□□□□’


「…だから、私は死のうと思うんです。独りのまま、ひっそりと静かに、迷惑をかけないで」


今日電話に出たのは、父親よりも少し年齢が上らしい、男性だった。


その人は答えた。


「無理じゃない? 静かに死ぬって、そりゃあ、無理だよ。知ってるでしょ、人間って生まれるとき、あんなに大騒ぎして生まれる。ワンワン泣いて、大人がわんさか寄ってたかって、心配したりして。死ぬ時だっていっしょ。死んじゃったら、見れないだけで、大変なんだから。特に、あなたみたいな若い人が死んだら、親御さんだって、泣くよ」


「だから私は、最低限の付き合いだけにして来たんです。ずっと、そうしてきたんです。親にだって、亡くして惜しいような、”良い娘”の顔をしてこなかった。だって、そんなにみんなに優しくして、一生懸命で、大事な人がいっぱいいたら、どうしたらいいんです?私…」


続く言葉が、のどに詰まって、出てこなかった。それでも、受話器を握りしめる手が震えて、置くにおけない。座っていた椅子から降り、クッションの上にうずくまった。



電話の向こうから、咳払いが一つした。


「いろんなことが、心配なんだねぇ。そんなんじゃ、気がもたないでしょう。でも、独りで立派に暮らしてるんだ。会社にも行ってるし、貯金しながら生計も立てて、お酒も飲まない、遊びもしないで、心配ばかりしてるんだ。そうか、そうか…」


その人は、私の言っていないことまで知ったように言い、見えないけれど電話の向こうで、ひとりで頷いているような気がした。


「お嬢さん、あなたが心配してるのは、ほんとは、自分自身のことじゃ…ないんだろうね。自殺したいって言って、電話かけてくる人の殆どは、もう、自分のことに手いっぱいで、視野が狭くなってて、あぁ、貴方もそうかもしれないが、そういう人たちとゆっくり話してるとねぇ、だんだん、自分の周りに在るものとか、人とか、そういうのを冷静に見られるようになって、落ち着く人も多い。


 でも貴方は、少し違うよね。見え過ぎてるんだね。例えば明日とか、明後日とか、せめて一年後の自分だけとか考えてるのが、世の人の大勢だと思うよ、僕はね。でも、貴方は、20歳以上も歳の離れた親御さんとか、いま、つきあってもいないお友達とか、彼氏とか、そういう人たちのことを、考えちゃってる。


 辛いのは、本当は誰なんだろう?貴方が代わりに涙を流しているのは、誰の為なんだろうか。距離を取って、関りを薄くして、死んでも大丈夫な自分って、本当は誰のための自分なのかな。ありきたりだけど、貴方には、もっと自分を大事にすることを知ってほしい。

 だって、知らないんでしょ。貴方がそれだけ想ってるってこと、ご両親だって知らないかもしれない。そんなんで僕、風の噂でも、貴方が後で死んでしまったと知ったら、我慢できないよ」



 まるで一言、一言が重く、胸にのしかかった。こんな言葉、私は知らない。でも、きっと、もしかしたら多分、その人の言うことは、間違っていない。"自己満足"という美辞麗句の中身なんて所詮、こんなに小さくて、幼い、感情なんだ。


 

 自分の嫌なこと。

 "重たい"と感じること。

 誰かと、深く関わること。


それが、本当に、人間を嫌いな証なのだとしたら、ずっと私は満足して空を仰げるだろう。そうじゃないから、分かりにくい私だから、こんなにも毎日、ひどく混乱している。


「嫌だな…簡単に死ねないや」


「そうそう、死にたくなったら、電話して頂戴。いつでも待ってるから」



 私は鼻をすすり上げながら、受話器を置いた。蓄光機能の付いた時計が示すのは、午前二時半。私はのそのそと、飲み残しのお茶をすすり、寝室へ戻る。心なしか、身体が軽かった。



~つづく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ほんの少しの何か ミーシャ @rus

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ