぬふりで通した。


 母の美也子は、いつの頃からか飲酒癖がついていた。彼女は娘の学業にも普段の素行にもまったく関心を示さず、容子が何をしようと口を出すことがなかった。


 美也子は、今でも一人で恐怖に震えていることがしばしばあった。酒はそもそもそうした恐怖や緊張を紛らわせるためのものだったが、今では気分が安定しているときでも彼女は無気力や絶望感にとりつかれたようになっていた。


 容子がある程度の年齢に達すると、母には普通の人間には見えない何かが見えるのだとうっすら理解するようになった。とはいえ、容子自身にはそんなものは見えなかったし、何より母親のことを憎んでいた。自分の人生が八方塞なのは、すべて母親のせいだと感じていたのだ。


 母が恐怖に身を強張らせているのを見るたび、容子は死ねばいいのにと思うのだった。


 それでも母親のことを考えたことがないわけではなかった。


 一度、スーパーのアルバイトで知り合ったパートの主婦が、霊媒師を紹介すると言ってきたことがあった。その主婦は、事故にあっておかしくなる前の美也子を知っており、容子と年の近い息子がいた。


 主婦が、美也子がおかしくなったのは悪霊にとりつかれたせいだと断定するようにしつこく言うと、容子も次第にその気になった。


 ある休日、その主婦が個人的な知り合いだという霊媒師を伴って、美也子と容子の住む市営住宅を訪れた。


 最初に除霊費を払うよう主婦から聞かされていた。特別に割引きしてくれるということだったが、実は普段の値段と変わらなかった。そのうち何割かが主婦にわたる話になっていただけのことだった。容子は八万円を自分の財布から支払った。


 霊媒師は五十歳前後の生え際の後退した意地汚そうな男で、派手な袈裟に足袋を履き、片手に数珠を握りしめていた。容子が謝礼を包みもせずに渡したので、彼は顔をしかめた。しかし、結局黙って受け取ると懐にしまいこんだ。


 霊媒師は部屋をじろりと睨むように見回すと、誰にともなく頷いてみせた。主婦はうしろで控えるようにして立っていた。


 昼間から酒を飲んで寝転がっていた美也子は、焦点の定まらない目でいかにも胡散臭げに彼を見た。男に近寄られると、彼女はようやく警戒して身体を起こした。


 霊媒師は何の前置きもなく、数珠を持った手を合わせて念じるように目を閉じた。


 美也子が起き上がろうとすると、霊媒師は主婦に「押さえて!」と語気荒く命じた。


 主婦は言いなりになって美也子の後ろに回り込み、肩を押さえつけた。美也子が逃れようとすると、主婦は「じっとして!」と言って羽交い絞めにした。


 霊媒師がぶつぶつと何か唱えはじめると、美也子は気味悪がって足をばたつかせて抵抗した。


「手伝って!」主婦は命じるように容子に言った。


 容子は状況にのまれ、言われるままに美也子の足を押さえつけた。八万円も払ったのだから何か効果があるはずだと思った。


 美也子は身体をよじらせて大声でわめき、ひどい言葉で娘をなじった。容子は言い返すように「うるせぇ、妖怪ばばぁ!」と口汚く罵った。


 主婦は二人を諌めようとやはり大声を張り上げた。その目はらんらんと輝くようだった。


 霊媒師もかき消されないように大きな声で念仏のようなものを唱えた。


 霊媒師と主婦が帰っていくと、美也子も容子もぐったりとなった。二人の間には何か冷え冷えとしたものが残った。美也子は「詐欺師が」と悪態をついた。


 しばらく経っても除霊の効果らしいものは現れなかった。主婦はしつこく美也子の様子を聞いてきたが、容子は彼女を無視した。


 容子は、定時制高校を卒業すると家を出ることにした。


 美也子には何も言わせなかった。もう二度と戻るつもりはなかったし、母を捨てることに何のためらいもなかった。


 アルバイトで貯めたお金を元手にして、新宿からほど近い中野坂上というところに安い部屋を借りた。


 すぐに仕事を探しはじめたが、高校で取得した簿記の資格は何の役にも立たなかった。


 クリーニング店、ホテルの客室清掃、郵便物の仕分けなど仕事を転々とし、やがて化粧品の検品の仕事に落ち着いた。


 黙々と単純作業をこなすだけの仕事だった。職場の休憩室や、行き帰りの電車で棚に置き去りにされた雑誌や新聞を拾って読むことが、唯一の楽しみだった。


 ときには、同僚の私物を盗むこともあった。容子は中に何が入っているか分からないポーチや手帳の類を盗むのを好んだ。


 品川からの仕事帰り、彼女はいつも新宿で安い喫茶店に寄った。カウンター席に座って、その日拾った雑誌を読んだり、盗んだものを検めたりするのが日課だった。


 例えば手帳を手に入れると、それを隅から隅まで舐めるように読んだ。収穫が何もないときは、身じろぎもせずに一時間ほどじっと座っているのだった。


 職場でも日常生活でも、他者との交流は一切なかった。


 一人暮らしをはじめてから数年が経ったある日、彼女は石崎亨とばったり会った。


 仕事帰りのことだった。新宿駅構内で柱に寄りかかっている彼の姿が目についたのだ。彼の方でも容子に気がつき、例によって卑屈そうにニタニタ笑いながら近づいてきた。片方の耳がつぶれ、同じ側の足をわずかに引きずるようにして歩く薄気味悪い男だった。


 石崎亨は、その数週間前に容子の職場に入った新人だった。しかし、一週間も勤務しないうちに来なくなり、そのまま辞めていた。


 彼のことを覚えていたのは、勤務中に尻を触られたことがあったからだった。挨拶を交わしたことさえなかったが、容子はそうした近づかれ方に抵抗を感じなかった。むしろ、どこか自分と似ているものがあるように感じたほどだった。


 亨は何を言うでもなく、容子と並ぶようにして歩きはじめた。


 容子が丸ノ内線の改札を通ると彼もあとをついてきた。容子がホームに立っていると彼はその斜め後ろに立った。電車がやってきて容子が座席に座ると、彼はその前に立って吊り皮に掴まった。


 亨は棚に漫画雑誌が置き去りにされているのを見つけると、それを取って無言で容子に渡した。容子は中野坂上までのほんの二区間、それを読んだ。


 二人は電車を降りるまで一言も言葉を交わさなかった。


 容子が中野坂上の駅で降りると、亨もついてきた。


 容子はやや速度を速めて歩いた。亨は置いていかれそうになると、片足を引きずりながらのやや滑稽な恰好で小走りになった。


 彼の片足が不自由なのは、子供の頃に交通事故にあったからだった。その足のせいで学校でもいじめにあった。片耳がつぶれているのもいじめが原因だった。卑屈そうにニタニタ笑う彼の癖は、いじめられているうちに染みついたものだった。


 亨は容子のすぐ後ろを歩くと、彼女の尻を触った。


 容子が仏頂面で振り向くと、彼はまたニタニタ笑った。


 二人は、下り坂の途中にあるファミレスに入って一緒に夕飯を食べた。


 亨は、一週間もやっていない化粧品の検品の仕事について愚痴を言った。


 毎日ひげを剃らなきゃいけないのがいやだ。作業着に着替えるのが面倒くさい。ロッカーが狭い。時間に厳しい。やたらと口うるさい奴がいる。


 そこで数年働いている容子だったが、職場に文句をつけられても気にはならなかった。


 亨はそのまま部屋までついてきた。


 その夜、二人は同じ布団に入った。亨はうしろから容子の身体をまさぐり、彼女の尻に股間をこすりつけた。容子はされるままになった。しかし、どちらも途中で気持ちが萎えてしまって、行為は最後まで至らなかった。


 現在求職中だという亨は、そのまま容子の部屋に転がり込んだ。彼は、西新宿に借りていた部屋を家賃を四か月分滞納したまま引き払った。


 容子が男と付き合うのは、亨が初めてだった。


 彼は仕事もろくにせず、家事もほとんどできなかったが、かまわなかった。


 容子は二人分の食事を作り、洗濯もした。夜はスナック菓子を食べながら一緒にテレビを見た。


 休日には映画館に出かけ、劇場の暗がりでお互いの身体をまさぐりあった。そのままホテルに入ることもあったが、相変わらず行為を最後まで遂行することはできなかった。


 手癖の悪さは亨も同じだった。ディスカウントストアに行って役に立つわけでもないものを万引きするのが二人の楽しみだった。


 亨の主な職歴は、パチンコ店、ピザの配達、キャバクラの呼び込み、ティッシュ配り、牛丼屋などだった。いずれも半年以上続いたためしがなかった。


 仕事がなかなか決まらないのは、高校中退という学歴と、窃盗と住居侵入という二つの前科によるところが大きかった。


 十六歳で高校を中退した彼が持っているのは、原付の免許だけだった。


 高校は学業不振と不登校で辞めたのだった。もともと他の生徒たちから疎まれる存在だったが、ある女子生徒の体操着を盗んだところを見つかってからは露骨に気味悪がられるようになった。


 亨は時折三鷹の親元に帰ることがあった。金をせびりに行くのだった。


 彼の両親は、三人兄弟のうちで例外的にできの悪い一番下の息子を完全に見放していた。彼らはこれまでも、この三男がマルチ商法に手を出したり、自己啓発セミナーに入れ込んだりするたびに散々迷惑をかけられていた。


 亨が実家に顔を出すと、彼らはお金をいくらか渡してさっさと厄介払いをするのだった。上の二人の兄弟はすでに自分の家を持っていた。


 亨はもらった金を持って一人で遊びまわり、容子のところへ戻ってくるときにはほとんど何も残らなかった。


 ある休日、容子は買い物帰りに通りかかった公園で、赤ん坊がベビーカーごと置き去りにされているのを見つけた。


 生後三、四ヶ月の赤ん坊でよく寝ていた。近くには誰もいなかった。


 容子はベビーカーから赤ん坊を抱き上げると、そのまま何事もなかったかのように立ち去った。誰にも見咎められなかった。


 アパートに連れ帰ると、まだ寝ている赤ん坊をひとまず部屋の真ん中に寝かせた。男の子だった。容子は先に洗い物を済ませることにした。台所にゴキブリが出たので、手で掴んで窓から投げ捨てた。


 気がつくと赤ん坊は目を覚ましていた。物珍しげに部屋を見回したが、泣きはしなかった。


 赤ん坊をあやしているうちに、亨が帰ってきた。


 彼は赤ん坊を見ても何も言わなかった。ニタニタ笑いもせず、近寄ろうともせず、ただ疎ましそうに見ながら部屋の隅に座り込んだ。


 容子はその反応に少しがっかりした。


 赤ん坊が泣き出すと、亨は顔をしかめて再び出て行った。


 赤ん坊はおっぱいがほしいようだった。容子は薬局へ必要なものを買い出しに行った。赤ん坊は泣いてうるさいので部屋に寝かせたままにした。亨は夜遅くまで戻らなかった。


 翌日、容子は仕事に出なければならなかった。そのため、赤ん坊のミルクとオムツの交換を亨に頼んだ。


 亨は横目に赤ん坊を見たまま黙って頷いた。手順などについて説明を受けても、彼の頭には何も入っていなかった。


 亨は行き当たりばったりに赤ん坊の世話を焼いた。泣きやまなかったり、見るのもいやになったりしたら、ほったらかしにして外に出た。そうすると、牛丼を食べたりパチンコをやったりしてしばらく戻らなかった。


 容子が仕事から帰ってくると、亨はすぐにまた部屋を出て行った。室内は散らかっていて赤ん坊の嘔吐物や便が臭った。


 そのような生活を三日続けた。


 四日目に容子が仕事から帰ってくると、部屋には亨はいなかった。赤ん坊が裸のまま便まみれになって泣いていた。


 夜中に赤ん坊の泣き声で起こされたときも、彼はまだ戻ってなかった。もう帰ってこないつもりなのだと気がついた。


 翌朝、容子は仕事に行くつもりで赤ん坊を連れて部屋を出た。しかし、駅に着いたところで、このまま職場まで連れて行けるはずもないと思い直した。


 あてもなく公園に来るとベンチで一休みした。赤ん坊をさらった公園だった。


 赤ん坊の母親に見つかってもかまわなかった。しかし、午前中の大半をそこで過ごしたものの、彼女の存在を気に留めるものは誰もいなかった。


 仕方なく赤ん坊を連れたまま部屋に帰った。


 容子は途方に暮れた。赤ん坊の世話はすでに手に余りはじめていたし、飽きはじめてもいた。亨の携帯に何度連絡を入れても、返事は返ってこなかった。


 その翌日、容子は彼が彼女の通帳とキャッシュカードを持ち去っていたことに気がついた。


 彼女は無一文になった。


 仕事に行く気力も、赤ん坊の世話をする気力もなくなった。


 職場から電話がかかってきても取らなかったし、赤ん坊をかまうこともしなかった。ミルクを飲ませず、オムツも換えなかった。泣いてもほったらかしにした。


 赤ん坊は泣き声がじょじょに弱まり、衰弱し、数日のうちに死んだ。


 名前をつけることもないままだった。


 容子は死んだ赤ん坊をどうしていいか分からず、ひとまず冷蔵庫に入れた。その二日後、燃えるゴミの日に捨てた。


 彼女が赤ん坊をさらい、死なせたことは、誰にも気づかれなかった。やろうと思ってやったことではなかった。しかし、誰にも知られてはならないことだとは彼女にも分かっていた。


 容子は仕事に復帰した。人手不足もあって、数日間無断欠勤したことは不問とされた。


 以前と何も変わらなかった。容子に関心をもつ者は一人としておらず、彼女はいつも通り黙々と仕事をこなし、物を盗み、帰りに喫茶店に寄った。


 ところが、まもなく朝起きるのが億劫になりはじめた。


 身体がだるくて出かけるのもつらくなり、支度にいつまでもかかった。ようやく電車に乗ると、今度は降りる気力がわかなかった。座席にぼんやり座ったまま、周回する山手線にいつまでも乗ったままでいることもあった。


 職場にたどり着いたとしてもミスばかりした。頭が重く、自分が何をしているのか、自分の身に何が起きているのか、考えることもできなかった。


 結局、仕事はクビになった。


 次の仕事を見つけるような気力はとてもなかった。


 やがて、家賃を滞納して部屋にもいられなくなった。


 仕方なく母の元へ帰ることにした。家を出て以来、すでに七年の月日が経っていた。


 美也子は横須賀の市営住宅に住み続けていた。


 容子はまだ持っていた合鍵で玄関を開けた。


 相変わらずの散らかりようだった。まるで七年前に出て行ったときのまま時間がとまっていたかのような錯覚を覚えた。


 美也子は、座卓でカップ酒を飲みながら、ぼんやりとテレビを見ていた。寒くもないのにくたびれた服を重ね着し、髪の毛は何週間も櫛を通していないように見えた。


 容子には、母が以前と変わらず周囲から孤立し、何かに怯えて生きているのが分かった。今更ながら哀れに思った。


 声をかけようとすると、美也子が気配を察して振り返った。


 美也子の表情は途端に険しくなった。


「来るなっ」彼女はとげのある声で言った。


 容子はびくりとして立ち止まった。


 美也子は、数年ぶりに再会した娘に少しも顔を緩ませなかった。彼女は怯えと憎しみの入り混じった目で警戒するように娘を見ると、やがて言った。


「赤ん坊がいる」


 容子はぞっとなって立ちすくんだ。


 このとき初めて、母には普通の人間には見ることができない、この世ならぬものを見ることができるのだと真の意味で理解した。同時に、このところの不可解な体調不良は死なせた赤ん坊のせいだったのだと悟った。


 容子には何も見えなかった。だが、あの赤ん坊が近くにいて自分を責めるのをはっきりと感じることができた。


 それでもそのことを認めるわけにはいかなかった。そうすれば、母への憎しみの根拠が揺らぐこととなった。この母親が不幸だというなら、自分はどうなるのだ。


 容子は、目の前にいる母親からすべての不幸がはじまったのだと思いなした。


 この女こそ、すべての元凶なのだ。


 この母親さえいなければ、自分は今のような自分になることはなかった。この母親さえいなければ、もっとまともな人生を送ることができた。この母親さえいなければ、あの赤ん坊を殺すこともなかった。


 この母親さえいなければ、この母親さえいなければ。


 容子は頭の中で繰り返しながら、母に近寄った。


「来るな!」


 美也子は恐怖に身を硬くして言った。


 容子は止まらなかった。


 やり直すことはできなかった。何もかも手遅れだった。この母親さえいなければと思いながら、彼女は母親にのしかかり首に手をかけた。


 数週間後、市営住宅の一室から腐臭がするという通報があった。


 警察が調べたところ、室内から二つの遺体が発見された。


 一体は初老の女性で絞殺されたものらしかった。もう一体は若い女性で、衰弱死したものということだった。

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足のうら怪談 全 つくお @tsukuo

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