【終章】呪われた絵画(後編)

幸福な絵

絵描きは約束を果たした


「お帰りなさい、二人とも」

「ああ、帰った」

「ただいまー、セシルちゃん。いやー、久し振りの外出は楽しかったねぇ。セシルちゃんも一緒に来れば良かったのに」


 久方ぶりの外出から帰ってきた主達を出迎えるセシル。ベルの左手にある、頑丈そうなジュラルミンケース。そして、二人が持つ大量の紙袋に思わず溜め息が出る。

 ああ、しばらくは片付けの日々が続きそうだ。


「ったく、外出する度にこんなに買い物するんじゃねぇよ」

「それなら、もっと定期的に外出させてよね。人間の世界なんて、一年で流行りががらっと変わるんだから」


 文句を吐き続けるベルに、クリスがここぞとばかりに笑う。恐らく、頻繁に外出したところで出費が増えるだけだろう。あえて口に出したりしないが、セシルはそう確信していた。


「またセシルちゃん用に可愛い服とか、アクセサリーとかたくさん買ってきたから。あとで色々試してみようねー」

「はあ……ところで、目的のものは手に入りましたか?」

「おう、まだ見てねぇけどな。あの妹、ここで見るなってしつこくてよ」


 荷物や買い物袋を部屋に置いて、三人は食堂へと場所を移すことにした。二人の後をついて歩きながら、セシルはあの日のことを思い返す。

 もう、人間の世界では何十年も前のことになるのだろう。あの日、霧のような雨の中に姿を消した若い絵描き。古ぼけたトランクを抱えながら、ディータはこの屋敷から逃げ出した。

 自分の夢を護る為に……否、セシルの言葉に惑わされて。でも、結局彼は間もなく命を落とした。


 約束だけを果たして、ディータは死んでしまった。


「それにしても、セシルちゃんってばヒドイよねぇ? ボク達の餌を勝手に逃がしちゃうなんて」

「……私のような可哀想な人を、増やしたくなかっただけです」

「ふん。本当は、これ以上クリスを横取りする敵を増やしたくなかっただけだろう?」


 くつくつと、ベルが喉奥で笑う。それに対して、セシルが返せる答えは一つだけだ。


「ええ、そうです。あなた方は気に入っていたようですが、私は……彼が邪魔でした」


 今更、取り繕ったりしない。そうだ。セシルは、ディータの存在が目障りだった。処女を護らなければいけない自分とは違って、クリスと肌を合わせられることが出来る彼を。押し黙るしかない少女とは違い、ベルに刃を向ける意思を持てるディータに、セシルは嫉妬していた。

 だから、追い出したのだ。もっともらしいことを、これでもかと彼の前に並べて。運が良いことに、彼は餌になることに躊躇を感じていた。迷いがあった。

 だから、セシルの言葉に惑わされて。この屋敷を出て行った。だが、クリスの与えた蜜に酔わされ、ベルが植え付けた毒に犯された彼は死んでしまった。


 結果的に、セシルがディータを殺したことになるのだろうか。どうしても、そう考えてしまって。ディータの絵を貰いに行くという二人に、彼女はどうしてもついて行くことは出来なかった。

 ディータが生きて、死んだ場所を見られる自信がなかった。彼に残された人達に会う度胸がなかった。


 彼が得た『幸せ』を、直視する覚悟が出来なかったのだ。


 でも、後悔なんてしない。


「私は、あなた達から新しい餌を奪ってしまった。彼の命を奪ってしまった。でも、後悔はしていません。ここで餌として永遠を生きても、世界で命を燃やし尽くしても。大した違いはありませんから」

「くくっ、違いねぇ」

「それじゃあ、早速見てみようか? どうせボク達、呪い程度じゃ死なないし。さてさて、どれだけ恐ろしい絵になったのかなー?」


 卓の上に置かれたジュラルミンケースを、クリスが開ける。その様子を、ベルとセシルが見守る。それにしても、まさかディータが本当に自分達の絵を描いていただなんて。しかもそれが彼の生涯唯一の作品で、見た者を呪い殺すというおぞましい代物になっていただなんて。


 だが……そんな悪評があったからこそ、三人はディータの絵を見つけることが出来た。


 もしかしたら、この絵にあるのは呪いではなく、ディータの願いなのかもしれない。


「…………」

「どうした、クリス?」


 ケースの中から絵を取り出し、覆っていた布を剥いで。そうして、ようやく姿を現したディータの絵。セシルの方からは良く見えないが、絵自体はそんなに大きくはない。クリスが片手で抱えられる程度だ。

 そんな絵に、クリスは釘付けになっているようだった。紅い瞳が、じっと魅入っている。かなり長い時を共にしているが、こんな彼は初めて見る。

 否、クリスだけではない。


「なんだ、お前まで呪い殺されたのか……へえ」

「これ、凄いよ。想像以上だった」


 動きを止めたクリスに歩み寄ったベルもまた、目を見開いて言葉を失くしていた。悪魔までもを黙らせるのか。恐々としながらも、セシルも絵の前に立つ。


 そして、息を飲んだ。


「わあ……凄く、綺麗です」

「てっきり、俺達への恨みが詰まった怨念の作品かと思ったが」

「無名の作家を、有名にした一作。やれやれ、人間達は本当に愚かだよね? ここまでの才能を持っていた人を、つまらない嫌がらせで台無しにしてしまうだなんて」


 クリスの言葉には胸が痛むが、セシルは頷くしかなかった。蠱惑的な紅に、吸い込まそうな黒。部屋の装飾や、人物の髪の毛など。細部まで丁寧に描き込まれ、見る者をこれでもかと引き込むようだった。

 この屋敷にも、いくつか絵画の類は存在するが。それらを遥かに凌駕する。今にも壊れてしまいそうな繊細さと、他者の心を鷲掴みにする力強さが共存している。


 濡れた宝石のように美しくもあり、醜悪なほどに欲深い。


「この絵って……確か、題名が無かったんだよね?」

「そうらしい。まあ、名前なんて絵だろうが生き物だろうが、個体を識別させる為の記号みたいなものだが」

「そういうロマンのないこと言わないでよね、べるべる。ねえ、セシルちゃん。この絵に名前をつけてあげてよ」

「え、私が……ですか?」

「うん。セシルちゃんって、結構こういうことに関してはセンス良いし。それに、同じ人間だから彼に一番近いでしょ?」


 にっこりと、クリスが笑ってセシルを見る。確かに、人外である彼等と比べればセシルが一番ディータに近いのかもしれない。

 でも、セシルは思う。この屋敷に執着する自分と、たった一作ではあるが夢を叶えて『幸福』を手に入れたディータ。自分は彼と比べるにはあまりにちっぽけで、滑稽な存在でしかない。


 ……でも、それでも。自惚れかもしれないが。この絵を見た瞬間、自然と浮かび上がってきた題名があった。


「……少し、病気みたいな題名になってしまいますが……構いませんか?」

「病気って、面白いじゃねぇか」

「うんうん、良いよ。教えて?」

「それでは、この絵の題名は――」


 


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幸福非感受性××××症候群 風嵐むげん @m_kazarashi

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