(49) HotRings

 パレードが始まり、大河たち百人余のバイシクル・メッセンジャーは、先導の自転車に従って五百mほどの環状道路を一周する。

 メッセンジャー達のあまり歓迎されていない晴れ舞台。後ろのほうではケビン・ベーコンのメッセンジャー映画のようにトラックレーサーの曲乗りや蛇行走行でパフォーマンスをしている。

 やってることは暴走族と変わらないが、カラフルなジャージにヘルメットの女子高生が、周囲に少々居る野次馬らしき人たちに手を振ると、疎らな歓声が上がることもある。

 それらのエールを最も多く受けているのは、前年優勝者の亥城アンと、それをサポートした烏丸ミル。立場はさておき、ミステリアスな黒髪と夏至の残光を受けて輝く金髪の二人は、納得の美貌。

 そんな二人に挟まれた無名の新人メッセンジャーの大河は、居心地悪い思いをしながらも、自分のこれからの動きを繰り返しシミュレーションしていた。烏丸ペペは自らが苦手とする他人からの注目に、これも仕事のうちと苦行に耐えている。ロコは歓声を自分に向けられているものと勘違いし、貧しい胸を張って偉そうな顔をしていた。


 イルカ道路と言われる環状路を一周するパレードが終わり、メッセンジャーたちはクジで引き当てた各々の回収すべき荷物にある方向へ散っていく。

 ここから大河たちの荷物がある右舷コンテナヤードまでの道順は、海までほぼ一直線に走り、それから海沿いの道路をしばらく走った先にある。

 各々の荷物の場所はブリッジから等距離にあるらしい。この公道レースで、普段の走りよりも大幅に速いペースのメッセンジャーたちが特定の道路に集中することを防ぎ、コースを分散させるためだというが、百人のメッセンジャーが島のあちこちで全力疾走すれば、結局のところ迷惑をかけてしまうことは変わらない。

 既にタクシーやトラック等、人工島で車を走らせる仕事の人間は、夏至の日没後に起きるメッセンジャーの狂騒に巻き込まれるのを避けるべく道路から消え、いつもより車の数は疎らとなっている。


 法の許可を得る可能性は万に一つも無い無謀な公道レースは、メッセンジャーだからこそ成り立つ。もしも同じく運送を仕事とするトラックやタクシーが競争をしたら誰が勝つかは明白。北米のトラックレースのように車に金をかけたところが勝つに決まっている。条件を公平化させるため普段の仕事で使っている車両でレースをしても、もとより高速走行に向かぬ業務用車両。ひどく地味なレースにしかならない。競技競輪用の自転車を日常の仕事に使っているバイシクル・メッセンジャーだからこそ、その仕事道具の本来の姿と走りを蘇らせることが出来る。 


 大河たちはイルカ道路から人工島中心部のブリッジ区画を走る。人の多いここではまだ追い越し禁止。前方にブリッジと周辺の各区画を隔てる外環となるクジラ道路が見えてきた。

 普段はそれなりに交通量のある一周二kmの環状道路も、今日は車の数が極端に少ない。道路を渡り、右舷区画に入ったところで、トランシーバーから五台一列の最後尾を走る亥城アンの声が聞こえてきた。

「HotRing!」

 アン先輩が自分のメッセンジャーカンパニーを作った時、その社名に取り入れた、この島でRingと呼ばれるメッセンジャーの全力疾走を表わす言葉。

 五人のメッセンジャーが一斉にサドルから尻を持ち上げる。次の瞬間、HotRingsのメッセンジャーたちは巨人に弾き飛ばされたように加速した。

 

 大河たちは高い速度を維持しながら走り続けた。既に後方に並んでいた他社のメッセンジャーをだいぶ引き離している。前方には別のコースを走るメッセンジャーたちが幾つもの尻をシェイクしながら、全力疾走していた。

 島中の幾つものコースが絡み合うレース。最も速い速度で走っているメッセンジャーが先頭を走っているとは限らない。島内に幾つもある回収荷物の位置の関係で、他のコースのメッセンジャーたちに先行されることがある。

 いつもは充分な余裕のある自転車道を、他者に道を譲る余裕などない様子のメッセンジャーたちが走っている。その中に突っ込んでいったのは、HotRingsの先頭を走る、赤い虎のヘルメットを被ったメッセンジャー。

 何台ものトラックレーサーによって築かれた関門を、牛海老ロコは力任せでブチ壊しに行く。


 レース序盤の先頭をロコにやらせることを考えたのは、大河だった。雑魚みたいな奴だけど瞬間的な速さだけは認めている。スタミナが足りずすぐに失速する奴も、他のメッセンジャーを体当たりで弾き飛ばすような用途にはちょうどいい。 

 ロコにこの役を頼んだ時、彼女はお前にHotRingsの一番槍を任せると言う言葉にまんまと騙され、使い捨ての地雷踏み役を引き受けてくれた。

 大河の思惑通り、ロコは他のメッセンジャーに危険なまでの接近をしつつ、強引に道を拓いていく。大河がこの役をロコに任せた最大の理由は、他のメッセンジャーとの接触で事故になった時のことを考えたから。無駄に丈夫な奴だし、何より大河とあまりメッセンジャーとしてのキャリアの変わらないロコには、まだ交通関係の前科が無いので、事故を起こした時の被害が少なくて済む。

 大河もまだ捕まったことはないが、こんなお祭りレースのために自分の賞罰歴を汚す気は毛頭無かった。 

 他のメッセンジャーを追い抜きながら走っていると、前方にキラキラ光る海が見えてくる。それで気が緩んだのか、既に肩で息をしていたロコのトラックレーサーがフラつく。

 いつも通り体力切れを起こして失速しそうになったロコは、自分の頬を拳でブン殴ってから、もう一度加速し始める。大河はトランシーバーでロコに激励の言葉を送った。

「用済みだ。どけ」

 振り返って大河を睨んだロコは、歯をくしいしばりながら減速してアン先輩の後ろに下がった。

 

 ロコに替わり先頭を走ることになったのは烏丸ミル。前年のパレードでは最初から最後までアン先輩を引っ張ったメッセンジャー。

 オレンジ色の火の鳥が描かれたヘルメットからこぼれる金髪を靡かせ、ミルは傾斜し海に落ち込んでいく道を駆け下りていく。

 大河たちも海沿いの道路に入った。ミルの姿が後ろからよく見える。いつもながら綺麗な走りをする人だと思った。

 海沿いの風を受け、日没直前の残光に照らされたミルの姿は、通行人が息を呑むほど美しい。大河が二番目の走者にミルを選んだのは、強い横風の中を最も速く走らせることが出来るメッセンジャーだからという理由もあったが、正直この姿が見たかったから。

 ミルは大河や通行人ではなく、すぐ後ろを走る妹のペペただ一人に見せるように、速く激しく、美しくトラックレーサーを漕いでいる。

 幼い頃から勉強も習い事でも優れた能力を示しつつ、それが成果として結実する前に放り出してしまうことから、惜しい神童と呼ばれたミルは、やりたい事が何も見つからず、何でもいいから頑張らせようとする親から逃げるように、この島にやってきた。

 大河は最初のうち、アン先輩に替ってTopressを務めるのはこの人しか居ないと思っていたが、それは出来ないということに気付いた。自分のやりたい事の見つからなかったミルは、少しずつ、少しずつ自分のやるべき事を自分で作り上げようとしている。

 ミルは海沿いのコンテナヤードに着き、プレハブの事務所で荷物を受け取る。古いアメフトのボール。何か通し番号のようなものが書かれている。革のボールを手にしたミルは、フットボールの手強いワイドレシーバーのように、ボールを亥城アンに投げる。

 アン先輩がボールを受け取り、そのままHotRingsの五人は復路を走り出した。

 引き続き先頭で海沿いを走っていたミルは、海から島の中心部に向かう道路の入り口で、すぐ後ろを走っていたメッセンジャーに先頭を譲った。ミルの妹。烏丸ペペ。


 交差点を曲がりながらの先頭交代という難しい機動を、姉妹のコンビネーションで行ったペペが、サドルから小さなお尻を持ち上げてグリーンのトラックレーサーを漕ぎ始める。

 この海上都市は人工島という構造の関係上、坂の無い平坦な構造になっているが、例外は海沿いの外縁部。島の断面は上辺がうんと長い台形になっていて、道は海に近くなると急激に落ち込んでいく。

 大河はこの復路の上り坂がレースの鍵になると思っていた。海沿いの強風下をずっと走り続けてきたミルに、筋肉の使い方がまるで違う登攀を行わせるわけにはいかない。坂には結構強いロコも前半の先頭走行でまだバテている。自分が走るしかないと思いながらミルに相談したところ、話を聞いていたペペが私が走ると言った。ミルもペペちゃんに任せれば大丈夫と請け負った。

 ペペは小柄な体を激しく動かしながら坂を登っている。大河でもあの速さを維持するのは困難だろう。現に今もペペに引っ張られてやっと這い上がっている。

 何でも出来た姉のミルとは違い、出来ることには能力を発揮するが、出来ないことが極端に出来ないペペ。学習障害の生徒として分類されそうになったことも何度もあるという。

 姉と一緒にこの島に来て、メッセンジャーの仕事を始めたペペは、相変わらず接客や交渉など、苦手なことも多く、高い脚力を持ち合わせながら目立たない存在だったが、今はパレードレースの最も困難な区間で、この島で最速のメッセンジャーたちを引っ張っている。

 特定の分野に才を発揮する人間に対し、世間はそんなに甘くない。人と人の中で暮らしている限り、やりたくない事をやり、出来ない事を覚えなくてはいけないけど、そんな世の中に負けそうになった小さな女の子は、歩合給で自分の請けた仕事に全ての責任を持つメッセンジャーの仕事をしているうちに、自分のやりたい事を磨きつつ、出来ないことをうまく乗り切る方法を覚えつつある。

 生きることが難しい子として生まれたペペは、どうやらこのまま野垂れ死ぬのがイヤになったらしく、自分なりの生き方を見つけようとしていた。


 海沿いから右舷地区の市街地に入る、ほんの短い上り坂で皆を引く仕事を終えたペペは、平坦路に入ったところで大河に先頭を譲った。

 後方へと下がっていくペペの肩を大河が叩くと、ペペは大河を見て笑う。最初に会った時は陰気な印象だったペペが、他人に愛想を振りまくことを覚え始めている。その一人目が自分であることにささやかな満足を抱きつつ、大河はブリッジまでの一直線を走り出した。

 全てが当初の予定通り進んでいる。ただ一つの懸念は、さっきから胸の中で騒いでいる、大河が猫と呼んでいる違和感。

 肉球で大河の胸を擦っていた猫は既に爪を立て、大河の心臓を裂かんばかりに引っかいていた。


 大河は意識を残りの走行に切り替え、コースを再確認した。ゴールとなるブリッジまでは一直線。車の数が少ないこともあって、道路状況は極めて順調。

 このまま右舷区画を縦断してクジラ通りを渡り、往路と異なり復路では追い越し自由のブリッジ区画を駆け抜け、最後にイルカ道路を一周してゴール。すぐ後ろを走るアン先輩を押し出すのは、イルカ道路に入った瞬間。

 あとは他のメッセンジャーをブロックしてアン先輩が最初にゴールをするサポートをすればいい。冷静さを失わず、クールに走れば勝てる、そう思いながらも、大河はだんだん増して行く胸の痛みを感じていた。


 メンタルな問題などに係わっている暇は無い。胸の中で騒ぐ猫の相手など、後回しでいいと思いながら、大河はトラックレーサーのペダルを漕いだ。普段走っていると広い右舷区画をあっという間に突っ切り、ブリッジ区画に入る。

 複数のコースを走っていたメッセンジャーたちが集まる島の中央部。迫ってきているメッセンジャーは多い、何人かは大河たちの前を走っている。彼女らに先行し、少しでも有利な条件でアン先輩に先頭を渡さないといけない。

 既に胸の猫は、大河の胸筋を突き破りそうなくらい暴れていた。現実の刃物で胸を切り刻まれたほうがマシだろう。大河は意識をそらすべく、トランシーバーでアン先輩に伝えた。

「もうすぐです。準備してください」

 アン先輩の声。

「わかったわ」

 レースの真っ最中だというのに冷静な声。亥城アンはこうでなくてはいけない。いつも優雅に走る、大河の憧れた先輩。

 大河には、アン先輩が自分に信頼を寄せているのではなく、失望しているように聞こえた。きっとそれは先輩が自分を勘違いしているだけ。このレースが終わればそれが明らかになる、この厄介な猫も消えてくれるだろう。  


 狭いブリッジ区画を駆け抜け、大河はイルカ道路に入った。自分でも最良と思えるタイミングで、アン先輩と位置を交代した。

 アンに先頭を譲り背を押した瞬間、大河は胸の痛みの正体に気付いた。それは自分が最も否定したかった感情。アン先輩の走りを支えるんじゃなく、共に走りたい、そして。

 一度アン先輩に先行させた大河は、激しくペダルを漕いでアン先輩に並んだ。猫は既に胸を切り裂き、大河の前にその姿を現していた。いやこれは猫ではない。虎だ。

「亥城アン!やっぱりわたしが勝つ!」


 アン先輩は大河を、大河から現れた虎を見た、次の瞬間、その顔は歓喜に包まれた。

「佐山大河!あなたは速い!でも私はもっと速い!」

 アン先輩が再び大河を引き離す。大河は虎の牙を剥き出し、アンに食らいついた。さっきから大河を苦しめていた胸を切り裂く痛みが、今は心地いい。

「熱っちぃ~!」

 大河は自分の胸を叩く。鼓動する心臓、躍動する全身の筋肉。親の夜逃げと受験失敗で未来を奪われてから、いやそのずっと前から生きながら死んでいた大河は、生命を感じていた。

「熱く熱く、燃えて消えちまえ!」

 大河は足の筋肉がちぎれんばかりにペダルを漕いだ。今ここで命を使い切ってもいいと思った。お祭りのパレードレースでここまでのことをするなんて、傍目には馬鹿にも愚かにも見えるんだろう。それでもいい。大河にはそんな生きてるか死んでいるかわからない連中のほうが哀れに見えた。


 ずっと背中を追いかけ続けていた亥城アンに自分のケツを拝ませる。それだけのために走っていた大河の目には、他のメッセンジャーは目に入らなかった。先輩に比べれば、周りのトラックレーサーなど幼稚園児の三輪車のようなもの。

 一台、例外があった。黄色いメッセンジャーバッグ。大河とよく似た顔。共同の最速メッセンジャー、サスケが大河のすぐ横に居た。

 サスケは一人で走っていた。通常サポートし合うはずの同じメッセンジャーカンパニーの仲間を振り切ってきたらしい。サスケは大河に向かって叫ぶ。

「大河ちゃん!」

 大河は横目でサスケを見る。自分に一方的な興味を抱いているサスケの話など聞く気は無かったが、自分と同じスピードを走る奴なら、友達でも何でもない奴にも、それより深い繋がりを認めてやってもいい。

「わたしは、大河ちゃんが好き!強くなれなかった私が、強くなった姿みたいな大河ちゃんが好き!私は、大河ちゃんとずっと走りたい!」

 大河は何も言わずアン先輩を追った。サスケが一緒に走れる奴かどうかは、言葉じゃなくスピードで見せてくれればいい、その結果はあと少しでわかる。 

 短い環状道路のゴールが近づく。大河は牙を剥き出し、虎の咆哮と共に最後の力を振り絞った。

 先輩に一センチ近づく、もう一センチ。車輪が並んだ。横ではサスケも大河に並んでいる。三台のトラックレーサーはゴールラインを通過した。

 大河はそのまま、胸を焼く炎の虎に燃やし尽くされたように崩れ落ちそうになった。アン先輩が横から手を伸ばし、大河を支える。サスケもトラックレーサーを左右に蛇行させ、今にも倒れそう。

 ほぼ同時に見えたゴールは、手回しのいいパレード主催の水売り少女によって、写真判定された。


 初夏の幻のようなパレードが終わり、数日が経った。

 大河は今日も昼はトラックレーサーを漕ぎ、夜は定時制高校で授業を受ける代わり映えのしない日々を過ごしていた。

 荷受けのために客先に急ぐ大河のトランシーバーから声が聞こえた。

 Topress

 緊急輸送をするメッセンジャーのために道を空けた大河は、近づいて来る音を耳で聞きながら、手を横に突き出す。

 後ろから走ってきた亥城アンは、大河の横を追い抜きながら荷物を手渡す。

 大河はメッセンジャーバッグを体の前に回して荷物を詰めた。バッグに入れられたタブレットが荷物の内容と届け先を表示する。どこかの手形で、今すぐ届けないと誰かが破産の憂き目に遭うらしい。

 違法な時間報酬の仕事を引き受け、メッセンジャーバッグを背負った大河は、トラックレーサーのペダルを漕いで走り出した。


 パレードレースの結果は、大河が一番先にゴールを切りながらも優勝はアン先輩という結果だった。

 島内のあちこちに置かれた荷物を回収し、一番速くゴールまで届けた人間が勝者となるメッセンジャーレース、荷物のフットボールを持っていたのは、アン先輩だった。

 結果として亥城アンはNakedと呼ばれる島内最速の座を二年連続で取るという前例の無い快挙を成し遂げ、今までより多くの緊急輸送を請けることになった。

大河も準優勝ながら最も速くゴールした奴ということで、アン先輩だけではこなしきれない仕事を引き受けるTopress代行となった。

 サスケは第三位となって共同輸送社の面目を保ったが、あれ以来大河とは特に親しくなっていない。

 向こうは大河と互角に走った仲間ということで、学校でも昼休憩を取るドーナツ屋でも親しげに話しかけてくるが、大河にしてみれば、親交を持つに値しない、自分より遅い奴。

 ただ、顔立ちや体格は自分と同じなので、時々大河のほうから一方的に服を借りに行ったりすることはあって、そのたびサスケは大河を無駄に引きとめ、一緒にリングとお茶とお喋りを楽しむという、大河にとってはあまりありがたくない時間を過ごしたりしている。


 大河は走り出した。何も無かった今までより、熱く激しく。


(完)

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Hot Rings トネ コーケン @akaza

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