救済のルシファー

ごんべえ

 救済のルシファー

 気が遠くなるほどに遠い昔、一人の勇者がいた。

 かの勇者は女性にも関わらず、数多くの魔物を屠り、そして、ついに不可能と言われていた魔王の討伐すらたった一人でやってのけた。

 彼女の尊き命と引き換えに。

 これで、平和がもたらされる、と人々は、死んでまで己の使命を全うした勇者を称え喜んだ。

 だが、平穏はいとも容易く崩れ落ちることになる。

 数十年の後、再び魔王が蘇ったのだ。

 人々は慄いた。

 脳裏に焼き付いた恐怖はなかなか克服できるものではない。

 だから、皆が望んだ。


 かの勇者の復活を。


 彼ら――或いは、彼女ら――は知ってしまったのだ。数十年前に自分達が目撃したのは唯一無二の才覚だったのだと。

 なので、彼らはなんの躊躇いもなく、禁忌と呼ばれた黄泉返りの秘法まで使い、再び勇者をこの世に呼び戻したのだ。


 そうして、彼女の手により再び世界に平和が訪れたのだった――


☆ ☆ ☆


 というのが、僕の学んできた勇者、レイチェル・クロノスの物語だ。

 正直、不憫だと思う。

 人並みの幸せはおろか、普通の人間には間違いなく訪れるはずの死後の安らぎですら彼女には与えられることはないのだから。

 いまからその彼女を再びこの煉獄に呼び戻そうとしているこの僕が言えることではないかもしれないけれど。


「やあ、早かったじゃないか。フィル」


 誰もいないはずの大広間に声が響く。

 誰何するまでもなく、僕はその人物が誰なのかを把握することができた。

 僕はため息混じりに口を開く。

「いや、あなたが遅いだけですよ。アーネルさん」

 彼は、ははは、と笑い声を上げながら足早に僕の許へとやってくると恭しく、

「現職の聖者様は口煩くあられる」

 と頭を垂れた。

 彫の深い顔に適度に生え揃った無精髭。そこそこ引き締まった体に法衣服が絶妙にマッチしている。

 誰が見てもハンサムだと答える容姿を持った壮年の男。

 言い寄る女性はあとを絶たないと噂になるほどだ。

 彼こそが前代の聖者を勤めたアーネル・ゼル・スコットその人だった。

 ちなみに僕はこの人が苦手だ。

 嫌いではないのだが、彼の持つ独特の雰囲気がどうも僕には受け付けないのだ。

 これが、俗に言う『生理的に合わない』というヤツなのだろう。

 そんなことはさて置き、彼がやって来たということはいよいよ準備が整った訳だ。


 勇者、レイチェル・クロノスをこの世に呼び戻す儀式を始める準備が。


 現在僕たちのいる『聖堂』と呼ばれる大広間には、巨大な聖陣が床一面に描かれていてその周りを囲うように火の灯った蝋燭を支える足の長い燭台が規則的な間隔を開けて並んでいる。

 その聖陣の中央に僕とアーネルさんがいて、再びレイチェル・クロノスをこの世という鳥篭に閉じ込めようとしている。

 やれやれ。

 これじゃあ、まるで、僕らのほうが魔王じゃ――

「それじゃあ、早速だが始めるとしようか。きっと彼女も待ちくたびれてる」

 僕の思考を遮るように口を開くアーネルさん。

 まあ、それに関しては僕も同意だった。

 彼と違って僕はかなりの薄着のため結構寒い。

 どれぐらい薄着かというと、透け透けの布着れ一枚を羽織るように着させられているという最悪な状況(しかも、下着もなし!)。

 ていうか、ほぼ全裸だ。

 本当はこんな姿で人前にでるなんて言語道断なのだが、これが僕の聖者就任の初仕事となる以上はしかたがない。

「まあ、この眺めも捨てがたいがね」

 とアーネルさんが呟く。

 背筋に悪寒を感じながら僕は早く始めるように目で促す。

 それに彼は首肯するに留めて応える。

 すると、床一面に描かれた聖陣が輝きだした。

「――――――」

 それと同時に、僕の視界が霞む。

 ああ、これは――

「君が起きる頃には勇者が復活しているだろう。楽しみにしているといい」

 美人だぞ、彼女は、と楽しそうにアーネルさんは笑う。

 眠気だ、と思ったと同時に僕の意識は落ちていった。


☆ ☆ ☆


 柔らかい光で目が覚めた。

 まず現状を確認する。

 一つ、今が朝だということ。

 一つ、どうやら僕は聖堂の客間室のベッドで寝かされている、ということ。

 そして、なにより重要なのが、全裸ではない、ということだ。

 僕用の法衣服に着替えさせられている。

 それに安堵していると、

「やっと目が覚めたわね。聖者さん」

 そう声を掛けられる。

 声がした場所へ視線を向ける。

 そこには、この世の美貌の極地をその身で体現した存在がいた。

 プラチナの髪は短くカットされているが、それが彼女を凛々しく見せている。

 着ている服は平位臣民が好んで着用するTシャツとジーンズだが、真の美貌をもつ者はどんな服装でも違和感なく着こなせるのだと僕にその身を以って教えてくれる。

 肌は透き通るように真っ白で彼女に触れたモノの全てを浄化させるのではないか? と思わせるほどだった。

 彼女こそが伝説となった勇者、レイチェル・クロノスだった。

 僕も幾度となく彼女が描かれてきた絵画を見てきたし、その度に心を打たれたものだが、そのどれもが彼女を見たとたんに出来の悪い贋作へと成り果てる。

 そう、彼女の存在自体がそれだけで完成された――

「なにぼうっとしてんのよ。キミ大丈夫?」

 いけない。彼女のあまりの美しさの前に思考が暴走してしまっていた。

 ええ、大丈夫ですよ、と愛想笑いで答えておく。

「あっそ。なら、早速だけど準備しなさい。今回は時間があまりなさそうだから、キミの身支度みじたくが終わり次第出発するわよ」

 準備? 準備ってなんの? ……だめだ。寝起きで頭が回らない。

 僕がぽかん、としていると彼女は呆れたような目を僕に向けこう言った。

「本当にすっとろいわね。今からキミと私で魔王を討伐しに行くのよ。新米聖者のフィルさん」


☆ ☆ ☆


 アーネルさんは僕の寝ているベットのうえにメモ書きを残していた。

 曰く、勇者再活性化の手続きはすでに済ましていて、彼女にもある程度の引継ぎ――僕の素性や今現在の状況報告など――は完了済みだということだった。

 後は、聖者の最初にして最大の大仕事に取り掛かるだけだった。


 つまりは、彼女に同行し魔王討伐までのすべてを記録に残すこと。


 聖者の大役は主に二つだ。

 まず一つは、勇者の黄泉帰りによる再活性化。

 そして、もう一つが先ほど挙げた勇者の魔王討伐までのすべてを記録に纏めること。

 要するに、僕は勇者の監視役なのだ。

 彼女が使命をちゃんと果たしたかを生き証人として記録に残し、それをお偉い様方に報告する。

 そうやって彼らは安心して平和を満喫できるわけだ。

 ちなみに、その大役は一人の聖者につき一度しか訪れない。

 何故なら、新たな魔王が現れる度に再び聖者を選定するからだ。

 新たに選定された聖者は先代の聖者と共に勇者を復活させ、先代の聖者は晴れて御役御免となる。

 だから、今頃アーネルさんはどこかでバカンスでも楽しんでいることだろう。

 孤児だった僕は正直そのためだけに生かされてきたといっても過言ではなかった。

 だからと言ってはなんだが、14年間育ててもらった恩をようやく返すことができる訳だ。


 身支度を終えた僕は旅路に出る前の様々な面倒ごと――例えば、女王陛下への謁見や、首相を初めとする閣僚への報告などなど――を済ませた(何事も手続きばかりでめんどくさい事この上ない)。

 後は僕の故郷でもある聖都『グレートブリック』を発つだけだ。

 今僕はというと、国立公園にて、この聖都のシンボルともいえる神塔『バベル』を見上げていた。

 旅立つ前にどうしてもこの天を突くようにそびえる神塔を見ておきたかったのだ。

 神塔『バベル』。

 この塔は巨大なひとつの魔術コンピューターであり、魔術学者はその卓越した演算能力を用いて日々魔術言語を更新して人々に配布している。

 レイチェル・クロノスに用いている黄泉帰りの秘法もこの『バベル』から生み出されたそうだ。

 そんなこんなで何時しか人々から畏怖の念を込めて神塔『バベル』と呼ばれるようになったのだとか。

 はっきり言ってとんでもない代物だが、僕はこの果てなく天を突く塔それ自体が子供の頃から大好きだった。

 何時見ても飽きることが無い。

 見ていて気持ちがいいのだ。

「ねえ、いつまでこんな所で油を売ってんのよ。早く行くわよ」

 彼女はすでに路肩に停めてあった自動車の助手席に乗り込んで僕をそう急かすように言う。

 僕は、駆け足で後ろからくる自動車に注意しながら運転席へと乗り込むと自らの魔力をハンドルに流し魔動エンジンを起動させる。

 これも、神塔『バベル』による賜物だ。

 僕はギアをドライブにシフトさせてゆっくりとアクセルを踏み込んだ。


☆ ☆ ☆


 それから、僕達は国境を越え無法地帯であるアナーキーロードをひたすらに車で突き進んだ。

 このまま順調に行けば、魔王がいる魔都『ベルディン』まで三日でたどり着けるだろう。

 ところで、僕たちが今通っているアナーキーロードには絶対に守らなければならないひとつの鉄則が存在する。

 それは――

「絶対に停まるんじゃないわよ。そのままスピードを上げて突っ切るの! 分かった!?」

 そう、ここでは絶対に停まってはならないのだ。

 名の通り無政府状態ゆえに究極の無法地帯であるここは、盗賊たちの住処であり狩場だ。

 今現在は姿を見せてはいないが、一度でも油断してスピードを緩めたが最後、大量の盗賊たちが僕らを襲うことになる。

 いくら百戦錬磨のレイチェルがいるといっても、多勢に無勢である。

 それに彼女曰く、

「私の剣は人を斬るためのものではないもの」

 とのこと。

 いくら盗賊に身を堕としたとはいえ、人は人ということなのだろうか?

 少し甘い気がするけれど、それが彼女の勇者たる所以なのかもしれない。

「……なんか私の言ったことに関して勘違いしてるみたいだから言っておくけれど、私の剣では本当の意味で人は斬れないのよ」

 僕の表情から思考を読み取ったのだろうか? 彼女がそう僕に釘を刺すように言う。

「だから、こんなところで一度でも停まったら私もキミもボロボロに犯されちゃうわよ」

 え? なんで僕まで? それは困る。ていうか、絶対に嫌だ。

 アクセルを床いっぱいまで踏み込みさらに車を加速させた。

 それに伴い魔力も大量に吸われるが構うものか。

 一刻も早くここから抜け出すのだ。

「おお! やればできるじゃない! このまま全速前身!」

 僕はイエッサー、と答えハンドルをさらに強く握った。 


☆ ☆ ☆


 僕の努力の甲斐あって、半日でアナーキーロードを抜けることに成功した。

 ここから先は魔の領域だ。

 危険なことには変わりないが、ここまでくれば盗賊たちは近寄れない。

 つまり、だいぶマシになったというわけだ。

 なので、僕達はここで野宿をすることにした。

 簡易式のテントを組み立て、その周りに魔よけの術式を組まれたライトを設置する。

 これで、魔物は近寄れない。

 僕達は二人で焚き火にあたりながら携帯食料をそれぞれ食べていた。

 ブロックタイプのそれは高カロリーのうえに大変腹持ちがいいと好評で軍人が好んでよく食べる。

 というのは、軍に入っていると容易に食料が調達できない事態によく陥るためだ。

 だから、こういった状況下では非常に重宝される。

 いま僕が食べているのは、チーズ風味だった。

 独特の臭みとこくが口いっぱいに広がる。

 僕はこの風味が大好きだった。

 しかし、先程からまったくと言っていいくらいに会話が無い。

 食事中に会話なんて行儀が悪いかもしれないが、どうしても彼女に訊かなければならないことがあった。

 だから、僕は咀嚼していたものを飲み込んでから話題を提供することにした。

「レイチェルは、今回も含めて生き返るのは何回目なんですか?」

「……キミさ、それって女性に対して歳を訊ねてるのと対して変わらないくらい失礼な質問だよ」

 よく、デリカシーが無いって言われるでしょ? と呆れた目をレイチェルは僕に向ける。

 うぅ。いまのは地雷だったかなぁ。

「まあ、いいわ。まあ、はっきり言って覚えてないわよ。そんなの。いままで食べたパンの数をいちいち覚えているヤツがいないように、私だってそんなの覚えていられない」

 そうか、いままで彼女は覚えられないくらい人類を魔王から救ってきたわけだ。

 本当に、心の底から尊敬する。

 だって、それは、それだけの数だけ人としての尊厳やらを力のない僕等がないがしろにしてきたにも拘らず、それでも彼女は僕達を救ってくれたのだから。

 なら、尚更、いままで――

「それじゃあ、いままで、辛くなかったんですか? こんなふうに魔王が現れる度に生き返らせられて、辛くなかったんですか?」

 ……どの口が言うんだと僕も思う。でも、僕は彼女を呼び戻した当事者として訊く責任があるような気がしていたのだ。

 これで、彼女から怨嗟をぶつけられたとしても、僕はそれを受け止める責任がある。

 だが、そうはならなかった。

「別に。今の私はそんなことを微塵も感じない。私は私自身をこの永い時間のなかで極めきってしまった」

 ……? どういう意味なのだろうか?

「つまり、この永い年月のなかで私は享年17歳の私をとことん極めてしまった。だから、余計なものが綺麗に削り取られてもっともスマートになったのが今の私。


 もっと分かりやすく言ってあげれば、今の私はキミたちが意識と呼んでいるものが存在しないの。


 だから、別に辛くもなんとも無いのよ」

 ……なんだよ、それは。

 あまりの衝撃的な発言に僕は二の句を継げることができない。

 意識が無いなんて、それじゃあ、僕と話をしている彼女は一体――

「……もう少し分かりやすく言ってあげるわ。今の私は17歳だった私がそのときにしたであろう行動しかとることがない。

 だから、すべての行動が考えるまでもなく行える。

 いましゃべってることだって17歳の私が口にしたであろう言葉を紡いでしゃべっている。

 だから、自明のまま喜び、自明のまま怒り、自明のまま哀しみ、自明のまま楽しみ、そして、自明のまま質問する。

 いまの私にとって、すべての事柄が自明なのよ」

 なるほど。

 すべての事柄が彼女にとって自明だから、分かりきってしまっていることだから、考えるために必要な意識という機能が彼女には失われてしまった、ということか。

 それじゃあ――

「……これが、最後の質問です。貴女はいま幸せですか? それとも、不幸ですか?」

「それは、受け取り手に依るんじゃないかしら。この状態が不幸だというのなら不幸なのだろうし、幸せだというのなら、それは幸せなのでしょう? 私には決めることができない」

 僕は悲しい気持ちになった。

 永遠に17歳の自分という牢獄に捕らえられてしまった彼女。

 いつか、彼女が本当の意味で救われる日はくるのだろうか? 

 僕にはわからなかった。


☆ ☆ ☆


 新しい朝が来た。

 といっても、魔の領域では空が真っ赤に染まるため黄昏時のように見える。

 僕達は後片付けを終えるとハイペースで魔都『ベルディン』を目指し車を走らせた。

 途中、様々な魔物――ゴブリンやオーク、オーガ、サイクロプスまでいた――に出くわしたが、すべてレイチェルに一瞬で斬り捨てられてしまった。

 目が追いつかない程の速さで的確に相手の急所を斬りつけていく。

 これも、意識という機能を捨て去ってしまうほどに自分を極めてしまった彼女だからこそでき得る芸当なのかもしれない、と僕はより悲しい気持ちになった。

 女性としての喜びも、母としての幸福も奪われた果てに待ち受けていた永遠に続くルーチンワーク。

 あまりにも酷すぎる仕打ちだった。

 きっと、僕達には特大級の罰が当たることだろう。

 本当に神という存在が、この世界にいるとするならば、だが。

 そして、予定より一日早く僕達は魔都『ベルディン』に到着することに成功した。

 あとは、魔王の住む居城に向かうだけだ。

 かつて、この魔都が繁栄していたことを思わせる整備された道路などのインフラに加え無人のビルディングが立ち並ぶ滅びを迎えてしまった街を僕達は車で突き進む。

 この風景をみていると街全体が一つの墓地と化してしまったようで、物悲しい気持ちにさせる。

 差し詰め、立ち並ぶビルが人々の墓標の代わりだ。

 そんなことを考えているうちにようやく魔王の居城であるベルディン大聖堂に到着した。

 中央が巨大なドーム型で、中央に嵌められたステンドガラスが魔の領域特有の赤い日光に照らされて神々しく輝いている。

 僕等は車を路肩に停め、ベルディン大聖堂のまえに立つ。

 ここに魔王がいるのだ。

 レイチェルが幾度となく滅ぼしてきた魔王がここに。

 僕は覚悟を決めて石造りの扉を押すように開けた。

 薄暗い聖堂内を壁に設置された燭代の灯火が照らしている。

 打ち壊された長椅子は聖堂内を廃墟のように見せていた。

 中央はレッドカーペットが引かれていてその奥には――


「やあ、随分と早かったじゃないか。フィル。それに、レイチェル。間に合ってくれてよかった」


 聴きなれた声が僕の鼓膜を震わせる。

「――そんな、どうして貴方が……」

 ステンドガラスを背景に玉座がひとつ。

 それに座る壮年の男に僕は――

「久しぶりね。アーネル。いえ、魔王、アーネル・ゼル・スコット」

 レイチェルが彼に向けてそう言い放つ。

 そう、そこにいたのは、聖者だったはずのアーネルさんだった。

 流れる重苦しい沈黙。

 それを破ったのは、レイチェルだった。

「早速だけど、アーネル。?」

 それにアーネルさんは心底疲れた笑みを浮かべ、

「見ればわかるだろう。角が生えて翼も生え揃ってしまった。もうステージ4は目前だよ」

 肩をすくめながらそう言った。

 レイチェルは「……そう」と呟くと後は何も言わなかった。

 二人の会話に付いていけない僕は、酷く混乱していた。

 病状? ステージ4? 一体、何を言っているんだ?

「ねえ、これは一体どういうことなんですか? なんで、アーネルさんが魔王なんかになろうとしているんです? 病状って一体、何を言ってるんですか?」

 気付けば、僕はそう二人に問い詰めていた。

 余りの展開に声が震えていたようにも思える。

「そうだね。君には話しておかなくちゃいけない」

 アーネルさんが静かにそう語りだした。

「すべての人類が背負っている原罪を君に今この場で話そう」



☆ ☆ ☆


 まずは、ことの始まりから話そう。

 今から気が遠くなるほどに昔、この世界には魔素というものがそれほど多くは存在していなかった。

 だから、当時は単純にオカルト扱いを受けているに過ぎない代物だった。

 だが、ある時期になってくると人々はこの魔素という得体の知れないモノに注目し始めた。

 この星のほぼ全ての資源を採り尽くしてしまったんだな。

 故に人々は求めたんだ。


 新たな資源の誕生を。


 それからというもの人々は死に物狂いで魔素の研究に乗り出した。

 どうすれば、発生させることができるのか? どうすれば、使用が可能になるのか? そもそも、創作物のようなことは可能なのか?

 そうして、人々は理論を唱え、それを実証し、そして、実行に移した。

 かくしてこの世界に魔素は溢れ人々は資源の心配から開放された。

 この頃に我らがデウス・エクス・マキナである神塔『バベル』が建設されたわけだ。

 溢れる膨大な魔素を用いてね。

 だがね、それが今現在にも引き継がれる最悪の厄介ごとの幕開けでもあったんだ。

 その時から人々の間で、ある病が広がり始めた。

 その病名は――


 魔素過多性身体変異症。


 この病は病というよりかは生物の持つ機能の問題だった。

 つまりは、あまりにも高濃度の魔素に晒されるとそれに遺伝子が対応して身体を変異させてしまうんだ。

 何よりも厄介だったのは、この病の末期症状――つまり、ステージ4まで行き着いた患者がこの病に罹患していない人々を襲い始めたことにあった。

 人々はそれに対応するためにまたしても研究の日々を送る羽目になった。

 判明したのは、二つの事実。

 ひとつは、ステージ4まで行き着いた連中には意識が存在していなかった、ということ。

 知性の存在は確認されたが、報酬系の方向が常に整理された状態になっていたんだ。

 つまり、連中は考えるまでもなく、一斉に、この病に罹っていない人々を滅ぼそうと決めたようだった。

 まるで、自分達こそが生き残るべき種だ、とでもいうように。

 そして、もうひとつは魔素をある程度の濃度に抑えることによりこの病の発症を抑制できる、というものだった。

 今度は魔素の抑制法が話し合われた。

 色々な意見が出たみたいだったよ。

 例えば、魔素を一切放棄するべきだ、とかね。

 だが、その意見は単純な綺麗ごとだと、まるで相手にもされなかったようだが。

 結果、人々は『バベル』によりもたらされた意見を暫定的なものとして採用することにした。

 救済の魔王計画。

 これは、余りにもおぞましいものだった。

 まず、魔素を魔力として多く溜め込むことのできる人間を選定し、強制的にそれも時間をかけて魔王化させる。

 これにより、高濃度の魔素を問題の無い程よい濃度まで薄める。

 そして、個体がステージ4に移行するまえに勇者と呼ばれる末期患者を抹殺することに特化させたプロを差し向け排除させる、というものだ。

 そうする事によって――それでもやはり年に数名の発症患者が出てくるが――殆どの確率で発症患者を抑えることに成功したんだ。

 そして、当時勇者として選ばれたのが、レイチェルだった。

 孤児だった彼女は徹底された教育を施され、最初にして最強の勇者と言われるほどの逸材に成長した。

 だが、やはり彼女も人間だった。

 彼女はある魔王と共に死ぬことを選んだんだ。

 初恋、というやつかな。

 彼女は魔王を殺した後に自らも命を絶った。

 これで、この恋は成就したかにみえた。


 だが、人々はそれを許さなかった。


 レイチェルというツールを何とか継続させようと人々は躍起になったんだ。

 他でもないレイチェル自身のコンテンツを用いてね。

 それにより行われたのが、、その人間にレイチェルの魂を定着させる方法だった。

 レイチェル自身は定着した人間の魔力によって受肉を果たす。

 そして、そのレイチェルの宿主が次世代を担う魔王になる。

 そうしたルーチンワークがいままで繰り返されてきたわけだ。

 もう連中はこのシステムを暫定的なものと見做していない。

 このあまりに人非人にんぴにん的なシステムを永久に継続させるつもりでいるんだ。

 これが、全ての人類が背負った原罪だよ。


☆ ☆ ☆


 すべてを語り終えたアーネルさんはさらに疲れた表情を浮かべた。

 そんな……。

 レイチェルのことだってあまりに酷いのに、ここまで酷いオチがまっていたなんて……。

 それじゃあ、この世界はまるで――

「――地獄じゃないか、とそう言いたいんだろう? それに関しては俺も同感だね」

 アーネルさんは僕の表情から思考を読み取ったのか、思考を代弁してくれた。

「アナーキーロードに隔離された変異症患者たちも、なかなかに悲惨だよ。またいつものように車で突き抜けてきたんだろう?」

 その問いにレイチェルは首肯して答える。

 そうだったのか。

 つまり、盗賊の住処だというのはブラフだったわけだ。

 この世界はなかなかに腐りきっている。

「それにしても随分と詳しいじゃない。私はあなたに私自身が死んだときの話までした覚えはないのだけれど?」

 いままで、ずっと黙っていたレイチェルが少しだけ冷たい声音でアーネルさんに問い詰める。

「『バベル』だよ。あれのアーカイブにハッキングして色々なことを調べさせてもらった」

 アーネルさんは溜息を吐きながら詰まらなそうに答えた。

「このふざけたシステムをどうにか出来ないか色々探ってみたが、どうにも手詰まりだ」

 本当にどうしようもないよ、この世界は、と呟く彼の表情には深い絶望が刻まれていた。

 そう、絶望だ。

 この人はその闇をあまりにも濃厚に纏い過ぎている。

 だからこそ僕はこの人のことを苦手だと認識していたのかもしれない。

 当時の僕には理解しがたいものだったから。

 もう僕には彼に対する苦手意識など残っていない。


 だって、僕も彼と同じ運命を辿るのだから。


 大勢のために犠牲になる運命を。

「なあ、レイチェル。最期に頼みがあるんだ」

 消え入りそうな声でアーネルさんは呟く。

 レイチェルは視線でその先を促す。

「俺さ、怖いんだよ。死ぬのが怖いんじゃない。このまま俺が『俺』を無くしていくのが堪らなく怖いんだ。

 だから、せめて俺が『俺』であるうちに殺してくれ。頼む」

 アーネルさんの声は間違いなく震えていた。

 得体の知れない病に冒され自分が自分でなくなっていく。

 これで怖くない訳が無い。

 僕だって足の震えが止まらない。

「……わかった。あなたを人のままで人として殺してあげる」

 そう言うとレイチェルは玉座までゆっくりと歩き出した。

 そうして、玉座の前に立つレイチェル。

「どうか、その眠りに安らぎを――」

 聖剣がアーネルさんの胸に突き刺さり速やかに心臓を破壊する。

「あり、が、とう――」

 それが、今代魔王、アーネル・ゼル・スコットの最期の言葉だった。


☆ ☆ ☆


 それから、10年の月日が流れた。

 今度は僕がレイチェルを魔王として待つ番だ。

 彼女がやってくるまで、あれからのことを少しだけ話しておこうと思う。

 レイチェルは聖都に帰還後すぐに僕のなかで眠りに就いた。

 彼女曰く、毎回こうなのだそうだ。

「また、逢いましょう。今度は敵として」

 彼女のブラック・ジョークに僕は吹き出しながら、

「ええ、また逢いましょう。今度は魔王として」

 と答えておく。

 彼女は微笑を浮かべながら消えていった。


 それから10年、僕は24歳になった。

 どうやら、僕はアーネルさん程には長生きできそうになかったらしく、魔王化の兆候がやってきた。

 定期的な眩暈がより顕著に現れるようになってきた。

 こうなれば、ステージ3――つまり、具体的な身体の変化は目前だ。

 だから、早急に次の聖者を選定し、レイチェルの魂を引き渡した。

 今年で16歳になるという、頼りなさそうな男の子だった。

 だけど、レイチェルがついていれば大丈夫だろう。


 そして、僕はベルディン大聖堂にて勇者を待つ。

 あのときのアーネルさんと同じく頭に角を、背中には蝙蝠のような羽を生やし僕は勇者を待つ。

 彼女に殺される最期の大仕事を果たすために。

 そうそう、女王陛下から許可を貰い、『バベル』のアーカイブを覗いて判明したことも言っておかないと。

 どうやら、レイチェルの魂は永遠ではないらしい。

 いつか、それほど遠くない未来に彼女の魂は消滅してしまうらしかった。

 これで、魂の不滅は否定された訳だ。

 それと同時に彼女にも救いが待っている、という事実に僕は心底安堵したのだ。

 だから、僕は先に逝こうと思う。

 彼女がこの世界から解放され彼岸に渡るその時、僕が暖かく迎えてあげるのだ。

 勿論、アーネルさんや彼女の愛した魔王たちと共に。

 ぎぃ、という音が大聖堂に響いた。

 どうやら彼女達がやってきたようだ。

 僕を魔王として殺しに。


「やあ、早かったね。ロイ。それに、レイチェル。間に合ってくれてよかった」


 僕は、あのときのアーネルさんとほぼ同じ台詞で勇者達を出迎える。


「どうして、あなたが――」


 ロイが呆然と立ち尽くしている。

 あのときの僕もあんな顔をしていたのだろうか?


「久しぶりね、綺麗になったじゃない。フィル。いえ――


 魔王女、フィルミーネ・エル・フランシス」


 彼女が僕のフルネームを微笑みながら告げる。

 僕はこの瞬間、本当に安心していた。

 僕は『僕』のまま、人として死んで逝くことができるのだから。

 さあ、最期の大仕事をこれから成そう。

 彼女に殺される、という一世一代の大仕事を。

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