四つ葉のクローバー

泡沫恋歌

第一章 再会

 自転車で片道二十五分、いつも通いなれた平川徹ひらかわ とおるの通勤時間だ。

 夜勤明けの朝、冷たい早春の風に吹かれながらペダルをぐ、仕事で疲れた身体には、朝の日差しが眩しくて思わず目を細めてしまう。

 平川徹は小さな町工場で働いている。

 この不況で人手を減らした分、徹たち残った従業員に仕事の負担がかかる。残業をしても生産が間に合わず、削減した人数の分の夜勤が回ってきた。高校にも入っていない低学歴の徹には、サービス業か肉体労働のほか仕事がない。安い給料できつい仕事だけど、それでも仕事があるだけ有難いと思っている。

 家が貧しく家計を助けるために、中学生の頃からずっとアルバイトをやってきた。一生懸命に働き続けたら、きっとそのうち暮らしが楽になるかもしれないと、そんな根拠のない希望を抱いて、日々を生きてきたのだ。

 徹は誰にもいえない秘密を抱えていた。

 過去に大罪を犯した咎人とがにんだから、文句など言ってはいけない身だと、いつも自分自身に言い聞かせている。今でも悪夢にうなされる恐怖の残像、決して消し去ることのできない罪の記憶だった。

 死ぬまでこの罪を償う、贖罪しゃくざいすることで生きている理由わけを見出そうとしている。


 去年の春に、母が病気で亡くなった。

 元々母子家庭だったので、高校生の妹の亜矢あやと今はふたり暮らしだ。家に帰ったら、妹を起こして、朝ごはん食べさせてから学校に送り出さなければ、そんなことをぼんやり考えながら、自転車のペダルを漕いでいた。

 四つ角を曲がったら、徹の住んでいる古いアパートが見える。

 あれ、白い人影が自分の部屋の前に立っている。誰だろう? こんな朝早くに……。誰かこのアパートの住人を待っているのか? それとも、うちの妹の友人だろうか?

 ほどなく自転車はアパートに到着、白い人影は白いコートを着た女性だった。

 サドルから降りると自転車を押して自分の部屋の前に近づく、その女はじっと徹の方を見つめていた。軽く会釈えしゃくをして、徹は自分の部屋の前に自転車を止めた。


 その人は美しい女性だった。

 歳はたぶん自分と同じくらいか、二十歳前後に見える。黒く長いストレートヘアーで、肌が抜けるように白く、黒目の大きな愛らしい顔だった。

 服装も派手ではなく、仕立ての良さそうな白いコートを上品に羽織っている。おおよそ、この界隈で見かける奴らとは人種が違っているように思える。


 徹は部屋を開けようと、ジャンバーのポケットに手を突っ込んで鍵を探っていたら、なぜか、その人は徹の真後ろに立ってじっと見ている。そして……、

「トオルくんですか……?」

 小さな声で囁くように訊いた。

「えっ! 俺、徹だけど……あんた誰?」

 鍵を開けながら驚いて振り向いた。

「これ覚えていますか?」

 そう言って、手に持っていた紙を開いて中身を見せた。


 それは、四つ葉のクローバーの押し花だった。

 干乾びて茶色く変色していたが、葉っぱが四枚ある四つ葉のクローバー。

可奈子かなこ……」

 驚きで徹は目を見開いた。

 その四つ葉のクローバーは、十年前に徹が可奈子にあげたものだった。同時に、徹の脳裏にはあの事件の記憶が甦ろうとしていた。

 切なく甘い記憶と凄惨な記憶が交互にフラッシュバックする。十年たった今も、夢でうなされるあの怖ろしい事件が……。


 ――思いがけない、可奈子との再会に、驚愕して徹は立ちすくんんだ。

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