(48) Cat

 静岡県沼津市の沿岸に浮かぶ海上都市ポラリス。

 この人工島で生活のため働く百人ほどのメッセンジャーにとって一年に一度のお祭り、パレードランは毎年、夏至の日に行われる。

 急造ゆえ流通に欠陥のある海上都市に不可欠のバイシクル・メッセンジャーは、島内の特別条例により日没後の業務が禁じられている。

 人工のあらゆる光源より広く遍く光を与える太陽が沈み、光の明暗が強く視認性を阻害する車のライトや街灯が点る時間は、メッセンジャーとして車の間を縫って走るのが危険になるという理由。

 しかし、兵庫県明石市を基準に決められている日本の日没時間は、各地方で実際に日が沈む時間との間に誤差が発生する。

 そんな僅かな時間差の間に行われるのが、パレードランと呼ばれる公道レース。

 

 今年のパレードも、昼間にいつも通り街を走り回ったメッセンジャー達が、集合場所となっている総合庁舎の裏手にある資材置き場に集まった。

 仕事を終え、これから定時制高校での授業が始まる日常の狭間に行われるお祭りで、この島で最も速いメッセンジャーが決定する。

 大河たちHotRingsの面々も、資材置き場に到着しパレードの主催者から正式な招待者であることの確認を受ける。このパレードを実行するメッセンジャーユニオンの理事長は、大河も顔を見たことのある水売りの少女だった。

 タブレットに送信されたメールを確認した水売り少女は、同時にレースでの行き先を決めるクジ引きアプリをダウンロードさせる。メッセンジャーカンパニー単位で決められる回収荷物の場所は、幸いにも大河たちが慣れ親しんだホームグラウンドの右舷区画。そこのコンテナヤードだった。以前大河がロコと決闘をした場所。

 

 手続きを終えたアン先輩は大河たちと共に、資材置き場に出された露店を見て回る。ドーナツやアジアンフード、プロテインドリンク等、普段から慣れ親しんだもので、特に目新しくは無い。

 周囲では他社のメッセンッジャーたちが、屋台で買ったり貰ったりした軽食を片手にお喋りしている。皆が仕事着のジャージ姿。夏祭りにしては貧相で簡素な風景。しかし敷地全体を肌に刺さるような緊張が覆っている。

「では参加者の皆さん。イルカ通りにご整列ください」

 スピーカー越しに聞こえる水売りの少女の声と同時に、お祭りを楽しんでいたメッセンジャーたちが動き出す。各々のトラックレーサーに跨り、総合庁舎を囲う環状道路まで、ゆっくりと走らせている。


 前年優勝者の亥城アンを擁する大河たちHotRingsの五人は先頭だった。ロコは背中からの視線にガラにもなく緊張している様子だったが、大河は平静な表情のままだった。

 特に豪胆を気取ってたわけではなく、大河にはさっきからそれより気になることがあった。

 数日前から胸中を襲う奇妙な感触。まるで胸の中に子猫が居るような気持ち、今までも時々、大河の胸に肉球で触れていた猫が、今は傷みを感じるくらい大河を苛んでいた。

 ここ数日の悩みは一応の決着を見せ、そのためにやるべきことも決まっている。それなのに何で自分は不可解な物に惑わされているのか。 とりあえず今はそんなことに煩わされている暇は無い。走ればこの胸中の猫も消えると思いながら、大河は前方を見た。水売りの少女がいつも乗っている実用自転車で、先導の位置についている。

 水売りがポケットから取り出した、陸上競技用には見えない小型拳銃を空に向けて発射し、自転車を漕ぎ出す。大河たちがトラックレーサーで動き始めた。

 

 総合庁舎を囲うように銀行やデパートが集約している人工島の中心部。それらを一周する環状道路を百人近くのメッセンジャーが走る様。色とりどりのジャージとヘルメットを身につけた女子たちの姿は、華々しくも威圧的。

 普段からメッセンジャーの無謀な走行に肝を冷やしているタクシーの運転手がこちらに向かって中指を立てている。買い物に来たらしき主婦は、目前を走る無法者の姿に顔をしかめ、一緒に連れていた娘に「見ちゃいけません」と言いきかせている。

 まだ小さな娘は、視界を通せんぼしようとしている母の後ろからメッセンジャー達を見て、目を輝かせながら言った。

「ママ!わたしも自転車に乗る!いつか絶対に乗る!」

 ならず者の宴が始まろうとしていた。

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