第57話 とある大学の昼休み
○
その日、あかねはご機嫌であった。強いて言うならば、超ご機嫌であった。あかねの生涯五指に入ろうかというくらいの上機嫌で以て、時には鼻歌、時にはスキップなんかしながら、その日一日を過ごしていたためにしまいには、
「なんや中井ちゃん。彼氏でも出来たんか?」
と、タピオカミルクティーをストローで吸っていた南条が、訝しげな視線を向けてくる始末。
「……南條って、びっくりするくらいタピオカ似合わないよね」
「どういう意味やねん」
「もちろん良い意味で」
「喧嘩売っとんのか、アホ」
とはいえ南条自身、多少は自覚があったのか、半分ほど飲んだそれを、もう要らんと言いつつあかねに寄越す。
「ほんで? いつの間にうちに内緒で合コン行って、ええ男引っ掛けてきたんよ」
などという南条は白々しい。あかねがそんな程度ことでスキップするとは思ってもいないし、気味が悪いくらいの上機嫌の理由をさっさと教えろ、ということである。彼女はせっかちなのである。
「実は不肖中井あかね、ついにゴールデンタイムを退職することとなりました!」
「ほーん。ついに麻雀負けすぎたクビなったんかいな。あ、アウトはきっちり返しや」
「最近はあんまり負けてないし! アウトもついてないし!」
口角泡を飛ばす、ならぬ、口からタピオカを飛ばしながらあかねが反駁する。それを予期していた南条は一歩後ずさりながら、
「店辞めるのはほんまなん?」
「うん。でも、辞めるっていっても、引き抜かれたって感じ」
「中井ちゃんヘッドハンティングするような物好きをおったもんやなぁ。腐っても鯛……ああ、ちゃうわ、干からびても鯛ってことかいな」
確かに、あかねのここ一年の大学生活は干からびている、と形容されても仕方がないかもしれない。ゴールデンタイム夜シフトを優先するあまり、大学の友人たちと飲みに行ったり遊びに行ったりする機会もほとんど持てていない。
「ふふーん。南条、聞いたらきっと羨ましがるだろうなぁ。びっくりするだろうなぁ。それでも聞きたいぃ?」
「なんやもったいぶって。はよ言いや。仮にうちが中井ちゃんを羨ましい思うことあったとして、そんなん、例えばましろさんが自分で雀荘やりはって、そこで中井ちゃんが働くくらいのもんやで」
まぁそんなんありえへんやろうけどな、と続ける南条。あまりにもド真ん中ストレートの投球をしてくるもんだから、あかねは次に用意していた言葉を言い出せず代わりに、
「お、おぉん」
なんて間の抜けた返事。
「え?」
「おぉん」
「マジ?」
「おーん」
「なんやねん、どっちやねん」
「……マジ」
一拍。
「えーーーーーーーーーー!? めっちゃ羨ましいーーーーーーーーーー!!!」
周囲の人目も気にしないほどの大声を上げる南条。彼女のこんな大声、いちど誘われて見に行ったソフトボールの試合以来だ。
「え、なんなんそれ!? ズルない!? 中井ちゃんばっかり! うちなんか、こないだあの店行った時、サイン断られたくらいやのに!!」
「あたしの知らない間にそんなことしてたんだ」
「いつオープンするん!? うちも働きたい!!」
「うーん、でもメンバーはもうましろさん揃えてる、って言ってたし、あたしも誘ってもらった側だからなぁ」
目に見えて落ち込む南条。ふだんはクールというかドライぶっているくせに、新しい彼女の一面を見た気がする。
「どうだね、驚いたかね、羨ましいかね。素直に謝るのなら、いままでの不敬許してやっても良いぞい」
「なんであんたが偉そうやねん。しばくで」
ぴしゃりと言われてしまい、あかねはつまらない。
南条が平常運転に戻ったところで、昼休みの終了も間近だ。三限目はふたり別々の授業なので、それぞれ別方向へとつま先を向ける。
「場所とかは分かってるんやんな。また開けたら教えてや!」
「もちろん! 絶対来てね!」
別れたふたりと足取りは、どちらも軽やかだった。
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