退職して小学生対象の学習塾の講師になった。大学受験の予備校講師になることも考えたが、教員になる前に実際に授業をしていた時の感触だと小学生相手の方が向いていると思った。

 最初に教員になる前にいたことがあるI学院も受けたのだがそこは面接で落とされ、N研という中学受験専門塾の講師になった。

 I学院は全教科指導が売り物だったが、N研は教科専任制をとっていて、ぼくは希望した算数だけを教えることになった。

 授業をやり始めて気がついたのは、10年以上前に教えていた頃と、中学入試のための基本的なカリキュラムはそれほど変わっていないということだった。問題の解き方や指導方法などもわりあい覚えていて、授業をやっていくうちに小学生の算数を教える感覚というのを、だんだんと思い出した。図形に線を引いたりして生徒の「あっ、わかった」を引き出すような醍醐味は確かにあって、それは、高校生を相手に英語を教えていても得られなかったものだ。

 一方、野球部などの部活の指導ができなくなったのが残念ではあるのだが、やはり教師にとっては授業が一番大切だと思う。

 できるだけ冷静に自分の授業の様子を振り返ってみると、高校生よりも小学生の方がなんとなく生徒に合うことを言っているような気がする。子供の頃、自分の母親が自宅で小学生にピアノを教えている様子をよく見聞きする環境にいたことと関係があるのだろうか。「門前の小僧習わぬ経を読む」という格言があるのもわかるような気がする。

 学習塾は、生徒の長期休業中以外は4時以降の勤務なので、朝から昼にかけて時間があり、その時間は小学校教員資格認定試験という小学校の教員免許を取るための試験の勉強をすることにした。免許がとれたら即小学校の教員にかわるというつもりでもないのだが、あった方がつぶしがきくだろう。

 一方、退職してから田上ティーチャーに手紙を出したことはない。そういうことをしたいと思わなくなったのである。教員だった頃は仲間だから教えてあげようという気持ちがあったが、教員を辞めたのでそう想わなくなったのだろうか。平たく言えば「面倒くさいからやめとこうと思う」という心境なので、褒められた話でもないのだが。

 また、田上ティーチャーの夢を見ることもなくなった。どうも牙を抜かれてしまったようで物足りない気持ちがするのだが、たぶん喜ぶべきことなのだろう。一面寂しいことでもあるのだが。

 これらは、幸子ちゃんが言っていた「人間、一般的には『現在の状況に問題があると、過去の似たような困ったことを思い出しやすくなる』場合が多い」という説明に合っている。なんとなく上から目線で図式的に説明されたことが当たっているようで面白くないが、自分の心というものはそんなものなのかもしれない。

                    (終)

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ぼくは底辺高校教師をして心が壊れました tsutsumi @tsutsumiryoujirou

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