第2話 飛行船と眼鏡の魔女(改)

 むかし、むかし、そうですね、だいたい百年くらい前。

 ヨーロッパのあるところに、魔女が隠れ住んでおりました。

 いまどき魔女狩りに会うこともなくなったけど、やっぱり世の中とかかわるのが嫌いで、森に引きこもるただけではあきたらず、前髪も伸ばしてるので人と目が会うことも物理的にほとんどなし、そのくせ近くの村にはいたずらしたり、夜な夜な箒で空を飛んだりしていました。

 とても若く見えるけど実年齢は誰も知りません。以後不問だ、いいね?

 そんな生き方ですから、世情なんて知ったこっちゃありません。でも、あるとき魔女は、空中で妙なモノと出会います。

「なんじゃらほい?」

 前髪越しに見てみると、それは銀色をした葉巻のようなもので、ずっと頭上の高高度をごくゆっくりと、飛んでいきます。

「ははあ、人間どもの新発明か。そういえば昔、風船に火をたいて浮かんだやつがいたな」

 うろ覚えのそれはいったいいつのことかと問うてはなりません。ともかくそのとき、初めて魔女は、「飛行船」というものを見たのです。

 まあ、それだけだったら、良かったんです。

 飛行船の向かった先で、その夜、大きな火の手があがったとしても、魔女とはかかわりあいのないことです。

 どこかの純潔な魔女と違って、この人はそういう人なんですよ、ええ。

 

 もちろん、俗世の人間達にとっては、そうはいきません。

 この時代、ドイツ軍はツェッペリンやシュッテ・ランツの大型飛行船を使って、敵国の都市を爆撃することにしたのです。

 じつは魔女が出会ったのも、その一隻でした。

 魔女と違って、連合国の空軍としては、これを見過ごすわけにはいきません。最新型の戦闘機を繰り出して、迎え撃つのに躍起になっていました。

 エンジンをぶんぶん回して、オイルをまき散らし、布張りの翼で必死に追いかけますが、ガスの浮力で悠々と浮かぶ飛行船の高さには、なかなか届きません。そもそも夜にやってくるので、飛行機で飛ぶだけでもとても、あぶないのです。

 昨夜も、町には爆弾が降り注ぎました。

 ですが、いつまでもやられてばかりでは、いられません。

 ともかくも戦闘機は力強い音(当社比)を響かせながら、ぐるぐると螺旋を描くように上昇していきます。

「見つけたぞ!」

 ついにパイロットが、銀色に輝く葉巻型の船体を捉えました。まだ、ずっと上のほうですが、今夜はもしかしたら、間に合うかもしれません。

 なにより、戦闘機には奥の手がありました。

「上に出られなくとも、下にはりつければいいんだ。こいつを、お見舞いしてやるぞ!」

 主翼の上、銃架に取り付けられた機関銃が、上に向けられます。ニューポールとか、S.E.5aとか、あるいはスパッドA2とか、この時代にはありがちなことですが、まだ同調装置がついていない戦闘機みたいです。そのかわり仰角をつけることができるので、相手が素早くないときは便利ですね。

 きっと三十年たったら、遠藤大尉も賛同してくれるに違いありません。

「それっ、これでもくらえ!」

 ついに、戦闘機の機関銃が火を噴きました!


 飛行船は、船というからには船長が乗っています。軍艦とちがって大佐でなくともなれるようですが、このときは大佐でした。ドイツの誇りピッケルハウベをかぶり、カイゼルひげをたくわえた、絵に書いたようなプロイセン軍人でした。普通は船長の帽子をかぶってるものですが、なにしろドイツの誇りですからこだわりがあったのでしょう。ともかく、空の支配者ぶって、地上を見下ろすのが大好きな大佐です。

 それが、はじめて、下から撃たれたのです。驚くよりまず、頭に来ました。

「おのれ、蚊トンボの分際で!」

「しかし船長、このままでは穴だらけにされてしまいます。そうなったら......」

 副官が心配するのも、無理はありません。飛行船は水素の浮力で浮いているのです。火が付いたら、大爆発間違いなしです。

「わかっとる。応戦しろ!」

「爆弾を捨てて逃げたほうが、よくはありませんか」

「バカを言うな!」

 しかし、言い合っている間にも敵の戦闘機は次々と追いついてきます。

「おのれ......まてよ、あいつらまだ、わしらの上までは昇れないのか?」

「ほんのすこしの差のはずですが、三千くらいで限界のようです」

「下にいるのなら、爆弾、当たらないかな?」

 ほんの思いつきですが、ただ捨てるよりは、面白そうです。ドイツ兵たちは、ものはためし、やってみることにしました。当たったらもうけもの。それに、全部捨てなくても、ちょっと軽くなれば振り切れそうな相手です。

「よーし、今度のあいつが、真下に来たら投下だ。よーそろ、よーそろ......」

 そうとも知らず、一機のスパッドがいま、まさに飛行船の腹の下に潜り込もうとしています。大佐はニヤリとほくそ笑みました。

「てーっ!」

 号令一下、ラック一列ぶんの小型爆弾が、敵機の頭上に降り注ぎます!

 スパッドは、あわてて機体を傾け急旋回を始めました。ちょうど撃とうとした機関銃の曳光弾が、むなしくあさっての方向に輪を描きます。

 そこまでしたのに、間に合いませんでした。一発の爆弾がスパッドの胴体に直撃したのです。しょせん木と布の飛行機、起爆するまでもなく、ばらばらになってしまいました。

 これが本当なら、史上初の空対空爆撃大成功です。

 身軽になった飛行船は、のこりの戦闘機を振り切って高度を上げます。

「うわーははは、ざまあみろ。愉快愉快」

 大佐の高笑いを残して、飛行船は逃げおおせるかに見えました。


 ところで、その、戦闘機を爆破 し な か っ た 爆弾は、どうなったかって?

 そりゃあ、戦闘機の残骸と一緒に、真下の森へと落ちていくに、決まっています。

 もうお分かりでしょう。もちろんその森は、あの魔女が住む森でした。

 他人事だと思っていたから、魔女は空襲の備えなんか、してません。防空壕も掘っていないし、防空頭巾も被っていません。バケツリレーの練習は、まあ、リレーする隣組がそもそもいません。時代も合ってませんしね。

 そこへ、いきなり、爆弾の雨。

 ドカン、ドカンと大爆発で、隠れ家はこっぱみじん。

「うわーっ、ついに天使に見つかったのか!」

 這々の体で逃げ出した魔女ですが、その上に死体も二つほど落ちてきます。

 まあ、普段からイモリやヤモリやコウモリをどうかしてる人なので、死体くらい怖くはないんですが、いい気分じゃありませんよね。

「なんてこった、私が一体何をした。これは天使のやり口ではないな、えーと」

 ごそごそと、懐から大事な丸眼鏡をとりだすと、

「良かった良かった、これだけは無事だった。よーし」

 前髪をばっと掻き上げ、じぇいっ、と気合いを入れて、顔に装着。

 たちまち魔法の気が満ち、不敵なつり目で天空を睨みつける、なんかエロっぽい眼鏡っ娘魔女に変身です。

 バッボーイ、とかは言いません。言いそうな感じではありますけど。

 きらりと光るレンズの向こうの風景を、メガネチック魔法の力でズームアップ。

 すると、いつか見た銀色の葉巻型がゆっくりと飛んでいるのが見えます。

「あいつかー、最初に見たとき始末しておけばよかった。おのれ、ただですむと思うなよ。えーと」

 空を飛ぼうとして、はっと気がつきました。いつもの箒は、吹っ飛ばされた隠れ家の中です。

「ええいくそ、代役が要る。なんか適当な......」

 そのとき、不幸にして魔女の目にとまったのは、そのへんをちょんちょんと跳ねていた、一羽のスズメでした。ああ、ヨーロッパの都会にいるイエスズメじゃなくて、普通のスズメです。ほら、ここ、ド田舎ですからね。

「せめてカラスが欲しかったが、しゃーない、キミに決めたーっ!」

 相手の都合も聞かずに、魔女はすかさず、そのスズメに向けて魔法をかけました。呪文の間に逃げることもできず、眼鏡の光に捕まったあわれなスズメは、いきなり、むくむくと大きくなっていきます。

 あっという間に、人間よりずっと背の高い、巨大スズメになりました。

「このくらいでいいかな。よし、やつらに目に物見せてくれるぞ!」

 魔女はひらりと、スズメの背中に飛び乗りました。もうスズメは諦めたのか、それとも魔法には逆らえないのか、なすがままです。ぺしっ、と叩かれると、素直に翼を広げ、そしてものすごい風を巻き起こして羽ばたくと、一直線に上昇していきました。

 いや、正確には、ちょっと羽ばたいては翼をすぼめ、動力飛行と弾道飛行を繰り返しているので、いささか軌跡が波打っていますけど。スズメってそういうものなので仕方ありません。

 あ、でも、だめですよ、いくら初出が「東京とびもの学会」だったからって、巨大スズメの翼面荷重とか羽ばたきの先端速度とか計算しては。アスペクト比やレイノルズ数なんて、もってのほかです。これは魔法なんですからね。

 とはいえ、まだ空中をうろうろしていた連合軍の戦闘機たちを置き去りにしていったのだから、魔法だからって、イイカゲンにもほどがあります。

 イイカゲンな性能ですから、そりゃもう、高度三千メートルを超えて飛ぶ飛行船にも、あっという間に追いつきました。

 近づいてみると、どこに人間が乗っているのか、魔女にはようやく、わかりました。船首下面のゴンドラに、まずは一言、抗議に行きます。

 案外、律儀ですね。

 びっくりしたのは、ドイツ兵です。そりゃ、戦闘機を振り切ったと思ったら、いきなり窓の外に巨大なスズメが飛んでいて、しかもその背中にはメガネっ娘。

 全員、自分の正気を疑うには十分です。でも、大佐をはじめドイツ兵はみんな敬虔なクリスチャンだったので、思わずそろって十字を切りました。

「おお、悪魔だ、魔女だ、そうに違いない。神の御名のもとに立ち去れ!」

 魔女にしてみれば、これは宣戦布告にほかならないわけですが。

「そうか、人の家を吹っ飛ばしておいて謝る気もないか。ならば、やっておしまい!」

 魔女は怒りにまかせてスズメに命じました。ふだんは穀物をついばむばかりの太い嘴が、飛行船の船体に、突き立てられました。

 ぶすり、ぶすり。次々と大穴が開いていきます。

 大変なことになっているようですが、大佐は案外平然と笑っているように見えました。

「うわーははは、ばかめ、我がドイツの飛行船技術は世界一ィィィィィ! ツェッペリンの硬式飛行船、外皮に穴があいたくらいではどうということはないわ!」

 そうです。硬式飛行船というものは、骨組みと外皮の中にさらに気嚢があって、ガスはそっちに入っているのですね。魔女は世間知らずですから、もちろん、そんなことは知らないわけです。

「うわはは、悪魔もたいしたことはない。我等には神の加護がついておる、ものども、あの魔女を撃ち落とせ!」

 大佐に言われると、ドイツ兵たちも士気を取り戻しました。対空銃座のみならず、ゴンドラから、点検孔から、次々に小銃が突き出されると、スズメに向かって火花が散り始めます。

 こうなっては、かないません。まあ魔法のスズメですから簡単には死にませんが、たぶん恐竜よりは華奢でか弱いので、魔女はやむなく、距離をとりました。

 だからって、仕返しを諦めるような人ではありません。

「くそう、つつくだけじゃダメか。ならば......うーむ、良さそうなのはみんな隠れ家に置いてきてしまったぞ。はて」

 思案していると、東の空がもう、白みはじめているのに気がつきました。

「しめた!」

 魔女は飛行船よりさらに高く舞い上がると、スズメの背中にすっくと立ち、眼鏡に朝日を集めます。

 それはドイツ兵にとっても奇妙な仕草だったので、皆、なにごとかと身を乗り出して見つめていました。魔女の露出度が高いことに、今気づいたから、とかじゃないハズです、きっと。

「日輪の力を借りて、いま、必殺の」

 じゅうぶんに力が集まったと判断したか、魔女はかざしていた眼鏡をふたたび顔にかけ、そしてありったけの気合いを入れて叫びました。

「メガネッコビイィィィィーム!!!!!!!!!!」

 たちまち、両のレンズから放たれる光の奔流!

「なんだそれは、世界観って言葉を知らないのか、ぶちこわしだ!」 

 大佐がインテリぶったことをツッコミますが、気持ちは分からなくもありません。でも、そんなことを気にしている場合じゃないでしょう。

 太陽から得た熱光線が、飛行船に突き刺さったのです!

「らめえーっ、水素に火気は厳禁なのぉーっ!」

 まあ、突っ込まなかったら回避できたかというと、そんなわけないのですが、大佐がカッコいい辞世の句を残す余裕をなくしてしまったことだけは、たしかでした。

 たちまち空を彩る大爆発!

 衝撃波が、スズメの翼をもうちつけます。いい気になっていた魔女は、あやうく、落っこちるところでした。

 羽毛につかまりながら見渡すと、炎の塊から、ひしゃげた鉄の骨組みや、服に火が付いてのたうつドイツ兵がばらばらと落ちていきました。これでは、だれ一人助からないでしょう。

 助ける気があったら、最初から攻撃しに来ないので、魔女は高みの見物です。

「うわーははは、愉快愉快」

 案外、大佐とは気が合ったんじゃないでしょうか。

 ひとしきり笑ってから、魔女はいちばん肝心なことに、やっと気がつきました。

「さてしかし困ったぞ、今日からどこに住めばいいんだ?」

 なにしろ引きこもりですから、こんな時に気軽に泊めてくれる友達なんかいません。

「まあ、なるようになるか。今度はああいうのが飛んでこないところにしよう」

 適当に折り合いをつけると、魔女はスズメに命じて、森へと舞い戻っていきました。


 そうやって逃げたつもりの魔女が、今度は戦車に踏み込まれるはめになるのですが、それはまた別のお話です。


 ちなみにスズメは、魔法が解けたら元のスズメにもどって、その後何事もなかったかのように、田舎の畑をほじり続けましたとさ。

 めでたし、めでたし。    

                           (終われ)

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