所謂一つのハッピーデイズ

本陣忠人

所謂一つのハッピーデイズ

「あぁ…うっっ。ゅヤバぅぇバアアりぃあああアあああ?」


 とある昼下り、四階建てのアパートに気持ち悪い猿叫が反響し木霊する。

 果たしてそれは目が覚めた上で絶叫したのか、奇声を発することで意識が覚醒へと至ったのか。

 然しながらその点についての解答は幾万通りもの説があるとも言われているが、どちらにせよ声にならない気色悪い振動の発信源は勿論この僕である事実は以下様にも揺るがない真実である訳であり、一切の責任が云々カンヌン―――じゃなくて!


「うわあ…っべ、やべぇよ、マジで……」


 正真正銘大惨事一歩手前。これは大きなミステイク。のっぴきならない自身の過失。

 ッべぇわぁ。完全に起床予定時刻を通り過ぎて、完璧に寝過ごした。枕元の置き時計には予め起床時間をアラームとして設定していたはずなんだけど……。


 そう思い、長方形で無機質なLEDデジタル野郎に目を向けてみれば、かまぼこ板サイズの黒い液晶は無表情どころかのっぺらぼうで、現状何の役をも成してはいない。謂わばただの硬質なオブジェ的なインテリア。

 況や察するに、電池切れか或いは故障の類であることが窺える。うそー?なにこれ何処に電話すればいいの?


 って良いんだよ。なんでも。

 いちいち選択肢を提示して観測し、益無き予想や無意味な対策を立てるのは自身の悪癖だと常々理解はしているし…ほんと常々理解はしているのだが、今はマジでそれどころじゃないだろ?


 なんせ彼女は時間に対して、殊更男女の逢瀬における集合時間において、決して寛容な人種では無いからだ。

 取り分け厳格で他者(僕以外)に格別高圧的であるとは言わないし、逆におもっそルーズでアバウトと言う訳でも無いのだけど、何というか几帳面で正確で、融通が利かないのだ。


 彼女は確実に指定時間の五分前に目的地に着くような女性だ。

 それに対して僕は見ての通りのザマであり、余り時間にシリアスな方では無いのである。何なら約束された指定時間ピッタリを目指してジャストインタイムっぽく行動する方だ。

 おまけに言えばそもそもの人間性が軽薄な上に間抜けなものであり、かつ緻密な計画やスケジューリングは苦手であり、更に蛇足的な物言いを加えれば杜撰でフレキシブルなタチであるので手に負えない。はは…考えてみれば欠点ばかりだわ。死にたい。


 という具合に後向きながらも極めて論理的な思考を重ねた結果の現状として、それを踏まえた上で理知的に語るのならば僕としては彼女との約束はウキウキハッピーなデートであるのは勿論だが、その実常に緊張感を伴う戦場でもあるし、切った張ったの諍いとでも呼ぶべき類のものでもあるということが言えたり言えなかったりしなくもないこともない。


 ここで唐突な自分語りをするならば、僕はかつて彼女との動物園デートに死ぬ程遅刻したことがある。起床した時には約束をゆうに二時間は過ぎていた。

 蒼白の顔面を蒸気で真っ赤にする程に、凄まじきおっとり刀で駆け付けたのは更に一時間後。息も絶え絶えで辿り着いた集合場所に彼女の姿は勿論無かった。流石に愛想を尽かして帰ったのだと思う。


 とは言え遅刻の罪人にそれを糾弾する資格など無く、むしろ要らぬ心配をかけただろうといたく反省し、謝罪と自身の無事を伝えるメッセージを送ったところ、最初の返信は素っ気無く、『そう』の二文字。

 そんな文面はともかく、それでも彼女の人間性を如実に反映したメッセージに場違いながらも少し綻んだ気持ちになったのを覚えている。ささやかな多幸感に包まれた僕はほっと息を落ち着かせたような記憶があるんだ。


 しかしそれも束の間、恋人から追加の二通目が届いた。


『無事で良かった』


 あーなんだこれ、もうコレ、スゲえアレだわ。なんだろう。ホントなんとも筆舌に尽くし難い感情。

 自身の過失とか一日が潰れた後悔とかを塗り尽くす程に、なんつーか彼女のそういう所がさ、安易かも知れないがマジでたまらなく愛おしく感じたんだよね。


 とまあ小さなオツムと矮小な精神で過去の過ちそのときを反芻しつつも、身体はフル稼働。着々と準備を進める。前回と違い、今回は目的が目的だけに、集合時間がアフターファイブ的な時刻である。光の早さで急げばまだ間に合うはず。なんにせよ、追い込まれて初めて輝くマルチタスクぶりが切ない限りである。


 ユニクロのフリースを脱ぎ捨てお色直しを開始。

 生温い水道水で洗顔し、ボサボサのアタマをシトラスの香りがする整髪料で撫で付ける。緊急事態にも関わらず、頭の片隅で『無造作ヘア』とは実に便利な言葉だと実感する。寝癖を活かせば外に出れる髪型に仕上がる大義名分が出来るからなと適当な意見を抱いた。


 その後に歯ブラシで口内を荒らし回りつつ、時計同様に就寝前に準備したグレゴリーのデイバッグを確認する。準備済みと言えど、目覚まし時計の前例があるから油断できない。


 タウンユースの黒いバックの中身は記憶通り。

 雑誌の付録オマケについてきたブランド物のポーチと読みかけの文庫本――この程度ならこんなデカイリュックは要らないな……というしょうもない感想を含めて準備完了。


 すぐさまミント感の強い口を流水で濯いで、キャビネットの上に投げ捨てられた財布と鍵を手に取った。スマホをポケットに入れるのも忘れずに。


「おっと、腕時計を忘れてた」


 それは彼女に頂いた大事な一品。

 そしてデートの際の着用が義務付けられている。

 過去にそれ以外のもの――具体的には自分で買ったダイバーズウォッチを装着して行った時なんかは、もう怒り心頭でプリプリしっぱなしであった。アレ? 私の恋人めんどくさすぎ?


「よっしゃ、行くぜ!」


 不吉な思考を空風で吹き飛ばし、アパートの階段を駆け下りて地下の駐車場兼駐輪場へ向かう。

 無機質なコンクリの柱に括り付けたチェーンを外し、ゆとりのあるカバンに収納。

 愛車のキャノンデール(名は白銀号)に颯爽と跨り、疾風のように乱雑な街並みを駆ける。俺は風になるぜ!


 大学時代に進学という素晴らしい理由で移り住んだこの土地。まさか卒業して、就職してからもいるとは入学時には思いもしなかった。

 出来の宜しくないオツムを載せているとは言え、流石に七年強も住んでいれば多少なりとも土地勘を得るし、周りの地形や地理に造詣が出てくるもんだ。

 最寄り駅までの最短かつ最適な順路は頭の中で瞬いている。


 昼時のATMの順番待ちよりも遥かに混んでいる車道をすり抜け快調な滑りで街を突き進む。


 余談にはなるが、車を運転時の僕は渋滞横目に路肩をスイスイすり抜ける自転車や自動二輪車に対して殺意を抱くタイプの人間であるが、自分がその立場にいる時は何も思わない都合の良い性格をしている。そりゃあもう、すり抜けまくりますよ。


 川沿いの微妙にオフロード風味な道に降り、蕾ばかりで侘びしい雰囲気を纏った八重桜の下を錯綜―――いや疾走だ。いけない、今のは言い間違いで書き間違いね。うん。


「いやいやいや。これは無いわ。嘘だろ」


 河原から完璧に舗装された道路に舞い戻った僕の前に立ち塞がるアクシデント。

 極めて軽快かつスムーズに白銀号のペダルを回し、ケイデンスをひた回しにハイにしたことで最寄りの私鉄駅まであと一歩まで辿り着いた僕。


 自身の置かれた現状を加味した状況判断能力に従い、駅への最短ルートを駆け抜けていたのだが、思いもよらぬ障害に見舞われ絶望の一言を零す。


「何で工事してんだ?」


 無残にも舗装が剥がされ、地面が深く掘り起こされたこの場所には、昨日まで告知などは一切何も無かったように記憶しているが、なんせ保持するドタマが鳥頭なもんで自信が持てない。

 なので工事現場の入り口付近で交通整理に勤しむおじさんに話を聞いてみた。何で工事してんの? 告知や掲示無しの突発的なもんなん? ってな具合の質問を投げ掛けた。解答。


 兄ちゃんこの辺あんまり通らないの? ずっと前から告知用の看板があったよとのこと。


 どうやらうっかりさんの僕の根源めいた八兵衛的見落としのようだ。

 いくら土地勘があっても、記憶力や周囲への関心指数が無ければこの土地では生き残れないらしい。くぅ、世知辛い世の中だぜ!


 そしてこの問答で無意味に時間を浪費したことに遅まきながらに気付いた僕はルートを変更。

 聡明な人間であれば工事に遭遇した時点で経路を変えるのだろうが僕は違う。このタイミングまでそれをしなかったのは何故か?


 そこまで頭が回らなかっただけの話だ。


 空虚なニヒルを気取りながらも渋々ブロックを一つ分大回りして、最寄りの地下鉄ターミナルに到着した。

 併設されたショッピングモールもどきの駅ビル的建物の地下に白銀号を駐車する。

 施錠を確認して、地下鉄特有の謎風が吹き荒ぶプラットホームに歩を向けたが、エイトホールのマーチンの解けた紐に足を取られ転けそうになる。


「さっきから妨害工作が地味で陰湿な気がするんだけど―――」


 誰に向けたのでもない不満を口内で孤独に遊ばせ、腰を落として紐を強く固く結び直す。やれやれ僕は蝶々結びした。

 その過程で不意に前を歩く女子高生の大人びた下着を見てしまい、そこから僕達の堕落した背徳の物語が始まったのだ―――なんてドラマティックでロマンスめいたライト活劇染みた蜃気楼は無い。恥ずかしい妄想を踏み越え普通に立ち上がる。


 さあ電車に駆け込もうかね。


 僕が下りのホームに到着したのが先か、殆ど同時に鳴り響くけたたましいブザーの音。耳に届くハッシャイタァシャス。ううむ残念ながら乗り損ねたようだ。タイキイタシムァス。


「まあ、しゃーないわ」


 時刻表という概念を完全無視で勢い任せに行動した僕が悪い。どうせ八分に一本来るわ位に楽観視してた僕が悪いし、そもそも寝過ごさ無ければもっと…こうイマよりもずっとマシな感じだっただろうし、今更詮無きことだ。


 空虚な気持ちと共に無慈悲な列車をさめざめ見送り、グリーンとブルーの中間色をした椅子に腰掛けた。

 スマホを取り出し、待ち人来たらぬ女性に諸々の事情を釈明しようかと思ったが、思い留まる。

 それは決して臆病風に吹かれてチキっているからでは無く、恋人の性格とか関係性とか現状なんかを把握した上での賢明な思考に裏打ちされた判断である。


 そもそも彼女はスマホの着信やらを頻繁に確認する方では無いし、暇潰しにネットの海を巡回したりもしない。

 その上、最近は専らアドバンスSPに熱中している。隙間時間や貴重な余暇をメダロット3に費やしている。迂闊にプレイ中に行為プレイのお誘いをすればガチギレするほどだ。僕がメタルギアやってた時は地味だなんだとクソミソに言っていたのに真に自分勝手な性格をしているとマジで思う。

 言い訳がましい注釈を追記するなら、言わずもがなハードもソフトも僕の所有物である。釈然としない気持ちが積もりに積もって、割り切れないピラミッドを建築しそうだ。


 そんでもって、どう見てもヴィレバンの店員風の風貌である彼女がアドバンスSPをプレイする様は、サブカル崩れのメンヘラガールに他ならない。

 僕がそう感想を告げた時、彼女は強い口調で切り返してきた。そう宣うお前はロキノン崩れの情緒不安定浮世離れ野郎だと。普通に暴言だが、その通り過ぎて反論出来ないのが悔しくてたまらない。


 つまるところ、近似値の似たもの同士なんだろうねと適当で曖昧な決着。

 どうでもいい物思いに耽ったお陰で時間は台風のように通り過ぎた。待ち侘びたネクストトレインの到着である。


 駆け込む事無く普通に乗車した僕はロングシートに身を落ち着け、バックパックをお腹で抱える。その際に読みかけの文庫本を忘れずに取り出した――取り出したのだが、やけに周りの音が煩いことに気が付いた。


 なんてことはない。長年愛用しているiPodを忘れただけだ。いつも外出する時は一緒なので、その差異を感じただけだ。慌てていたから仕方が無い。周りの雑音をバックグラウンドに読書に集中だ。何か盛り上がりそうな気配を見せてるんだよ。


 と自分を納得させようと務めたが、どうにも上手くいかない。周囲の喧騒とか、交わされる言葉や話にどうしたって耳が傾き、関心が引っ張られる。就活中だろう女子大生達の会話の中にどうして『シン・ゴジラ』というワードが出てくるんだ? 見たの? ガメラ派の僕には良く分からん話だったけど、君達はどう思った?


 …とは聞けない。

 いきなりそんな質問を初対面の女性に投げ掛け不審者扱いされない自信は無い。むしろ通報される自信が満載だ。更に彼女達が熱狂的なゴジラファンだった場合はもっと面倒なことになる。


 つまり正解は沈黙。湧き出す疑念を飲み込み、読書すらを放棄して車窓の向こうに流れる景色の中でソニックを走らせるのがベストだ。


 そんなこんなで暇を潰し、目的地近くの駅に到着。揺り籠めいた電車を飛び降り、改札脱出の列に迅速かつ乱雑に並ぶ。

 そんな折に列の先頭から聞こえてくるばよえ~んと言う微妙に不快な音。まさか『ぷよ』を消したわけではないだろうし、チャージ不足であると推察できる。急いでる時に限ってコレだよ。


 不満を溜息に乗せて吐き出して、隣のレーンに移動。

 恙無く消化される行列。すぐに僕の番だ。ばよえ~ん。

 青く光るリーダーに翳した右手に包まれた長財布の下から聞こえる間抜けな音。後ろの人の舌打ちに申し訳無さが募る―――俗に言うだ。


 後続に拝み手と表情でスマナイ感を演出してからチャージに向かう。ファック。

 同胞で溢れかえる券売機で再び時間を食う。おいババア、使い方分からないんなら並ぶなよ。スーパーのレジでWAONのチャージを目撃した時と同種の暗い気持ちに包まれながら順番を待ち、腹ペコのICカードに現金を流し込んで満タンにした。


 本日二度目の改札口。

 先程は僕を拒絶したアインズヴァッハに意を決して飛び込めば、『ピッ』という許可の音に迎えられる。良かった。チャージ後の通り抜けは不思議と緊張すんだよね。ちゃんと課金できていたようで一安心である。


 ゲートを抜け出馬したのは愚鈍な駄馬。砂時計に残るリミットは僅かである。


 軽く息を切らしながら周りをインパラの様に見渡す。カーディガンの下に汗が滲む。ニットの季節ももう終わりかな? さて、どの出口から出るのが最善だろうか―――


 一瞬で脳内を駆け巡ったのは極めて現実に即した思案、結果東口2から蜘蛛の糸を駆け上がることにした……っと失礼。


「おっと、すみません」

「いえいえこちらこそ不注意で」


 階段を降りてくる大学生風の青年とニアミス、というか軽く接触。


 客観的に観測して、罪の度合いは半々位。更に双方ともに損害など皆無。物語の様にズボンがアイスを食った訳でも無い。それ故に分ける程の痛みも存在しない。


 ならば僕としてはそれで良し。僕に重大な過失は無いし、ノースフェイスのバックパックを背負った青年にも致命的なエラーは無かった。

 だからこそ一刻も早く立ち去り、待ち合わせ場所に足を向けたい。


 恐らくは彼としてもそんな感じだったと思う。

 お互いに定型的な謝罪を交わし、逆方向に進んだ。タウンユース派のバックパッカー同士踵を返して背を向けて、自身の生活に回帰した。


 だがしかし、そうは問屋が卸さない。幕引きにはまだ早い。


 迂闊な僕の耳に飛び込んできたのは二つの音。

 一つは何がが割れ、裂けるようなヒステリックな音色。

 そしてもう一つは―――


 単体では無い幾つかの何かが雪崩を起こしたパンデミックな鐘の音だ。


 慌てて再度振り返る。

 困惑し取り乱す青年とタイル地の床に死屍累々とばかりに散らばる――教科書だろうか――様々な大きさの書籍の数々。

 どうやら何かの拍子にリュックから飛び出してしまったらしい。


 急いで散在した持ち物を掻き集める青年とそれを取り巻く無遠慮な衆人環視。そして、傍らで第三者には決して成り得ない位置で立ち竦む僕。


 ナニコレ僕が悪いのか? ひょっとして僕のせいなのか?


 いやどうでもいい。彼には悪いが先を急ぐ身なんでね。申し訳ないがスルーさせてもらうよ。

 胸に鈍く光るこの罪悪感は、コンビニでお釣りを全額募金することで総和としての中和を得られるさ。グッバイ。テイケヤー。ハバナィサディ。ウンガコンガ。


 とは言うもの、ここで見捨てきれないのが僕のサガであり、消えない弱さなんだよなあ。ロマンシングに生きたいぜ全く……。


「あの…なんかスミマセン。手伝いますよ」


 申し訳無さに手酌を片手に膝を折り、腰をかがめて大学教授の著したハードカバーを拾い、彼に手渡す。

 彼はと言えば胸いっぱいに本を抱えたまま感謝のお辞儀をするもんだから、再びカスケード。これ以上は流石に付き合いきれないぞ?


 とまあそんな感じで段取り悪く回収をすませた僕はようやく歩を進めることが出来た。

 汚いレンガだかのタイルを踏み越えて、疾走した。

 古ぼけた列車のオブジェを横目に待ち合わせ場所である池の前に着いた。彼女の姿は無い。もう『水族館』に入ってしまったのか?


 電車を待っている際には出来た状況判断をかなぐり捨てて恋人に電話を繋ぐ。もう僕に出来る事など皆無だ。正真正銘の緊急通信。最悪など通り過ぎた。


 ワンコール、ツーコール……ファイブコールまで鳴らした。

 これはもうダメかもわからんね。ゲームオーバー間近かな?

 終わるのは僕の生命か、それとも僕達の関係なのか……。


『何?』

「う、お…おぅ!?」


 出たよ。出ちゃったよ。すげえ不機嫌な声にビビり吃ってしまった。

 オホン。気を取り直して、気合を入れ直そう。


「あ、ああアあのさ…イマナニシテェんの?」

『なにってメダロットだけど?』


 気合どころか空気の抜ける様な間の抜けた質問に対して寄越されたのは極めて普通の解答。あれ? ひょっとしてそんなに怒ってない? もしかして僕にもまだ『目』があんのかね?


 恐る恐る会話を進め、見極めの時間に突入致します。これをクリアすると、きっと第二段階に行けるんだ!


「んあああ、メダロットね。相も変わらず宇宙より飛来したメダルロボットやってんのね。そうだな。どうよ、調子はどうよ?」


 僕は別に彼女のプレイするゲームの進行状況について聞きたい訳じゃない。無論そんなはずはない。

 でも、喉を通り口に出たのはこんな言葉。絶望的な即興能力アドリブにどうあがいても絶望しか無い限りだ。

 

『そう! 聞いてよ。デパートに行ったらスミロドロイド? なんか顎が凄い格闘系のパーツ一式が売ってたんだけど、これは買いなの?』


 返ってきたのは脳天気なレスポンス。

 そして言わんとするのは恐らく『スミロドナッド』で。

 それが意味するのは彼女は一度ストーリーをクリアした、二周目の人間だということ。僕が最後に聞いた進捗状況はブラックビートルが出てきた辺りだった気がするが記憶違いかな? 進みすぎだろ!


「いやスミロドナッドはまあ…買っても良いと思うけど、違うんだ。僕のあれはそういうんじゃなくてさ―――」


 君は今、何処にいるの?


 おっかなびっくり震える声でそう尋ねる僕。届いた返信は極めて軽快に。


『何処って普通に家だけど…なに来たいの? 良いけど、オフ過ぎて何も用意してないよ?』

「んん?」

 

 あれ? 何か想像と違うね。思ったより平時というか、胆を絞り意を決した割に平坦というか…。

 もしかして呆れ果てて見限られちゃったのだろうか? ひょっとして捨てられちゃうのだろうか?


 僕の脳裏に浮かぶのは関係の破綻か僕の破滅か。打ち壊すのは彼女の言葉。


『あ、それと来週は水族館デートだから。忘れずに遅刻しないこと』

「What?」

『何で英語…? まあさ何でもいいけど、当日すっぽかしたらあんたの私物燃やすから』


 通話終了の文字が踊る液晶画面。そこに映り込むのはロキノン崩れの阿呆面。つまりはどういうことだ?


 つまりはそういうことだ。タネを明かせば単純明快。

 僕が個人的に真実それを認めたくないだけ。

 僕が個人的に現実それを信じたくないだけ。


 だってさ、いくらなんでもまさか過ぎるし、間抜け過ぎる。その上迂闊過ぎるし、何より安易でしょうもなさ過ぎて死にたくなる。


「まさかデートの日時が一週間後なんて、そんな結末が有り得るのかよ―――」


 遅刻な訳ねぇよ。むしろ徹夜の待機組ばりの前乗りじゃねぇか。遅刻の余地が無い。ここに住めば解決。空腹凌いで採血。何言ってんだコイツ。ホント何言ってんだ?


「ははっ、マジか…よ」


 周りの目など気にせずにその場にへたり込む。

 それと同時に辺りの有象無象にざわめきが生まれたが、そんな些事に今更動じる訳もないし、むしろ道化のこの身の上には心地の良い拍手の様にも感じるよ。


 千年前から変わらぬ町並みと十年前から変わり続ける街並みの間に沈むトワイライトに照らされた運命のマリオネット―――なんてのは流石に詩的に美化しすぎたか。


 スポットライトと呼ぶには大き過ぎるし、役者というには余りに小さい僕の存在。

 

 隙間を抜いて僕の心を切り裂く曖昧の波。

 その混乱が僕に問い掛け、安寧に辿り着く。


「取り敢えず目覚し時計を買って帰らないと」


 来週こそは遅刻出来無いからね、複数買っとくか。そうしないと愛しい女性の部屋に置き去りの僕の私物達がお焚き上げされてしまう。それは普通に困るよ。


 物思いから立ち上がり尻を叩いて汚れを落とす。不意に物思いに回帰。


 でもまあ、これはあれだな。安穏であるし平凡であるが、同時に焦燥とか喧騒とか、詮無き苦労とか益体無き大変を含んだ一日だった。


 でもさ、何も得られなくても。

 それどころか喪うばかりで笑える程に笑えない一日だとしてもさ。


「これも一つのハッピーデイズの形なのかね」


 僕の零した言葉は夕闇に溶けて霧散する。

 眼下に広がるのは残酷な程に平等なオレンジ色。

 切なく流れる夕陽が無常にも削ぎ落としたのは、きっと僕の過ごした無価値で有意義な一日の殆どで。


 その事実を改めて認識した僕は、何故だか知らないけど――少し、笑えたんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

所謂一つのハッピーデイズ 本陣忠人 @honjin

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ