十六夜の月

yuuka

第1話 プロローグ

 紅葉が色づき始める秋。

「ここが…」

 見えて来た壬生寺みぶでらに、思わず感嘆の息を零してしまう。雑誌やテレビなどで目にして以来、ずっとここを訪れたいと思っていた。

 親友の愛紗美あさみから勧められたあるゲームが切っ掛けで、幕末志士たちを知り。いつの間にか夢中になって、彼らの軌跡を辿ってみたくなったのだ。

一緒に来るはずだった愛紗美が風邪でダウンして以来、他の友人達にも声をかけてみたが、同様に体調を崩している人や用事がある人ばかりだった為、初の一人旅となった。

 去年、高校を卒業して以来、浅草の実家の甘味処を継いでいるのだけれど、ここ京都で幕末志士たちの息吹きを感じながら働けたらという夢もある。

 第15代将軍・徳川慶喜や、長州の風雲児・高杉晋作。そして、幕末の英雄・坂本龍馬や、勤王志士である古高俊太郎。何より、最後まで徳川幕府の下で戦い続けた新選組にも心を奪われていた。勿論、私が知っている彼らは、小説家や脚本家たちが史実を基に描いた理想の人であり。本当の彼らを知ることは、この先一生無いだろう。

 会うことも、触れて貰うことも出来ない人だと知りながら、それでもこうして足を運んでしまいたくなる。そんな魅力が、彼らにはあるのだ。

特に、私の心を掴み、愛してやまないのは新選組一番組長である、沖田総司。謎が多く、この人ほど素性が分からないというのも珍しいと思う。

 その容姿も、性格もはっきりとしたことは伝えられていないのだけれど、何故か私には沖田総司がどんな人だったのか分かる気がした。

 神様の悪戯なのか、好意なのか。

この後、私は運命的な出会いを果たすことになるのだった。



*****************



 新選組が剣術などの稽古をしたり、相撲の興行などを行っていたという場所なのだと思いながら壬生寺の門をくぐると、沖田総司がよく子供たちと遊んでいたとされている本堂が見えて来る。

 境内は思っていた以上に広く、コートを脱ぎたくなるほどの暖かい日差しと風に身を任せながら、新選組の軌跡を辿っているという喜びでいっぱいになっていた。その時、背後から私を呼び止める優しい声がしてゆっくりと振り返った。

「…はい?」

「これ、落としましたよ」

「あ…」

 柔和な笑顔でこちらに差し出している青年の掌の上に置かれた物は、紛れもなく私のキーホルダーで、すぐにバッグの取っ手から落ちたのだと理解する。

「いつの間に…ありがとうございます」

「いえいえ」

 受け取ったキーホルダーを再び、バッグの取っ手に付けて改めて、お礼を言うと彼は、「それじゃあ」と、言って少し照れくさそうに微笑みゆっくり踵を返した。

 近藤勇の銅像や芹沢鴨らの墓石があるとされている方へと向かう彼を見送り、自分も本堂へと向かおうとしてふと、足を止め。何となく、このシチュエーションを懐かしく感じて、同時に胸をドキドキさせながら彼のいる方へと歩みを進めた。

 何故か、この縁を無駄にしたくないと思ってしまった私は、辿り着いた場所に数名の観光客と彼の姿を見とめ。時に、他の観光客を避けるように端へ体を寄せながら、近藤勇の銅像の前で佇んでいる彼を見遣った。

 ベージュのパンツを履きこなし、白いロゴ入りTシャツの上から黒いフード付きのトレーナーコートを羽織っていて。首から下げた紐ネックレスが時折、胸元で小さく左右に揺れている。軽やかな風が程好い長さの前髪を浚う度、その横顔がイケメン俳優並みに恰好いいなどと邪な思いに駆られながら、気づかれないように本堂の方へ引き返そうとして再び彼に呼び止められた。

「本堂はもうご覧になったんですか?」

「え、あ…はい」

(って、まだだけど…)

「今日は土曜日だから混んでいますね」

「私、今日初めて来たんです。ここ…」

「そうだったんですか。どちらから?」

「…東京から」

「奇遇ですね。僕も昨日、連れと一緒に東京から来ました」

 そう言うと、彼は腰元に下げている小さめの黒いバッグからスマホを取り出し、何かを確認してから、「もうじき、その連れがここへやって来るはずなんですが」と、呟いた。

 きっと彼女だろうな。と、思い改めて、挨拶をして奥へ進もうとする私に、彼はまた照れたように微笑み、

「あの、」

「え…?」

「いえ、その…もし、良かったら」

 今度は、躊躇いがちな視線を受け止めて、次に発せられる言葉を待っていた。刹那、

「すまん。待たせた」

 同時にその低くて厳かな声に視線を向けると、彼とは真逆にワイルドなどこか近寄りがたい雰囲気を感じる男性の、冷めたような瞳と目が合う。黒髪を遊ばせ、黒いブーツを履きブルージーンズに、白いTシャツ。その上に黒めのレザージャケットを纏っていて、よりワイルド感を際立たせている。

「遅いですよ、土方さん」

(ヒジカタさん…?)

 後からやって来たその男性のことを、「土方さん」と、呼んだ彼とその、「土方さん」と呼ばれた男性を交互に見ていると、土方さんと呼ばれた男性は、明後日の方向を見遣りながら「逆ナンされてた」と、呟いた。

「はいはい。いつもの自慢話はもういいですから…」

「お前の方こそ、ナンパしてたんじゃないのか」

「ち、違いますよ!」

「なんだ、違うのか」

「彼女はその、今さっき偶然知り合って…」

 そうですよね。と、私に同意を求めて来る彼に小さく頷いて、同時に彼の言っていた連れというのが男性だったことに安堵している自分に気づく。続いた彼の、「もし良ければ、僕らが京都を案内しましょうか?」と、いう一言に唖然としながらも、心はすぐに即答していた。

「嬉しいんですけど…いいんですか?」

「迷惑でなければですけれど…」

「迷惑だなんて、一人だったのでそう言って貰えると心強いです!でも…」

 彼の隣、相変わらず明後日の方向を見遣ったまま腕組みしている土方さんへと視線を向ける。さっきから何も言わないのが逆に気になり、すぐに縋るような目で彼を見上げた。

「あ、この人はすぐに単独行動してしまうんで、全然問題無いと思いますよ」

だから、気にしないで下さい。と、言う彼にぎこちなく微笑む。

「僕は、沖田慎一郎おきたしんいちろうと言います。あなたは?」

「お、沖田って言うんですか?」

 土方に、沖田。しかも、どことなくゲームに登場する沖田総司と土方歳三に雰囲気が似ている気がして、思わず俯いた。続いて、「やっぱりそう思いますよね」と、私に困ったように微笑う沖田さんに頷いて、ようやく照れながらも自らを寺島京香と名乗った。その途端、彼らは私の名を呟きながら顔を見合わせ、何かを思い出すかのように眉を顰めた。

「あの、何か…?」

「い、いえ。あの、どこか行きたい場所はありますか?」

 そんな彼らが気になって声を掛けると沖田さんは、何かを取り繕うように微笑んだ。

「やっぱり、新選組の所縁のある場所へ行きたいです…」

 実は、幕末志士たちが好きで、今日は同じ趣味の友人と来ることになっていたことなどを伝えると彼らは、納得したうえでいろいろな場所へ案内すると言ってくれたのだった。



*****************



PM:9:47


「ふぅ、歩き疲れちゃった」

(でも、楽しかったなぁ…)

 予約していたホテルへ戻ってすぐ、ベッドに横になりながらスマホをチェックして愛紗美からのLINEに何度目かの返信をする。

「土方さんに沖田さん、か…」

 こんな出会いは、ドラマやアニメの中だけだと思っていた。初めて、沖田さんの笑顔を見た時に感じた懐しさのようなものが何なのかは分からないし、土方さんも同様にまるで以前から知っていたような…

“想い”が込み上げて来た。

 初対面のはずなのに、こんな出逢いもあるものなのだと。愛紗美に返信した途端、『イケメンからナンパされて、マジで羨ましいんですけどぉー』と、いう彼女らしい返信を得た。

 壬生寺を堪能した後、その近辺にある、八木邸や前川邸へと向かい。そこで、京都を訪れた理由を尋ねたところ、二人が出会った当時の頃からこれまでのことを簡潔に話してくれた。

 沖田さんがまだ幼少の頃、土方さんのいる日野へ引っ越したことで知り合い。それ以来のお付き合いで、二人は天然理心流という流派の下、剣道のプロとして三鷹にある道場の師範を務めているらしい。

 その、天然理心流の稽古が地方で行われる時には必ずと言っていいほど声を掛けられるそうで、この京都の道場でも門人を指導する為に、昨日から訪れているのだと、いう。

そして、八木邸や前川邸を訪れる度に、いろいろな感情を抱くとも教えてくれた。そんなふうに思うのは、ただ同じ剣の道を究めようとしていた新選組が拠点にしていた場所だからだろうと、言う土方さんの横顔が一瞬、寂しげに歪んで見えた気がした。

 明日もう一日、京都を満喫し。明後日の祝日の夕方頃に東京へ戻るまでに訪れようとしていた場所は数多い。それでも、予てから訪れようとしていた場所を全て変更して二人がいる道場へと向かう約束をしていた。

 新選組や坂本龍馬らに想いを馳せながら、じっくりと巡りたいと思っていたはずが、気が付けば二人に会いたい気持ちの方が優っていて。別れ際、沖田さんから場所と時間を教えて貰っている時から、明日が楽しみで仕方がなかったのだった。



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