風邪ひきアルパカとトキの歌

穂村一彦

風邪ひきアルパカとトキの歌

「お邪魔するわね……あら?」


 いつものようにカフェのドアを開けるが、いつものように出迎えてくれる声がない。

 おかしいわね。この時間なら必ずアルパカがいるはずなんだけど。


「あぁ、トキさん。遅ぐなっで、ごめんよぉ」


 店の奥から力のない声。


「待ってでねえ。今すぐいつもの、入れっからぁ」


 アルパカがフラフラした足どりで現れてキッチンへ向かう。私は慌てて彼女を止めた。


「待って。もしかして体調悪いんじゃない?」


 横からアルパカの体を支える。触れただけで、かなり体温が高くなってることがわかる。顔色も真っ赤だ。


「休んでたほうがいいわ」

「でもトキさんの紅茶……」

「私のことはいいから」


 仕事に戻ろうとするアルパカを強引にひきずって、寝床に寝かせる。

 おでこに手をあてると、やはりだいぶ熱い。どうしよう……


「そうだわ。熱を下げるお茶はないのかしら?」

「ああ、あるよぉ。棚の右上の赤い入れ物だねえ」


 言いながら身を起こそうとする。私はそれを押しとどめながら、


「アルパカは寝てて。代わりに私が入れてくるから」

「そ、そお? でも大丈夫ぅ?」

「任せて。私、ここの常連だもの」


 アルパカがお茶を入れるところをいつも隣で見てきた。きっとなんとかなる。

 彼女の言ってた右上の赤い入れ物はすぐ見つかった。

 さて、この葉っぱを……確かコップに入れるのよね? どれくらい入れればいいのかしら……だいぶ具合が悪そうだったし、多めに入れておいたほうが良さそう。

 コップに山盛りになるくらい葉っぱを入れる。

 よし、次はお湯ね。

 えっと、確か……この変な棒を押してたわよね?

 銀色に光る棒を、力いっぱい下に押し込む。

 ドバっと吹き出した熱湯が私の手を直撃した。


「あっつい!」


 思わずコップから手を離す。コップは勢いよく床とぶつかり、派手な音を立てて割れた。お湯、コップの破片、そしてお茶の葉っぱがあたりにばらまかれる。


「あ……ああ……」


 アルパカの熱を下げる大事なお茶が……!

 どうしよう、どうしよう。


「どうしだのぉ?」


 割れる音を聞いて様子を見に来たアルパカに、私はおろおろしながら頭を下げる。


「ごめんなさい……私、コップを割っちゃって……」

「ええっ? 大丈夫ぅ? どっが怪我しでない?」

「ごめんなさい……ごめんなさい……!」


 私の目から涙がこぼれてきた。


「どうしだのぉ? 指切っちゃった?」


 焦ったアルパカが私の両手を握る。私はぶんぶんと首を横に振って、


「違う、違うの……ごめんなさい、私、何もできなくて……」


 いつものお礼に、彼女に恩返しをしたいのに。

 自分で自分が情けない。こんなにも自分が役立たずだとは思わなかった。


「ねえ。トキさん。一つ、わだしのお願い、聞いてくれっかなぁ?」

「お願い? 私にできることなら……でも……」

「トキさんにしか、できないことだよぉ」


 アルパカは私の両手を握ったまま、優しく微笑む。


「子守唄を、歌ってほしいんだぁ」



 ーー眠れ 眠れ 良い子よ

 ーー春の海より暖かな 夢の世界に包まれて


 声量に気を付けながら、なるべくおだやかなリズムで歌い上げる。

 横になったアルパカは、天井を見上げて、呟いた。


「わだしねぇ、前にも体調崩したことあったんだぁ。あのときはまだトキさんと会う前で、お客さんだぁれもいなぐて、大変だったぁ。だから……」


 そして、ゆっくりまぶたを閉じる。


「体はきついけど、いまちょっと嬉しいんだぁ。わだし、もう一人ぼっちじゃないから……」


 ーー眠れ 眠れ 良い子よ

 ーー春の海より暖かな 夢の世界に包まれて


 ーー眠れ 眠れ 良い子よ

 ーー夜の月より静かな あなたの寝息


 ーーゆっくり休んで

 ーー目を覚ましたら また笑顔を


「…………」


 すやすやと寝息が聞こえる。

 私も……ずっと一人ぼっちだった。ずっと仲間を探していた。


 今はもう違う。私は一人じゃない。

 私には仲間がいる。

 助けたい仲間。

 そして助けてくれる仲間が。


「…………野生解放」


 私の瞳が金色に光った。


 * * * * *


「いい天気だねー」

「そうだね。ついこないだのセルリアン騒ぎが嘘みたい。ずっとこんな時間が続けばいいなぁ」

「うーん、私はちょっとくらい事件があってもドキドキできていいかも!」

「あはは、サーバルちゃんはすごいなぁ。ぼくは平和なままで……うわあああっ!」


 私は背後からかばんを掴み、そのまま天高く飛び上がった。

 地上から「わああっ! かばんちゃんがさらわれたー!」とサーバルの叫ぶ声が聞こえるが、説明している余裕はない。


「ト、トキさん!? どうしたんですか、いきなり!」

「お願い、助けて。あなたが必要なの」

「え?」


 カフェに向かって全速力で飛びながら、かばんに状況を説明する。

 かばんは突然の事態に最初は戸惑っていたが、すぐに真剣に話を聞いてくれた。

 カフェに着くとてきぱきと冷水やタオルを用意してアルパカの汗をぬぐう。

 私が入れることすらできなかった紅茶も、あっという間に用意してくれた。


「手際いいわね」


 私が感心すると、かばんは照れたように笑いながら、


「実は前にもあったんです。みんなで雪山へ行ったとき、フェネックさんが風邪をひいちゃって。そのときラッキーさんから看病のしかたを教わったんです」

「なるほど……他の子たちは大丈夫だったの?」

「はい。アライさんは冷たい池に落っこちたあと足を滑らせて坂を転げ落ちてしばらく雪に埋まってましたが、風邪をひくこともなく元気でした」


「ん……」


 アルパカが目を覚ました。


「あれぇ? かばんさん?」

「おはようございます。はい、紅茶です」


 おいしそうに紅茶を飲む。心なしか顔色が良くなってきたように見える。


「おいしいよぉ。ありがとうねえ、二人とも」

「いいえ、紅茶はかばんが……」

「ううん。トキさんも、子守唄歌ってくれたでしょお。あれ、すっごく良かったよぉ」

「でも……私そんなことしか……」

「フレンズによって得意なことは違うから。みんな自分にできることすればいいんだよぉ」


 自分に、できること……


「子守唄、もう一回、聞きたいなぁ」

「あ、ぼくも聞いてみたいです」


 二人のファンを前にして、私は立ち上がる。背筋を伸ばし、小さく息を吸う。


「それじゃ……アンコールにおこたえして」


 私は歌う。

 私はそれしかできないけれど、それでいい。

 私にはもう、困ったとき助けてくれる仲間たちがいるんだから……



 * * * * *


「よいしょっ! よいしょっ! かばんちゃん、待っててね! すぐ助けにいくから!」

「おー。この山の上に、誘拐犯がいるのかー」

「このアライさんがいれば、百人力なのだー!」

「うおおお! 突撃であります!」

「で、でも、高いっすねぇ。これ落ちたりしないっすよねえ?」

「あははー! ぐらぐらしておもしろーい!」

「サーバル。こぐスピードが落ちてるのです」

「このままでは日が暮れるのです」

「重いんだよー! っていうか博士たちは飛べるでしょ! なんで乗ってるの!?」

「な、なぁ、これ、上のロープが、だんだん切れてきてないか?」

「えっ」

「アワワワワ。アワワワワ」


(おわり)

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風邪ひきアルパカとトキの歌 穂村一彦 @homura13

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