第3話 椿里香の謎

 夜に『グループに招待されました』というメッセージが届いた。グループ名は『省の会(仮)』となっている。なんだこれ? と思いながら、とりあえず参加してみる。

 マキマキ『今日のみんなでグループを作ったよ!これからもよろしくね!』

 梅桜『わ〜い!素敵な友達ができて嬉しいな!こちらこそ、よろしく〜!』

 椿里香『こちらこそー。みんないい子。だいすき』

 そんなメッセージが並んでいた。

 僕も何か返信しなければと悩んでいると、またメッセージが届いた。

 瞳『こんなにすぐ友達ができるとは思っていませんでした。口下手で申し訳ないですが、これからも仲良くして下さい。』

 僕が考えていたこととまったく同じことを先に言われてしまった。ますます悩んでしまう。

 ようやく『あらためて、みなさんよろしくお願いします』と、面白くも何ともない返事を送る。

 続けて『でも、このグループ名はちょっと変えて欲しいです』と打つ。

 梅桜『え〜、いいと思うけどな』と、間髪入れずに返事が来た。

 瞳『このままでいいと思いますが』

 椿里香『(仮)含めて、このままでー』

 マキマキ『はい、決定! ニヒヒヒ』

 もはや、どうしようもないみたいだ。

 橘省『・・・』

 梅桜『あははは。また帰りにおしゃべりしたいね!』

 マキマキ『うんうん。日課にしようか!』

 瞳『私は、毎日はちょっと無理ですけど、できるだけそうしたいです』

 椿里香『まー、ゆるーい感じでー』

 マキマキ『うん、そうだね』

 マキマキ『なんかね、このメンバーって長い友達になるような気がする。勘だけど』

 梅桜『うん!そうなりたい!!』

 瞳『はい』

 椿里香『まーまー、そう力まないで、ゆるゆるといきましょー』

 マキマキ『そっか、そうだね。さすがは里香ちゃん』

 梅桜『さすがは部長。どこまでもついて行きます!』

 瞳『みんな個性的で楽しいですね』

 風間さんは、僕が言いたいことをそのまま言ってくれる。それに、メッセージでもそれぞれの個性がちゃんと表れているのに感心してしまう。

 椿里香『そろそろ、おやすみー」

 梅桜『は〜い、おやすみなさい』

 マキマキ『おやすみ、また明日!』

 瞳『おやすみなさい。よい夢を』

 橘省『ではまた。おやすみ』

 それからしばらく、ネットで撮影のノウハウを探したりしていた。丁寧に解説してあってもあんまりピンと来ず、なんだか余計に難しく思えてきてしまう。


 土曜日は、隔週で特別授業がある。一時前に授業が終わって、部室に向かった。椿部長と梅原さんが、お弁当を食べていた。

「昨日は、どうも」

「楽しかったね! 瞳ちゃんやマキちゃんとも友達になれて、ほんと良かった〜」

 梅原さんが嬉しそうに言う。昨日よりもずっと親しげだ。僕もみんなとの距離が近くなった気がする。

「二人とも、いい子だねー。それに、いいモデルでもあるねー」

「ほんと、ほんと! あ〜、早くカメラ買いたいな」

「明日、買いに行くんだよね。どれを買うか決まった?」

「うん。これか、これか、これ。ちょっと予算オーバーだけど」と、カメラ雑誌のカタログページを見せてくれる。僕も自分のカメラが欲しいけれど……。

「省くんは、もうお昼食べたー?」

「あ、まだです」

「じゃあ、なにか買ってきてここで食べればいいよー」

「はい。じゃ、ちょっと買ってきますね」

「今日は購買が休みだから、近くのコンビニに行くといいよー」

「コンビニって、どのへんですか?」

「校門を出て、向かいの道を少し下ったところ」

「ああ、分かりました。ちょっと行ってきます」

 玄関を出ると、ポカポカした春の陽射しに包まれた。グラウンドの方からは、運動部の掛け声が聞こえてくる。桜の花びらがまだ地面のあちこちに残っていて、時折ふわりと風に舞う。見上げる空は、田舎よりもずっと広い。

 帰宅する人たちに混じって、のんびりと坂を下る。その後ろ姿や、舗道のレンガや、葉桜から漏れる光なんかに、つい目が行ってしまう。これも写真を始めたからなのだろうか。挙動不審に思われなくもない。

 パンと牛乳を買って、また校舎に戻る。部室棟までの廊下に、窓からの陽射しが規則正しく並んでいた。誰もいない。光と影の強いコントラスト。その中にポツンと巻田さんを立たせて、その後ろ姿を撮ってみたら。いや、風間さんがいいだろうか。それとも四人を並べて……。なんだか心がウズウズしてくる。

「戻りました」と部室の扉を開ける。二人でパソコンに向かっていた。昨日の写真が表示されている。

「やー、勝手にカメラからメモリーカードを出させてもらったよ」

「あ、いいですよ」

 巻田さんと風間さんが顔を寄せあってこちらを見上げている写真を、部長がいろいろと調整している。右と上を少しトリミングすると、いっそうアップ感が増した。なるほど、と後ろでパンをかじりながら思う。

「これでどうかなー」

「すごくシャープな感じになりました。さすが部長です!」

「これは、目のあたり以外はもっとボケた方が面白いかもしれないねー」

「それって、どうやるんですか?」

「まー、パソコンで加工することも出来るけど、もう少し絞りを開けた方がいいかもねー」

「あ、なるほど〜」

「その絞りっていうのは、どうすればいいんですか?」

「ここで調節するんだけどー」と、部長がカメラの上に付いているダイヤルを指差す。

「えーと、つまりー、絞り値を小さくするとレンズの中の羽根が広がって光をたくさん通すわけー。そうすると、ピントが合う範囲も狭くなって他の部分はボケやすいということね。だから、狙ったところだけをくっきりと見せたい場合なんかは、絞りを開けるといいんだよー」

「はあ」

 夕べ見たサイトにも、確かそんなことが書いてあった。

「今、このダイヤルがAVってところに合ってるでしょー。これは絞り優先モードってこと。そしてこっちのダイヤルを回すと絞りが変わって、ここの液晶の数字も変わるのね。ファインダーを見ながらこのダイヤルを回して、ボケ具合を調節すればいいわけ」

「あ、なるほど。そういうことなんですか」

 実際にこのカメラで教えてもらうと理解出来てきた。

「ネットでこのカメラの操作マニュアルをダウンロードして読んでみるといいよー。まー、実際にいろいろと試してみるのがいちばんだよけどねー」

「分かりました。ありがとうございます」

「まー、今のカメラはオートフォーカスとか手ブレ補正とかプログラムAEとか付いてるから、ただシャッターを押すだけで撮れちゃうんだけどさー。でも、マニュアルで撮る方が楽しいし、個性みたいなものも出やすいと、私は思うんだよねー」

「なるほど〜! さすが部長!」と梅原さんがまた言う。

「こっちの写真も惜しいんだけどねー」

 部長がそう言って、机から落ちそうになった時の写真を表示する。

「まー、これはこれで面白いんだけど、たとえばー」

 大きくブレている左半分の巻田さんのところを除外するように、風間さんだけをマウスで囲ってトリミングする。風間さんも少しブレていて、ピントもちゃんと合っていない。

「こうすると、もっと面白いいと思わないー?」

「ほんとだ! ビックリした感じがすごく伝わってくる!」

「これで、もうちょっとピントが合っていればねー」

「でも、臨場感があって面白いですよ。これもプリントして瞳ちゃんにあげましょうよ」

「んー、そうだねー」

「これにタイトルを付けるとしたら?」

「んー、『驚きの瞳』とかー」

「ぷっ! そのまんまだ。でも、それ以外ないですね、これは」

 部長が少し画像のコントラストを調整してプリンタを動かす。印刷したものを見ると、ぐんと迫ってくるような感じがする。なぜかピンボケもあまり気にならない。

「あ、私の分もお願いします」と梅原さん。

 二枚の写真が五部ずつプリントされた。

「あー、明日ファイルも買ってきて、それぞれの作品を保管しておこうかー」と部長が言う。

「そうそう、言い忘れてたけど、プリント用紙とかの消耗品代として、部費を貰いたいんだけどー」

「あ、分かりました。いくらですか?」

「だいたい自分が使った分くらい」

「じゃあ、なくなりそうだったら買い足しておけばいいですか?」

「それでもいいよー。まー、カメラって何かとお金が掛かるから、ムリしない程度で。学校からもいくらか出るしねー」

「はい」

「分かりました」

 それから、明日買いに行くカメラの話題になった。僕はさっき聞いた、絞りを変えるとどうなるのかを、少し離れたところから二人の姿をファインダーに映しながら試していた。

 三時半になった頃、三人の携帯に同時に着信音が鳴った。

 マキマキ『今部活終わったところだよ』というメッセージだった。

「私たちも、一緒に帰ります?」と梅原さん。

「んー、今日はまだ時間も早いし、ここに呼んじゃったらー?」

「あ、それいいですね! 飲み物買ってくるついでに、私迎えに行ってきますよ」

「あー、私にもC.Cレモンかなんか買ってきてー」

「はい。省くんは?」

「じゃ、僕も一緒にいくよ」

 梅原さんが『うちの部室でまったりおしゃべりしない?』と返信する。

 すぐに『行く行く! 部室ってどこ?』と返ってきた。

 梅桜『二階ロビーの自販機前で待ち合わせ』

 マキマキ『了解!』

 自販機前で、巻田さんと風間さんに合流する。まだどこか固い表情で、目だけで挨拶をする風間さんだったけれど、なぜだか息が詰まりそうになる。

 それぞれ飲み物を買って、部室に向かう。廊下にはまだ多くの生徒が廊下を行き交い、校舎にざわめきが響いている。土曜日の放課後は、どこかいつもと違うゆったりとした空気が漂っていた。

 部室に戻り、女子四人が机に座る。窓際に部長、その隣りに梅原さん、向かいに巻田さん、斜め向かいに風間さん。僕はパソコン用のパイプ椅子に腰を下ろす。

「へ〜、ここが写真部か〜。静かで落ち着く部屋だね」と巻田さんが言う。

 部室棟三階の奥から二番目なので、あまり日当たりはよくないけど、グラウンドとは反対側なので確かに静かだ。細く開けた窓からは、校舎の隙間を縫って吹奏楽部の楽器の音が聞こえてくるくらい。

「まー、放課後はだいたい私しかいないから、気が向いたらいつでも来るといいよー」

「え〜、これからは私や省くんもいますからね」と梅原さんが頬を膨らます。

「んー、そうだねー」

「も〜、里香先輩ったら可愛いな〜」と巻田さんがとろりとニヤけた顔をする。

「か、か、か、可愛いー?」

 珍しく部長がアワアワする。

「ねえ、みんなそう思うよね?」

 梅原さんが何度もコクコクと頷く。風間さんも真剣な眼差しで顎を下げる。

 無気力そうな口調もそうだけど、ズボッと着た制服、くしゃくしゃっと飛び跳ねた髪、目を半分隠す邪魔くさそうな前髪、その合間から覗く眠そうな瞼、だらんと投げ出した細い手足。なのに、それがちっともだらしなく見えない。これが私、と個性を主張しているようにさえ思える。顔立ちもよく見れば、それぞれのパーツはとても整っていることに気付く。可愛いという言葉が合っているかは分からないけど、不思議な魅力があることは確かだ。

「きちんとすれば、すっごい美人だと思うけどな〜。省くんも、そう思わない?」

「あ、ああ、うん」と曖昧な返事をしてしまう。

 正直、今までそんなふうに部長を見たことがなかった。まだ会って三日目だし。

 と言うよりも、巻田さん風間さんという僕には縁のないような女の子と立て続けに出会って、しかもこうして親密に話しをするようになって、他に気を回す余裕なんてなかった。そう思いながら、あらためて四人を眺める。

「あ、でもでも、里香先輩はそのまんまでも全然オッケーだからね!」

「そのー、先輩っていうの、やめてくれないかなー」と、顔を真っ赤にしながら部長が言う。

「そっか、昨日決めたもんね。じゃ、里香ちゃんでいい?」

「んー」

「今度、省くんに部長の写真も撮って欲しいな〜」と梅原さんが僕を見る。いつの間にか、ぼくも名前呼びの中に入っているようだった。まだ風間さんの口からは聞いていないけど。

「そうそう、これ、昨日の」と、梅原さんが引き出しからさっきプリントした写真を巻田さんと風間さんに渡す。

「へ〜、こうなるんだ!」と、風間さんだけをトリミングした写真を見て、巻田さんが目を丸くする。

「ね、失敗写真とは思えないでしょ。さっすが部長!」

「ほんとに! またまたどっちも一生の宝物になっちゃう!」

 風間さんは少し頬を赤くしながら、そっとそのプリントを胸に抱くようにした。どうやら気に入ってくれたみたいだ。ただのケガの功名だけど。

「どうもありがとう」と長い睫毛を伏せる。それを、みんなで優しく見つめた。

「あのね、私たちも演劇部に正式に入部したの。で、さっそく発声練習とか始めたんだけど、瞳ったらこういう感じだからちょっと心配してたのね。でも、なんか先輩たちもすごく優しいっていうか気遣ってくれるっていうか、風間さんはムリしないでそのままでいいからって。私には、もっとおなかから声を出しなさいって厳しいのに〜」

「あ〜、なんか分かる。瞳ちゃんて、そのまま大切に置いておきたい感じするもんね。触ったら壊れちゃいそうな」と梅原さんが言う。

「うんうん。でも私なんかベタベタ触っちゃってるけどね」と言って、巻田さんが風間さんと腕を組む。

「あ、いいな〜。私もベタベタしてもいい?」

「は、はい、お願いします」と風間さんが返事をして、みんながプッと笑う。

 これが女子会っていうやつなのか、と思った。

「そうそう、演劇部と言えばね〜」と巻田さんが、先輩や新入部員のことを楽しそうに話し始める。話し方が上手いのか、まったく知らない人のことなのに目に浮かぶようで、聞いていて飽きない。時々、部長と掛け合いになるのも楽しい。

「ここにいる四人もそうだけど、この学校ってユニークな人が多いよね〜」と、話がひと段落して巻田さんが言う。

「んー、そうかもねー。演劇部の古賀部長もそうだし、女子サッカー部の森山さんとか、吹奏楽部の三村さんとか、軽音の綾瀬純とか、美術部の永瀬さんとか。まー、どこの部長も個性が強いよねー。あと、生徒会長とか」

「へ〜」

 生徒会長と言えば、入学式の祝辞に立った時にしか見ていないけど、その容姿の美しさは遠目からもはっきりと分かった。会場には、どこからともなく溜め息が漏れていた。まだ二年生という噂だった。

 部長が話を続ける。

「ここは、まあそれなりの進学校だからさー、たいてい中学ではトップクラスだったわけでしょー。そういう人って、わりと浮いてしまうっていうか孤立しがちなんだよねー。で、あんまり人付き合いが上手くなくって、高校に入ってもなかなか馴染めないのねー。それをなるべく解消するためにも、ここでは部活が必修っていうことになってるんだけどねー。で、だんだんと二分化してくるの。一流大学を目指して勉強に邁進する人と、自分のやりたいことを見つけて熱意を燃やす人とに。何ていうかー、今まで閉じこめていた自分の殻を破るみたいに、こうドバッと個性を溢れさせるの。だからユニークっていうか変わった人が多いんじゃないかなー。と、私は思うのねー」

 あー、なるほど! 僕だけじゃなく、みんなが思い当たるような顔になった。

「まー、みんながみんな、そういうわけじゃないけどー。部活に興味ない人には、うちの部みたいに名前だけの幽霊部員も認めてるしねー」

 僕のクラスは、まだどこか他人行儀な雰囲気が漂っているけど、そのうちにそれぞれの個性が発揮されてくるのだろうか。

 それを読み取ったみたいに部長が言う。

「一年の時は、だいたい夏休みが終わったくらいからそれぞれのキャラクターがはっきりしてきて、学校祭の準備なんかでそういうのを認め合ったりしてどんどん個性的になってくる、みたいな感じだったねー」

「へ〜、なんか楽しみ!」と巻田さんが目を輝かせる。

「思ってたよりも、すごくいい学校だったんですね、ここって!」と梅原さんも感激したように言う。叔母さんの言っていた面白い学校というのは、こういうことだったのか。

「そーだねー。みんなバカではないから、少々変わっていてもいじめとかにはならないしねー。私にとってはすごく楽だねー」

 少し意味深な言葉を部長が言う。

 それを素早く察して、巻田さんが

「でも、こんなに早くこの五人が仲良くなれたのって、すっごくラッキーだよね!」

「うんうん。うちのクラスって、まだなんとなく冷たい感じだし、休み時間なんかしーんとしてるの。だから放課後にここに来るのがいちばん楽しみ!」

「でも、瞳がいるじゃない?」

「そうなんだけど……」

「クラスじゃ、あんまり話しない?」

「だって、昨日友達になったばっかりだし、二人だけだと何を話していいのか分かんないし……」

「じゃあ、いいこと教えてあげる。瞳はね、映画とか海外ドラマとかすっごく好きなんだって。さくらは?」

「あ、海外ドラマ、けっこう好き。最近は『エクスタントなんとか』っていうの見てる。あと面白かったのは『Xファイル』や『LOST』とか」

 風間さんが僅かに目を見開いて反応する。

「スピルバーグの『エクスタント・インフィニティ』?」

「そう、それそれ!」

「私も、今度見てみる」

「うんうん。瞳ちゃんのおすすめって何かある?」

「『ウォーキング・デッド』、『ザ・ハンドレッド』、『Zネーション』。あ、私、怖い系のが好きなので……」

「へ〜、意外!」と巻田さんも驚く。

「私も見てみよ〜!」

「じゃあ、おすすめリスト作ってきます」

「あ、お願い。休み時間とかにも話に行っていい?」

「ええ。こちらこそお願いします」

「あ、そのおすすめリスト、私にもちょうだい?」「あー、私もー」と、巻田さんと部長が言う。

 人と一緒に時間を過すと、その人のいろいろな面が分かってくるんだな。そんな当たり前のことを、あらためて知った。

 世間話とか、その場限りの当たり障りのない話題とか、そういうのは今まで苦痛でしかなかった。いたたまれない感じがして、早く一人になりたいと思うのが常だった。

 でも、ここは違う。ただみんなの会話を横で聞いているだけだけど、なんだか居心地が良かった。その話に、話す人に、聞く人の反応に、興味が引かれる。その表情が、ちょっとした動きが、なんだか目映い。何かとても大切な時間のような気がした。そして、そんなことを感じる自分が不思議だった。

 五時半のチャイムが鳴った。部活の終了を促す合図だ。外はそろそろ暗く鳴り始めていた。

 巻田さんが伸びをしながら言う。

「あ〜、もう時間か〜。なんか最近、学校から帰るのがもったいない気がしちゃうんですよね〜」

「うんうん、それ分かる〜。私、今までそんなこと思ったことなかったんだけど」と梅原さんが同意する。

「私、ずっとこういう学校生活に憧れてました。まだなんだか夢見ているみたいです」

 風間さんが、気持ちのこもった瞳で言う。

「んー、またここに遊びにきなよー。なんなら昼休みとかでもいいよー。私はいつもここでお弁当を食べてるからー」

「え〜、そうだったんですか? じゃ、私もここで食べます。ね、瞳ちゃんも一緒に来ようよ!」

 風間さんがコクンと頷く。

「あ〜、いいな。私もそうしようかな〜」と巻田さんが僕の方を見ながら言う。風間さんも僕に瞳を向ける。それにつられて、思わず頷いてしまう。

「さー、それじゃ帰ろうかー」

 みんなが鞄を持って廊下に出た。部長が部屋に鍵を掛ける。あちこちの部室から帰る人が出て来て廊下は賑やかだった。

「火曜日のテストって、何の勉強すればいいんだろうね?」と、廊下を歩きながら梅原さんが風間さんに聞く。

「う〜ん、分かんないよね〜。里香ちゃんの時は、どんな内容でした?」

「さーねー。そんなテストがあったことも、もうすっかり忘れてたよー」

「え〜、一年生だけなの? なんかずる〜い」と梅原さんがふくれ顔で言う。

 入学してからは、説明会だとか健康診断だとかいろいろあって、ちゃんとした授業はまだ二、三日しか受けていない。それをテストするわけでもないだろうから、勉強のしようがない。そう言えば、クラスの学力分布の資料がどうとかと担任が言っていたけど。

「テストの次の日の野外オリエンテーリングは楽しみだけどね」

「高尾山に登るんだっけ。大変なの?」

「まあ、けっこういい汗かくよ。瞳は大丈夫そう?」

「体力のない人はケーブルカーで行ってもいいっていうから、たぶん平気だと思う。私も楽しみ」

 あ、そうか。ハッと風間さんを見る。長い睫毛がいっそう儚げに見えてしまう。

 ざわめく玄関口で、それぞれの靴箱に別れる。僕らの背面が1−Dの靴箱だった。

 外からまともに西日が差し込む逆光の中で、風間さんたちが腰を屈めて靴を履き替えている。白いハイソックスのつま先をローファーに滑り込ませる仕草に、僕の鼓動が急激に高まる。密かに唾を飲み込んだ。

 この瞬間を刻み込みたい。突然、そんな欲望が湧き上がる。そう言えば、この前は巻田さんにも同じようなことを思った。それが、より強く、よりはっきりと、切実なくらいに心の中に渦巻いている。そう自覚するほどに、それはなにかいけないことのような後ろめたさも感じてしまう。

「行くよ〜」と言う風間さんの声に、慌てて玄関先に並んだ四人に加わる。

「あ、僕は自転車を取ってくるから、先にバス停に向かってて」

「うん、分かった〜」

 急いで校舎横の自転車置き場へ行き、カゴに鞄を放り込む。カメラバッグをたすき掛けにして、ハンドルを押して校門へ向かう。巻田さんと風間さん、その後ろに部長と梅原さんが、他の生徒たちよりゆっくりとしたペースで校門を出るところだった。その後ろに付くと、タイミングを合わせたみたいに四人がふと僕を確認して軽く微笑む。そしてまたゆっくりと歩を進め、校門を曲がる。

 僕はみんなの後ろ姿を眺めながら自転車を押す。目の前の足元に、自然に目が行ってしまう。

 健康的で瑞々しい張りのある紺のハイソックスを穿いた巻田さんの足。

 白いハイソックスの風間さんの足は、ガラスのような繊細さ。

 まだどこか幼い固さを残した初々しい梅原さんの足は、ふくらはぎの中ほどまでの紺のソックスを穿いている。

 それとは反対に、椿部長の足はトロッと柔らかそうで、細い足首にくしゃっとたるんだ紺のソックスが妙になまめかしい。

 足にさえ、四人四葉に個性が表れている。スカートの長さと足のバランスさえ、それぞれによく似合っている。みんな、どうやって自分のスタイルを決めているのだろう。

 その八本の足が歩みを止めて、スクールバス乗り場の列に加わった。

「じゃあ、また来週ね」と風間さんが言う。

「うん、また」と、僕は列の横にずれて返事をする。

「さようなら」

「バイバイ」

「んー、ではねー」

 少し心残りな気持ちで自転車に跨がり走り出す。坂の途中で僕をバスが追い越す。窓から四人が小さく手を振るのが見えた。


 日曜は、近所をブラブラして写真を撮ろうかと思っていたのだけど、叔母さんに誘われて春くんのサッカーの練習試合を見に行くことになった。写真係として。

 春くんは、五年生の時から地域の少年サッカーチームに入っていて、ポジションはセンターバックらしい。

 午前十時の試合に合わせて、朝早くに家を出る。叔父さんは日曜日も仕事なので、叔母さんの運転するワゴン車で郊外のスポーツ公園に向かった。

 スタンド観客席のある立派な競技場だった。陸上のトラックの内側に、二面のサッカーコートがある。少年サッカーは八人制で、コートもひと回り小さいそうだ。

 他の子供たちの親御さんたちと一緒に、観客席の一番前に陣取って試合が始まるのを待つ。

 すぐ下のベンチの前では、子供たちが真剣な顔で監督の言葉を聞いている。体が大きくやんちゃそうな子供たちの中には、女の子も交じっていた。その中でも、春くんはちょっと弱々しい感じがする。

 隣りでは、叔母さんが早速ビデオカメラを向けている。僕もカメラを構えてウォームングアップする春くんを狙う。

 昨日の夜に、借りているカメラの操作マニュアルをダウンロードしてみた。このキャノンのEOSー8000Dというカメラは、一眼レフ入門機として最適で、かなり多機能・高性能のようだ。これは、ちゃんと説明書を読まなければ使いこなせそうにない。今までは借りたままの設定だったけれど、サッカーに合わせてスポーツモードにしてみる。動きのあるものをオートフォーカスで連射する設定になるらしい。試しに一枚撮ってみると、カシャカシャカシャと連続でシャッターが下りてしまった。これで撮っていたら、すぐにメモリーがいっぱいになってしまいそうだ。操作ガイドをあちこち見て、他にいい設定はないかと探す。結局、絞りもシャッター速度も自動的に計算して最適に撮影してくれる、プログラムAEモードというのが間違いなさそうだった。

 今日はそのAEモードなので、ただ被写体をファインダーから逃がさないようにシャッターを押せばいいだけだ。それに観客席からでは、近寄ったりアングルを変えたりも出来ない。

 試合が始まると、春くんはベンチでチームを応援する。後ろから見下ろす形になり、横を向いた顔を何枚か撮っただけだった。二十分の前半戦が終わって、後半からは春くんもフィールドに入った。ズームを最大にして、その姿を追う。ボールに向かって休みなく走るのをカメラで追うのは、思ったよりも大変だ。すぐにファインダーからいなくなってしまい、レンズがさ迷う。ファインダーから目を離しては場所を確認し、急いで狙いを定めてシャッターを押す。その繰り返し。走っている姿ばかりで、ボールを蹴っているところなんかほとんど撮れない。そうこうしているうちに、またメンバー交代になってしまった。ドッと疲れてしまい、腕もガクガクになっていた。

 あとは、試合が終わった後の様子を何枚かと、観客席で叔母さんとお弁当を食べているところを何枚か。

 帰りにスーパーによって買い物をして、家に戻った。

 夕食後、居間にノートパソコンを持ってきて、撮った写真をみんなに見せる。叔父さんも叔母さんも、よく撮れてると喜んでいたけど、どれも普通のスナップ写真だった。写っているのが知らない子だったら、面白くも何ともないだろう。ブレていたり、まともに顔が写っていない写真や、画面からはみ出た写真もいっぱいあった。こうして見ると、写真が上手いわけじゃないのがよく分かる。いや、下手と言っていい。才能があるかも、なんて少しでも自惚れたのが、顔から火が出るほど恥ずかしい。

 春くんも、懸命に走っている自分の姿を見て、少し赤くなっていた。


 月曜日、昼休みになると、巻田さんが僕に軽く目配せをして教室を出た。僕は購買でパンを買ってから部室に向かう。部室では、四人がすでに弁当を広げていた。梅原さんが、買ったばかりのカメラでみんなの弁当箱の中身を撮影している。

「見て、見て! すっごく美味しそうでしょ!」

 梅原さんが満面の笑みを浮かべて、液晶画面をみんなに見せる。そう言うだけあって、実物よりもずいぶんと色鮮やかに見える。

「ほんと! きれいに撮れてる。それに、そのカメラも可愛いね〜」

「んふふっ、そうでしょ〜。昨日、部長と一緒に買いに行ったの」

 愛おしそうに撫でるそのカメラは、白いボディにコンパクトなレンズが嵌まっている。

「それは、何ていうカメラ?」と僕が尋ねる。

「ペンタックスのK−S2。レンズはF2.4の35mmで、部長が選んでくれたの〜」

「へ〜、ペンタックスか」

「うん。キャノンとかも候補だったんだけどね、これの鮮やかな発色に一目惚れしちゃったの! それにね……」

「まーまー、話は食べながら」と部長がたしなめ、いただきますと、みんなが箸を動かし始める。

「けっこう、高かったんじゃない?」

 そう聞く巻田さんに、

「カメラとレンズとケースと予備のバッテリーやメモリーカードとかで、全部で八万五千円。もう、おこずかい、すっからかんだよ〜」

「でも、すごく嬉しそう」と風間さんが言う。

「うん! 瞳ちゃんやマキちゃんも、いっぱい写させてね!」

「もちろんだよ」

「昨日だけで百枚くらい写しちゃったんだ」

「えっ、見たい見たい!」

「んー、ならパソコンで見てみようかー」

 僕がパソコンを立ち上げて、部長の指示に従ってスライドショーの設定をする。

「変なのもあるから、笑わないでね」

 最初に、電気街の中に立つ椿部長が映し出された。ハンチングのような帽子を頭に乗せ、メモを見て少し俯いている。ハイネックの黒いニットセーター、ジーンズのショートパンツに黒タイツという私服姿は、制服とはまったく印象が違って見える。浮き出たボディーラインがすごく女らしい。みんなの箸を持つ手が止まる。

「い、いつの間にー」と部長が言う間もなく、次の写真に切り替わった。

 今度は、ぬいぐるみが並んだ窓際のカット。

「あ、これは部屋の中ね」

 いろいろなぬいぐるみを入れ替わりベッドに乗せた写真が続いた後は、次はガラステーブルに置いた小物やアクセサリーを真上から撮った写真、本棚やハンガーに吊るした制服、部屋全体の様子、姿見に映るカメラを構えたピンクのワンピース姿の梅原さん。

「やん、恥ずかしい〜」

「可愛い! 部屋もすっごく可愛いね〜」

 家具は落ち着いた質の良さそうなダークブラウン。壁紙は白と薄いピンクの縦縞。カーテンやクッションや寝具類はパステルカラー。ほんわかゆったりとした居心地のよさそうな部屋だった。

「梅ちゃんは、お嬢様だったのかー」

「そんなことないよ〜」と手を振るけど、写真を見るだけでも裕福そうなのは隠しきれない。

 次に、色とりどりの花が咲いている花壇が映った。

「これは、お庭ね。今日の朝に撮ったの」

 見たことはあるけど名前を知らない花が、アップで映し出される。水滴をたたえた赤や白や黄色や薄紫の花びらと、緑の葉が、目に痛いほど鮮やかだ。

 次は、家全体の写真。モデルハウスのような洒落たデザインの家だ。玄関先には、じょうろを持ったお母さんらしい人が立っていた。

 そして最後は、さっきのお弁当の写真が何枚か。

「はい、これでおしまい」

 みんながふっと息を吐き出した。

「素敵なおうちだね〜」と巻田さんが言う。

「え〜、なんか恥ずかしいな。あっ、今度みんなで遊びに来て!」

「うん、行く行く!」

「んー、それも面白いねー」

「お泊まり会しましょうよ! あ〜、でも五人も部屋に入れるかな?」

 ん、僕も? みんなが僕を見る。

「い、いや、僕は……」

「ま、それはそうだよね」と、巻田さんが笑った。

「でも、楽しい写真だったよ」

 話題をはぐらかすようにぼくが言う。

「カメラがいいだけだよ。ただの試し撮りだし。私も省くんみたいに、自分らしい写真を撮れるようになりたいな〜」

「好きなものをいろいろ撮っているうちに、だんだんそうなってくるから大丈夫」

 そう部長が言う。

 自分らしい写真、か。

 じゃあ、僕はどんな写真を撮りたいのだろう? ふと、土曜日の玄関で靴を履き替える風間さんの姿が目に浮かんだ。同時に、なにかやましいような気持ちも。

 そして、昨日のサッカーの写真を思い返す。ただ春くんをファインダーに収めることに必死で、楽しいとは思わなかった。義務と言うか、仕事みたいな感じだった。楽しくもなかったし、出来も良くなかった。まあ、初心者なんだからしょうがない。

 でも、僕は本当に写真が好きなんだろうか? 巻田さんや風間さんがモデルになってくれたから、ファインダーを通してなら遠慮なく見つめることができるから、ドキドキしただけなんじゃないのか? それを否定することは出来ない。だけど、また撮りたい。巻田さんや風間さんのハッとする一瞬を、僕の目で捉えて刻んでおきたい。するりと消える前に。ただの偶然じゃなく、不埒な下心ではなく。

「あ、そろそろお昼休み終わっちゃうよ〜」

 そう言って、巻田さんたちが慌ててお弁当の残りをたいらげて部室を出た。

 三階から階段を下りて、渡り廊下を通って、また階段を上がって、教室までは急いでも五分以上かかる。途中でチャイムが鳴り、小走りになる。途中で部長と別れ、1−Dの前で立ち止まる。

 風間さんが少し息を切らしながら言った。

「あの、私、今日は病院なので、部活には行けないの」

「うん、分かった。私から部長に言っておくね」と巻田さん。

「じゃあ」と別れて、自分の教室に滑り込む。ちょっと落胆した気分で席に着いた。

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