第59話 麻雀店を出すのに元手は300万もあれば事足りる


 ○


「ご迷惑おかけして申し訳ありません、あかねさん」

「大丈夫です! おかげで、この辺にもすっかり詳しくなりましたし!」


 商店街周辺をあちこち歩き回ったにも関わらず、探し求めていたものはスタート地点のすぐ近くにあった、なんて幸せの青い鳥のような顛末に肩透かしを食らいつつも、なんとかふたりは目的地に到着した。


(それに、これはこれでデートみたいだったし)


 お詫びということで買ってもらった露店のたい焼きを、あかねはふくふくとした表情で頬張る。


「ほんとに気にしてませんからっ! それよりお店って、どこから入るんですか?」


 着きました、とましろが案内したその物件は、商店街から一本離れた筋の交差点の角に位置し、一階部分にはシャッターの降りたなんらかの店舗が、そして二階部分にましろの麻雀店が入っているという。


「看板はまだ間に合っていなくって、分かりづらくてごめんなさい。こちらから階段を上って、一番奥の部屋になります」


 ぐるりと九十度回り込むと、勾配の急な階段が続いている。やや塗装の禿げた手すりに掴まりながら上りきると、アパートやマンションのような見覚えのある廊下が伸びている。


 ましろが先を歩き出し、左手にひとつ、ふたつ、三つと扉を横切り、四つ目の前で立ち止まり鍵を開ける。


 城崎ましろが新たに構える麻雀店。その言葉だけを聞いてあかねは胸を弾ませていたが、果たして彼女の目の前に現れた光景は、


「お、お、おおお、う……?」


 いたって平凡。待ち席用のソファ、カウンター、それから全自動麻雀卓。ゴールデンタイムやスクウェアとさして変わらない、そんな店内の景色だった。


(まあ、そりゃそっか。変にお金かけても仕方ないし)


 ましろの始める店だからという一点で妙な期待感を抱いていた自分を反省し、あかねは来月には自分が働き始める店を歩き始める。

 入口すぐ右手にソファとテーブル。正面にはカウンター。そして左方に向かって二十坪ほどの空間が伸びていき、五卓の全自動卓が余裕たっぷりの間隔を開けて鎮座している。

 その店構えを見て、あかねは奇妙なことに気が付いた。


「あれ、入って左側ってほかの部屋ありませんでしたっけ?」

「こちらのテナント、二階部分は元は四部屋の住居だったらしいのですが、以前に託児所が入ることになった時に、壁を取り壊してひとつに繋げてしまったというお話です」

「ははぁ、なんともゴーキな」

「お家賃も、本当は月二十万円だったんですが、家主の方と粘り強く交渉させていただいて、なんと十五万円にしていただきました」


 ふんす、と珍しく得意げに胸を張るましろだが、あかねは気のない返事。事業用テナントの相場なんて分からないし、あかねにとっては十五万も二十万も大金だ。いま彼女が借りている部屋の三倍、四倍である。


 部屋中を練り歩き、最後にましろの下に戻ってきたあかねは、手近な椅子に腰を下ろし、


「お店の中はもうほとんど営業できそうな感じなのに、まだオープンしないんですか?」

「私もそうしたいのは山々なんですが……まだ警察の方からの許可が下りていないんです。申請をしたのが二週間ほど前なので、あと一ヶ月はかかる見込みです」


 かなうならば、あかねも少しでも早くましろの経営する店で働きたい気持ちだが、そういう事情ならば致し方なし。

 と納得しようとする反面、ましろにしてはなんとも段取りの悪いことだと不平を漏らす気持ちも心の隅に。事前に申請を出しておいて、その期間が終わるまでに内装や看板を整えておく、とかそういう方法はなかったのだろうか。


 そんなあかねの内心を見抜いたのか、ましろは待ち席のソファに座って手招きしながら、


「風俗店の申請というのは……これは、風俗店だけじゃなくって、飲食店でもそうなんですけど、すべての設備や構造物が完成した状態でお役所の方に確認してもらって、それから申請が始まる仕組みなんです。ここに麻雀卓を置きます、ここに冷蔵庫を置きます、っていう図面だけでは、認めてもらえないんです」


 図星を突かれ、あかねは決まり悪く笑う。オレンジ色の布製のソファに腰を下ろし、改めて店内を見渡した。


「とはいえ、手落ちがあったのも事実なんです。本当ならもう二週間ほど早くオープンできる予定だったんですが、申請の際の図面と実際の店舗の測量が一部間違っていまして、それで再申請になってしまったんです。お恥ずかしい限りです。こんなことなら、やっぱり行政書士さんに依頼した方がよかったかもしれないです」


 そういって、ましろは肩をすくめて嘆息づいた。


 ギョーセーショシ、という単語にあかねは耳なじみがなかったが、おそらく麻雀店の許可申請などに立ち会う専門家ということはなんとなく分かる。


「依頼した方が……ってことは、ましろさん自分で申請とかやったんですか?」

「はい。筒井さんもご自身で申請されたので、ご教示いただきながら。ですが、報酬をケチった挙句、再申請になってしまっては、本末転倒ですよね」


 やるせなさそうにソファの背もたれにしなだれかかるましろに、あかねは笑って応えながら、ふと、気にかかることがあった。


(ましろさんって、こんなにけち臭い……じゃない、お金にシビアな人だっけ。確かに、お金は大事だけど……)


 あかねの周辺の人間で、お金に厳しい人間と言えば、まず筒井が思い浮かぶ。

 いつだったか、店内備品の買い出し担当である東出の買ってきたティッシュやハンドペーパーが、別の薬局の方が安かったという理由で、筒井が怒っていたこともあった。

 あるいは、ましろもゴールデンタイムの戻ってきてから筒井の薫陶を受け、その性質をも受け継いでしまったのかしら。


「ちなみに、このお店って出すのにいくらかかったんです?」


 普通ならば無神経な質問に違いないが、ましろはあかねの「そういうところ」も買っている。答えづらそうにするどころか、むしろちょっと胸を張りながら、


「二百万円……そうですね、三百万円はかかっていないかと思います。クロスや壁紙の張り替えも、筒井さんのご紹介で、ずいぶん安く施工してもらいましたし」


 尋ねておきながら、あかねはいまひとつピンと来ていない生返事。十五万円も二十万も変わらない大金なのだから、二百万三百万もさもありなん。


 間抜け面を晒すあかねに、ましろは何か言いたげに唇を動かして、しかしかぶりを振って立ち上がる。


「さて、あかねさんにお店の自慢も出来たことですし、よかったらお昼にしませんか? 近くにインドネシア料理店というのがあって気になってたんです」

「行きます! 行きます! インドネシア料理といえば、ナシゴレンとかテンペとかですよね! あと、ビンタンビール!!」


 行政書士という言葉は知らずとも、食と酒に関することならば人並み以上である。


「私はドライバーなのでお酒は飲めませんが、お送りしますので、あかねさんはぞんぶんに飲んでくださいね」


 そういえばそうだった、と途端に水を差された気分になる。もしも自分が逆の立場だったら、きっと羨ましくて仕方がないので、今日は酒を飲まないことを心に誓う。


「いえ! だったら私も飲まないです!」


 と息巻いた結果、

 午後五時に自宅のマンション前まで送ってもらったあかねの顔は、これでもかというくらいに真っ赤で、

 昼から飲む酒は美味かった、なんて感想を抱きつつ、布団にもぐりこんだのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あなたも雀荘で働いてみませんか? ―ようこそ、雀荘「ゴールデンタイム」へ!― 終末禁忌金庫 @d_sow

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ