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「なんで、この仕事をしてるんですか。何が、きっかけですか?」


ひとしきり話した後、私は、電話の相手の女性に尋ねた。その人は、しばらく黙った後、「そうね…」と言って、少し話してくれた。



「友人がね、ある日相談もなく、首を吊ってしまったの。自分には、何が出来たんだろう。死にたいような事情や、理由、そうしたものを知らなかったことにも驚いて…でも、何ができたかなって。知っていて、それでも助けられなかった可能性と、知らなくて、助けられなかった現実とを比べて、あぁ、友人が辛いのはどっちだろうって。

 あまり、いい話ではないけれど、私は自信が無かったし、怖かった。もしかしてそんな私は、友人にとって頼れない人間だったのかも、って思ったら、唯々情けなくて、何もしないわけにはいかなかった。だからこの仕事、誰かのため、なんだけど、自分の為でもあるの」



 もしこんなことを、自分の死後、赤の他人に言われることを知っていたら、死んだその友人は、判断を違えただろうか。


私は、その優しい女性に、割の合わない、深夜のボランティアをさせているのが、他ならぬ、死んでしまった人間であるということに、寒気を感じた。


 人は、生きていても、死んでいても、まるで自由にならない。却って死んでしまった方が、勝手に自分のことを解釈されて、こんな風に、何かの「理由」になるのだと思うと、どうにも、腹の虫が治まらない。生と死の間にさえ、きちんとした境界線が引かれない。そこに、なんだか人間の業というものが表れている気がして、いたたまれなかった。


「じゃあ、あなたはどうして…独りでいるの?」


 相手の女性は、言葉数が少なくなった私に、そう尋ねた。多分、とても言い出しにくかったと思う。『好きで、ひとりなんじゃない』とか、言い返す私であったなら、きっと、こんな質問は出てこなかったはずだ。


 私は、口をぱくぱくと動かして空呼吸し、心に浮かんだことを言葉にしかけ、そして止めた。



「すみません」


その一言だけを、喉の奥から絞り出し、私は受話器を置いた。部屋の中に満ちるオレンジ色の光さえ、目に染みるのは久しぶりだった。涙で、顔が洗えるほど泣くのは、約一週間ぶりに過ぎなかったけれど。



 こうして、感情が高ぶって、胸がきゅうきゅうと締め付けられるような気がすると、どうにも私はいけなかった。外を歩いていても、授業中でも、食事をしている時でも、頭の中が、白い竜巻に飲み込まれた様になる。そんな情緒不安定の私を、友人は少なからず遠巻きにし、怖がり、離れていった。当の私も、それを悲しいとは、努めて思わないようにしてきた。


“もし、誰かを失うのが耐えられなくなったら、私はどうやって、生きて行けばいいのだろう”


自分に問いかけたこの一つの言葉に、私は、答えを見つけることが出来なかった。探さなくてはいけない問いだからこそ、言葉に成ったのに、私は、弱い自分を直視できない。


 独りでいれば、孤独の悲しみや寂しさを、味わうだろう。でもそれは、自分で紛らわすこのできる種類のものだ。どれだけ泣いても、気づけば泣きつかれて、お腹がすく。それで、毎日が過ぎていく。


けれど、もし大事な誰かがいて、その人のことで一喜一憂し、自分の生活が、その人の言葉や存在なくして、動かなくなってしまったら? そうして幸せな時間が訪れて、その甘さを知ってしまったら自分は、二度と、その幸福の無い時間を、生きられなくなる気がする。


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