図書室の一コマ 〜一コマシリーズ2

阪木洋一

図書室


 部活動中のことである。


「すまぬ、ヨータ。図書委員の拝島委員長に、これを渡してきてもらえぬか」


 平坂ひらさか陽太ようたが、姫神ひめがみ部長にそのようなおつかいを頼まれたのは。

 彼女が渡してきたのは、A4サイズの書類封筒だ。


「構わねェけど、なんだこれ?」

「なぁに、ヨータは知らぬでもよい。機密事項というやつじゃ」

「機密事項ってんなら、自分で渡しにいった方がいいんじゃね?」

「我も我で、今から少々ややこしい案件があってのう。……これを頼めるのは、お主しか居らぬ」

「む……そ、そんなに重大なものなのか?」

「お主にしかできないことじゃ、ヨータ。言わば――男を上げる機会ぞ」

「――――!」


 男を上げる、というワードに陽太は敏感に反応する。

 小柄で容姿も女顔と普段から言われている陽太にとって、男らしく生きることは、自身の最大の命題である。


「図書室に届けてくればいいんだなっ?」

「頼む。見事、我が期待に応えてみせよ!」

「おう! 任せろっ!」


 封筒を受け取り、意気揚々と陽太は部室を出ていく。

 部室に残された部員達は、


「……平坂くん、本当にチョロいよな」

「チョロいねー」

「ククク、チョロいのう」


 姫神部長含めてそのように呟いていたのだが、当の陽太は知る由もない。



「ん、確かに受け取ったわ」


 図書室にて。

 陽太から書類を受け取った拝島はいじま委員長は、その中身を少しだけ確認して、にんまりと笑った。にんまりと。


「ふっふっふ、さすがは姫様、いい仕事をしている……!」

「あの、拝島先輩、普段からもですが、今もすんごい怪しい顔してるッスよ」

「そう思う? なんなら、これの中身教えてあげよっか? ――いろいろ目覚められるわよ?」

「……やめとくッス」


 気になると言えば気になるのだが、嫌な予感しかしないので、辞退しておいた。


「遠慮しなくてもいいのに。でもまあ……平坂くんはいろいろ持ってるから、これからも期待しておくわね」

「何をッスか……んじゃ、これにて失礼します」


 会話もそこそこに切り上げて、用も済んだし、陽太は部室に戻ろうと図書室を出ようとするのだが、


「ん?」


 ほとんど人が居ない図書室の一角、隅っこの机の席で、見知った顔を見つけた。

 歩み寄ってみると、やはり、間違いない。


「……小森先輩?」


 自分より一つ上の先輩で、陽太にとっては意中の少女――小森こもり好恵このえである。

 机に広げられているのは参考書とノート、筆記用具と、勉強をしていたというのが一目でわかる光景であるのだが。

 小森先輩、突っ伏して腕を枕に、すやすやと寝息をたてていた。


「…………」


 先輩と会えたことに嬉しさ半分、熟睡中なので会話を交わすことが出来ない残念半分で、陽太は苦笑。

 部活中であるし、この場はそっとしておいて、早く部室に戻ろう……と、思うところではあるのだが。

 ――陽太は、彼女から視線を外せないでいた。

 だって。


 その寝顔が。

 とても安らかで、とても貴重で、とても……可愛いから。


 ごくり、と息を呑む音が、自分の中でやけに大きく響いた気がした。

 ずっと見ていたい、と思うし。

 触れてみたい、とも思う。

 今まで、のっぴきならない状況で、手を握ったこともあるし、頬をつついたりもしたことはあるにはあるけど。

 この、彼女が熟睡中という状況で。

 もし、ここで髪を撫でてみたりしたら、一体どうなってしまうのだろう?

 それを考えると、何故か、急に鼓動が早くなってきて、呼吸が浅くなってきた。

 やるか、やらざるか。



「――やっちゃってもいいのよ?」



「はっ!?」


 後ろのカウンターから、拝島委員長が声をかけてきたのに、陽太はビクリと肩を震わせた。

 見ると、彼女はニヤニヤ顔でこちらを見守っている。そう言えば、居たんだった。すっかり忘れてた。


「な……な、なにもやらねェよ!?」

「ふっふっふ、平坂くん、持ってるわね」

「だから何をッスか……!?」

「知ってる? 眠り姫は、王子様のキスで目を覚ますそうよ?」

「き、キ……!?」

「というわけで、一発いってみようか。それ、キース、キース、キース」

「す、するわけねェだろ!?」


 無責任なコールに対して、陽太は顔を真っ赤にして怒鳴りたかったが、小森先輩を起こしたくないので、静かに声を放つだけにとどまった。

 この状況に、ドギマギする自分自身がバカバカしい。

 だが……その寝息が漏れる、小森先輩の、柔らかそうな、淡い桜色の、唇が、ふと視界に収まると。


「――――」


 ダメだ。

 これ以上は、いけない。

 陽太はぶんぶんと頭を振った。


 ――ホント、この人、なんでこんなに無防備なんだよ……。


 ますます、小森先輩のことがわからなくなった気がする。

 ……さっさと部室に戻るとしよう。

 そういう思いで、しかしもう一瞬だけ、小森先輩の寝顔を己の記憶に刻もうとしたところで、


「ん……」


 小森先輩は、微かに声を漏らした。

 起こしてしまったか? と陽太は思ったが、まだ眠ったままだ。

 しかし、


「……ん……陽太……くん」


 眠ったまま、自分のことを呼んできた。


「え? お、オレ?」


 どうやら、寝言のようである。

 まさかとは思うが……彼女は、陽太の夢を見ているとでも?


「陽太、くん……」


 ――間違いないようだった。

 なんだろう。

 すごく、嬉しい。

 つーか、うらやましい……!

 夢の中で、彼女と会えてるなんて。

 ああもう、ちょっと代わってくれ、夢の中のオレ……!


「陽太くん……す……」


 す?

 すって何?

 何ッスか!?

 もしかして……す――k


「いや、待て、待て待て、落ち着け、時に落ち着け!」


 これはきっと、オチがあるやつだ。

 スイカとか、スーパーとか、スリーランホームランとか、スリーパーホールドとか、そういうやつだ……!

 うん、わかってる、大丈夫。


「す……」


 さあ来い、オチ。どんと来い。

 いろいろよくわからないテンションで、陽太はその寝言の続きを待ちかまえたところ、



「陽太くん……すき……」



「――――――!!!!!?」



 まさか。

 まさかの。

 オチ、なしだった。


「な……な……な……!?」


 寝言、という条件下ではあるけども。

 その言葉を、小森先輩の口から、いただけるなど――!



「好きな……料理……なに……?」



「……………………」


 訂正。

 オチがあった。


「あ……は、はい! 料理、好きな料理ッスね!? カレーッス! カレーが好きッス!?」


 ほとんど、混乱の極みの中にあっても、陽太は律儀に答えておいた。もちろん小声で。


「………………あー」


 正直、残念な気分ではあるが、まあ、こんなものだろう。

 彼女の口からその言葉をいただくまでに至るには、まだ未熟。

 もっと――男らしくならないといけないのだ。 

 努力しよう、オレ。頑張れ、オレ。

 そのように決意を新たにしてから、陽太は深く息を吐いたところ。


「……お?」


 ぱかりと。

 蓋が開くかのように、小森先輩は目を覚ました。


「え?」


 腕枕からゆっくりと起きあがって、陽太と視線が合うと、小森先輩、普段は眠たげな半眼を大きく見開いた。


「……よ、陽太、くん?」

「あ……は、はい、陽太ッス。おはようございます、小森先輩」

「……夢、じゃない?」

「え? あ、うん。夢じゃないッス」

「…………」

「…………」


 お互い、無言で数秒ほど見つめ合った後、


「――――!?」


 小森先輩、急速に顔を赤くしていった。


「え?」

「……ご、ごめん」


 と、顔を赤くしたまま、小森先輩は机に広げていた参考書とノートと筆記用具を鞄に仕舞い、席を立つ。


「こ、小森先輩?」

「……ごめん、ご、ごめんね……!」


 恥ずかしそうに。

 本当に、恥ずかしそうにしながら。

 小森先輩は、鞄を手に足早に図書室を去っていった。

 その、彼女のいじらしい一挙手一投足に、


「………………」


 ゴトリ、と。

 もう何度もそうなったように、自分の中で音が鳴って。


「……ふ、平坂くん、ホントに持ってるわ」


 様子を見ていた拝島委員長のコメントにも、反応できないくらいに。

 残された陽太は、その場で立ち尽くすのみであった。

 

  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★


 おつかいから戻った平坂陽太は、戻って以降ずっと、室内の壁に向かって手を突いてわなわな身体を震わせていたという。

 それを見ていた部員達は、


「平坂くん、また死んでるな」

「あー、いつものやつだね、きっと」

「いい加減、その病で熱気を発散する女子のようになるのはやめてほしいのじゃがのう」


 と、口々にコメントしていたが、もちろん陽太には届かない。


「……ホントに、なんの夢を見ていたの……なんでオレを見てあんな顔したの……それ以前にあの人、オレのことどう思ってんの……ホント、天然でここまで振り回してどうすんの……こうかはばつぐんだ……」


 そんな陽太のうわごとの意味も。

 もちろん、部員達には推し量れないままである。

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