騒音注意

RAY

騒音注意


 土曜日の朝。大きな音で目が覚めた。


 外に目をやると、荷台に工事用重機を積んだ大型トラックと作業員の姿。道を挟んだ反対側の空き地で何かが始まろうとしていた。

 あたりに重機のエンジン音が響き渡り、普段は人の気配すら感じられない、静かな環境が一変する。


 一線を退いてかれこれ十年が経つ私は、妻とのんびり暮らしている。

 働いているわけではなく、土日と平日の生活とで差があるわけではない――ただ、それとこれとは話が別だ。

 いわゆる騒音を伴う工事を行うのであれば、事前に告知があって然るべきだ。土日の朝ともなれば尚更なおさらだろう。


 ここを購入したのは二十年ほど前。当時は空き地が目立ち背の高い樹木が生い茂っていた。しかし、年々開発が進み、今では空き地はほとんどなく緑も少なくなった。


『緑に囲まれた都会のオアシス。安らぎの空間で幸せな時間を』


 売り出したときのうたい文句は今でもはっきりと憶えている。

 しかし、よくよく考えてみると、都心から二時間近くかかる場所を都会と呼ぶこと自体、無理がある。そこに目をつむったとしても、今は緑にも囲まれていない。さらに、朝早くから騒音を立てられては安らぎなど得られるわけがない。

 まさに「うたい文句はどこへやら」だ。


 大規模開発を行った土地開発業者ディベロッパーは作るだけ作ったらお役御免とばかり手を引いてしまった。文句を言いたくても言えやしない。「後はどうなろうと知ったことではない」。そんな声が聞こえてきそうだ。

 近くに、当時何とか部長を務めた男が住んではいるが、彼に文句を言うのは気が引ける。彼もまた一線を退いて平穏に暮らしているのだから。


 そうは言っても、今回の件は許しがたい。何もしなければ、あの連中は調子に乗ってまた同じことをやらかすだろう。このことが口伝くちづてに広がって業者の間で「あそこは何をやっても大丈夫」などということになるかもしれない。やはり何かアクションを起こして、あの連中に灸を据えるべきだろう。


★★


「あなた、落ち着いてください。そんなに目くじらを立てなくてもいいじゃありませんか。命を取られるわけじゃないんですから」


 今にも食ってかかりそうな私に、妻の紀子のりこが笑顔で言う。その瞬間、熱くなった自分がクールダウンしていくのがわかった。

 これまで何度か同じようなことがあった。短気で喧嘩っ早い私が大きな問題を起こさずに来れたのは、ひとえに紀子がいてくれたからだ。


「起きたのか。あんな大きな音がしたら眠ってもいられないよな? お前の言うとおり、命までは取られないがな」


 口ではそう言ったものの、やはりどこか引っかかる。

 もともと静かな環境を最優先に購入した物件だけに、どうにも腑に落ちない。


「騒がしいのも今日、明日ぐらいですよ。これまでもそうだったじゃありませんか? これから近所付き合いもあるわけですし、お互い様だと思わないと」


 紀子の言葉が私の心を穏やかにする。さすがは長年連れ添った古女房だ。亭主の操縦法を心得ている。

 平静を取り戻した私は思わず苦笑する。


「そうそう、お義父とうさんとお義母かあさんも起きていますが、特に気にはされていませんでした。お二人ともあなたと違って温厚な方ですからね。それから、ポチもさっきまで吠えていましたが、あれはきっとあなたの顔色を見て吠えたんですよ。雰囲気に敏感な子ですからね」


 紀子は優しげな笑顔で続ける。


「――気になるのはお義兄にいさんとお祖父じい様です。お二人の性格はあなたにそっくりですから。もしかしたら、怒鳴り込みに行く準備をしているかもしれません」


 確かに紀子の危惧は的を射ている。

 自分で言うのもなんだが、親父が温厚を絵に描いたような性格であるにもかかわらず、兄貴と私がこんなに短気なのは、昔から「祖父の隔世遺伝」だと言われてきた。

 連中を威嚇いかくするだけでなく、何かしら危害を加えることも十分考えられる。そうなれば、今の私たちの生活に少なからず影響が出る。それは決して好ましいことではない。断固阻止しなければならない。


「でも、取り越し苦労かもしれませんね。お二人にはお義姉ねえさんとお祖母ばあ様がそれぞれついていますから。

 不穏な空気を感じたら、あなたからもそれとなく言ってあげてください。冷静になったあなたはとても頼りになりますから」


 紀子の言葉に声を上げて笑う私。それに釣られるように、紀子も口を押さえて笑う。「第二の人生も捨てたものじゃない」。そんな言葉が頭に浮かんだ。


「やかましいぞ! 何奴かは知らんがわしがこの手で成敗してくれるわ!」


 不意に地鳴りのような重々しい声が響いてくる。

 私と紀子は思わず顔を見合わせると、ゴクリと息を飲んだ。


 声の主は祖父の祖父高祖父。彼は祖父に輪を掛けた、荒々しい性格で、怒ると手がつけられない。声の感じからして、危険な状態であることは間違いない。

 足音が少しずつ大きくなる――身体にまとった甲冑かっちゅうと腰に差した刀とが擦れ合う、ガチャガチャという音が不気味に響く。


★★★ 


「よし、基礎はこれでOK。地盤が粘土質だから雨が降らなくて良かった。少し早いけど、昼飯にしよう。午後からは墓石の設置作業だ。何か確認したいことはあるかい?」


「監督さん、ちょっといいかね?」


 現場監督の一言に、初老の作業員が向かいの墓地を指差しながら怪訝な表情を浮かべる。


「あれは何じゃろ? 墓の中から紫色の煙みたいなものが出て来とるんじゃが」



 おしまい

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騒音注意 RAY @MIDNIGHT_RAY

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