第6話 始まり

 こんなのは出征後初めてのことだ。今、自身の内にある思いは今までとは別の意思にある。

 二手に分かれ、三八式を構えた東岾は緊張する面持ちで敵を見据えた。

 今まで自分一人、生き残ることを考えてきた。

 だが――

 何かを守りたいという思いは、初めてだった。

 それは全てを遮断させてしまう、閉塞したものではない。

 何故か、ある意味幸福で、求めていた意味が見つかったような高揚感がそこにあった。

 敵が近付いてくる。戦車一両、そのそばに歩兵が10人程度。まだ気付いていない。

 やってやる。

 指が引き金に触れる。

 敵が進む中心を開けるように、左右に広く離れた二人は、気付かない敵に銃口を静かに向ける。


 まずは、ここを打開する。


 そのために―――


 目の前の敵を―――排除する。



 乾いた銃声が、響き渡った。




 クーニャの射撃で一人が頭から鮮血を迸り、倒れた。他の敵兵たちが戦車の後方に隠れたり、銃を構えた。

 しかし敵はこちらの位置を掴めていない。その間に、クーニャの狙撃がまた一人、敵の命を奪った。

 AK-47は命中精度が低いが、クーニャが操るスコープを付けたAK-47狙撃銃は正確な狙いで敵を撃ち殺した。

 東岾はクーニャの腕に感心した。

 あんな女の子が狙撃の名手とは、信じられないことばかりだ。

 しかし、そうでもなければ子供が戦場で生き残れないのも事実。

 それは、東岾も同じだった。

 クーニャの狙撃によって二人を失った敵は、慎重な物腰になる。当然だ。スナイパーに狙われていると知れば、迂闊に前に進むことを躊躇うに決まっている。

 先頭に立つ新型戦車が、火を噴いた。しかしその砲弾の先に、クーニャはいない。

 一瞬ひやりとしたが、敵はまだクーニャを見つけられていない。

 そしてクーニャも、無闇に敵の位置を教えるような真似はしない。狙撃はしばらく止んだ。

 敵は慎重に、警戒しながらゆっくりと前に進む。

 クーニャは狙撃しない。

 狙ってはいるが、引き金は引かない。

 十分に引き付ける。

 特定の位置、陰に隠れた東岾は、徐々に近付く敵の振動に神経を尖らせる。

 敵は8人。戦車が一両。

 T-34の砲弾でさえ敵わなかった敵の新型戦車。

 だが、手榴弾を下に忍ばせたら?

 装甲は分厚くても、腹の下は頑丈ではないはずだ。

 「……………」

 心臓が飛び出てしまいそうな程に鼓動が高鳴る。手榴弾を手に握り、タイミングを図る。

 戦車のキャタピラの音が、一際大きく聞こえてくる。

 「(今だ……ッ!)」

 東岾は振りかぶって、手榴弾を投擲した。手榴弾は前進する敵戦車の前、進路上に転がった。

 直後、内なる力を解放した手榴弾が炸裂し、敵の新型戦車はキャタピラを破壊されて体勢を崩した。完全に仕留めることはできなかったが、その爆発で、周囲にいた敵兵を二人、巻き込んだ。

 「うおおおおッッ!!」

 弾を込めて立ち上がった東岾は、近くにいた敵に向かって射撃した。

 三八式から飛び出した弾丸が敵の兵士の身体から鮮血を散らせた。東岾はすぐにその場から駆け出した。敵の怒号が聞こえてくる。日本語ではなく、英語のように聞こえた。

 東岾を狙おうとした敵が一人、頭部を撃たれて脳味噌を飛び散らす。クーニャの狙撃だった。

 「――!」

 敵が指を指しながら叫んだ。それに応えるように、動けなくなった敵戦車が火を噴いた。

 それがクーニャの潜む位置の周辺に着弾し、爆発した。高く昇る黒煙が視界に映り、東岾は戦慄した。クーニャの悲鳴が聞こえたような気がした。

 「クーニャッ!!」

 東岾は急いでクーニャのいる位置へ走った。後ろから敵の銃声が聞こえるが、構う暇はない。何とか撃たれずに、敵戦車の砲弾が炸裂した場所に辿り着いた。

 瓦礫に背を預けるように、血だらけになったクーニャがいた。軍服が破け、血だらけの姿に東岾は息を呑んだ。

 戦車の砲撃に吹き飛ばされただけで、幸い死んではいなかった。しかし戦える状態ではないことは一目瞭然だった。

 「しっかりしろ、クーニャ!」

 「…………ッ」

 苦しそうに表情を歪ませたクーニャを抱きかかえ、呼びかける。

 東岾に呼びかけられたクーニャは、うっすらと目を開けた。

 「……マサ、ミ……」

 東岾の名前を呼ぶクーニャ。

 しかしその声はひどく弱々しい。

 「………!」

 東岾は咄嗟にクーニャを庇って身を伏せた。その直後、敵戦車の砲撃が近くで炸裂した。伏せた身の上に、ぱらぱらと土が降ってくる。

 キャタピラが壊れて体勢を崩したおかげで、敵の命中精度は低くなっている。

 しかし、このままではなぶり殺しにされるのは時間の問題だ。

 敵の歩兵はまだ何人も、こちらに銃口を向けながら近付いている。

 戦車もまだ生きてはいる。

 クーニャの狙撃が失われた以上、自分一人で戦わなければいけない。

 「とにかく……」

 東岾はクーニャを抱き締めるように引きずると、その場を離れた。

 そしてすぐそばの破壊されたビルの瓦礫の陰にクーニャを預けると、東岾は三八式の空になった弾倉に最後の弾を込めた。

 「マサミ……」

 「頑張れよ、クーニャ。 もう少し待っていてくれ」

 「マサミ……マサミ……」

 クーニャはうわごとのように自分の名前を何度も呼ぶ。

 それに応えるように、東岾はそっとクーニャの頬を触れた。

 「ごめんな、俺たちの戦争にクーニャを巻き込んで……」

 「マサミ……」

 「でも、大丈夫だ。 俺がクーニャを守ってやるから」

 そう言って、東岾はにっこりと微笑みかけた。

 「マサミ……」

 「下の名前で呼ばれるのも、悪くないな」

 へへ、と笑って、東岾は三八式を抱える。

 「正直に言うと、母さん以外の女の人に、下の名前で呼ばれるのは初めてだったんだ」

 語りかけるように、東岾は口を開く。

 クーニャはそれを黙って聞き始めた。

 「なんか照れくさいよな。 でも、なんだか親しい感じで嬉しくもある」

 外国は日本より、気楽に下の名前で呼んでいると聞いたが―――自分も彼女をクーニャと呼んで、下の名前で呼び合うことが、何だかくすぐったかったのも正直な思いだった。

 「クーニャと過ごした時間は短かったけど、今までの俺には凄く意味のある時間だった」

 「……マサ、ミ」

 言葉は相変わらず通じない。でも、思いは伝わるはずだ。

 「ありがとう、クーニャ。 何もなかった俺に意味を与えてくれて」

 「マサミ……!」

 クーニャは東岾の意思に気付いたのか、振り絞るような声で呼んだ。

 「ここに隠れてろよ。 じゃあな……」

 最後に笑って、東岾は三八式を手に持ってクーニャの前から駆け出した。

 「マサミ……ッ!!」

 クーニャは手を伸ばすが、その手は何も掴むことはなかった。東岾はビルの外へ飛び出すと、そのまま見えなくなってしまった。




 外に飛び出すと、敵兵が東岾を見つけ、何かを叫んでいた。

 「なに言ってるのかわからないって。 日本人なんだから」

 敵が撃ち始める。足元に敵の弾が跳ね、頭の横を掠めるように銃弾が通り過ぎた。

 東岾は、ふと背後のビルを一瞥する。守りたい人がいるビルに背中を向けたまま、東岾は微笑する。

 戦場で出会った少女、クーニャ。

 出征してから、何もなかった自分に意味を教えてくれた存在。

 いつしか、大事な存在になっていた。

 こんな血生臭い地で、どうしても守ってやりたいと思えた、少女。

 東岾は懐の残り一つになった手榴弾を確かめると、三八式を構えて、足を踏み出した。

 「ここから先は、絶対に通さない」

 地を蹴り、引き金を引きながら駆け出す。敵の叫びと共に、銃声が鳴り響く。



 肩を撃たれ―――



 腕を撃たれ―――



 腹部を撃たれ―――



 それでも、血を流しながらも、走るのを止めない。



 「……がッ!」


 足を撃たれ、倒れ込む。震え、血を流す足を無理矢理立たせ、ずるずると引きずるように進む。


 「………まだまだ」


 血のかたまりを吐き出し、それでも尚、前に進むことを諦めない。


 敵の怒号と共に、連続した銃声が鳴り響く。腕や腹部にまた幾つもの穴が開く。

 上半身はすっかり血に濡れていた。

 ごぼり、と喉から血が溢れる。肺は血でいっぱいになり、呼吸がままならない。ひゅー、ひゅーと音を鳴らしながら、血の泡を吹きながら、三八式を構え、前に進む。

 既に引き金を引く力は残されていない。撃たれ続けても立ち上がる東岾の姿に、恐怖するように敵兵は撃ち続ける。


 バツッ。


 何かが切れる音がして、それと同時に一気に口の中が血に溢れ、東岾は状況を理解する。

 首を撃たれた。血が噴き出し、がくりと膝を折って倒れる。

 あともう少しだった。すぐ目の前に、銃口を向けた敵兵が、欧米人の顔がはっきりとわかった。だが、遂に東岾は力尽きた。

 血の池に溺れる東岾に、血に浸かった御守りが視界に入った。

 母を思い出し、故郷を思い出す。島が見えた根室の海を思い出し、今までの記憶が走馬灯のように流れ込んできた。

 ここで死ぬのか。

 母の下に生きて帰れないことは残念だったが、何かが満たされた感覚があった。


 戦死した父の姿が浮かんだ。


 父も、こんな思いで死んでいったのだろうかと思った。大切な人を思いながら死ぬ。頭に浮かんだ父が、肯定するように微笑みかけた。


 そっか、そうなんだ。


 父さんもそうなんだね。


 俺も、わかった気がするよ―――


 徐々に視界が黒ずんでいく。東岾は懐にあった最後の手榴弾のピンを抜いた。

 「………ごめん」

 母に、弟たちに、そして――

 「―――――」

 ごぼり、と口から血が出た。言葉と共に吐き出された血は、赤かった。

 倒れた身体の下から手榴弾が炸裂し、視界が真っ赤に染まった。




 

 うるさいぐらいに鳴り響いていた銃声が止んだと思うと、今度は爆発音が響いた。

 それを最後に、外からの音は何も聞こえなくなった。

 静かになったビルの中で、クーニャは一人、ぽつりと呟いた。

 「Прощайте......」

 クーニャの頬に、一筋の涙が光った。




 二度目の札幌市街戦は、国連軍が北日本やソビエト義勇軍のT-34等に対抗するために最新鋭兵器を投入したことで、市街戦は熾烈さを増した。二日間に渡る両軍の死闘は、北日本とソビエト義勇軍――共産軍の後退によって一幕を閉じた。

 しかし再び、態勢を立て直した共産軍は札幌に侵攻、奪還した南日本と国連軍を追い詰め、再び札幌解放に成功した。やがて南日本軍と国連軍は再び道南地方に敗走、北日本は北海道のほとんどを勢力下に置いた。

 本土最後の防衛線として、南日本軍と国連軍は函館にて共産軍との戦闘を交え、数日間の死闘を続けたが、怒涛の勢いで押し寄せる敵を前に敗走。国連軍は本州へ避退。北日本は北海道全土解放を宣言した。

 そのまま本土への侵攻が予期されたが、米国は大戦で使い損ねた新型爆弾による戦局挽回を画策。海峡を越える準備をしていた共産軍が集まった函館に新型爆弾を投下し、これを一挙に殲滅した。

 その後、中国の仲介によって南北日本の間で停戦協定が調印された。北海道全土を奪われた南日本と、新型爆弾の攻撃によって物理的にも精神的にも大打撃を受けた北日本両国に戦争の継続は難しく、正式に停戦が取り交わされることになった。

 1953年7月末、北海道戦争・祖国解放戦争は停戦した。

 しかし結果的に、日本本土は叶わなかったものの北日本は北海道全土を国土とすることに成功し、北海道を国土とした日本人民共和国が成立した。

 だが、函館の新型爆弾投下も含め、その代償は大きなものだったことも確かだった。

 本州以南は南日本の国土となり、両国の間で、津軽海峡を境に国境線が敷かれた。



 以後半世紀以上の間、何度も小さな衝突を起こしながら、日本は南北に分断されたまま二つの国家として在り続けることとなる。



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南北の海峡 零部 伊東椋 @Ryoito

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