終章


 剣士との闘争から数日後の朝、フレデリカはいつものように目覚めた。いつものように裸で、いつものように替えの服と下着を持って、いつものようにシャワーを浴びる。その身体に剣士から負った傷は一つもない。マリオンの治癒魔術のお陰だ。

 あの日の激情も悲哀も祈りも過去の話。世界は〝いつものように〟回る、回る。藍色のドレスに着替えたフレデリカがダイニングへ向かうと、ライラがフォーク片手に唇を尖らせていた。

「遅いよー。もうお腹ぺこぺこー」

「あら。先に召し上がっていて構いませんでしたのに」

 テーブルに広がる朝食のメニューは、こんがりと焼かれたトーストに、手作りジャム各種。ベーコンエッグにコーンスープと野菜サラダ特製ドレッシング付き。フレデリカが椅子に座ると、隣にマリオンが座った。少女は不思議そうに何度も瞬きする。いつもなら対面、ライラがいるときは空いている一辺のどちらかに座るのに。

「あー、マリオンずるーい。私もフレデリカの隣が良い」

 女中姿のマリオンはライラに謝罪するように頭を下げ、だがきっぱり拒絶する。

「私はお嬢様の従者ですので、常に間近で仕えるのです。そうですよね、フレデリカ様」

「え、ええ……?」

 珍しいこともあるものだ。と、フレデリカは何気なく思った。そして、ようやく気が付く。

「ねえ、マリオン。テーブルに五人分の料理があるのですが、どうしてですか?」

 その問いには答えたのはマリオンではなかった。廊下に続く扉が音もなく開く。

「それは私達の分でーす。電話してマリオンに頼んでおいたのー。ほら、なにやってんのよ。こっち来なさい」

「わ、私は、やっぱり、ああ!」

 今更驚きもなかった。レイルがフランカの手を引っ張り、朝っぱらから勘に触る笑みをこちらに向けてくる。ライラはマリオンから聞いていたのか、一瞥しただけで苺ジャムをつけたトーストを齧る。

「そういえば、事後報告がまだでしたわよね。こんな朝早くから仕事熱心ですこと」

 魔女五人がぐるりとテーブルを囲む形になる。レイルは頬杖つき、顎で対面するフランカをさす。

「こいつが朝の便でイギリスに帰っちゃうんだもの。最後ぐらい、最愛の妹と一緒にしてあげようと思ってね」

 フレデリカがフランカへと首を曲げる。すると、姉はちらちらとこちらを見るものの、目を合わせようとはしなかった。少女は呆れ、頬を掻く。

「嫌いと言ったのは、嘘です」

 これ以上はないというほどフランカが目を見開かせ、身を乗り出す勢いでこちらへとようやく目を合わせた。フレデリカは姉の反応に気恥ずかしさを覚えつつも、言った。

「私がお姉様のことを嫌いになるはずがないでしょう。あのときはあれぐらい言わなひっ!」

 小さく悲鳴をあげる。フランカが滂沱の涙を流していた。頬へ滝のように伝い、ぼたぼたとテーブルに池をつくる。他の三人が等しく唖然としていた。妹と和解できた姉の気持ちがわからないでもない。しかし、ドン引きである。

「よがった、よがったよお……。私フレデリカのおねえちゃん」

「わかった、わかりましたから涙を拭いてください!」

「あのさー、私、報告していい?」

「どうぞ」

 サラダにフォークを刺したレイルに、焼けた卵の白身を咀嚼しているライラが言う。機関の女は食卓に乗せるにはあまりにも重々しい内容を淡々と述べる。状況を察したフランカが真面目な顔をするも、鼻が真っ赤になっていた。

「指輪の罪は既に処刑している元ラズベリー家、攻勢派が背負うことになったわ。つまり、貴女もマリーベルも無罪よ。まったく、あの腐れ婆と交渉するのにどれぐらい神経擦り減らしたと思う? もう少しで殺されるところだったわ」

 婆とはラズベリー家、現頭首であるフレデリカ達の祖母であろう。女の暴言に、マリオンが身を縮こませた。

「それが出来るなら、最初からしてほしいものですわね」

「ちょっと、言葉の後半を聞いてなかったの? 私、真面目に、殺される、一歩、手前、だったの。フランカが口添えしてくれなかったら、確実に首が飛んでたわ。物理的に」

 コーンスープと一緒に驚きの言葉を飲み込み、フレデリカはむせた。フランカの行動は自殺行為当然だ。マリーベルに押しつけられる身内の恥を自分で背負えと突っ撥ねたのだから。この一件で、ラズベリー家は利益ゼロ。いや、むしろマイナスだ。名を馳せた剣士相手に〝A〟を剥奪した元身内が勝ってしまったのだから。金貨を自ら泥沼に落としたのを、指をさされて笑われたようなものである。相当な処罰があったのではないのか。それこそ、姉の将来にかかわるほどの。

 そんな妹の心配を感じ取ったのか、顔の良く似た姉はとても言いにくそうにしながらも口を開く。

「貴女はなにも心配しなくていいの。これは、ケジメのようなものだから」

 直接は聞いていないが、ビルが修復されていたのは姉の仕業だろう。魔術の大盤振る舞いである。

「お姉様には感謝しています。ですが、レイル。貴女は別です。どうせ、そうした方が私を手駒にしやすいと思ったのでしょう。私の、マリーベルの罪悪感を減らすことで」

 レイルは肩を竦めただけだった。

「――っ!」

 誇り高き剣士の死でさえ、利用しようとするレイルの思惑に反吐が出る。

 少女は顔を伏せて立ち上がり、廊下へと出る。とてもではないが食事をとれる気分ではなかった。

「少し、風に当たってきますわ」

 ライラが腰を上げかけるも、レイルが目で制した。



                  ◇


 


少女は三階に上がり、廊下の窓を開ける。外には参開市の街並みが広がっていた。ここが、彼女の生きる場所。生きると決めた場所。戦うと誓った世界。これからも銃とナイフ、魔術の力を借りて悪人を罰し続けるだろう。

しかし、もしも、昨夜のような戦いに身を投じなければいけないとなれば、自分はどうするだろうかと、ふと思ってしまう。胸に、暗い影が生まれてしまう。まだ、あまりにも弱い。結局、レイルにも助けられた。姉には迷惑をかけた。ライラだって、ラズベリーとアプリコットの仲を考慮すれば昨夜の出来事は悪手でしかない。

「マリオンにも、酷い事をしてしまいました」

 風だけが聞くはずの言葉に、優しいアルトボイスが声を返す。

「いいえ。それは違いますよ」

 街並みを見下ろしていた少女は廊下の奥、階段の方へ首を曲げる。すると、マリオンの姿があった。小柄な女中は主の隣に立ち、軽く頭を下げる。

「私はただ、自分の気持ちに素直になっただけです。あの家は〝出来損ないの化け物〟として私を利用しようとしました。けれど、貴女様は私を〝好き〟だと言ってくれた。なら、私の居場所はここなのです」

 その言葉が、マリオンを救い、フレデリカの心を救った。人は独りでは生きていけない。どんなに強がろうと、どんなに強くあろうとしても、結局は誰かに依存する。それはけっして、良い事ばかりではないだろう。

 それでも、少女の隣にはいつだって最高の従者がいる。

「マリオン。これからもよろしくお願いしますわ」

 極上の微笑みに、マリオンは深く頭を下げた。

「はい、フレデリカお嬢様」

「――もちろん。私を忘れてないよね?」

 もう一つ別の声。マリオンと同じように階段の影から現れたのはライラだった。

「私が気付かないとでも思ったわけ? フレデリカが考えていることなんて手に取るようにわかるんだから。どうせ、皆に迷惑をかけてしまいましたわーって思ってんでしょ。……確かにさ、アプリコットからはなんらかの処罰が下されるだろうね私。けどね」

 言葉を切り、ライラはフレデリカの隣に立つ。そこは、自分の特等席だと言外に告げるように。

「それがどうしたの? 私は困っている友達を助けただけ。フレデリカは自分にメリットがなかったら、私を助けてくれないの?」

「そんなことあるわけないですわ! ライラの危機は私の危機です。どんな敵からも貴女は助けてみせます」

 フレデリカの言葉に嘘はない。だからこそ、間髪いれずに言ったのだ。そんな友の反応に、ライラはくすぐったそうな微笑を湛える。

「じゃあ、それと一緒だよ」

「え? ……あっ」

 少女の顔がみるみるうちに赤くなった。それは羞恥心。なんて愚かだったのだろう。ライラは損得勘定なしで助けてくれたのではないか。友達だから。絆があるから。ならばきっと、今回の事件は迷惑ではなかった。むしろ、迷惑だと表現するのは友への侮辱に値するだろう。

「ありがとうございますわ、ライラ」

「えへへ。その言葉が聞きたかったんだよ」


 ――魔術の才に見捨てられた女は、それでも〝魔法〟のような奇跡に巡り会えた。


「では、お嬢様。そろそろダイニングへ戻りましょう。朝食が冷めてしまいます」

 やれやれとばかりにマリオンが肩を竦める。

 フレデリカは開いていた窓を閉める前に、もう一度だけ空を見上げた。彼女の心を表すように雲一つない蒼穹が、魔女を祝福するように心地良い風を送ってくれる。

「ほら、フレデリカ急いでー」

「はいはい。そんなに急がなくても朝食は逃げませんわよー」

 三人は一緒に歩き出す。同じ速度で、並んで歩く。

 こんな生活も悪くないな、とフレデリカは心中呟くのだった。

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魔女は硝煙の中で煌めく 砂夜 @asutota-sigure

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