第56話 お酒は二十歳から。麻雀店は十八歳から。


 〇


 中井あかねは、大学二年生の春からゴールデンタイムで働き始め、一年と三ヶ月になる。

 かつては本走の成績により給料が出ないこともあったが、いまやショートすることも少なくなり(まったくなくなったとは言っていない)、あおいやましろなど、ほかの従業員に比べて歴こそ浅いものの、自他ともに認める一人前のメンバーとして勤務している。

 

 あかねにとって、この世にある麻雀店といえばゴールデンタイムだけ、というのは、過言に憚りあるものの、少なくとも、ゴールデンタイム以外で働く、などということだけは、思いもよらなかったのは事実だろう。


 そんな彼女に訪れた転機。「私のお店で働きませんか?」というましろの言葉。


 ましろを敬愛するあかねにとって、その言葉はとんでもなく魅力的に聞こえた。一面的に見れば、一も二もなく飛びつきたい。が、この一年と三ヶ月もの間、世話になったゴールデンタイムオーナー筒井への恩や、一応は蔑ろにできない兄中井はじめへの義理立て。それらを勘案した結果、あかねは気持ちと理性、変化と保守の間で、ゆらゆら揺れていた。


 涙も酔いもすっかり引いた頭で、あかねは、自身の身の振り方について、長考していた。


「あかねちゃんが考えるんなんて珍しいこともあるものね」

「オーロラよりも珍しいかもしれません」


 外野が茶化してくるのにも耳を貸さず、腕組みしいしい、その場で胡坐まで搔いたりなんかしながら、あかねは首を垂れる。


「それにしても、ましろさんまで雀荘をやるなんて、知らなかったですよ」

「あら。この間彼にはすこしお話ししたのですけれど、お伝えにならなかったのですね」

「元からそのつもりでプロになったんですか?」

「いいえ。そんなことはありませんよ。ただ、プロとして活動している時に、ふと、むかしは楽しかったなぁ、なんて思いだしたりなんかしていますと、だんだんとその気持ちが抑えられなくなってしまって……」


 うなだれるあかねの頭の上を行き交うように、むず痒そうに眉をひそめたあおいと、頬を押さえて恥ずかしそうにするましろが、会話を繰り広げる。

 三人の中で最もましろと付き合いの長いあおいからすれば、人気女流麻雀プロであるはずのましろが、突然ゴールデンタイムに里帰りをした理由に納得がいったものの、それとは別に、得心のいかない部分もあるようで、何か言いたげに口を二度三度パクパクさせる。


 が、すぐ真隣から、スンスン、スンスン、不審な音が聞こえてきて、また後日素面の時に聞くことにしようと自分の話を切り上げると、そちらに水を向けてやることにする。


「どうしたんですか? 華ちゃん?」

「……なんであかねさんだけなんですか?」


 三白眼気味のジト目をましろにくれてやりながら、蚊の鳴くような声で、そんなことを言うもんだから、さしものましろも苦笑い浮かべざるをえなかった。


「華ちゃんをのけ者にした訳ではありませんから、そう拗ねないでください。本当は華ちゃんもお誘いしたかったんですから。でも、そうするとゴールデンタイムから、いちどにふたりも女の子がいなくなってしまいますから、筒井さんがそれは困るとおっしゃられて」

「……だったら、私だけ誘ってくれればよかったのに」


 唇を尖らせて、わざとらしく子どもっぽい仕草をする華が珍しくって、ましろは困ったように眉尻を下げて力なく笑う。


「はいはい、ましろさんを困らせないの」

「(ぷいっ)」


 ましろもあおいも、あかねと華の両者の間に横たわるメンバーとしての実力、経験の差を知っている。メンバー歴一年のビハインドはそれほどまでに絶大である。なにより、華自身がそれを理解しているから、わざとあけすけに拗ねて見せているのだが、だからといってぜんぶがぜんぶ演技という訳でもない。

 胸中の気持ちに正直に従うなら、いますぐましろにいろいろと問い詰めた挙句、自分の新店舗のオープニングメンバーに推挙してもらうための演説を始めたいところだが、それをぐっと飲みこんで、諸々の感情を凝縮した嫌味をひとつ漏らすだけにとどめた。


 メンバーとしてはともかく、ひとりの人間としては、華はあかねよりも幾分も大人であった。


 それからしばらく、

 居酒屋の店員が注文を聞きに来たり、

 華があおいの酒をひったくって飲み始めたり、

 ましろが運ばれてきた餃子の鉄板で指を火傷したり、

 あおいが煙草に火を点けたり、

 華が飲めるクチであることが判明したり、

 ましろが熱々の卵スープで口の中を火傷したり、

 あおいが二本目の煙草に火を点けた時、


「ましろさん」


 むくりと起き上がったのは、あかね。


「ましろさん」


 もういちど名前を呼んで、立ち上がる。

 その目は、ましろをまっすぐ見ているようで、あるいはもっとどこか遠くを見ているようでもある。


「ふつつか者ではありますが、よろしくお願いします! 私を、ましろさんのところで、働かせてください!!」


 深く、深く頭を下げた。


 あかねの申し出に、ましろもまた崩していた姿勢を整えて、けれど表情だけはこれ以上ないくらいに崩れたまま、


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 —―あかねの新メンバー生活が、幕を開けたのだった。

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