あやかしさんと! ―歓迎会は危険な香り!?

あずみ

卯月





 しゅわぁぁぁ。

 調理台ではきつね色の揚げ油が軽やかな音を奏でています。


「お待ちどぉ様。熱いけぇ気ぃ付けてね」


 おばちゃんが竹で編んだ篭を差し出してくれました。

 中には、割り箸に刺さった、もみじの形のお饅頭。市販されている物と違うのは、天ぷら衣を纏っているところです。

 手を汚さず、時間も無駄にせず、食べ歩き観光ができるという優れ物。

 世界遺産 厳島いつくしま神社を擁する宮島みやじまでしか食べられないご当地おやつです。

 まぁ、私は、観光客ではないのですけれども。

  

 歯を立てると、さくっ、と音を立てて天ぷら衣が割れました。ビスケットみたいに甘くて香ばしい衣の中に入っているのはカステラ生地です。揚げることで、もっちりとろとろの新食感になるのです。

 口の中を火傷しないようほくほく転がすと、熱いけれど美味しいのが広がっていきます。カステラの優しい風味、あったかいこしあんのとろっとした甘さと言ったら。春とは言え、まだ肌寒いですから、嬉しいこと。はふはふ。口から湯気が出そう。熱い、されど悔いなし、のリフレインを味わううちに、掌よりも小さなあげもみじ、いつもその場で食べきってしまうのでした。

 お店の前にあるごみ箱に割り箸を捨てて、顔を上げたところに、丁度メニューの札が。


 クリームも食べちゃおうかな……。


「事務員。何を見とるんじゃ。宴の前に買い食いとは感心せんの」


 お腹と相談中に背後から話しかけられて、飛び上がりそうになりました。

 流石、人の後ろを取るのがお上手なんですねって、私は感心します。

 そこにいらしたのは、子泣きじじいさんでした。


「大丈夫ですか。堂々と人前にいらっしゃって」


 お土産屋さんやごはん屋さんが軒を連ねる表参道商店街の狭い道を、観光客の方が沢山行き交っておられます。

 夜なので、厳島神社から、フェリー乗り場がある桟橋の方へ歩いて行かれる方が多いでしょうか。


「問題でもあるんかの?」

「別にありません」

「何か言いたげに見えるがの。わしらは出歩いちゃいけんのんかの」

「いえ、お仲間の中にはシャイな方も多いと聞いておりましたので、心配で」


 まだあやかしさんの地雷を把握できていませんし、私は大多数の公務員おなかまと同じく事なかれ主義を信奉しておりますので、ひたすら拝聴の構えです。市民さんもあやかしさんも、人口が減り続ける地方の端っこ市のド田舎地域にとって、貴重な存在です。

 目立つのは避けたいのですが、まあ、腹掛けにみの姿というわけではなく、一応肌着とズボンをお召しですから、ただの田舎のお爺ちゃんに見えるでしょう。ちょっと大声ですが、爺様なんて大体こんなものです。

 でも、お商売の邪魔な気がするので、動きましょうか。またね、あげもみじ。


 私が歩き出すと、子泣き爺さんはぴったり後ろをついて来ます。通行量の多い小路では花丸マナーですが、前を行く私は恐ろしい。いつ背中にびとっと抱きつかれて赤ん坊の泣き声が響き渡るか、気が気ではありません。

 本日は、年度が変わって最初の金曜日。私は三月末に辞令を受け取り、四月から新しい職場――初めて庁舎を出て、地御前じごぜんのセンターに出向となりました。仕事内容は、あやかしさんたちとの協働のまちづくり。主に事務です。

 何人かのあやかしさんたちとは、既にセンターでお会いしました。子泣き爺さんや、砂掛けばばあさん。あやかしのまとめ役をされることが多いという宮島の神鴉おがらすさんや天狗てんぐさんは、何度か顔を出して下さり。狛犬こまいぬさんのモフモフなご勇姿もお見掛けしました。

 他にもいろんな影や物音に脅かして頂いて、職員一人きりのセンター勤め、身が引き締まる思いです。

 今日は、あやかしさんたちに私の歓迎会をして頂けると伺って、仕事後、宮島まで来たのでした。


「迎えに来て頂けて助かりました。『今宵、もみじたもとにて』なんて、桜の枝に結んだ風流な手紙を下さって、きっと平安装束の似合う神鴉さんのお計らいだと思うんですけど、現代の人間には少し難しく……」

「訊きゃいいじゃろ」

「はあ」


 神鴉さんの連絡先は存じていたのですが、直接お尋ねしては、お手紙の趣向を台無しにしてしまうかと思ったのです。

 銘菓がもみじ饅頭ということからもわかるように、宮島には沢山の紅葉の木があります。中でも有名なのは紅葉谷もみじだに公園でしょう。

 紅葉シーズンではありませんが、ゴザを敷いて、夜桜を見物しながらあやかしの皆さんと一杯、なんて、情緒あることこの上なさそうです。

 もしかしたら、一本だけ紅葉した木の根元から百鬼夜行の世界に迷い込み、なんて胸熱な展開があるやもしれず。

 まあ、正直な話、墓場で運動会じゃないなら、何でもいいんですが。


 ……行けばわかるかなと思ったんですが、厳島神社の裏手から弥山みせん方面に向かい、紅葉谷川まで辿り着いても、それらしきしるしはありません。

 老舗旅館の周辺には桜を見ている方もいらしたんですが、朱塗りの橋を越えて公園に入り、奥へ行けば行くほど……人がいなくなり……幽玄の山道……。酒盛りの輪なんてどこにもありません。

 満月が明るいので、視界は良好です。

 でも、山を登る間、小枝を踏む自分の足音と、小さな滝音が響くのみ。気温も少し落ちて、しん、とした山の空気。心細くなってくると、遠くにうっすら存在を感じる旅館の灯りが、何だか唯一の拠り所みたいに思えてきました。

 ……っていうか、今気づいたんですが、子泣き爺さんの足音がない! わざとなのか、それとも振り返ったらドロンと姿を消しているのか。

 震えます。でも、お仕事でこれから絡んでいくあやかしさんに、無闇に怯えるわけにはいきません。後ろを見るのは禁止。ひたすら登山するしかなくなりました。さっき腹ごしらえしておいてよかった。


 まあ、ね。思い切って、えいやっと振り返ればいいんです。そこに何があっても、驚かないでいられるなら。

 でもせっかくここまで来たんだし。何だか試されている気もするし。



 ガサガサッッ!



 道端の茂みが揺れました。ヒュッと心臓が縮まります。

 もう一度、ガサガサッ、と大きな音がして、その後、すうっと、猫よりも猿よりも大きな四足が、忽然と目の前に現れました。

 うっかりぶつかりそうになって、つんのめりかけます。


 野生の鹿でした。

 それもお腹の大きい、お母さん鹿です。

 出産シーズンはもうすぐ。頑張って。心の中で激励して、また歩き始めます。


 無言で歩いていると、いろんなことを考えます。

 真っ暗だと、よからぬ考えも忍び入りやすくなるもの。


 ……もしかしたら、歓迎会のお話自体が、悪戯いたずらなのかもしれません。

 しょうがないんです。あやかしさんは、人間をからかったり、煙に巻いたり、脅かしたりするのが大好きだから。

 遊ばれたんです。寂しいけど。仕方ない。


 ――なんて言ってここで帰るってことは、あやかしさんをステレオタイプに押し込めて、諦めることに似ています。

 あやかしさんは、私がそういう人間じゃないか、と疑いながら、物陰から観察している。そんな気がしてくるのです。

 日本昔話では、あやかしさんや動物さんの言うことを信じなかったり、裏をかいてお宝を取ろうとすると、必ず報いを受けることになります。

 思うんですけど、きっと彼らは、人間を試しているんじゃないでしょうか。

 信じて欲しい、愛して欲しいって。本当は思ってる。だって私がそうだから。彼らは私と同じなんじゃないか、そう、昔から、思うことが多くって。

 だから私は――

 


 ガサガサガサッ!



 今度は低木の茂みだけでなく、木立も揺れ始めました。

 風はありません。

 ざわざわと、遠くから人の声みたいな音が葉ずれに幾重にも被さります。時折、タスケテーとか、聞き取れないほどのか細い悲鳴、子どもの笑い声も混ざります。

 あっちからざわざわ、こっちからざわざわ。

 360度から襲い来る音に翻弄されて、どちらから歩いて来たのかわからなくなりそうです。

 私は前後左右を確認しました。子泣き爺さんは、いません。薄々感じていましたが、やっぱり、いません。

 足元から冷気が這い上がります。


 ぎゃぎゃっ、と、喉が潰れたような声で鳥が鳴きました。

 それと同時に、ぽう、と青い火の玉が、登山道の先へ浮かび上がります。

 前。そして後ろにも。

 道の両脇にはそれぞれ、木立と斜面、逃げ場はありませんが、……何だか、火の玉はどんどん近付いて来る、気がします。


 正念場! 

 まあ、派手にお出迎えして頂いているのは確かなので、まずは新人らしくご挨拶を。


「あやかしさん、こんばんは。今日は私のために盛大な歓迎会を開いて頂きありがとうございます」


 呼びかけると、ざわっ、と四方の気配が揺れます。思ったより沢山いらっしゃる。

 大丈夫。怖くなーい。私のこと、信じて大丈夫ですからね。私たちのいるここが、人妖友好の架け橋です。


「市役所からまいりました、可部かべです。先月までは議事課に……あっ」


 どなたがどこにいらっしゃるか見当がつかないので、火の玉を交互に見遣りながら喋っていると、振り返りざまに目の前が暗くなりました。

 忽然と現れた人型の。どなたでしょう。背が高い。あやかしさんは人間に化けたとしても小柄なことが多いので、男性物のスーツとはいえ視界が塞がれるとは意外です。

 視線を上げると、オールバックの髪の下、精悍な眉と剣呑な目つきにぶつかります。片目の上にはえぐられたような古傷が走っていて、えっ、ヤクザ? 


「威勢がええのぉ、お嬢ちゃん。歓迎して欲しいんか。しちゃる、しちゃる。ワシらの領域まで入りくさる人間のお嬢ちゃんに、仁義っちゅーもんを教えちゃらんにゃいけん」


 喉に絡ませるような低い声、こちらを見下す細い目に無精髭、ジャケット下の派手なシャツ、開いた胸元に刺青イレズミ。とてもわかりやすく、反社会的勢力の香りがします。いやだめそんな決めつけ、でもわらびを取りに山に入った近所のおじさんじゃ絶対ない。これは絶対死体埋めに来てる。下っ端っていうよりは幹部クラスのオーラが漂っていて、つまりは切れ者で強そう! やばい材料しかありません。あやかしさんとのアレコレよりも百倍まずい展開です。


「ふん。気に入らんのう。人間に媚びるからす一味も、お前らも」


 あああ。あやかしさんと合意形成って見出しで、市長と神鴉さんが『人妖友好』の焼印が入ったけん玉(市の特産品。全国40%のシェアを誇ったこともある)を持った写真、中国新聞に載っていたんですけど。

 内部調整、されてなぁぁい……。


「……その言い方からすると、あなたは、あやかしさんですか」

「他に何に見える」


 不敵にお笑いになるおじさんに、心の中で精一杯突っ込む。

 ヤ!! のつく自由業!! 以外の何者にも見えません!!!


「あやかしじゃ言うていっしょくたにされたら困るんよ。人間と馴れ合いとぅないっちゅう連中が山ほどおるで。……派遣してもろおた事務のお嬢ちゃん、八つ裂きにしちゃったら、少しは堪えるかの」


 一歩下がろうとする前に、がしっと肩を掴まれました。その力強いことと言ったら。思わず自分の肩を見遣ります。スーツの袖からはみ出た大きな手は、びっしりと茶色い毛で埋まっていました。

 顔を近づけて来たヤクザさんの口が大きく裂けて、尖った犬歯が覗きます。あー、鋭い、立派な、牙。満月の、下。なるほど、彼は。


「……美味そうな匂いがする、お前のタマ

 

 狼男さん。の、顔が私の首筋に近づきます。どうすることもできず、私は固く身を縮こまらせました。

 あーっ、あーっ……、――まずい。このままじゃ、取り返しのつかないことに……。

 

 その時です。

 地面からざぁっと強い風が吹いて、周囲の落葉を舞い上げました。

 狼男さんの体が私から離れます。

 顔や体に無数の落葉が纏い付くようで、彼は腕をぶんぶん回してそれを振り払おうとしていました。

 よく見ると、落葉は黒く、羽の形をしています。


「神の島で、何をなさっているのやら……。人間を襲うとは、時代錯誤もいいところです」


 妙なる笛の音を思わせるような声の抑揚に周囲を見渡すと、少し離れて、月光を纏うように、神鴉さんが立っておられました。

 烏帽子えぼしの下の長い御髪も、朱色の緒をアクセントにした黒の狩衣かりぎぬ姿も、浅沓あさぐつでしゃなりと歩まれる様子も、神秘的で、絵になる御方です。


「……余計な真似を」


 意思を持つような動きをする黒羽を払い切れずに、ヤクザさんは、じゃない狼男さんは荒い息をつきました。身を屈め、今にも飛び掛からんばかりの形相でしたが、神鴉さんが手を差し出すと、新手の黒羽が彼に襲い掛かります。


「下がりなさい。ここで私相手に勝ち目があるとお思いですか」

「畜生、覚えてろよ!」


 脱兎の勢いで狼男さんは走り去ります。強面こわもてなのに去り際は何となく三下の狼男さん、ちょっと可愛いです。

 火の玉も、その他の気配も、いつの間にか消えていました。


「神鴉さん。助けて下さりありがとうございます」

「いえ。人間の毅然とした態度は、あやかしの大好物。あれはあなたの性質に惹きつけられたのでしょう。人里離れて暮らす中には、世間知らずの者もあります。悪気は……ないとは言えませんが」


 ですよね。噛み付かれそうになって、流石にひやひやしました。神鴉さんが来てくれてよかった。


「それにしても、どうしてこんな山奥に……。私がお誘いしたのは、いつも会合に使っている割烹『椛の袂』なのですが、上長からお聞き及びでは?」

「いえ……」


 どうやら深読みのし過ぎだったようです。

 それにしても、あやかし御用達の割烹って。


「来れる者は集まって、待っておりますよ。さあ、おいで下さい」


 神鴉さんの手を取った瞬間、馥郁ふくいくとした香りに包み込まれて、――一瞬気を失ったかと思ったら、そこは小座敷でした。

 天狗さんに狛犬さん。知った顔の向こうには、初めてお会いするあやかしさんが六人ほどいらっしゃる。

 カウンターの内側から、白い着物を来た綺麗なお姉さんが、先付の盛り合わせと小鰯こいわしのお造りを持って来てくれ、そしてようやく、無事に歓迎会が始まったのです。



 賑やかなお席と美味しいお料理、お酒を堪能しながら、私はいつしか、先ほどのことを思い返していました。

 『毅然とした態度は、あやかしの大好物』という、神鴉さんの言葉も。



 毅然となんてしていない。私はいつも、年甲斐もなく内心きゃーきゃーわーわーしているのです。

 ただそれが顔に出ない。感情も何も、非常に表情に出にくい性質なのです。鉄仮面、という言葉がありますが、この場合石仮面と言うべきでしょう。

 私は石の妖怪、ヌリカベの血を引く人間なので。


 今はまだ、それを知る人も僅か。血はすっかり薄まって、あやかしの皆さんも私を100%人間だと疑いません。仕事に支障が出るといけないので、明かすつもりはありませんが……。


 そういうことで、特技は無表情ポーカーフェイス。そして……身に危険が迫った時、私は無意識に体を守ろうと硬化してしまうようなのです。

 だから、よかった。神鴉さんが助けに来てくれて。

 狼男さんご自慢の牙が折れてしまったら、人妖友好がいきなり躓いてしまうところでしたから。危ない危ない。

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あやかしさんと! ―歓迎会は危険な香り!? あずみ @azumi

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