Long Day Long Night 39

 水道管の中には水があるだろうが、あいにく地中の水道管の中を流れる水に干渉するのは無理だ――それをするには地面をえぐって水道管を破る必要がある。そしてそれは神田忠泰がいい顔をしないだろうし、余計な目撃者を作ることになるし、なにより時間がかかる。

 アルカードはコートの内側に手を入れ、内ポケットから『魔術教導書スペルブック』を取り出した。表紙を開くと同時に回路パスを通じて霊体と直接接続された『魔術教導書スペルブック』が必要な魔術を検索し、ひとりでにページをめくっていく。

 グリーンウッド家の『魔術教導書スペルブック』は使用者の魔力を使ってデータバンクに書き込まれた魔術を起動させる、仮想制御装置エミュレーティングデバイスの一種だ。

 使用者の脳に直接術式を書き込み、必要に応じて読み出すことで、魔術の訓練を受けていない人間を一時的に魔術師に仕立て上げる術式を仮想制御意識エミュレーターと呼ぶ――記憶野を利用するためにやがてしまい効果が永続しないこととその都度自分で魔術を構築しないために応用が効きにくいこと、脳に複数の意識をかかえ込むことになるため術者の負担が極めて大きいという欠点があるが、棄て駒を相手に使ったり拠点防衛用のキメラに一時的に魔術師としての能力を附加する使い道にはそう悪くない。

 そういった負担をかけずに魔術を使える様にするのが、仮想制御装置エミュレーティングデバイスだ――仮想制御装置エミュレーティングデバイスは使用者の魔力を汲み上げて構築した術式に流し込むことで魔術を起動させてその維持管理と制御を行い、仮想制御意識エミュレーターとそれがさらに展開するもうひとつの仮想制御意識エミュレーターの維持、記憶野に書き込む仮想制御意識エミュレーターそのものの術式や魔術式の記憶などをすべて引き受け、さらに書き込む魔術式の数や容量に制限が無い。

 結果、仮想制御意識エミュレーターに比べてはるかに数的に多彩な魔術を魔力供給だけで使える様になるのだ。

 アルカードが所有している仮想制御装置エミュレーティングデバイス・『魔術教導書スペルブック』は精霊魔術において地上に並ぶ者の無いスコットランドの大魔術師セイルディア・グリーンウッドが構築したもので、彼が自分で扱える魔術を単一の術式で行う初歩的なものから四千五百もの術式を並列起動する大規模なものまですべて書き込んでいる。

 また最大で五千七百もの魔術式の同時起動マルチタスクに耐える容量を誇り、魔力供給源であるアルカードの魔力が持つ限り展開した術式を様々に組み合わせて任意の魔術に作り替えることが出来、応用幅が極めて広い――無論潤沢な魔力を誇るロイヤルクラシックの使用を前提に製作されているからだが、アルカードはこれを手にしている間だけグリーンウッドと同等の能力を誇る魔術師になれる。

 必要な術式が記述されたページが開くと、羊皮紙のページに記された文字列がぽうっと淡く輝いた。魔術を記述するためだけに使う特殊な文字で、見た目は楔形文字に似ていなくも無い――術式解体クラッキングに必須になるのでアルカードにも読めるが、別に使用者が記述した文字を読める必要は無い。

 術式が起動すると同時に、開いたページから虹色の文字列が水が噴き出す様にあふれ出し始めた。次の瞬間周囲の空気が稀薄になり、アルカードの足元を虚空から突然したたり落ちてきた大量の水が濡らす。

 周囲の水素分子と酸素分子を化合させて、大量の水を生成したのだ――ペットボトル数本分程度だが、憤怒の火星Mars of Wrathの質量の九割以上を切り離して装備の重量が軽くなっているので、今の装備を全部取り込める程度の水蒸気を作るには十分だ。

 発生した水が靄霧態に取り込まれて猛烈な勢いで蒸発し――発生した水蒸気に溶け込む様にして、アルカードは霧へと姿を変えた。

 移動は文字通り一瞬だった。

 憤怒の火星Mars of Wrathは地面にへたり込んだデルチャと蜘蛛の間に移動して巨大な球状に蟠りながら、次々と斬撃触手を繰り出してデルチャと蘭を捕らえんとする蜘蛛の触手を叩き落とし全身を斬り刻んでいる――蜘蛛は苛立っているのかすさまじい轟咆をひしりあげながら、水銀を叩き潰そうと触手を繰り出しては切断されるということを繰り返していた。先ほど昆虫標本みたいに全身を棘で貫かれたダメージは、すでに治癒したのかその程度なら問題にならないのか、行動に支障無い様子ではあった。

 猛威を振るう蜘蛛の頭上で再度人間態に変化すると同時に、アルカードは落下しながら塵灰滅の剣Asher Dustを振るった。

Wooaaa――raaaaaaaaaaオォォアァァァ――ラァァァァァァァァァッ!」

 大量の魔力を流し込まれた塵灰滅の剣Asher Dustの刀身が蒼白い激光を放ち、バチバチと音を立てて雷華を纏う。アルカードは塵灰滅の剣Asher Dustを頭上に振りかぶり、咆哮とともに蜘蛛の体に向かって叩きつけた。

 世界斬・纏World End-Follow――世界斬World Endの衝撃波を発生させる直前のまま魔力を纏わりつかせた塵灰滅の剣Asher Dustの斬撃をまともに受けて、蜘蛛が絶叫をあげる。

 デルチャと蜘蛛のちょうど中間、数百合にも及ぶ触手の交錯によって蹂躙の限りを尽くされたボロボロの石畳の上に着地し、アルカードは軽く鼻で笑って右足を引いた。

 それまで蜘蛛の体や触手を切り刻む一方、自在に変形する触腕を伸ばして赤ん坊の体を抱きかかえていた憤怒の火星Mars of Wrathが、石畳を這いずる様にしてアルカードのそばに近づいてくる。

 手を伸ばして表面をプルプルと蠕動させる巨大な水銀の塊が伸ばした触腕から赤子の体を受け取ると、憤怒の火星Mars of Wrathは手甲の上から左手に纏わりついて装甲の隙間から中に入り込んだ。そのまま彼の腕に接合されたまま左腕を構成していた自分の一部と融合同化し、急速に分子を収縮させて元の腕の形に戻っていく。

「御苦労、我が血潮」 聞くべき相手も無いねぎらいの言葉を口にして――アルカードは平然と蜘蛛に背を向け、地面にへたり込んでいるデルチャに歩み寄った。

 雑木林に囲まれた境内を、初夏にしては冷たい風が吹き抜けてゆく。

ざま……」

 背後の蜘蛛がまるで壊れかけたスピーカーを通しているかの様に罅割れた耳障りな声で怒声を発し、デルチャが反射的に両手で耳をふさいだ。

 蜘蛛の声は霊声ダイレクト・ヴォイスと呼ばれる霊体アストラルボディが直接出す声と肉体の声帯が発する肉声の両方で発声されており、霊声ダイレクト・ヴォイス肉体マテリアルボディの耳ではなく霊体アストラルボディが直接聞いている――そのため耳をふさぐことで鼓膜を震わせる肉声は遮れても、頭の中に直接響く霊声ダイレクト・ヴォイスの音圧を減ずることは出来ない。たとえ肉体というで覆われているために霊的な感受性の低い人間であっても、霊体の声がまるで聞こえないわけではないからだ。結果耳をふさぐという反射行動はまったく意味をなさず、デルチャがいぶかしげに眉をひそめた。

ざまァァァッ!」 背後で蜘蛛が再び怒声をあげる――霊声ダイレクト・ヴォイスのほうはともかく、肉声は発声器官の構造が違うからか古いスピーカーの様にくぐもり罅割れて聞き取りづらい。先ほどのダメージからはすでに立ち直っているのか、一度は地面に這いつくばったその巨体は再び立ち上がっていた。

「ほう」 強烈な殺気を気にも留めず、アルカードは肩越しに背後を振り返った。

「さすがにこの程度じゃ斃せんか」

 それだけ返事をしてから、石畳の上に尻餅を突いたまま顔色を失ってアルカードを見上げているデルチャへと視線を戻す。

 自力で動けるかAveţi posibilitatea să mutaţi――歯の根が合わなくなっているのかカチカチと歯を鳴らしているデルチャを見下ろして、そう尋ねようとしたところでやめる。ルーマニア語では日本育ちの彼女は理解出来まい。

「逃げられるか」 その質問に、デルチャが表情を引き攣らせたままかぶりを振る。

「駄目、腰が抜けて――」

 その返答に、アルカードは左手で抱いた蘭の体を母親に引き渡した。甲冑の手甲ガントレットをつけたままなので心地が悪かったのだろう、泣き叫ぶ蘭をデルチャに預けて踵を返し、蜘蛛のほうへと向き直る。羽織ったコートに右手を差し入れてオートマティックのショットガンをふたつくっつけた様な特異な形状の水平二連のショットガンを引き抜き、

「――なら、そこから動くな」

ざまッ……」末期の薬物中毒者か異常者が涎を垂れ流す様に巨大な口からどす黒い液体をだらだらとしたたらせながら、蜘蛛が口汚く怒声をあげる。

 ショットガン――挽肉製造機ミンチ・メイカーのグリップを握り直しながら、アルカードは唇に侮蔑の笑みを乗せた。下等生物ならそれらしく、叩き潰されてそのまま死ねばいいものを。

がみ末席まっぜぎに名をづらねる、ごのワジの食事じょぐじを邪魔立でずるが!」

「つまり一番下っ端なのか」

 盛大に鼻で笑い、アルカードは左手を腰に当てた。

「どこの疫病神様だか知らんがな――ああ、小難しい日本語はまだわからんから名乗らなくてもいいぞ、どうせ聞いてもすぐ忘れる。育ちすぎの下等動物の名前なんぞ覚えたところで、たいして役に立たんからな」

「赦ざん……赦ざんぞッ!」

 濁声でそうわめく蜘蛛に、アルカードは無造作な仕草で手にした銃の銃口を向けた。

「たかが下等動物風情に赦してもらう必要など無い。分際をわきまえろよ、節足動物――ついでに貴様はもう、食餌しょくじを心配する必要など無い。どうせここで死ぬからな――貴様の餌は今日この場を最後に、未来永劫お預けだ」

 

   *

 

「――そして朝起きると、隣に寝ていたのは奥さんの骸骨だったのです」 照明を落とした薄暗がりの中、食事に使ったのと同じ宴会場の一室で、蘭がおどろおどろしくしようとしている声音でそんなふうに続ける。

「そうか、奥さんは死んだあとも自分を待っていてくれたんだな……お侍さんは泣きながら奥さんの骨を埋葬しようとおうちの裏に穴を掘って、ありあわせの壺に奥さんのお骨と、だいぶ大きさが余ったから奥さんの骨が着てた着物を入れました。その壺を穴に入れて、埋めて塚を作りました。そして――」

 蘭がそこでいったん言葉を切り、

「そして泣きながらお侍さんが塚に背を向けたとき、背後から声が聞こえたのです。『どこへ行くの?』と。お侍さんが驚いて振り返ると、『やっと貴方が帰ってきてくれて、せっかくこうして一緒になれたのに――またどこかほかの女のところに行く気なのねえ!』という叫び声とともに奥さんを埋めた塚が吹き飛んで、中から飛び出してきた奥さんの骸骨が襲いかかってきたのです」

 食事も入浴も終わったあとでもう一度宴会場に集合がかかり――なんの用かと思って行ってみると、蘭と凛が『納涼怖い話大会』の開催を宣言したのだ。

 どうも毎年のことらしく、皆でそれぞれ考えた、あるいは地元に伝わったり本で読んだりした内容を脚色した怪談を披露しあうという催しらしい。

 去年も来たことのある大学生組はともかくパオラもリディアもその話は聞いていなかったので、地元に伝わる怪談をホラー大好きな子供たち好みに脚色しようと頭をひねることになったのだが。

 本来この手の催しは蝋燭を一話ごとに消していくらしいが、旅館側が畳の上で蝋燭を燃やすのに防火上の理由で難色を示したために――まあ当然だろう――スイッチのついた乾電池式のLEDランプがそれぞれの前に置かれている。どうもアルカードのお手製らしい。

 しかしこの内容、怪談とかホラーではなく昼メロではないだろうか。

「驚いて逃げようとしたお侍さんは足を滑らせて地面に倒れ、襲いかかってきた奥さんの骨に首を絞められました。『もう二度と、あんたをほかの女のところになんか、行かせないんだから!』とぎゅうぎゅう首を絞めてくる奥さんの骨に、骨だから刀を使って反撃することも出来ないまま、お侍さんは絞め殺されてしまったのです。何ヶ月か経って近くに住んでる人が発見したのは、一緒の布団で仲良く横になった男女の骸骨だったのでありました。おしまい」

 それで話を締め括り、蘭が手元のLEDランプのスイッチを切る。残るLEDランプはアルカードと、その隣に座っていたフィオレンティーナのものだけだ。

 そのアルカードはというと、妙に堂に入った浴衣姿で畳の上に胡坐をかき、上体をひねり込んで背後に視線を向けている。彼は予想半分困惑半分という表情で、壁際にうずくまって耳をふさぎ、きつく目をつむったフィオレンティーナのほうを見遣っていた――以前アルカードの部屋で一緒に『リング』を見ていたときもそうだったが、吸血鬼は平気なのに幽霊の話は苦手らしい。

「ねえ、蘭ちゃん、凛ちゃん――フィオお姉ちゃんはあんな感じだし、彼女のぶんはパスにしない?」

 というアルカードの提案に、

「ならおまえさんが二回話をしろ」 と老人が返事をする。その言葉にアルカードはちょっと考え込んで、

「そう言われましても。昔第三次ドラキュラ政権下のワラキア公国軍で戦争やってたころの話ですが――オスマン帝国軍の支配地域コントロールエリアの真ん中で兵站線M S Rを断たれて補給が滞ったことがありまして、あれは心底怖かったですけどね」

 首をかしげるアルカードに、リディアが控えめに声をかける。

「ごめんなさいアルカード、その話のなにが怖いのか、さっぱり……」

「嘘だろ――敵の支配地域コントロールエリア内で補給が途切れるより怖いことなんて、ほかにぇぞ」 本気で驚いているらしく彼にしては珍しい大声をあげるアルカードに、

「わかったわかった、じゃあ次に行こう」 と老人が適当に手を振る。雇い主のその言葉に、アルカードは不服そうにフィオレンティーナのLEDランプのスイッチを切った。

「さ、次で最後だ」

「そうですね――じゃあドラゴス先生が、とびっきりの恐怖話を披露いたしましょう」 アルカードが姿勢を正して、

「お嬢さんもこっちに来たらどうだ――たぶん君が怖がる様な話じゃないから。ただしもっと怖いけどな」 アルカードの呼びかけに、フィオレンティーナが恐る恐る仲間たちのほうを振り返る。金髪の吸血鬼が手を伸ばしてフィオレンティーナの腕を掴むと、彼女はおとなしく再び輪に加わった。

「というわけで、我が店のフロアスタッフ兼総務担当として、皆さんにご報告があります。ちなみに怖い話としても優秀です、これを聞いたら皆さんは逃れ得ぬ恐怖に絶叫し絶望にのたうち回ること請け合いです」

 彼はそう言って、浴衣の懐から一冊の古びたノートを取り出した――表紙にマジックで『帳簿』と書かれたその真ん中あたりのページを開き、全員に見える様に示してみせる。

 どうも家計簿の様なものらしいが、一番最後の部分が¥1,050-となっていた。

「実は――店の運営資金が底をつきました」

 完。

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