第4話 中川遠和のデジャヴ

 学力テストは、国語、数学、世界史、化学・生物、英語の五教科だった。入試レベルの問題はなんとか解けたけれど、まったく歯が立たないものが半分近くあった。高校では、授業で習ったことだけを勉強していればいいわけではなさそうだ。やはり甘くはない。

 テスト終了後には。翌日の野外オリエンテーリングについての説明があった。服装は体操着、タオルや弁当や飲み物をリュックで持参するように。

 そして、班決め。案の定、高校でもこれはあるのか。いつも憂鬱だった。人数合わせでどこかの班に潜り込ませてもらっていたけれど、数人の班の中でも一人ぼっちだった。それが悲しかったわけじゃないけど、お情けで入れてやってるんだからなという扱いが嫌だった。

 教室の後ろに立って、クラスの成り行きを眺める。まだ気心の知れないクラスで、みんな遠慮がちに周りの人と声を掛けあっている。最初に巻田さんを中心とした五人グループが出来た。他は二人と三人が合体したりしてグループが決まって行っている。

 巻田さんが「六人になってもいいですか?」と先生に聞いて、一人でポツンとしている女の子をグループに加えていた。

 男子の方は、なかなかグループが完成しない。僕の近くで同じように傍観していた一人が声を掛けてきた。

「君、班を組まないか」

 黒縁の眼鏡を掛けたヒョロリと背の高い奴だ。絵に描いたような秀才タイプ。

「ああ、いいけど」

「それでは、あいつも誘ってみようか」と、その黒縁眼鏡は教室の真ん中に座って本を読み続けている男子に声を掛けてこちらに連れてきた。顔も体も丸い猫背の奴だった。顔にはニキビが目立っている。

「あとは……」と黒縁眼鏡が教室を見渡す。

「じゃあ、あの子たちは?」と、僕は黒板の近くで付かず離れずの距離で立っている二人の女の子を指差す。

「女子か。まあ、そのほうがいいかも知れないな。じゃ君、声を掛けてきて」

 しまった。その役は僕に振られるのか。でも、近頃あの四人と一緒にいるせいか、以前ほど女子と話すことが怖くなくなっている。渋々ながら、その一人に近付いて声を掛ける。

「あの、すみません。まだ決まってないんだったら、僕らのグループに入りませんか?」

 教室の後ろでムスッと腕組みをしている黒縁眼鏡たちを指差しながら誘ってみる。真ん中分けの髪の毛を後ろで束ねた真面目そうな子だ。戸惑いながら、僕や黒縁眼鏡たちを見る。なかなか返事がない。二、三歩離れたところで、こちらの様子を横目で窺っているもう一人の子にも、ついでにという感じで声を掛けてみる。ピンクのメタルフレームの眼鏡を掛け、おかっぱ頭の前髪をヘアピンで留めている。

「ええと、君もどうかな?」

 女の子同士で目を合わせ、少し距離を縮めた。

「あ、あの、もしよかったら……」と、ヘアピンの子が小さな声で言う。

「あ、は、はい」

 おずおずと真ん中分けの子が頷いた。

「よかった。じゃ、あっちに」と、黒縁眼鏡たちの方へ歩く。後ろを二人がのろのろと付いてくる。

「よし、これで五人だな。班長は誰にする?」

 どこか横柄な態度で、黒縁眼鏡が誰にともなく言う。

「その前にさ、まだ名前も知らないんだけど……」

「君は、橘省」と、黒縁眼鏡は僕を指差す。

「君は、小松裕一」とニキビの猫背を指差す。

「君は、山村佐知」とヘアピンの女子を指差す。

「君は、藤沢三喜子」と真ん中分けの女子を指差す。

「僕は、谷川紫。ムラサキという字を書いてユカリと読む。以上だ」

 谷川は、クラス全員の名前を暗記しているのか。

 みんな、呆気にとられながら互いに「よろしく」と言い合う。

「で、これからも度々たびたびこういうグループ分けがあると思う。そういう時は、いつもこのメンバーで集まるのが面倒がなくていいと思うんだが、どうかな」

 谷川がいきなりそんな提案をする。僕らは、さらに呆然としてしまう。

「他に組みたい相手がいればそっちへ行っていいし、別に強制ではない。ウロウロと迷っているよりマシだろうというだけのことだ」

 なるほど、合理的と言えば合理的だ。谷川の言い方は偉そうでちょっとカチンと来るけど、悪気があるようでもない。ただ自分がいいと思ったことをそのまま言っているのだろう。

「ああ」

 丸っこい背中を揺らして、ボソッと小松が言った。了解したということなのだろう。

「そんなこと、別に今決めなくてもいいんじゃないか?」

 女子二人が困った顔をしているのを見て、僕がそう言う。

「そうか」

 谷川は、こだわることもなくあっさりと引き下がった。

「まあ、これからも、こういうことがあった時には、よろしく頼むよ」

「うむ」

 確かに、拒まない相手がいるというだけでもずいぶん気が楽になる。女子二人も、固い表情をホッと和らげた。

「班長は谷川でいいんじゃないか?」

 山村さん、藤沢さんが顔を見合わせてから頷く。小松も「ああ」とつぶやく。

「では俺が引き受けよう。だが、特に何かするつもりもないので、各自自己責任でやってくれ。橘の方が気が回りそうだから、副班長を任せる」

 そう言い捨てて、スタスタと黒板に行ってメンバーの名前を書いている。なんて身勝手な奴だ。でもまあ、班長とか副班長とか言っても、たいした仕事もないだろう。せいぜい、人数確認をするくらいだ。

「そろそろ決まったか?」と担任がクラスを見渡す。どうやら全員決まったようだ。担任が黒板に書かれたグループに順に番号を振って行く。僕たちは一班になった。


 翌日の朝、体操着でグラウンドに集合し、バスで高尾山に向かう。ニキビの小松は、体調不良で休みとのことだった。バスの座席の人数合わせの都合か、僕らの班だけAクラスのバスに分乗することになり、一番後ろの五人掛けの席に座らされた。窓際に僕、その隣りに谷川、ひとつ席を空けて女子二人が座った。その空いた席に、Aクラスの女子が一人座ることになった。赤いセルフレームの眼鏡を掛け、肩までの髪を真っ直ぐに切りそろえた真面目そうな子だった。

 山村さんと藤沢さんは、しばらく手持ちぶさたそうにスマホを弄っていたけれど、次第に話を始めて趣味が合ったのか急速に仲良くなっていた。

「え、そうなの? じゃ今期ではどのアニメが好き?」

「う〜ん、『異世界マイルストーン』とか『花から生まれた』とか、かな〜」

「あ〜、ハナウマいいよね。でもマイルストーンは作画がイマイチじゃない?」

「そうなのよね〜、期待してたわりには、って感じ。藤沢さんは?」

「ミキでいいよ。私はね、『カノカノ』が覇権だと思うんだけど〜」

「あっ、それ忘れてた! ミキちゃんは誰派? 私はね、うらら派!」

「あ〜、それ分かる〜。でも、私はやっぱリンカ様派かな〜」

「出た! リンカ様! 原作ではね、もっとツンなんだけど、アニメじゃそこがイマイチ弱いのよね〜」

「山村さん、あ、さっちゃんでいい? さっちゃんは原作組なんだ」

「うん、ラノベも結構好きで。今度貸そうか?」

「貸して貸して! あ、そう言えばさ……」

 なにかマニアックな話題でこっそりとはしゃいでいるのを、聞くともなしに聞いていた。

 谷川はと言えば、数学の教科書を開いて唸っている。そしてふいに僕に問いかけてきた。

「君は、この問題分かったかい」

 真新しい教科書を覗き込むと、昨日のテストに出た問題が載っていた。教科書の中ほどのページ、つまり二学期あたりに習う箇所じゃないのか?

「いや、まったくお手上げだったよ」

「そうか。ふむ、やはりこの公式を使わないと解けないのか」と、ぶつぶつ言いながらまた教科書に没頭していた。

 僕は、またぼんやりと窓の外を眺める。密集した家並が延々とどこまでも広がる風景に、何か切ないような苦しいような気分になってくる。

「あの、これ食べません?」

「どうもありがとう。いただきます」

「そっちの二人にも回してくれます?」

「ええ。これ、こちらの方からいただいたのですけれど、よかったらどうぞ」

 そんな流れで、Aクラスの子から僕たちにもポッキーの箱が差し出された。谷川と一本ずつ貰って「ありがとう」と礼を言う。山村さんと藤沢さんが、少し頬を赤くしながら微笑んでいた。その時、間に挟まれたAクラスの子の顔を始めてちゃんと見た。心臓がトクンと跳ねた。あれ、どこかで見たことのあるような……。懸命に記憶を辿る。でも、僕の知っている女子なんてごく限られている。それもみんな大月の七保地区近辺だし、こんなところで会うはずもない。きっと気のせいだろうと思うしかなかった。バスを降りる時に、もう一度その子の後ろ姿を見たけれど、さっきの知っているような気はもうしなかった。

 高尾山の麓に着いて、もう一度簡単な注意を聞く。いくつもある登山コースのうちの四つを自由に選んで登っていいということだった。六人ほどのケーブルカー組の中には、風間さんの姿も見えた。

 僕らの第一班は、ファミリー向けの一番楽なコースを選び、Aクラスの最後の班に続いて登り始める。登山と言っても、少し傾斜のある遊歩道のようなもので、僕にとっては中学の時の通学路よりも楽なほどだ。それでも女子二人のペースに合わせてゆっくりと登る。次第に、早い班に抜かれたり、休憩している人を追い越したりして、クラスも入り交じってくる。班もバラけてきてしまう。先頭の谷川の姿もいつの間にか見えなくなっていた。

「この辺でちょっと休もうか。谷川は先に行っちゃったみたいだし」

 少し息切れしている女子二人にそう声を掛けて、脇の岩に腰を降ろす。

「やっぱり自分の足で登るとけっこうきついね」と、藤沢さんが水筒の蓋を開けながら言う。

「そうだね。小学生の時にも来たんだけどな〜。年取っちゃったのかな」と山村さん。

「橘君は全然平気そう。どんどん先に行ってもいいよ」

「僕は山育ちだからさ。それに班ごとに登るように言われたし、まあゆっくり行こうよ」

 そこに、巻田さんのグループが通りかかった。額に汗を滲ませながらも、女子六人で賑やかにおしゃべりしている。

「あ、省くん。もうちょっとで天狗の杉だよ、ガンバ!」と声を掛けて先に登って行った。

「あれ? 橘君って、巻田さんと知り合いだったんだ」

 藤沢さんが言う。

「なんか意外」と山村さん。

「あ、まあ、ちょっと……」

「ふ〜ん、いいな〜」

 二人とも、羨ましそうに巻田さんたちの後ろ姿を見ている。やはり女の子同士のグループの方がよかったんだろうか。

「じゃ、私たちも行こうか」と、また歩き始める。

 注連縄しめなわが巻かれた大きな杉の木を過ぎてしばらく行くと、道が二つに分かれていた。

「あれ、さっきのAクラスの人じゃない?」

 藤沢さんが指差す方を見ると、別れ道のところに赤い眼鏡の女子がキョロキョロしながら一人で立っていた。

「あ、ほんとだ、バスで一緒だった……。どうしたんだろね?」

 向こうもこちらに気づいて、軽く頭を下げる。なんだか困ったような表情だ。

「どうしたんですか?」と声を掛けてみる。

「ここをどっちに行けばいいのか分からなくて、誰かクラスの人が通るのを待ってるんです」

「あ、ここは男坂と女坂って言って、どっちも同じところに出るんですよ」と藤沢さんが教えてくれる。

「ああ、そうなんですか」と、その子がホッと胸を撫で下ろす。

 あれ、やっぱりどこかで会ったことがあるのかな? その表情を見て、またそんな気がした。

「グループの人たちは?」

「それが、いつの間にか離れてしまって……」

「あ〜、たぶんAクラスの人はもう後ろにいないと思いますよ。なんなら一緒に行きます?」

「いいんですか?」と僕たちの顔を見る。

「いいよね?」と藤沢さんが言うと、山村さんも頷く。

「よかった。では、よろしくお願いします」

「どっちの道にする?」山村さんが言うのに「女坂の方がなだらかだって言う話だけど」と答える。

「じゃ、そっち」

 そうして四人で歩き出す。

「あ、私まだ名前もお聞きしなかったですね。私は中川なかがわ遠和とわといいます。よろしくお願いします」

 どこか風間さんを思わせる丁寧な物言いで、Aクラスの子が言う。僕らも名前を教え合った。

 中川さんは遠慮がちに藤沢さんたちの後ろを着いて行くので、僕は必然的にその子と並んで歩くような形になる。どこかで会ったことがあるかな? などと自分でもよく分からないことを聞くのも変なので、ただ黙々と歩く。でも、なんとなくギクシャクしてしまう。すると彼女の方から話題を振ってくれた。

「橘さんは、もう部活は決めましたか?」

「あ、はい。写真部に入りました」

「そうなんですか。写真がお好きなんですね」

「いや、そういうわけでもなくて、全くの初心者なんですけど……。中川さんは?」

「私はまだちょっと迷っていて……。書道部にするか、家庭部にするか」

「家庭部?」

「ええ、お料理とか好きなので」

「ああ、そういう部活なんだ。裁縫とかも?」

「いえ、そういうのは手芸部ですね。家庭部はお料理がメインです」

「へ〜、なるほど。書道部は?」

「筆で文字を書くんです」

「まあ、それは知ってるけど」

「あ、ごめんなさい、そうですよね……」

 中川さんが、しまったという顔で口をつぐむ。そのまま会話が途切れて、並ぶ距離も少し離れがちになり、気まずい思いで歩く。

 女坂が終わって、また少し坂が急になってきた。

 道端にしゃがみこんでカメラを構えている女子がいる。梅原さんだった。少し歩いてはまたしゃがんで夢中でシャッターを押している。その姿から楽しいオーラが滲み出ているようだ。

 梅原さんが僕を見つけて清々しい笑顔を見せた。僕もなんとなくホッとしてしまう。

「やっほー、省くん」

「何撮ってるの?」

「花とか、森とか、空とか、いろいろ」

「へ〜」

「あ、省くんたちも撮ってあげようか。って言うか撮らせて!」

「あ、この人は写真部の梅原さん。Dクラスだっけ?」

 一緒に立ち止まった藤沢さんたちに紹介する。

「うん、そう。ほら、並んで並んで」と、有無を言わせずカメラを向ける。

 藤沢さんと山村さんが肩を寄せ合いながらすでにピースサインをしている。

「ほらほら、省くんたちももっと寄って」と言うので、中川さんと少し距離を縮める。

「はい、OK!」

 どんな顔をしていいのか困る暇もなくシャッターが下ろされていた。きっと、とぼけた顔で写ってるだろうな。

「じゃ、またね〜」と梅原さんが足取り軽く登って行った。こんなに陽気な子だったっけ? と狐につままれたような気持ちになる。

「橘くんって、けっこう顔が広いんだね〜」と、感心したように藤沢さんが言う。

「ほんと! もっと取っつきづらい人かと思ってた」

 そう言う山村さんも、昨日の印象よりずっと表情が柔らかい。

「みんな、可愛い子ばっかりだしね!」

「ね〜!」

 そう言って僕と中川さんをニヤニヤしながら眺め、二人は逃げるように先に行ってしまう。それを追うように、僕らも歩き出す。

「さっきの人とは同じ中学だったんですか?」と中川さんが尋ねる。

「いや、僕は山梨から来たので、こっちに友達はいないんだ」

「え? でも、省くんって」

「知り合ってまだ四、五日なんだけど、いつの間にかそうなっちゃって」

「へ〜、写真部って仲いいんですね」

「まあ人数も少ないし、いい人ばかりだからね」

「なんだか羨ましいです。私も、そんな部に入りたいな」

「書道部か料理部?」

「料理部じゃなくて家庭部ですよ。あ、雰囲気だと家庭部の方が楽しそうかな……」

「やっぱり、女の子ばっかり?」

「それが男の人もいるんですよ。三年生なんですけど」

「え、そうなの? まあ最近は男も料理するしね」

「プロの料理人は男性の方が多いですしね」

「ああ、なるほど」

「あの、ちょっと聞いていいですか?」

「どうぞ?」

「橘さんって、ショウっていうお名前なんですか?」

「うん。反省のセイの字でショウ」

 すると中川さんが手のひらを前に出して宙にその字を描く。書道のようにトメハネをきちんと付ける。きっちりとした力強い文字が目に浮かぶようだ。

「いい名前ですね。字形もきれいだし。タチバナは、木偏のタチバナ?」

「そう。柑橘類のキツ」

 またその字を宙に描く。見慣れた自分の名字なのに、すごく格好良く見えた。

「私、こうして筆で書くと忘れないんです」

「へ〜、そうなの?」

「受験勉強も、大事なところは筆で書いてました」

 すごく真面目そうなのに、いや実際真面目なのだろうけど、ちょっと変わったところもあるみたいだ。それがなんだか好ましい。ぐんと親しみが湧いてくる。

「中川さんはトワって言ったっけ? 永遠って書くの?」

「そうじゃないんです。遠いに平和の和なんです」

「いい名前だね」

「そうですか? 平和が遠いんですよ?」

「遥か遠くまでなごやか、って意味じゃないの?」

「そう言ってもらえると、すごく嬉しいです」

「ゆったりした感じが、なんかぴったりだと思うよ。音もきれいだし」

「あっ、分かりました! 橘さんって、そういう言葉がお上手なんですね。だからすぐに友達が出来るんですね」

「えっ!? そんなこと初めて言われたけど。でも、それってなんか女ったらしみたいじゃない?」

「ああ、そうなのかも知れませんね。そうです、そうに違いありません」

「い、いや、ちょっと待って。違うから。ほんとに女の子と話したことなかったんだから」

「私も、いちおう女の子なんですが?」

「それはそうだけど、でも、なんでか……なんでだろう……」

 まあ最近は女子と話す機会が多いから、と言ってもほとんど横で聞いてるだけだけど、少しは慣れてきたのかも知れないけど。口が上手いわけでもないし、話題が豊富なわけでもないし。ましてお世辞を言っているわけでもない。さっきの藤沢さんたちにしても、いつの間にか妙なイメージ持たれてるし。

 あれ、待てよ。思い返せば、この頃なんだか歯の浮くようなセリフを度々発しているような気がしないでもない。いったい、何がどうなって、こんなふうになったのか。

 でも、この状況は決して嫌ではない。それどころか、すごく嬉しいし、楽しいし、居心地がいい。だって、みんな個性的で、魅力的で、

「……もっと知りたいから」

 思わずポロッと口から漏れた。

「え?」

 何を言っているんだ、僕は? カーッと一気に顔が熱くなってくる。

 その時、先の方から誰かやって来た。

 大股でこちらに近付きながら、太い声で「中川!」と呼んでいる。頑丈そうな肩幅のごつい顔をした奴だった。伸ばした髪をオールバックのようにして後ろで束ねている。七人の侍なんかに出てくる素浪人みたいだ。

「おい、どこかでヘバってるんじゃないかと思ったぞ。みんな待ってるから早く来い」

 ぶっきらぼうに、そいつが言った。近くに来るとすごく圧迫感がある。

「ご、ごめんなさい……」と、彼女が体を縮めて言う。

 そいつは、有無を言わせずに彼女の腕を掴んでずんずんと行ってしまった。彼女はチラッと僕を振り返っただけで、言葉をかける暇もなかった。素浪人のような奴に、ちょっと腹が立った。

 彼女がいなくなった僕の隣りは、なんだかやけに空ろだった。

 少し歩くとすぐに山の頂上だった。頂上と言っても平らで広々としていて、売店も並んでいる。同じジャージ姿の生徒たちで埋め尽くされていた。

 藤沢さんたちとAクラスの場所を探してウロウロする。奥の柵の辺りに見知った顔がなんとなく集まっているのを見つけ、合流する。僕らが最後のようだった。

 谷川は岩に腰掛けて、今度は化学の教科書を読んでいた。

「よお、ずいぶん遅かったな」

「ああ、すまない」

 リュックを降ろして柵の向こうを眺めると、晴れ渡った中にいくつもの山々が連なっていた。

 山に登ったんだなと、ようやく実感する。でも、田舎の山々とはまったく景色が違う。稜線は丸くなだらかで、現実味がないただの風景だった。

 そのずっと向こうには、富士山も見えた。視界の中にいつも壁のように立ち塞がっていた、あの富士山ではなかった。余所行きの顔をして、白々しく気取っているようだった。ああ、遠くに来たんだな。僕は初めてそう思った。

「みんな、揃ったか? 班長は人数を確認して報告するように」

 程なくして先生がそう声を掛ける。

 谷川と目を合わせると、軽く手を挙げてまた本に目をやっている。おい、それも他人任せかよ。いちおう藤沢さんと山村さんの姿を確認して、しぶしぶと先生のところへ行く。

「一班、全員います」という僕の横から「三班もいま〜す」と巻田さんが顔を出す。

「お弁当、いっしょに食べよ」と、コソッと耳打ちして班に戻って行った。

「よ〜し。では、今から一時半まで自由時間だ。この頂上の敷地からは出ないようにな。そして、なるべく班ごとで行動するように。一般の人も来ているんだから迷惑を掛けるなよ。もう中学生じゃないんだから、やっていいこと悪いことの判断はつくだろう。何かあったらすぐに言いに来るように」

 うちのクラスの担任は数学の教師で、いつも眉に皺を寄せている。そして必要最小限のことしか言わない。なので、先生の言葉にはみんなピリッと緊張してしまう。

「さ〜、みんなでお弁当食べよ!」

 巻田さんがそう言うと、ふっと空気が和らいで、三班の周りに自然に女子が集まって来る。

「僕らも、あそこで一緒に食べよう」と、藤沢さんと山村さんを誘う。谷川は、まあいいか。

 巻田さんが僕らに手招きをすると、二人は嬉しそうに輪の中に加わった。僕も付かず離れずのところに腰を下ろすと、他の男子たちも遠巻きながら周囲に座り始めた。

 今朝、叔母さんに作ってもらったおにぎりをリュックから取り出す。味付き海苔が一面に貼られていた。その香ばしい甘さが、すごく美味しかった。すっかり打ち解けた女子たちのおしゃべりや笑い声を背中で聞きながら、二個のおにぎりをあっという間に平らげてしまった。

 まだ少し食べ足りない感じがして、何か買いに行こうかと立ち上がる。三々五々とたむろする生徒の間をのんびりと売店の方に向かう。つい、目が知り合いを探していた。

 少し離れた日陰のベンチに、風間さんがいた。つばの広い帽子を被った後ろ姿だけど、すぐに風間さんと分かった。その顔の向きを辿ると、陽射しの中で梅原さんが小さな子供にカメラを向けていた。なんだか微笑ましくて満ち足りた光景だった。

 売店でパンと飲み物を買い、遠回りして戻る途中に、中川さんに会った。その近くには、さっきの素浪人もいる。この辺りはAクラスの一帯のようだけど、うちのクラスのような和気藹々とした雰囲気はあまり感じない。

「あっ、さっきは!」

 僕に気づいて、中川さんが立ち上がる。その拍子に、膝から空っぽのお弁当箱が転がり落ちる。足元で土にまみれてしまった箸を拾って、手渡す。

「あ、どうもありがとうございます。それと、さっきはお礼も言わなくてすみませんでした」

 慌てて頭を下げる中川さんの様子に、また既視感を覚える。なにかふんわりとした、懐かしいような、切ないような気持ち。

「いや、そんなの気にしないで」

「いえ、ほんとうにありがとうございました。あ、お昼ってそれだけなんですか」

 手に持ったパンを見て、中川さんが言う。

「いや、おにぎりを食べたんだけど、ちょっと足りなくて売店で買ってきたところ」

「あ、そうなんですか。よかった〜」

 ん? 何がよかったのだろう? でも、そう言って笑った顔に、またふわっとさっきの気持ちが甦る。なぜかは分からない。でも、なんだか気持ちがいい。

「あの、えっと……。あ、そうだ、私ちょっとお弁当箱洗ってきますね。どこかに水道ありましたか?」

「いや、ちょっと分からないけど、売店の近くにあるんじゃないかな」

「そうですか。じゃ、ちょっと行ってきます」と、そそくさと彼女は行ってしまった。

 僕も自分のクラスの方に向かおうとすると、あの素浪人風の男が話しかけてきた。

「さっきは、すまなかった」と頭を下げる。後頭部で束ねた髪が揺れる。

「あ、いや……」

「どうも俺は、人付き合いというか、心の機微というものが分からないもので、大変失礼した」

 なんだかしゃべり方まで侍っぽい。

「申し遅れたが、俺は直井なおい隆進りゅうしんと言う」

 名前まで時代掛かっている。

「あ、ぼくはBクラスの橘です」

「橘か。もしよければ、少し話をしないか?」

「……まあ、いいけど」

 素浪人が立ち上がって柵のところへ行く。いったい何だろう。中川さんに近付くなとか、他のクラスに顔を出すなとか、そういうことなのだろうか。少し、いや、かなりビビりながら、その横に行く。頭ひとつ分高い背丈、分厚い体躯、いかったような肩。その威圧感に、つい距離を取ってしまう。

「実はな、俺はどうも恐がられているようなんだ。中川もそうだが、他の女子や男たちにも」

 確かに。

「いや、どこでも昔からそうなんだが」

「それで?」

「お前は……おっと、すまない。橘は、すいぶん親しそうに中川と話していたから、その、なんだ、どうしたらそうやって気安い関係になれるのか知りたいんだが……」

 えっ? ただ何気ない受け答えをしただけなんだけど。それに、僕こそ今までちゃんとした人付き合いなんてしたことがなかったんだけど。僕の方こそ、人付き合いのコツを教えて貰いたいんだけど。

「いや、そう言われても……」

 言い淀んでいるところに、中川さんが戻ってきた。

「あら? 二人で何の話をしているんですか?」

 思わぬ組み合わせに驚いたように彼女が言う。救いを求めて、僕が事情を説明する。

「いや、なんかね、この人がみんなに恐がられているみたいだから、どうしたらいいだろうって」

「あっ! ああ……」

 彼女もやはり心当たりがあるみたいに口籠る。それは、しょうがないと言えばしょうがない。

「やはり、俺がこんな風体だからそう思われるのだろうか」

 ボソリと素浪人が言う。

「まあ、それはあるかも知れないけど、本当はどうなんだ?」

「本当とは?」

「暴力的だとか、気が短いとか、喧嘩っ早いとか」

「いや、そんなことはないと思うが。どちらかと言えばグッと腹に堪える方なんだが……」

「じゃあ、人間嫌いとか、一人がいいとか、他人とは関わりたくないとか?」

「うむ、まあそういう部分はあるのかも知れないな。それでよしとは思っていないが」

「なるほど」

 そういうところは、ちょっと僕と似ているのかも知れない。かと言って、僕が偉そうにアドバイスできることなんて何もない。僕だって、巻田さんとか椿部長がいなかったら、誰とも話をしないまま過していたに違いない。たまたま、ほんの偶然で、友達になれただけだ。

「そのうち、ちょっとしたきっかけがあれば、自然に打ち解けていくものなんじゃないかな」

「そうだろうか……」

 あまり納得していない言葉が返ってくる。

「その、きっかけが、なかなか……」と、横で中川さんがふとつぶやいた。

「まあ、そうだね」

 巻田さんみたいな人なら、どんどん自分からきっかけを作って行くのだろうけど、僕にはそこがいちばんの難関だ。だいたい僕は、人と打ち解けるためのきっかけを作りたいなんて思ってさえいなかったんじゃないだろうか。なのに、いつの間にか自然に話せる友達が何人も出来ている。そして、それがとても楽しいし嬉しい。こういう友達が出来て初めて知った気持ちだ。それに、中川さんとも今こうして普通に話をしているし。

「中川さんなんか、話してみると面白いし、そういう苦労はないんじゃないの?」

「え〜!? 全然そんなことないですよ。おしゃべりも苦手だし、いつも他の人から距離を置かれる感じで……」

「そんなことないと思うけどな」

「あれ? そう言えば、橘さんとはなんでこうして話せてるんだろう?」

「それは、さっき歩きながら話してたし」

「それはそうですけど……。あ、そうか。これが自然なきっかけっていうことなんじゃないですか?」

「ああ、なるほど、そうだね」

 二人で軽く微笑み合う。彼女の顔に、またふわりとした懐かしさを感じた。

 そんな僕らを、素浪人が恐い目で睨んでいる。

「あ、勝手に話してしまって悪かった」

「いや、いい」と、そいつが伏し目がちに顔を背け、その場を離れようとする。

「あ、そうだ。これもひとつのきっかけじゃないですか?」

 中川さんが素浪人に向けてそう言うと、その顔がまたこちらを向いた。

「だから、この機会に三人で友達になりませんか?」

 ん? と素浪人が解せない顔をする。

「やっぱり、話をしてみないとお互いのことって分からないじゃないですか。でも、なかなかそういう相手を作るのって難しいし。だから、今がそのいい機会だと思うんです」

「ふむ」

「私一人だと、直井さんにも話しかけづらいけど、三人だとわりとそうでもないかなって。ほら、橘さんって、なんかすごく話しやすいっていうか、適当に流さないでちゃんと話を聞いてくれる感じがするんですよね」

「そうなのか?」と、僕に聞かれても困る。

「いや、僕も人付き合いが苦手なんだけど」

「え〜、そうなんですか? じゃあ余計に、似た者同士三人でお友達になりましょうよ」

「それは別にいいけど……」

「直井さんは、どうですか?」

「それは、やぶさがではない。いや、俺からもよろしくお願いしたいところだ」

「じゃ、決まりでいいですね」と、中川さんが真剣な表情で言う。

「あ、ああ」

 素浪人も「うむ」と頷く。

「よく、友達は作るものじゃなく気付いたらなっているものだ、とかって言いますけど、私なんか待っててもなかなか出来ないから……」

 おどけた口調で言うけど、顔は少し緊張しているみたいだった。

「そうだね。友達になろう、なんて面と向かっては言いにくいもんね。中川さんが勇気を出してそう言ってくれたんだし、僕でよければ、喜んで友達になりたいよ」

 そう言うと、彼女がホッとしたように笑った。

「なるほどな。橘にそう言われて、俺にもやっと分かった気がする。俺もぜひ友達になって欲しい」

「ああ。こちらこそ、よろしく」

「私も、よろしくお願いします。すごく嬉しいです」

 三人で照れた顔をそっと見合わせる。

「あ、あのね、さっき橘さんのお友達が名前で呼んでいたでしょ? それがなんかすごく羨ましくて、私もそんな友達が欲しいなって思ってたんです」

「そうなの? じゃあ中川さんも名前で呼んでくれていいけど」

「省さん? 省くん? あ、私も名前で呼んで下さい」

「遠和さん、だったよね」

「あ、ちゃんと覚えてくれてたんですね。トワでいいですから」

「省と遠和か。俺のことも隆進りゅうしんと呼んでくれ」

「あ、そういう名前なんですね。そう聞くと、なんだかイメージにぴったり」

「イメージ?」

「うん、僕もそう思った。ちょっと古風でどっしりとして、なんか昔の武士みたいな」

「そうそう、剣豪っぽい感じ。その髪形とかも」

「僕は、剣豪っていうよりも、素浪人のような印象だった」

「ふむ、そうか」と、彼は顔をしかめるように目を閉じた。

「あ、気に障ったならすまない」

「いや、そうじゃない。友になったんだから、余計な気は使わないでくれ。ただ、俺は剣道をやっていたので、そのせいかと思っただけだ」

「ああ、そうか、なるほど」

「じゃ、剣道部に入ったの?」

「いや、誘われたがそのつもりはない。どの部に入るかは、まだ思案中だ」

「あ、私と一緒ですね。橘さん、省くんは、写真部なんですって」

「ほう」

「ここの剣道部は強くないから入らないのかい?」

「いや、そういうわけではない。わりと実力者が揃った部なのだが、俺は高校の団体スポーツとしての剣道には向いていないと思っただけだ」

「へ〜、そういうものなのか」

「ああ。剣道自体は嫌いじゃないんだが、俺は一人で黙々とやるほうが合っているんだ」

 そういうところは、ちょっと僕と似てるのかも知れない。

「あ、今の話で直井くんのことが少し分かった気がする」

「そうか。俺はこういう愛想のない人間だから、友達といってもどう接していいのか分からないんだ」

「それは僕だって同じだよ。まあ、そのまんまでいいんじゃないのか?」

「私も、そう思います。時々こうして話ができる人が出来ただけでも、なんだかすごく気が楽になったみたいで、ほんとによかった」

「ああ、そうだな。まったく感謝に堪えない」

 時代掛かった言い方に、思わず笑いが込み上げる。中川さんもクスリとしている。こいつは実直でいいやつなんだな、と感じた。その大仰な物言いが、逆に愛嬌にも思えてくる。

 あちこちにバラけていた生徒たちが、ザワザワと固まり始めた。

「そろそろ集合時間だから、僕はBクラスの方に戻るよ」

「はい」

「じゃあまたな、省」

 そう名前を呼ばれると、距離がすごく近くなった気がする。

「直井のことは、リュウと呼んでいいかな?」

「ああ、そう呼んでくれ」

「それじゃ、また」

 何かを成し遂げたような、ちょっと浮かれた気持ちでクラスの場所へ戻った。


 下山して、帰りのバスでは、藤沢さんと山村さんは自由時間に仲良くなった女子とBクラスのバスに乗り込んでいた。僕は谷川と二人でAクラスの最後部に座り、隣りには中川さんと直井がいた。谷川は相変わらず、我関せずと教科書を開いている。

「リュウは、どこから通っているんだ?」

 中川さんを挟んで、小さな声で会話する。

「俺は、世田谷からだ。うちは江戸時代から続く神社なんだ。小さな町の神社だけどな」

「へ〜、そうなのか。じゃあ、リュウはその後を継ぐのか?」

「まあ、たぶんそうなるだろうな」

 こいつが少々時代掛かっている理由は、それか。

「境内に武道場があって、剣道を教えたりもしている。俺も小さい頃から稽古させられたよ」

「じゃあ、今は有段者なのか?」

「ああ、三段だ。子供たちに稽古をつけたりもしている」

「それで剣道部に入らないのは、もったいない気もするけどな」

「いや、稽古は剣道部じゃなくてもできるからな」

「どういう部活が望みなんだ?」

「どう言ったらいいのか……。精神修養というか自己鍛練というか、そういう自分を見つめることができるような部があればいいんだが」

「あ、だったら書道部とかどうかな?」と、中川さんが言う。

「中川さんは、書道初段らしいよ」

「ほほう、書道か。それもいいかも知れないな」

「リュウくんだったら、豪快な字を書きそう」

「ただ、通学に一時間半ほどかかるし、家の道場の稽古までに帰らなければならないんだ。あまりじっくりと部活をやる時間が取れないだろうな」

「そうなのか。なかなか難しいな」

「それなら、茶道部はどうだ?」

 突然、僕の右で谷川が本から顔を上げて言った。

「茶道部?」

「うん。好きな時に来ればいいと言うことで、俺も茶道部にしたんだが、精神を集中するには良さそうだぞ」

「谷川は茶道の経験はあるのか?」

「いいや、まったくないが」

「そこは男でもいいのか?」

「部長が三年の男子だった。他にも籍だけ置いているやつが何人かいるらしい」

 茶道部も、写真部と同じ感じのようだ。

「ふむ、茶道部か。そういう考えは浮かばなかったな」

「ものは試しで、一度行ってみたら?」と中川さんが後押しする。

「そうだな」

「和服なんか、すごく似合いそう」

「ああ、ますます武士っぽくなりそうだな」

 そう言って二人で笑う。直井もムスッとしながらも、まんざらでもなさそうだ。

「うん、武士道の修業なら望むところだ」

 ボソリとそう言った直井の言葉が、バスの中に思いのほか響く。疲れて静まった生徒たちは、聞くともなしに僕らの会話を聞いていたのだろう。どこかの席からクスッと笑う吐息も漏れていた。

「でも、リュウくんって話してみるとそんなに恐い人じゃなくてよかった」

 中川さんが、わざと他にも聞こえるように嬉しそうな声で言う。

「うん、そうだね。恐いどころか、けっこう面白い奴だよね」

「うんうん」

「面白いと言われるのも、何か釈然としないが……」

「いやいや、そういうところがさ。いい意味でね。恐がられるよりはいいだろう?」

「そうそう」

「ふむ」と、直井が腕組みをする。

「ところで、省くんはどうして山梨からここの高校に来たの?」

 また声を小さくして中川さんが尋ねる。

「僕は大月市っていう町のはずれに住んでたんだけど、ほんとに何もなくて、山に挟まれたところで、ただそこから抜け出したい一心で受験しただけなんだ」

「ふ〜ん、そうなんだ。今はどこに住んでいるの?」

「叔父さんの家が堀之内の方にあって、そこに住まわしてもらってる」

「えっ、私は唐木田なの! わりと近いかも」

「へ〜、そうなの? 僕はまだ地理がよく分からなくて……」

「あ、そうか。私も、堀之内のスーパーやドン・キホーテなんかにはよく行くよ」

「じゃ、中川さんも自転車通学?」

遠和とわでいいですから〜。私は電車通学。自転車だと坂が多くて大変」

「ああ、確かに」

「リュウくんは、どうやって通ってるの?」

「世田谷線の上町というところから、京王線の下高井戸の乗り換えて、明大前まで一駅戻って、そこから急行か特急で南大沢まで、だな」

「それはけっこう大変だね〜」

「ああ、ようやく慣れてきたところかな」

 そういうのを聞くと、やはり東京はすごいなと思う。

「朝の満員電車なんか、大変なんだろ?」

 僕はまだその体験はしていないけど、たまに乗る通勤時間帯じゃない電車でさえ座るところがないほどの乗客数にびっくりしてしまう。十分間隔くらいでやってくる電車のどれもがそうなのだから、もう唖然とするばかりだ。

「いや、都心とは逆方向だから、そうでもない」

「そうか」と、他人事ながらホッとする。

 そんな話をしながらバスは学校に到着し、解散となった。

 結局、カメラはリュックの中から取り出すことがなかった。それよりも、写真部やクラスとは別の交遊関係が出来たことに、何か充足感のようなものがあった。まだほんの半日の付き合いだけれど、中川遠和、直井流進という二人には、特別な繋がりのようなものを感じていた。それは、椿部長や巻田さんたちとはどこか違った感触だった。


 その夜、布団の中で今日のことを思い返してみて、ふと気付いた。

 おや、もしかしたらリュウは中川さんのことが好きなのじゃないのか? 彼女ともっと親しくなるにはどうしたらいいだろうという相談だったのじゃないか?

 そう考えると、あいつが突然僕に話しかけてきた訳も納得できる。

 なるほど、そうだったのか。

 中川さんは真面目そうだし、優しそうだし、そのくせちょっとおっちょこちょいなところもあって、少しきつめの目元も笑うと愛嬌があって可愛い。そしてどこかゆったりとした心地よさを感じさせる。まあ、男なら好きになってしまうのは無理もないか。

 そう思ったら、なんだか腹が立ってきた。

 あいつは、僕のライバルなのか? え、ライバルということは、僕も中川さんを好きになっている?

 そこで、やっと自分の感情に気付いた。

 どこかで会ったことがあるような気がしたのは、そのせいなのだろうか……。いったい、いつ自分の中にそんな気持ちが芽生えていたのだろう。

 その前に、これは本当に好きという気持ちなんだろうか?

 頭の中に、中川さんが、風間さんが、巻田さんが、梅原さんが、椿部長が、グルグルと渦を巻き始める。ますます混乱してくる。鼓動がズキズキと痛いほどに胸を締め付け、眉間の奥が遠近感を失って行く。昏睡するみたいに、いつしか僕は眠りの中に埋没していた。

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永遠スカート 高祇瑞 @miz

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