第3話 内戦と巨人と眼鏡の魔女(改)

 むかし、むかし、ちょうど百年くらい前。

 ヨーロッパの東のはずれに、一人の魔女が住んでいました。前髪が長くて地味っぽい、見た目 だ け はまだ若い魔女です。

 もっと昔は、もっと西の方に住んでいたのですが、戦争が始まったのを知らなかったばかりにさんざんな目にあって、東へと逃げてきたのです。

 途中で会ったハゲの男に「国を取ったら戦争やめるよ」と聞いたので、北の都で大暴れして革命とやらをちょっと手伝ったりもしましたが、それはまた別のおはなしです。

 魔女は安心してロシアの田舎に引きこもり。革命のその後なんか気にしません。

 そんなだから、干渉戦争、なんてものが始まったことにも気づかないんです。

 学習しない人ですね。


 ハゲのおっさんがやったことに腹を立てたのは、貴族たちだけではありません。

「勝手に戦争をやめるとは、なにごとだ」

 味方だった連合国が、ソヴィエト政府におしおきしようと、こぞって攻めてきたのです。南北の海からイギリスとフランスが、そして東からはアメリカ、日本までが軍隊を上陸させてきました。ドイツが負けたあとも、デニーキンやら誰やらの「白軍」を押し立てて、まだ進撃してくるのです。

 これを食い止めるべく、「赤軍」も、急ごしらえの飛行隊を送り込みました。

 でも、飛行機に、片っ端からやっつけで赤いマークを描いてたものだから、見た目もぐちゃぐちゃです。丸いマークを塗りつぶしたら日の丸になってしまったものまであります。これで日本軍と戦ったらさぞ面倒なことになったでしょう。

 幸いにして、いま近くにいるのはイギリス軍でした。


「それより、俺の戦闘機には、なんで機銃がないんだよ」

 ぜんぜん別のことで怒っていたのは、ブラトリュボフという操縦士でした。

 モスクワから持ってきたソッピース三葉機から、機関銃が外されていたのです。

 戦わせるつもりがなかったのか、誰かが勝手に持っていったのかは、わかりません。

「ええい、仕方ない」

 ブラトリュボフは、鉄砲を持って飛び立ちました。

 まわりは敵も味方も複葉機ばかりなので、彼の三葉機は、とても目立ちます。

 機関銃がないので、先に撃たれたらおしまい。だから、がんばって敵を探しました。

 その甲斐あって、ゆくてに黒く複葉機の姿が見えます。

 でも、こまりましたね。赤軍は寄せ集めなので、イギリス機を見ても、本当に敵かどうか、すぐにはわからないのでした。

 もちろんこのころ、無線なんてありゃしません。


 一方、相手も同じころに赤軍の編隊を見つけました。こちらもかなり目が良い様子。

 それもそのはず、この部隊を指揮していたのは、名だたるエースのコリショー少佐でした。西部戦線では「黒い小隊」をひきいて戦ったカナダ人です。

「やや、なんとまあ、奇遇。なつかしの三葉機じゃないか」

 コリショーはちょっと、ふしぎな気持ちになりました。彼も昔、ソッピース三葉に乗っていたのです。だからといって、遠慮する気はありません。

「そいつの性能は、おれはよく知っているぞ!」

 コリショーはむしろとくいになって、赤軍機に向かってゆきます。彼の戦闘機は、もっと新しいキャメルでした。

 ソッピース対ソッピースの対決が、はじまろうとしています。もちろんコリショー機には、ちゃんと機銃がついています。あやうし、ブラトリュボフ!


 そのころ魔女は、近くの村から美少年を小屋に連れ込み、お楽しみでした。

 なんの魔法を使ったんだか、ショタのほうもまんざらじゃなかったみたいですが。

 でも、初出が「東京とびもの学会」では十八禁描写はできませんでしたから、そこは割愛させていただきます。てへ。

 ただ、さすがに少年は、魔女よりは世相に敏感でした。

「……だから最近、北からは『革命に背く悪い子はいねがー!』、南からは『アカにつく悪い子はいねがー!』って兵隊がやってくるんだ」

「よっしゃ、よっしゃ。なに、どっちが来ても私がどうとでもするから安心なさい。ていうかあのハゲ、もっぺんシメといたほうがいいかしら?」

 どうやら魔女もちょっとは学習したのか、俗世に関心をもたないとまずい、と、とても俗なことをしながら思ったみたいです。

 まあ、えてしてそういうの、手遅れになってるものですが。

「あれ、おねーさん、なにか変な音が」

「うん? あ、これ、あかんやつや」

 魔女は慌てて眼鏡をかけ――今までのパターンだと髪かき上げて露出度上がるんですが、このときはもう全裸だったのであんまり変わりません。それより、急いでメガネチック魔法のバリヤーをはりました。間一髪で、藁葺き屋根がばりばりと吹き飛びます。

「ええいまたか。今度はなんだ」

 以前にも爆弾を落とされましたが、今回はちょっと横殴りな感じで様子が違います。

 ともかくも帽子とマントだけはかぶって、乱暴に戸を蹴っ飛ばして開けます。

「おねーさん、それじゃ痴女みたいだよ」

「痴女じゃねーよ魔女だよ。豚にすっぞ」

 ちょっとお気に入りといっても、まあ、普通の人間の人生なんてなんとも思ってない人ですから。少年は別の意味にとったのか、魔法もかけられていないのに「ぶひいいいっ」とか声をあげましたけど。妙に嬉しそうなのは気のせいですきっと。

 さて、外に出てみると、なるほど前回はバラバラの戦闘機だったのが、今回は大きいのがまるごと、落ちてきたみたいです。ぐしゃっと潰れて、まるで骨折したアホウドリみたいな姿で地面にへばっていました。翼には、真っ赤な丸がついていて、魔女にはどこの国やらわかりません。

「これは、重爆撃機さ。日の丸がついているから日本軍だ。僕は、くわしいんだ」

 少年が自慢げに言いました。いたいけなショタかと思ったらミリオタだったようです。残念なことに、本当は赤軍のイリヤ・ムウロメツ爆撃機だったのですが、誰も突っ込めるものはいません。

「ははあ、あいつらの仕業だな」

 魔女が上を見上げると、ちょうど、複葉機と三葉機とが、追いつ追われつ。

「どっちでもかまうものか。お楽しみの邪魔をするやつは踏み潰してやる」

 魔女は改めて眼鏡を爆撃機に向けると、やっぱり例によって呪文を唱えました。

「日輪の力を借りて、汝、ゴーレムになーれ!」

 カバラの手続きとか完全に無視ですが、眼鏡から魔法の光が放たれれば、折れた桁が骨のようにきしみ、張り線が筋肉のように延びたり縮んだり、胴体がめきめきと曲がって、爆撃機はものすごく無理矢理、姿を変えていきます。

 こんなのプラモのミキシングビルドでも作れないだろ、っていうか作れませんでした、そのくらい強引です。

 ばきばきという変形のさなかに、「ぐえー」とかいう悲鳴が混じりコクピットあたりから赤いものがぼたぼた垂れてきたけど、いまさら止まらないし止める気もありません。

 やがて爆撃機は、翼をもった、まあ、見ようによっては巨人に見えなくもない姿に変貌しました。頭のてっぺんは、そのへんの木より高々と。

「完成! マジカル空爆ロボ・グローズヌイX!」

「いまなんて?」

 少年がわからなかったのも無理はありません。

 第一に、まだカレル・チャペックの戯曲が書かれていないので、ロボットという言葉はありませんし、それにロシア語には「エックス」はありません。Xと書いてあったら、「ハー」か「10」です。でもそんなこと、西から来た魔女は気にしません。

 さっそうと巨人の肩に飛び乗り、頭に手をかけて命じます。

「飛べ、グローズヌイX!」

 四つのエンジンを震わせながら、でもプロペラには頼らずまるで引っ張り上げられるように、グローズヌイXはびょーんと、飛び上がりました。

 地面ではショタがあおりをくって転げ回りましたが、フォローはありません。


 空中では、ブラトリュボフとコリショーが空中戦の真っ最中でした。

 でも、さすがにエースで新型機、コリショーたちのほうがずっと優位のようです。さっき爆撃機を撃ち落としたのは仲間のひとり、そしてコリショーも、スパッドだったかニューポールだったか、複葉機を一機、やっつけたところです。

「ははは、赤軍のカトンボは練度が低いな。今度から略して赤トンボと呼んでやろう」

 いよいよ、昔の愛機と同型の三葉機においすがり、狙いをつけます。

 ブラトリュボフも、モスクワで教官をやっていただけのことはあります。必死に逃げまわり、なかなかやられません。

 と、そこへいきなり

「悪い子はいねがーっ!」

 飛行機の残骸だか巨人だかわからないものが舞い上がってきたので、二人とも、びっくりして空戦を止めてしまいました。

「なんだあれは」

「しかも痴女が乗っとる!」

 まあ、そうとしか見えません。でも、魔女はさらにカチンと来ました。

「ふざけるな、これでもくらえ!」

 グローズヌイXは、木の爪で自分のプロペラをつかむと、いきなり投げつけました。手裏剣のように飛んでくるのを、ブラトリュボフとコリショーは、あわてて避けます。さすがの腕前、といっていいでしょう。避け損なった赤軍のニューポールが一機、真っ二つになりました。

 二発目は、こんどはイギリスのデハビランド軽爆を串刺しに。

 さらに、進撃中の地上部隊を見つけると、投下するはずだった爆弾を、これも手榴弾みたいに投げつけます。

 たちまち、あたりは大混乱。

「わはは、空爆ロボと言ったはずだぞ」

 もちろん、やられたほうは聞いちゃいません。逃げ惑うか、さもなくばがんばって銃撃を加えますが、弾は布に穴をあけるだけ。

「おお神よ、あのハレンチな女と化け物はいったい、なんですか」

 コリショーは天に祈りました。

「なんのからくりだ、どうやって飛んでいる」

 共産主義者のブラトリュボフは、建前上は神に祈れないので、ただ必死に観察します。魔女に気を取られていたわけじゃありません。そのはずです。

 そしてほぼ同時に「あっ」と気がつきました。

「天から、吊られてるーッ!?」

 そうです。もとの飛行機にたくさん張られていたワイヤーが、そのまま雲の上まで無限に伸びて、グローズヌイXを吊り下げていました。

 どうりでプロペラを投げちゃっても飛べるわけです。マジカル空爆ロボの正体は、巨大なあやつり人形でした!!

 ……上に誰がいるんだ、とか聞いてはいけません。魔法なんですから。

「きったねー、とびもの学会的に、それは、とびものと認められるのか!?」

 二人の飛行士は、メタなツッコミを叫びました。

「いけね、ばれたか。てへ」

 魔女はちらりとサービスでごまかそうとしましたが、描くわけにいかねっつってんだろこの痴女いいかげんにしろ。

 もとい。仕掛けがわかればこっちのものとばかり、さっきまで戦っていた二機のソッピースが、そろって突っ込んできます。「イリヤ・ムウロメツ」は四発機なので、残るプロペラ手裏剣は二つ。

 グローズヌイXは、それを両手で同時に投げつけました。

 ところが両飛行士は、これも、さっと避けます。くるくる回転するプロペラ手裏剣は、どうやら魔法でホーミングするわけでもなく、空力でブーメランみたいに戻ってきました。その先に、敵機はいません。

「あ、やば」

 悟った魔女は、いち早く肩から飛び降りました。その直後、戻ってきたプロペラが、吊りワイヤーをぷつん。

 力を失ったグローズヌイXは、もちろん自重を支えることなどできず、ぐしゃりと潰れながら倒れます。でも、背が高いので、片手が三葉機をかすめそうになりました。

 ブラトリュボフは、さらに急旋回で逃げました。あわれ巨人は地面に、ぺしゃん。

「……なんだったんだ、あれは」

 無事だったコリショーはキャメルから地面を見下ろしましたが、いまはもう、ただの墜落した爆撃機の残骸にしか見えません。

 あたりには敵も味方も見当たりません。三葉機も、どこかへ行ってしまいました。

「見なかったことにしよう」

 コリショーはそうつぶやいて、ひとり基地へと戻っていきました。


 少年は無事でした。あやうく、崩れてきたグローズヌイXに潰されそうにはなりましたが、それより、かんじんの魔女がどこかにトンズラこいて、戻ってきません。

 不安になっていたところに、バスンバスンと不揃いな爆音を鳴らして、いきなり三葉機が降りてきました。どうやら、エンジンが壊れたか、ガス欠のようです。

「よわったな。そこの同志、赤軍の司令部はどっちかな……ややっ?」

 ブラトリュボフは声をかけてから気づいたようです。ええ、少年もさっきまで、お楽しみでしたから服は着ていません。でも、すごい形相でにらんでいます。

 さては反革命分子かと身構えました。幸か不幸か、鉄砲は一丁だけ持っています……


 記録では、ブラトリュボフは敵地に不時着したとき殺されてしまったといいます。でも、このときのことではないはずです。

 なにしろ彼の三葉機は、いまでもモスクワ郊外の博物館に残っているのですから。


 魔女はその後、さらに東まで逃げていったといいます。

 それもまた、別のおはなし。


                              (終わりやがれ)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

世界大戦と眼鏡の魔女 富永浩史 @H_Tominaga

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ