祖父と孫の噺

@nearyequal

「父上、起きておられますか」

 ふすまの向こうへ、できるだけ明瞭に声をかける。間をおかずに、「おう」と返事が返ってきた。いつもより張りのある声だ。今日は調子がいいらしい。

「藩主様からの書状を持ってきました。入ってもよろしいでしょうか」

 襖越しのまま、そう声をかけると、少しの沈黙の後、

「……武之たけゆきは、いないだろうな」

「武之は爺に任せてあります。私一人だけです」

「……入っていいぞ」

 父上の返事を受けて、襖を開け、中に入った。昼間だというのに部屋中の戸や窓を閉め切っているせいで薄暗く、陽が差し込んでいないせいか、少し肌寒い。空気もこもっているようだ。

「父上、部屋の換気をしてはどうですか。これではお体に障ります」

「後でやらせる。それより、書状を」

 部屋の奥へと進み、布団で横たわっている父上に近づく。父上は辛そうにしながらもゆっくりと体を起こした。書状を受け取る手はわずかではあるが、小刻みに震えていた。

(悪化している……)

 書状を読んでいる父上の横顔を眺める。体調を崩しているとはいえ、鋭い目つきや精悍な顔つきは変わらない。けれど、つい半年前、もうすぐ齢六十に届くとは思えぬほど活発に動き回っておられた時と比べれば、ほとんど寝たきりになってしまったせいだろうか、瘦せぎすになり、一回り小さくなったような印象を受ける。食事もほとんど摂らなくなったせいか、頬も随分こけているようだ。

 父上は受け取った書状に一通り目を通すと、折りたたみ直したそれを私に差し出して、

「返事は後で書いておく。無理そうだったらお前に代筆を任せるかもしれん」

と言った。 ……やはり手は小刻みに震えていた。手紙を受け取った後も、私は動けずにいた。

 父上の体調は既に、危険な所まで来ているのではないだろうか。今日は調子が良いようだが、これ以降は......

「どうした?」

 そんな私を怪訝に思ったのか、父上が私に声をかける。私は少し躊躇ってから、口を開いた。

「武之に、会ってやってくれませんか」



 それは、半年前の事だった。

 私の息子、武之の元服の儀が行われた、その日の夜。その宴会が始まる直前に、父上は倒れた。急いで医者の元へと駆けて行った者のおかげで、何とか一命は取り留めたものの、その身体を以前のように動かすことは出来なくなってしまった。

 そんな風になってから、父上は離れに篭り、私と母上、そして爺以外とは絶対に顔を合わせようとしなくなった。武之が離れを訪ねても、顔を見せるのを頑なに拒むようになったのだ。

 理由は分かっていた。けれど、それでも言わねばならないと思った。

「武之も、父上に会いたがっています。以前のように習字や剣を見てやってくれとは言いません。ですから、顔だけでも......」

「無理だ」

 父上は珍しく気まずそうに目を伏せ、そう呟いた。視線の先にあるのは、随分と細くなってしまった自身の腕。陽に当たらぬせいか病のせいか、青白くなっている腕。

 父上が他人に、武之に姿を見せない理由。それは、今の自分の惨めな姿を他人に、孫に見せたくない。ただそれだけの理由。

「もう、私も永くないだろう」

 けれど、その気持ちは痛いほどわかった。武士として、自身の情けない姿を見られることがどれだけの恥か。身体が弱り、刀を握ることもできないほどになってしまった自分を人目に晒すことがどれだけの恥か。それがたとえ、幾ばくかしかない残りの人生の間であっても、だ。

 そう考える気持ちは理解できた。もう武之に会ってくれ、とは言えなかった。私は自分の発言を悔いた。

「......失礼しました。ゆっくりお休みください」

 私は何とかそれだけを喉から絞り出し、離れを後にした。




「父上!」

 私が離れから出て屋敷に戻ると、武之が此方に駆けてきた。

「お祖父様の体調は、如何でしたか」

「今日は、いつもより良いようだった」

「そうですか」

 武之は、よかった、と安心したように呟いた。

  父上の気持ちを知りながら、武之に会ってくれと口にした理由。それは、武之が誰よりも自身の祖父のことを慕っているからだ。事あるごとに祖父を気遣い、心配している。もっともそれが、そんな可愛い孫に情けない姿は見せられないと、父上にそう思わせてしまっているのだが。

「ああ、そうだ」

 唐突にそう言い、武之は腰から下げた巾着を探ると、中から何かを取り出した。

「父上、これをお祖父様にお渡していただけませんか」

「これは?」

「御守りです」

 武之が取り出したは、『病気平癒』の刺繍がされた御守りだった。

「先日、寺に参拝に行った時に買ったものです。どうにか直接お祖父様に渡せないかとも思ったのですが……爺に止められてしまって」

 父上からお願いします、と微笑む顔は、どこか諦めにも似た感情が宿っていた。

「……分かった。渡しておく」

 その顔を直視できないままに、御守りを受け取る。そのまま歩き去ろうとした、その時。

「あの、父上」

 後ろから声がかかった。

「もし。お祖父様の体調が良くなったら……また、お祖父様とお話しできるでしょうか」

 以前のように、お祖父様にお会いできるでしょうか、と。そんな言葉を背に受けて、私は立ち止まる。

 察しているのだ、武之も。それでも、訊かずにはいられないのだろう。

「……かもしれないな」

 それでも武之の言葉にそう返して、私は再び歩き出した。


 ……嘘だ。

 いくら体調が良くなろうと、父上は武之と顔を合わせようとはしないだろう。むしろこの御守りを受け取ることで、その気持ちは一層強まるのだろう。

(きっと、武之が父上に会いたがるほどに、父上は頑なにそれを拒む)

 けれどそれゆえに、武之は父上に会いたがるのだ。私には、どちらの気持ちも分かるような気がした。分かるが故に、どうしようもなく悲しい気持ちに襲われた。

(本当に、父上にこれを渡すべきなのだろうか)

 握った手の中にある御守りの感触を確かめる。何が二人にとって最良なのか、それだけを考えながら。

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