隣の大島さん

無印良人

プロローグ

彼が大学を卒業して4年目の春が来た。周りの友達はみな就職してサラリーマンとして毎日を過ごしているのに、彼はまだ就職活動という名のニート生活を送っている。彼自身、そのことに対して焦りがないわけではない。しかし、就職とは机に向かってただひたすら勉強する受験とは違い、自分と面接官との相性で決まるものなので努力次第でなんとかなるものではないと開き直ってもいる。そんな開き直りを続けて4年も経ってしまったのだ。


彼の名前は俊輔という。思い返すと彼が小学校6年生のときに卒業文集で書いた将来の夢は科学者だった。それも単なる科学者ではなく「地球に優しい科学者」と書いていた。漠然と将来は理系に進みたいと12歳から意識していた。また、彼はポケモンが好きだった。将来はポケモンを作る仕事に就きたいと考えていた。そんな彼は親の転勤で中学校時代をドイツで過ごすことになる。


彼にとってのドイツでの中学校生活はそれほど楽しいものではなかった。彼は常々、日本に戻りたいと思っていたし、彼が住んでいたのはドイツのなかでもデュッセルドルフという日本人がヨーロッパのなかで、当時最も多く住んでいた街だったので日本食のレストランや、日本の本や雑誌を売る店などもあった。そのせいか、彼は全くドイツという異国の地が中途半端な日本としか考えられなくて気に入らなかったのだ。


高校進学を控えた2005年の夏、彼は大きな決断をした。単身で日本に帰国し、高等専門学校(高専)に進学しようと考えたのだ。中学時代の彼にとっての楽しみとは、HTMLタグを手打ちしてホームページを作ることと、日本から持ってきたPlayStation2で「三國志」や「A列車で行こう」で遊ぶことだった。特にシミュレーションゲームが好きで、学校の休み時間は同じゲームで遊ぶ友達と、ゲームのなかの戦略や街づくりをひたすら議論する毎日だった。このとき既に彼は将来はゲームのプログラマーになろうと考え高専の電子情報工学科に進学しようと試みた。


見事、彼は茨城にある高専に帰国子女枠で入学した。本当は東京にある高専に行きたかったのだが、それほど成績が良くなかったため学校推薦を受けることが難しかったのだ。彼が高専を選んだ理由は、単にゲームや、コンピューターのことが勉強できるからだけではなく、寮に入ってそこから学校に通うという疑似一人暮らしができるからだ。彼と両親は折り合いが悪く、いつも勉強や成績について叱責を受けるので早く1人で暮らしたかったのだ。


彼が、高専の授業についていくのはとても大変だった。元々、彼の得意分野は社会だったので、日本史や政治・経済なら誰にも負けないが、物理や電気回路などの理科の授業は苦手であった。特に高専は理数系科目の教育に力を入れているので、数学や理科が不得意な彼は勉強面で苦しんだ。やがて1年生の前期が終わり、彼は電気回路と解析学のテストで赤点を取ってしまい、夏休みに再テストを受けることになった。


16歳のこの頃から、既に計画的に物事を成し遂げようとせずに、火事場の馬鹿力に頼るという彼の悪い性格が災いして自分で自分を追い込んでいった。


高専で1年生から2年生に進級するときも彼は化学の教師に土下座をしてお情けで進級させてもらったのに、すぐにその温情を忘れ寮の自室でゲームに没頭していた。2年生のテスト前には、もはやテストを受ける気など全くなく、テストが始まる1時間前からようやくテスト勉強を始めるという有様だった。周りの友達はみな彼が変わり者だと思ったであろう。標準的な高専生はテストで良い成績を取ることを非常に重視しており、なるべく赤点を取らずに長い夏休みを過ごそうと考えるものだが、彼は無計画なテストの算段をいつもしていたので、夏休みもゆっくりと過ごすことができずいつもどこか焦っていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

隣の大島さん 無印良人 @ajinizm

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ