第三章 廃屋

 有刺鉄線ゆうしてっせんを抜けて廃屋の中に入っていく、今はここが徹にとって我が家だった。

 住む人も無く何十年も打ち捨てられた古屋は傾き床は抜け、伸びきった雑草に覆われ外からは容易に見えない。立ち入り禁止の札と回りには有刺鉄線で張り巡らしていた。

 この近所の子供たちは、ここを『お化け屋敷』と呼んで、誰ひとり近づかない。

 まさか、こんな所に人が住んでいるとは誰が想像できよう。

 割れた窓ガラスを開けて中に入る。一番手前の部屋を片付けて、なんとか寝起き出来るようにした、こんなあばら家でも野宿するよりは、ずっとマシなのだから――。


 小学校五年生の徹は給食を食べるために学校へ通っている。顔に生傷を作って登校する徹に、若い担任教師はいつも、

「おい、大丈夫か?」

 心配げな顔で訊ねたが……。

「大丈夫です!」

 何を訊かれても徹は、そうとしか答えなかった。

 人に同情されたくなかったし、こんな状況を知られることが死ぬほど嫌だった。

 クラスメイトも徹の家庭のことは、薄々気づいているが……大人しいけど怒らせると何を仕出しでかすか分からない徹を、内心怖れているようだ。

 虐められなかったけれど、誰もが遠巻きに見ているだけで助けてはくれない。家庭でも学校でも、徹はいつもひとりぼっちだった。そこに居場所なんかなかった――。


 早く帰ると飲んだくれて機嫌の悪い父親に殴られるので、出来るだけ家に帰らないようにしていた。いつも酔い潰れて寝込んだ頃合いを見計らって、こっそり廃屋に戻った。

 家に帰るまで徹は知り合いの自転車屋のお爺さんの手伝いをして食べ物やわずかなお駄賃を貰っていた。他にもお弁当屋の奥さんが同情して、ときどき売れ残りの弁当やおにぎりを分けてくれる。お礼に店の片づけや溝掃除などを手伝った。


 それでも時間がつぶし切れない時は、原っぱで四つ葉のクローバーを探した。

 徹が幼いとき、母が原っぱで見つけて「四つ葉のクローバーに願い事をすると、きっと叶って幸せになれるんだよ」と言ったから、母の言葉を信じて、徹は四つ葉のクローバーを探していた。

「母ちゃんと妹の亜矢に会えますように!」

「一緒に暮らせるように!」

「父ちゃんが殴らないように……」

 そう願って徹は四つ葉のクローバーを探し続けた。

 今の徹にとって《ふたたび家族で暮らせる》その願いだけが生きる希望だった。早く大人になって、絶対に母ちゃんと亜矢を探すんだ!

 どんなに辛くても涙ひとつ見せない徹だったが、原っぱでひとり四つ葉のクローバーを探しながら、気がつけば涙が頬を伝っていた。


 日が暮れて廃屋に帰ると、いつものように酔っ払った父が、珍しく徹に話しかけてきた。

「なあ、徹……なんで父ちゃんは何をやっても上手くいかないんだろう?」

 徹は返答に困って黙っていた。

「生まれた時から貧乏で、親もなくて……おまけに、ケガで脚は悪くなるし、母ちゃんは出て行くし、アパートも追い出される……」

 愚痴りながら焼酎を煽る父だった。

「良いことなんか何もない、これも貧乏が悪いんだ!」

 そう言って拳で床を叩いた。

「おまえ駅前にある佐伯病院さえきびょういんって知ってるか? 新築のでっかい病院だ」

「……うん、知ってる」

 そう訊かれて、駅前に最近新築された立派な病院を頭に思い浮かべていた。

「父ちゃん、工事であの病院にいってたけど、隣に院長先生の自宅があるんだが……」

 父が何を言いたいのか徹には分からなかった。

「でっかい家で駐車場にはなぁー、ベンツやら外車が三台も止まってやがる! ちくしょう! 金持ちばかり良い思いしてやがる。なあ、徹、世の中は不公平だと思わないか?」

「うん……」

 どう答えて良いか分からない、答えが気に入らないと父に殴られる。

「徹……俺ら貧乏人があんな金持ちから、ほんの少しお金を貰っても悪くないだろ?」

 父の目は異様な光を放っていた。

「真面目にやってもダメなんだ! 一発デカイことやって、こんな生活から抜け出してやる!」

 そう叫んで、父は焼酎を一気に煽り、コップを壁に向けて投げつけた! 

 父の慎一がそのとき、いったい何を考えていたのか、後になって徹にもよく分かった。

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