絵月と目玉焼き

水谷なっぱ

絵月と目玉焼き

 その日の朝食の場には緊張が走っていた。

 登場人物は二人、絵月と絵月の大学時代のゼミ友達である三波。場所は絵月が独り暮らしをしているマンションの一室。

 二人は二枚の皿を中心に向かい合って無言で互いを睨んでいた。

 皿の上にはそれぞれ目玉焼きが乗っている。

 そう、この目玉焼きこそが二人の論争の原因であった。


 「絵月ちゃん、それはおかしいと思う」

 「三波こそ変だよ。これは目玉焼きなんだよ?」

 「だからこそじゃん。これは目玉焼きなんだ」

 「三波の言うことが理解できないんだけど」

 「私には絵月ちゃんの言うことの方が全然わからないんだけど」

 二人の論争に着地点はない。なぜならこれは二人を培ってきた食生活を代表する諍いであり、そこに妥協点などあるはずもない。それまでの人生、生き方、自分を形作ってきたもの。そういった諸々の哲学的問題が今まで数多くの紛争と諍いを生んできた。そう簡単に決着がつくはずもないのである。

 「あのね絵月ちゃん。目玉焼きにはソースでしょ?」

 「違うよ三波。塩コショウだよ」

 「なんで? 目玉焼きみたいに淡白な味付けのものには甘辛くてこってりしたソースが合うじゃない」

 「逆だよ。確かに白身は淡白かもしれないけど、黄身はコクがあって自己主張がある。ならそれを殺さないようにあっさりした塩コショウにすべきだ」

 「それだと黄身がもさもさして食べづらいじゃん。ソースなら黄身をしっとりおいしくしてくれるよ」

 「半熟にすればよかったのに」

 「あのどろどろが嫌。むしろソースでおいしくいただくために固く焼いているの」

 「塩コショウなら固焼きでも半熟でもおいしいのに」


 目玉焼きにかけるべきは塩コショウかソースか。非情に難しい問題である。ここに善意の第三者が現れて

 「仲よく醤油をかけなよ」

 などと言った日には血を見ることになるだろう。まさに日本のイスラエル状態である。場合によっては更にマヨネーズ派やケチャップ派なども少なからず存在するためより事態は混迷を極める。

 同じような論争はカレーの隠し味、焼き魚、から揚げなどにも言える。絵月はカレーには醤油をかけるし、焼き魚も醤油、から揚げにはレモンをかける。しかし三波はカレーにはソース、焼き魚には塩、から揚げには醤油であり、なにかと二人の食事情は一致しない。

 三波は昨晩から絵月のマンションに泊まりに来ているが、昨晩の夕飯がいずれでもなかったことに二人は感謝すべきである。


 とはいえ目玉焼き問題は勃発してしまったし、解決の兆しはない。

 「半熟で塩コショウなんてドロドロになる一方じゃん」

 「そのドロドロをご飯にかけるのがおいしいんだよ」

 「絵月ちゃん行儀悪い」

 「家でしかやらないよ。固焼きの目玉焼きにソースをかけるのだって、結局はどろっとするんじゃないの」

 「そこまでかけないって。ちょっとしっとりするくらいがちょうどいいんじゃん」

 「でも甘辛くなっちゃうんでしょ。ソース的に」

 「そりゃそうだよ。ソース的な甘さと、ソース的な辛さが絶妙な味わいを引き出すの。塩コショウなんて単純な味付けにはわからないよ」

 一瞬、目玉焼きの焼き加減まで話が広がったが、それはどうやら収束したらしい。そのまま広がっていたならば、茹で卵や卵焼きについてまでもめていたに違いない。こちらについても絵月と三波では意見はかみ合わず、二人の溝を深めるだけに終わっただろう。


 とにもかくにも問題は目玉焼きになにをかけるかである。

 絵月は一体どうやったら三波に塩コショウを目玉焼きにかけることを納得してもらえるかについて考えた。

 塩コショウの説得力とはいったい何だろう。やはりシンプルな味付けで目玉焼きのおいしさを素朴に味わえるということだろうか。

 「聞いて三波。塩コショウなら目玉焼き本来の味付けを引き出すことができるの。白身のあくまでさっぱりした、淡白なところとか、黄身のコクやほろほろした味わいをそのまま感じられるんだよ。せっかく元がおいしいならそのままのおいしさを味わおうよ」

 「なにを言っているの、絵月ちゃん。ソースなら元のおいしさをよりおいしくできるんだよ。白身のあっさりした味はよりあっさり、黄身のコクはより深く、それぞれのおいしさを元のおいしさより感じられるようになるの。おいしいものとおいしいものをかけあわせたら、もっとおいしくなるに決まっているじゃない」

 「ソースじゃ味が濃すぎて目玉焼きの味が消えうせちゃうでしょ」

 「塩コショウじゃさっぱりしすぎていて塩のしょっぱさしかわかんないじゃん」

 これでは互いに一方通行である。相手のことを悪く言わずに自身の主張の良いところを伝える絵月の作戦はあっさり失敗したし、うっかりソースの悪口めいたことを言ってしまったことで三波はますます頑なに塩コショウを拒否するようになってしまっている。


 そもそもここまできて、自分の主張のよいところだけをプレゼンテーションして相手に理解を求めるやり方は手遅れなのだ。どちらが自分の主張を相手に認めさせるか、それが問題になりつつあり、目玉焼きに塩コショウかソースか、ということが主軸から離れてきた。ならばここは一度、落ち着いて目玉焼きの魅力について考え直す必要があるのかもしれない。

 目玉焼きの魅力とは何だろうと絵月は首をひねった。やはり基本は白身があっさりしつつも黄身に重さがあり、朝食に相応しいところではないだろうか。白身は淡白で食べやすいが、黄身は独特の食感をもっていて好き嫌いのわかれるところである。絵月はその感触が好きなため、あえてそこに変化を持たせたくはない。強いて言うのであれば半熟のとろっとした舌触りか、固焼きのほろほろとした舌触りかを変えることはある。しかしそれは両方とも目玉焼きが持つ性質であり、目玉焼きとしての主張が失われることはない。目玉焼きはあくまで目玉焼きであり、彼らは総じて卵であるということを感じさせてくれる。塩コショウならば目玉焼きの目玉焼き的主張をそのまま受け取ることができるのである。

 これがソースにしてしまうと話が違ってくる。ソースでは目玉焼きの白身の味を飲み込んでしまうし、黄身の食感も変えてしまう。調味料であり脇役に過ぎないソースが目玉焼きの主張を押しのけてしまうのである。

 それは本末転倒ではないかと絵月は考える。目玉焼きを食べたくて卵を焼いているのに、その卵本来の味が失われてしまっては意味がない。やはり塩コショウこそ目玉焼きに相応しいのである。


 絵月がそう結論づけて口を開こうとしたとき、三波も同じように口を開いた。

 「絵月ちゃん、ソースは目玉焼きと共存するんだよ」

 「しないでしょ。ソースは目玉焼きを食いつぶしちゃうでしょ」

 「そんなことないよ。塩コショウは大人しく目玉焼きに付き従うかもしれないけど、ソースは目玉焼きと手を取り合ってよりおいしい次元にステップアップするの」

 なんだか話が怪しくなってきたなと絵月は思うが面白いのでそのまま聞くことにする。

 「ソースはたしかに自己主張が強いよ。けど、だからこそあっさりさっぱりで控え目な目玉焼きをよりおいしいものへと引っ張り上げてくれるの。目玉焼きって単品で食べるには淡白すぎるでしょ。それをソースのこってりさでより深いコクと味わいを引き出すんだよ。固焼きした黄身のもさもさ感をしっとり食べやすくしてくれるし、半熟でもとろとろな舌触りをより濃厚に仕立て上げてくれるの。塩コショウにはできない真似だと思わない?」

 長々と三波が語る。その熱い語り口にも絵月はめげなかった。

 「ソースだとやりすぎなんだよ。よりおいしいものに引き上げるんじゃなくて、なんでもかんでもソース的にしちゃうだけでしょうが」

 絵月は反論を試みる。

 「三波の言い分だとソースは目玉焼きを引きずり回しているだけだよ。目玉焼きには目玉焼きの目玉焼き的主張があるんだから、それを否定する必要なんてないじゃない。素朴でシンプルな味わいを塩コショウによってそのままおいしくいただけばいいでしょ。わざわざ目玉焼きの良さを変質させることないよ。ちゃんと目玉焼きには目玉焼きのおいしさがあるんだからさ」

 「ステップアップって大事じゃない」

 「今ある幸せをかみしめてこそだよ」


 二人の意見は平行線をたどった上に幸せについての一般論に話が飛躍していた。目玉焼きの良さについて考え直していたはずが、何故こうも突飛な方向に飛んでしまうのだろう。一応二人とも話の主軸は目玉焼きであるとわかってはいるのだが、いかんせん目玉焼き自身の主張が薄いことにも問題がありそうだ。

 絵月と三波の間に置かれている二つの目玉焼きは、あくまであっさりさっぱり淡白な目玉焼きとしてそこに鎮座している。もちろん彼にも彼なりの主張があるはずなのだが、二人の剣幕の間で、それはあまりに無力だった。


 「よし、それなら春風に聞いてみよう」

 ついに三波は第三者を持ち出すことにした。春風は絵月と三波の大学時代共通の友人であり、日和見な意見は言わない質だ。自分が思うことをきちんと言うタイプの春風はこの場を収めるにふさわしいだろう。

 さっそく三波は春風にメッセージを送った。数分後春風からあっさりした返事が返ってくる。

 『なにもかけない』

 「え」

 「えー?」

 絵月と三波は拍子抜けしたように三波の携帯端末を見つめる。

 たしかにそういう意見もありなのだ。三波はただ目玉焼きになにをかけるかしか聞かなかった。その場の経緯などは春風に余計な気を遣わせる可能性があると考慮したからだ。

 にしてもあっさりした意見だ。

 絵月はしばらく悩んでから三波に声をかけた。

 「好きに食べよう」

 「そうだね。目玉焼きには好きなものをかけて好きに食べよう」

 「目玉焼き、温めなおすね」

 「お願い」

 再び温められた目玉焼きに、絵月は塩コショウを、三波はソースをかけて食べる。おいしいと、二人はそれぞれ思う。あっさりした目玉焼きも、こってりした目玉焼きも、それを好む人が食べればおいしいのだ。

 他人の食事情に口を出すのは野暮だな。そう思いながら絵月は最後の一口をあっさり食べた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

絵月と目玉焼き 水谷なっぱ @nappa_fake

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ