第58話 街中の麻雀店を探す時、苦労することもしばしば
○
ヘッドハンティングを受けたのが、もう既に一ヶ月前になった頃、
すっかり店に姿を見せなくなってしまった彼女を、誰しもが寂しく思い始めていた頃、
彼女は、突然ゴールデンタイムに現れた。
「ましろさん!」
「あかねちゃん、こんにちは。なんだかずいぶん久しぶりのような気がしちゃいますね」
「めちゃくちゃ久しぶりですよ!」
本走中の東出は、尻尾をぶんぶん振ってご主人に走り寄る小型犬の姿をあかねに重ねつつ、ふたりの会話を盗み聞く。
「いま東出さんが入りになっていて、えーっと、南一局です」
たとえ仲の良いメンバーとて、勤務時間外に来たのなら客として接する。そしてお客様には、すぐにどのような状況かを伝える。
いっぱしの従業員として働くあかねの姿を、ましろは頼もしく思う。
「あかねさん、明日の昼ってお時間ありますか? もしお暇なら、デートしませんか?」
「時間しかないです!」
明日は平日なので、昼間は講義やらなにやらがあったような気もするが、あくまで気がするだけである。
「良かった!それじゃあ住所をお伝えするので、明日のお昼、ぜひお越しくださいね」
嬉しそうにはにかむましろを見ているだけで、あかねは心がポカポカしてくるようだった。しかも、そのましろからデートのお誘いとくれば、本当ならばいますぐ走り出して体で喜びを表したいくらいだった。
と、ふと、背中に視線を感じたあかねは、様子を伺うように振り返り、
「東出さん、いまの話聞いてました?」
「明日の朝からあかねちゃんの家の前で張っとけば、ましろさんとデートが出来る、って話のこと?」
「ベランダから飛び降りて家を出ることにします」
「あかねちゃんの部屋、六階でしょ? さすがの俺でも受け止めきれないぜ」
「なんでそこまで知ってるんですか、ヘンタイ」
軽口の応酬は、客の「ロン」という声で打ち切られる。よそ見をしていて放銃した東出が苦そうな顔をしながら点棒を支払うのを、いい気味だと思いつつあかねは、カウンターの中へ戻って行ったのだった。
そして来たる翌朝。ましろからは午後一時に迎えに行くとの連絡を貰っているのに、眠っているのすらもったいないと言わんばかりに早起きをし、今日はいつもよりも張り切って朝ごはんを作り、風呂に入り、身だしなみを整えるために手鏡の前に座る。
少し伸びてきた前髪の先で遊びながら、こんなことなら美容院も予約しておけばよかったなんて思いながら、ふだんよりも丁寧に化粧をのせていく。
十一時くらいになって、一日千秋の思いで待ち焦がれるあかねは、そわそわしながらテレビを観つつ、空いてきたお腹をさする。とはいえ、こんな時間から食べてしまっては、もしなにかふたりで食べに行こうという話になった時に困るなぁ、と一瞬考えるも、手近にあったポテトチップスの袋を開けた。
そして、
「あかねさん、お待たせ致しました」
「いえ、全然!」
実際は起床してから既に六時間は経過しているし、ましろから近くに来ていると連絡が入ってからも、道に迷ったために半時間もかかっているしで、それなりに待ち遠しい思いをしていた訳なのだが、ましろに会えたその一事だけで、あかねは満開の笑顔を咲かせてみせる。
「今日は、どちらに行くんですか?」
「うふふ。今日はなんとですね……来月からあかねちゃんにも来てもらう、私のお店にご招待しちゃいます!」
そう言われた時のあかねの顔といったら!
驚きやら喜びやら、そこに少量の戸惑いもないまぜになった表情を浮かべながら、助手席で上下に震え始めたのであった。
「ど、どうしました、あかねさん!?」
「その……嬉しすぎて!」
あかねの独特の感情表現を、しかしましろは穏やかな微苦笑で受け流し、ギアをドライブに入れる。なお、今回の車も筒井からの借り物である。
「場所って、何駅か向こうにある商店街の中ですよね。あの辺って行ったことなくって、土地勘ないんですよね」
「そうですね。ちなみに、私もあそこの近くに部屋を借りちゃいました。やっぱりお店から遠いのは不便ですから」
「えっ!? いつでも遊びに行ってもいいってことですか!?」
「私の部屋なんて、遊びにいらしてもなにも面白みもありませんよ?」
あかねは、一人暮らしをするましろの部屋を夢想してみる。
しっかりしているように見えて案外抜けている性格をしているから、あかねの部屋ほどと言わずとも、散らかりがちではないか。
いやさ、ふだんの振る舞いの通り、私生活もお嬢様然としていて、洋服を脱ぎ散らかすこともなければ、食べかけのお菓子を机の上にほったらかしにすることもないだろう。
あれやこれやと妄想している内に車は目的地付近に到着し、パーキングに停車するや否や、あかねは扉を開いて飛び出した。
「あかねさんは、このあたりには来られるんですか?」
「大学の飲み会で時々来てたくらいです。最近はめっきり来なくなりましたけど」
「そうですか……」
実際、あかねのこの辺りの地形はうすぼんやりしている。とはいえ、店主たるましろがいる以上は、店舗まで迷うことはないだろうと思っていた矢先、
「実は私、とんでもない方向音痴で。お恥ずかしい限りなのですが、この辺りにはなんども足を運んでいるのですが、お店の場所はいまひとつ分からなくって……」
「えぇっ!? いやでも、車だって運転できてたじゃないんですか!」
「それは……いまはカーナビがあるので……」
「じゃ、じゃあいままでどうやって行ってたんですか?」
「いつもは筒井さんに付いてきてもらっていましたし……」
申し訳なさと恥ずかしさが半分半分みたいな顔色のましろを愛らしく思いつつも、かといって問題は横たわったままである。
「近くになにかスーパーとか郵便局とかなかったですか?」
「えっと、すぐ横にサフランっていうバーがありまして、それから斜向かいにスペースというバーが……」
スマートフォンでふたつの店舗名を検索してみるがヒットしない。ほかになにかないかと水を向けてみるが、曖昧な情報が出てくるばかり。
かくして、ふたりは三十分の探索の末、パーキングの真裏に所在する、ましろの麻雀店へとたどり着いたのだった。
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