美しいものが見たい。

繊細なもの、壮大な物、見るだけで感動するようなそれらを僕は死ぬまでにいくつ見られるだろうか。


直接目にするのがいい。

僕が訪れた時の温度や香りを感じながら、その瞬間に自分の目で、自分の色で見るのがいい。


早朝、草の葉に露を残して、霞は消えかけている。

湿った山道の土は僕の靴底をわずかに重くしたけれど、息を切らせる程の傾斜はない。何より、無秩序に生い茂る草木を割ったこの先に美しいものがあるという期待感が、僕の身を軽くしている。


目の前が開けると、最初は木の無い草地が現れたのだと思った。

それにしては無風の中、ぬらり、ゆらりと不自然に葉が揺れている。葉の隙間に光の反射を見つけて合点がいった。

ここは池だ。

池の上に面の広い丸い葉が生い茂っている。


葉を従えるように、水面に桃色の服を着た女が立っていた。

桃色の女の白い肌は陶器のような光沢を持っていて、緑ばかりの世界の中で僕の視線を釘付けにする。

「あぁ、綺麗だなぁ」

僕は、また一つ美しいものを見ることが出来たようだ。


僕の感嘆に答えるように、桃色の女は小さく体を揺らして右手を少し持ち上げる。手の様子を見ると、水面を指差しているようだ。

僕に何か伝えようとしているのだろうか。池の中に何かあるのか。


池の水面はとろみでもついているように、黒く滑らかに揺れながら光を映している。

「池の中に何かあるの?」

「そう。綺麗かどうか確かめて」

問いに桃色の女が答える。

僕は地面に膝を付き、そっと水面に顔を近付けた。


泥臭い。生臭くもある。

そうだとしても、その先に美しいものがあるのならば、僕はこの中に喜んで顔を浸すことが出来る。熱意がある。


「綺麗かどうか確かめて」

桃色の女が催促している。


僕は何となく解っているのだ。

この水中には、己を害してまで見るに値するようなものは無いということ。あるのは、桃色の女の美しさを損なうようなものなのだろう。

見に来ただけの僕に、それを確かめる義務などあるまい。


「綺麗かどうか確かめて」

僕は立ち上がって耳を塞ぎ、桃色の女を眺める。しばらくこうしていられれば、僕は満足なのだから。



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幽玄の女 オサメ @osame

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