第55話 麻雀店の一番の天敵は風適法


 〇


 自分の店を持つ。そうましろが発言した時、


 あおいは、意味深な含み笑いを浮かべ、

 華はただでさえ大きな瞳を、眼窩から零れ落ちそうなくらいに見開き、

 あかねは、


「へ?」


 素っ頓狂な声を漏らし、弩級の間抜け面をさらしていた。


「ですから、雀荘をオープンすることにしたんです」


 嬉しそうにはにかみながら、ワイングラスを傾けようとするが、しかし中身が入っていないことに途中で気が付き、ドリンクメニューに手を伸ばす。

 ましろがメニューを物色している間、あかねは、改めて彼女が発した言葉を、繰り返し呟いてみた。


「雀荘を、オープン。雀荘を……オープン」


 次なる飲み物は生絞りレモンチューハイにしようと決めたましろが、呼び出しベルを押す。それと同時に、あかねも何かを思いついたようにすっくと立ちあがり手を挙げ、


 ピンポーン


「ましろさん、自分でお店をするんですか!!!???」


 店中に響き渡るような大声で、あかねは先ほどのましろの発言を復唱した。


「だからさっきからそう言ってるじゃない。……それと、声大きすぎよ、あかねちゃん」

「なんだか、クイズ番組の回答みたいでしたね」


 呆れたようにあおいが、むしろ感心したように華が、それぞれため息を漏らす。


「うふふ。そんなにびっくりしてくれたのなら、私も黙っていた甲斐がありました」


 いたずらっぽくましろが笑う。あかねとしては、不平のひとつでも漏らしてやりたい気分だったが、彼女の笑顔があんまりにも無邪気だったものだから、空っぽのビールジョッキをあおって、文句を飲み込んだ。


「実は、ゴールデンタイムに戻ってきたのも、自分のお店を持ちたいと決めたからなんですよ? 筒井さんにもたくさん相談に乗っていただきましたし、それから、メンバーを辞めてから、久しかったものですから」


 つまり、すべては初めから計算ずくのこと、決まっていたことであった。

 不動産契約、風適法、雀荘備品に関するアドバイスを筒井から受けつつ、麻雀店をオープンするための下準備を着々と進める。それと同時に、メンバーとしての勘を取り戻すために、ゴールデンメンバーの従業員として一定期間勤務する。


 マジックの種明かしをするように、ましろはひとつひとつ語り聞かせていく。

 あおいは、納得がいったように得心顔でふんふんとしきりに頷き、華はすこしばかり不満げに鼻を鳴らし、


 そして、


「でも……あおいさんや華ちゃんに再会できたのはもちろん、あかねさんに出会えたのは、とても幸運でした。あかねさんみたいな女の子が、この業界に入ってきてくれいて、私はすごく嬉しかったんです」


 その端整な顔立ちが崩れ切ってしまうくらいに破顔しながら、ましろはあかねの手を握った。その瞬間、


 堰が切れた。


「ま゛じろ゛ざん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛!!!!!!」


 涙腺という涙腺から涙を、鼻という鼻から洟水を。穴という穴から液体を噴出させながら、そして隣に座るましろに飛びついた。


「どごに゛も゛行がな゛い゛でぐだざい゛ぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!」


 女子大生らしからぬ、どころか、もはや人間らしからぬ慟哭を上げ、両腕でましろの体をがっちりつかみながら、あかねはその中に顔をうずめる。くぐもった雄叫びが、個室中に充満する。


 醜態を晒すあかねを、しかしましろは慈しむように、彼女の頭を優しくなんども撫でてやる。


「ありがとうございます、あかねさん。……でも、私の決心は、変わりません」

「ん゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛!!!!!」


 産まれたての赤子だって、いまのあかねほど酷くはないだろうというくらいに、泣きじゃくるあかね。ましろの衣服は、涙と洟水でぐしょぐしょであった。

 いよいよ見かねたあおいと華が、あかねを引き剥がそうとするのを、けれどましろは手で制して、


「もう、あかねさん。泣き止んでください。このままじゃ、次のお話ができませんよ?」

「づびぼばばび?」

「そうです! 私が行くことは、もう変えられないことですけど、……あかねさんこそその気があれば、来てくれてもいいんですよ?」

「い゛ぐ! い゛ぎま゛ず!! 絶対、遊びに゛行ぎま゛ず!!!」

「いえ、そういうことではなく――」


 そこで、言葉を切って、ましろは息を吸い込んだ。すぐにまた言葉が紡ぎ出されるかと思いきや、なかなか口を開かない。

 あおいと華の、そして、あかねの視線までもが、再びましろに集中する。


 ましろは、見上げるあかねの瞳をまっすぐに見据え、すこし照れ臭そうに、


「あかねさん、私のお店に来てくれませんか?」


 ――あかねは、頭の中で、なにかが落ちるような音を聞いた気がした。

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