宇宙旅行の途中で旅行会社が破綻した一つの事例

鶴見トイ

宇宙旅行の途中で旅行会社が破綻した一つの事例

「あー、楽しかった、帰りたくないな」


 そう言いながら宇宙港のゲートを通り抜けようとしたイムは、勢いよく目の前を塞いだバーに勢いよく衝突した。


「いたい……なんで……かざし方が悪かったのか」


 手に持っていた宇宙船のチケットを、イムはもう一度チケット読取機にかざした。ごん、と再度バーがイムの頭を直撃する。


「なんでバーがこんなに殺意に溢れてるんだ。にしても、どうして……」


 頭をさすりながら、イムは係員のいるカウンターのほうへ歩いていった。

 イムは二週間のツアー日程を終え、帰りの宇宙船に乗ろうとしているところだった。素晴らしい旅だった。惑星ジャンツールは手頃なバカンス地として有名で、ビーチのあちこちでは親子連れが楽しく思い出を作っており、一人で貝をひろっていたイムにはその楽しげな声がより孤独感を深める要因にもなったのだが、まあともかく海はきれいな紫色だったしイルカショーは楽しかったし食事も悪くなかった。できるならこの星に永住したいところだったが、明日で旅は終わりである。明後日にはもう用事が入っていて、悲しいことだが故郷のウルプ星へ帰らなければいけない。


「あのう、すみません。このチケットでゲートが通らないんですが」


 カウンターについたイムは、そう言いながらチケットを差し出した。係員のジャンツール人は、左斜め下についている手(平均的ジャンツール人には腕が六本生えている。しかしこのごろのジャンツールでは腕を五本半にすることがはやっているため、この係員はそれほど流行に敏感ではないことがわかった)で、そのチケットを受け取った。


「ちょっと拝見。うーん、便名と日はあってるね……ん?」


 係員はチケットをひっくり返した。


「ああ、これ使えないよ」

「え?」

「知らないの? ほら、あのニュース見てみなよ」


 係員はそう言って、右正面の腕で壁に投影されている映像をさした。


『……次のニュースです。昨日、アルタイル地裁に自己破産を申請したティーチミー社ですが、負債総額は約百五十一兆アルタイルドルに達する見込みです。また、すでに申し込み済みの顧客の宇宙船券やホテルの支払いが行われていないケースが多発しており、ティーチミー社は渡航の中止を呼びかけています。影響を受ける顧客数は八から九億人に上ると試算されており……』


 イムはチケットを入れていた封筒を見返した。表にしっかりとはっきりと、『ティーチミー』とプリントされていた。



 イムは宇宙港のロビーに座り、ぼけっとあらぬ方向を眺めていた。チケットがスペースデブリ並の価値しかなくなった今、どうやれば帰れるのかを考えているつもりだった。しかし考えているようで、思考はふわふわとあちこちを気ままにさまよっている。


 まず、チケットを買い直すのは論外である。チケットは正規料金で買うと七十万アルタイルドルはする。この『ジャンツール星二週間――美しいビーチとかわいいイルカ――』ツアーよりも高い。ツアー料金を一年かけてためたイムにはとうてい払うことのできない金額だった。


 チケット代金をどこかで借りるということも難しい。借りられる金融業者が限られているうえ、金を借りたあとすぐに宇宙船に乗らなければいけないため、ウラシマ効果によって利子が天文学的なものになってしまう。このことを忘れて借金を返さずに宇宙船に乗り、その後の一生を返せるあてのない返済に費やした人間のドキュメンタリーは毎年年末の風物詩のようにテレビでやっている。


 返済をティーチミー社に求めるのもできなそうだった。完全に破綻しているし、ニュースによればティーチミー社の加入していた宇宙旅行業協会(UATA)の弁済業務保証金限度額も一兆二千億アルタイルドルで、被害者の頭数で割るのであればとうていチケット代金には届かない。


 ウルプ星の知り合いに助けを求めるのも厳しい。この旅行は周りには完全に秘密で出発したのだ。バレたらそれはまた厄介な問題を引き起こす。


 そして何より困るのは、明後日にはイムにとって大切な用事があることだった。その用事のためには、どうしても明後日までにはウルプ星に戻らなければいけない。


「うう……」


 イムはうめいた。傍らの薄汚れたバックパックに肘をつき、また一つため息をついた。


 イムは立ち上がり、隅に置いてあった十五分間無料のパソコンの前に座った。Q&Aサイトにアクセスし、『ティーチミー社の破綻に巻き込まれ、帰りのチケットが無効になりました。どうすればいいですか?』と書き込んだ。


 数分して返信が来た。


『それが旅です。困難にぶち当たり、周囲の暖かさを知る。パックツアーより何倍も思い出深いものになりますよ』


 喜んで回答者と立場を入れ替えてやりたかったが、そうもいかずイムはパソコンの電源を切った。そして、立ち上がってバックパックを担いだ。お腹が減ったのだ。


 宇宙港の玄関脇では、いくつも屋台が出ていた。イムはその中から自分の胃袋にあいそうなもの――主にタンパク質や脂質などでできていて金属をなるべく含まないもの――を物色し、串に差した卵のようなものの屋台の前へ行った。


「いらっしゃい。何にします」

「その串を二本」

「はい。お客さん、旅行の方?」

「そうだけど……見りゃわかるでしょ。ここは宇宙港なんだし」

「いやそりゃそうなんだけど、お客さんの顔が旅行者にあるまじき落ち込み方をしてるからさ。旅行者っていうより遠流の罪人みたい」


 屋台の店主は、頭にタオルを巻いた若いジャンツール人だった。串を手渡してきたので受取り、硬貨を引き換えに出す。

 卵のようなものを食べ――驚くべきことに、卵のような味がした――、口をぬぐったイムは、串を屋台の脇のゴミ箱に捨てながら店主に話しかけた。この苦境を誰でもいい、誰かと分かち合いたかったのだ。


「串屋さん。ティーチミー社の破綻、知ってます?」

「ああ、ニュースでここのところずっとやってるやつね。知ってる知ってる。でもティーチミー社って、危ないって一年前から言われてたろ? あそこを使うってのはねえ、よほど物を知らないやつだよねえ」

「……実は、それに巻き込まれて、帰りのチケットが使えないんだ」

「ほんとう? いやあ、災難だったねえ。せっかくの旅行なのに。前々から危なかったってニュースじゃ言ってたけど、そんなのこっちにゃあわからないもんねえ。大変だそりゃあ、大丈夫かい?」


 観光で食ってる星の人間は一味違うなと思いながら、イムは言葉を続けた。


「チケットの買い直しはできないし、かといってここでぐずぐずもできないし。明後日には帰らないといけないんだよ。どうしようかと思ってさあ」

「そうだねえ……」


 店主は三本の腕で串をひっくり返しながら、のこり三本で腕組みした。


「あそうだ、いい方法があるよ。貨物船にヒッチハイクしていくっていうのはどうだい」

「悪くないけど、それって着くまでにどのくらいかかる?」

「そうだね、六百日ってところかな。あちこちの星に寄るしね」

「だめだなあ。一日で着けるようなのはない?」

「一日ねえ……あ、あれはどうだ。転移装置を使うやつ」


 そう言って、店主は一本の手を使ってコインロッカーの脇に置いてある装置を指差した。


「あれ、荷物を送るためのやつだろ? 生体は送れるの?」

「だめだけど、向こうで医療チームに待機してもらったらなんとかなるんじゃないか」


 イムは転移装置のそばへ行き、説明文を読んだ。そして屋台のところへ戻ってきた。


「だめみたいだよ。タンパク質が鉄に変性するらしい」

「あちゃあ、だめか。しかしなあ、それ以外じゃあ思いつかないよ。なんてったって生体を宇宙のあっちからこっちに移動させるなんてなかなか大事業だからなあ。この星に住むっていうんなら、屋台の仕事紹介してやってもいいけど、帰りたいっていうんじゃねえ」

「うーん。この星は住みたいくらい好きだけど、でもなあ、用事がねえ」


 イムと店主はしばし沈黙した。卵の焼ける音だけがする。


「……あっ」


 と、突然店主が声を上げた。


「何、何。何かいい方法を思いついたの」

「と思ったんだけど、だめだなこりゃあ」

「え、そう言わず。ダメ元で言ってみてよ」

「しかし……」

「いいじゃないか、話すだけなら」


 そうイムがせっつくと、店主はしぶしぶといった形で話し始めた。


「ほら、生体を送るのは金がかかるが、情報ならそれほどかからないだろう? だから、あんたの身体を解析して情報に置き換えて、あちらで再生すれば……と思ったんだが」

「……なるほど」

「いや、家畜でそういうことをやってるってニュースで見てさ。知的生命体でもできるって言ってたから、ふっと思いついただけなんだが。でもだめだよな、それじゃああんたが用事に出られないし、倫理的にまずそうだし」

「……いや、いい。すごくいい!」


 イムは声を上げた。周りの人間が二人のほうを見るほどの声だった。


「いやでも、それじゃああんたが二人になるだろ?」

「だね。まあ構わないよ、星と星の間には相当な距離があるんだし。情報を送るときにちゃちゃっと記憶を改ざんして、そこのところをうまく誤魔化せば」

「でも、大切な用事があるんだろ?」

「そうそう、それがこのプランのいいところでね。あの用事には、実はあんまり出席したくなかったんだよ。でもよかった、これで出席しなくてもよくなる」


 店主はなお訝しげにたずねた。


「その用事って、何なんだい」

「戴冠式」とイムは言った。「いや実は、自分は王位継承者でさ。ウルプ星は立憲君主制なんでね。それで戴冠式の前の最後の自由時間として、周りを騙して一人旅してたんだよ。あーでもよかった、これで継がなくてよくなる。いや、継ぐのか。継ぐけど自分は継がなくていいんだ。やったね」

「え、いいのか、ほんとに?」

「いいよいいよ。それでいこう。あ、さっきの屋台の仕事の件、頼むよ。急いで身体の情報解析してくるからさ。やった、ここに住めるんだな。自由ときれいな海、それにかわいいイルカが待ってるぞ」


 二日後、ウルプ星での戴冠式は盛大に、一つの滞りもなく行われた。


 二年後、ジャンツール星発祥の卵串が銀河全体で大ブームとなり、あちこちの星にぽこぽこ卵串専門店チェーンがつくられた。しかし例外の星が一つ、ウルプ星だった。ウルプ星にかぎって卵串専門店が出店されない理由は、オーナーの意向とも、気候のせいだとも、磁力のせいだとも言われているが、本当のところは誰も知らなかった。


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