カキフライ・エフェクト定食

シャル青井

永久なるカキフライ時空の終わらせ方

「さすが耳が早いね。もちろんカキフライ定食かい?」

 定位置の入り口に一番近い席に陣取ると、店主が気さくにそう話しかけてくる。

 この羽田はたやは小さな定食屋だが、旬のカキフライ定食の旨さは本物だ。

「ええ、今日はそのために来たようなものですからね」

 その時視線を感じ、カウンター一番奥に座るもう一人の客の男の方を見る。大きめのサングラスにミリタリージャケット、まだらに色落ちしたジーンズといった服装は、30年前のファッションのままタイムスリップしてきたかのようである。

 彼の前にあるのはなんの変哲もない白身魚フライの日替わり定食だが、それに手も付けず、サングラスで感情の見えない表情でこちらを見ている。

「状況開始」

 不意に、男がこちらに向けてなにかつぶやいたように思えた。

 気味悪いが、触らぬ神に祟りなし。と、店主の動きに視線を移す。

 期待通り、油と音に充たされた鍋から衣を纏った牡蠣がすくい上げられ、白い皿へと盛り付けられている。

「はい、カキフライ定食おまちどうさま」

 圧倒的主役である5個の黄金の大粒が程よく刻まれたキャベツの丘の横に鎮座しており、その脇を、湯気を立てるホカホカの白米と温かい味噌汁が固める。定番にして無敵の組み合わせである。

 いただきます、と言いながらも待ちきれず、既に手にはソースがある。

 カキフライになにをつけるかは意見の分かれるところだが、俺はソース一択だ。これは譲れない。店的には基本はタルタルソースらしく、小皿に入った特製の白いソースが横に備えられているのだが、俺はそれに目もくれずに黒色の方のソースを垂らす。一度にまとめてかけず、ひとつひとつ食べる前にかけていくのがコツである。衣に黒が染み、衣を完全にふやかしてしまう前に口へ運ぶのだ。

 うん、旨い。

 揚げたてのサクサク感と、口の中に広がるソースの薫り。そしてその直後にやってくる、柔らかでわずかな弾力性のある歯ごたえ。かみ切ると、僅かに甘みのある汁があとを追うようにじんわり染み渡っていく。

 まさに、その濃厚な風味とともに天にも登るような気分である。

 それを充分に堪能した後は、米と味噌汁で慣らし、さっぱりとしたキャベツで完全にリセット。今日ばかりは他は全て脇役、引き立て役だ。

 続いて2つ目のカキフライにソースをたらしかけた、その瞬間だった。


 不意に、俺は目の前の光景に大きな違和感を覚えた。

 俺は今、

 1つ目? 手を止め、目の前のカキフライを数え直す。

 ひとつ。ふたつ。みっつ。よっつ。いつつ。間違いなくだ。

「あの、この定食のカキフライって6つでしたっけ?」

「なに言ってるんだよ。5つだよ、5つ」

 店主に確認しても、そんな当たり前の言葉しか返ってこない。

 5つあったものを1つ食べれば残りは4つ。だが、目の前には5つのカキフライが並んでいる。1つ余分に食べられると考えれば得した気分になってもいいのだが、頭の中に渦巻く違和感に苛まれ、とてもそんな気分にはなれない。

 いや、忘れよう。そもそもこのカキフライを楽しまなければ損だ。

 そう自分に言い聞かせ、もう一度カキフライにソースをかけ、口へと運んだ。

 うん、旨い。

 2つ目でも変わらない揚げたてのサクサク感とソースの薫り。弾力性のある肉をかみ切り、口の中で混ざりあうソースと牡蠣のエキスの調和を堪能する。

 そうして、2つ目のカキフライにゆっくりとソースをかけようとしたその瞬間、俺は目の前の光景に再び違和感を覚えた。

 にソースをかけようとしている。

 深呼吸をして、目の前のカキフライを数え直す。

 ひとつ。ふたつ。みっつ。よっつ。いつつ。5つだ。

 それを確認すると、俺はソースと箸を置いて、今度は小さく息を吐く。

「あの、この定食のカキフライって6つでしたっけ?」

 俺の記憶が間違いでないのなら、この後店主の言葉は決まっている。

「なに言ってるんだよ。5つだよ、5つ」

 記憶通りの、一字一句、口調までもまったく同一の返答。

 これで完全に理解した。俺は1つ目のカキフライを食べることを繰り返している。

 ここで俺に与えられた選択肢は二つ。か、か。

 悩むが、答えは一つしかない。

 俺はソースを手に取り、カキフライへとかけて、それを口へ運んだ。

 うん、旨い。

 そしてまたカキフライを数え直す。

 ひとつ。ふたつ。みっつ。よっつ。いつつ。5つである。

 それを確認し、ソースをかけ、食べる。

 うん、旨い。

 そしてまたカキフライを数え直す。5つだ。

 ソースをかけ、食べる。

 うん、旨い。

 数も5つだ。

 ソース。

 旨い。

 5つ。

 ソース。旨い。5つ。

 ソース。旨い。5つ。ソース。旨い。5つ。ソース。旨い。5つ。

 永遠はここにある。


「いやいや、ちょっと待って。君さ、それはちょっとおかしくない?」

 そう言って割り込んできたのは、奥の席に座っていた奇抜な服装の男だった。

「えっと、なんのことですか?」

 かけようとしていたソースを静かに置き、俺はその男へと視線を向ける。

 そこにあったのは、サングラス越しでもわかる、困惑によって崩れた顔だ。

「君さ、なんで黒いソースをかけ続けてるの? それで10個連続だよね? この流れだと次は白いソースとかを使ってみるとかして状況の変化を見たりするものじゃない? そこでまた黒いのだと同じじゃない。ループ続くじゃない。だからこうやって注意のために私が動くことになったじゃない。ダメでしょそれは」

「なにをつけて食べようと俺の勝手でしょう。そもそもなんなんですか、あなた」

 ループし続けていることも踏まえた口ぶりから、この男こそが先程からの無限カキフライの原因の一旦なのだと推測する。

 が、そんなことよりも、俺には彼のタルタルソースを押し付けようという姿勢に対しての反発のほうが大きかった。もっとも、彼はそのことを気にした様子もない。

「私? 私は『サン・ジェルマン』のメンバーだよ。いわゆる未来から、カキフライという料理についての情報を収集するためにやってきたの。で、この店に亜空間を作ったわけ。だから君はもっと色々なパターンで食べてデータ収集に協力してくれたまえよ。こっちも暇じゃないんだからさあ……」

 ほぼ確信していたが、案の定、この自称未来人は自分の目的とこの事態についてべらべらと語ってくれる。

「我々はこの時代の食についての情報を集めていてね、君はこの空間でそれを食べることによって情報をもたらす役割を与えられたのだ。だからさっさと黒いソース以外の方法で食べたまえ。その情報こそが我々にとっての価値全てなのだ」

「それ、食べないとどうなるんですか?」

「設定したループに沿って、そのを食べる状況を繰り返すことになるよ。もちろん、食べないという選択肢はない。その時はこの店を出た瞬間、記憶も消えて最初からやり直す設定だ。だからさっさと他の方法でカキフライを食べてくれたまえ。そうすれば君は、我々人類の歴史にその名を刻めるのだぞ」

 その物言いは、明らかに俺の感情を刺激した。

「お断りです」「なっ……」

 そう宣言し、俺は目の前のカキフライにソースをかけ、食べた。

 こんなに適当に口に放り込んだにもかかわらず、同じように薫りがあり、旨い。

 そして反射的に、俺はカキフライの数を確認する。5つである。

 おそらくこうやって時空の狭間でカキフライをソースで食べ続けるだけの人生が続くのだろう。この旨さならそれはそれで問題はないが、あの未来人の思惑通りというのは気に食わない。タルタルソースなりなんなり他の食べ方を試せばすぐに解決してしまうものかもしれない。しかしそれはあまりにも癪だし、そもそも、カキフライになにをつけるかは信念の戦争だ。そこを踏みにじるなら、こちらも徹底して戦わなければいけない。

 奥の席を窺うと、自称未来人は何事もなかったかのように仏頂面で座っている。

 俺がカキフライをソースで食べ続ける限り、あの男も監視を続けるのだろうか?

 もしそうならば、未来人はよほど暇で、相当忍耐強いのだろう。しかし先程の様子を見る限りとてもそうは思えない。

 同時に、あの男の言葉の中から幾つかのキーワードを思い出し、抽出する。

『データの収集』『設定したループ』『私が動くことになった』

 ここから推測するに、おそらく本来は全て自動的なのだ。

 そしてあの男は『この空間』と言った。では、カキフライを食べるのは俺でなくてもいいのではないか? 食べられたという事実が重要なのだ。それを確認すべく、俺は一芝居打つことにした。

「あの、いいですか?」

 先程のやり取りなどまるで覚えていないかのような素振りで、今度は、俺の方から話しかける。

「はい、なんでしょうか」

 返ってきた先程とはまるで異なる抑揚のない声が、推測をさらに裏付ける。

「いえ、せっかくなんで、あなたもおひとつどうですか? ずっとこちらを気にしているみたいだったので。これもなにかの縁ですからね」

 白々しいほどの言葉を投げる。さあ、どう返す。

「……」

 不気味な沈黙。変わらず感情のない顔でこちらを見ている。

「じゃあこれ、どうぞ。食べてみてくださいよ」

 俺はその沈黙を勝手に合意として解釈したかのように、彼の席に寄って行って白身魚のフライの横へとカキフライを移動させる。そしてタルタルソースの小皿も。

「あなたが、食べてください」

 ようやく返ってきた答えはそれであったが、この答えはある意味で想定内だ。

「もちろん、俺も食べますよ。ここにまだ、も残っているんですから」

 そう、4つ。これまでたどり着けなかった数。それを作るのだ。俺以外がそれを食べることで。

 そして俺は、確認するように店主の顔を見た。

「今のウチの牡蠣は最高のものだよからな、ぜひ食べてみてくれよ」

 想定した通り、店主は俺の言葉を後押ししてくれる。俺の言葉でない、この店主の言葉こそが、反応で動く監視役を動かす決定打となる。

「……では、食べます」

 無機質な答えとともに、その男は牡蠣にタルタルソースをつけ、口へと含む。

 それと同時だった。

 俺の口の中に、それまでのソースとはまったく異なる酸味と、その後に続く濃厚な牡蠣のエキスが広がり混ざり合う。そして、天にも登るような気分が湧き上がり……


 ふと気がつくと、俺は、自分の席で目の前のカキフライの皿を眺めていた。

 カキフライの数は……4つだ。終わったの……か?

「あの、この定食のカキフライって4つでしたっけ?」

 俺は現実を確認するかのように、店主にそれを尋ねてみる。

「なに言ってるんだよ。5つだよ、5つ。さっき食べてたじゃないか。珍しく、タルタルソースをつけて……って、あれ、そうだったか……? あれ……」

 その言葉と同時に、俺は一番奥の席の男がいなくなっていることに気が付いた。

 彼自身がカキフライを食べてしまったため、ループが破綻してしまったのだろう。いまや、ループの起点となっていた5つ目のカキフライはどこにも存在しない。

「それ、俺じゃないですよ。でもまあ、せっかくですからね」

 手に入れた自由を誇るかのように、小皿の白い湖にカキフライを浸し、口へと持っていく。

 様々な具材の織りなす複雑な酸味とシャキっとした歯ごたえの後、衣の油と牡蠣の海の香りがそれに混ざり合っていく。ソースとはまったく異なる調和。

 あの未来人は、これを知りたがっていたのだろう。

 俺は、彼に少しだけ申し訳ないことをした気分になった。

 こっちタルタルソースも悪くないじゃないか。

 そう思いつつも、俺はまた黒いソースを手に取っていた。

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カキフライ・エフェクト定食 シャル青井 @aotetsu

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