最終話 彼女の最後と僕の最後

 数日後。

 放課後の教室で、僕はひとり、自分の席にぼんやりと座っていた。

 ちらりと視線を動かせば、いくつもある机のひとつに、白い菊の花が活けられていた。

「西渡さん、何で死んじゃったんだろう……」

 僕は言ってみるも、答えはなかった。ただ、人気のない教室内は静まったままだ。わずかに、吹奏楽部が練習する音や、野球部のかけ声が聞こえてくる。

 西渡は、僕と公園で別れた後、交通事故に遭い、そのまま亡くなってしまった。

 自然と涙は出てこなかった。いや、あまりにも突然すぎて、それすら忘れてしまったのだろう。というより、西渡の死に対して、どう向き合えばいいのか、戸惑っているのかもしれない。

 僕はため息をついた。

「『お試し期間』はどうするんだろう……」

「クーリングオフね」

 突然の声に、僕は驚いて、席から転げ落ちそうになった。

「に、西渡さん!?」

 僕が見れば、目の前に死んだはずの西渡が立っていた。公園で別れた時の、制服姿のままで。

「成瀬くんは、わたしが死んで、悲しんでるかと思った」

「か、悲しんでるよ! というより、急なことで、その、どう受け止めればいいか、困ってるぐらいだよ!」

「そうね。わたしとしても、こういう事態は想定外ね。もはや、お試し期間とか言ってる場合じゃないわね」

「でも、さっき、『クーリングオフ』とかって……」

「こういう場合だからこそね」

 西渡は口にすると、横にある空いてる席に座った。

「わたしがそうしないと、成瀬くん、困るでしょ?」

「困るって、何が……」

「わたしのことを気にして、次の恋愛ができないってこと」

 西渡は自分の黒髪を撫でた。

「西渡さん」

「何?」

「本当に、その、死んだんですか?」

「そうね。だから、ここにいるわたしは、幽霊ということになるわね」

「ですよね」

 僕は横にいる西渡と、近くにある彼女の席に活けられた白い菊の花を見比べた。

「短い時間でしたね」

「そうね。結局、付き合うことはなかったわね」

「それが名残惜しいです」

「これから、どうするの?」

 西渡の問いかけに、僕は両腕を組んで、考え込む。

「わからないですけど、とりあえずは、西渡さんの死を受け入れて、その後は、普通の高校生活を送るかと思います」

「そう。わたしのことは、そこまで引きずらないというわけね」

「別に、その、西渡さんのことを忘れようとかじゃなくて……」

「でも、忘れてくれた方が、わたしにとって、すっきりする」

「えっ?」

 僕が間の抜けた声を漏らしたと同時に、西渡は立ち上がった。

「だって、そうでしょ? 人は死んだら、生きた人と関わることはほとんどできなくなるもの。今みたいに、成瀬くんと話ができるのは、奇跡みたいなものかもしれないけど」

「僕は別に、西渡さんのことを忘れるなんて、できないかもしれないんですけど……」

「それはまずいわね」

「でも、そんな割り切るようなこと……」

「なら、成瀬くんも、わたしのところに来るしかないわね」

「わたしのところ?」

「そう。つまりは、成瀬くんも死ぬってこと」

 西渡は言うなり、僕と目を合わせる。

「そっか……。僕が西渡さんと本当に一緒にいたいなら、そうしなきゃダメなんだ……」

「といっても、今はこうやって、お互いに話すことができるけど、いずれはどうなるかわからないから」

「そう、だね。そしたら、僕は混乱するかもしれない」

「だったら、それを防ぐために、事前に何とかしておいた方がいい気がする」

 西渡はおもむろに、教室の窓際へ歩み寄った。

「きれいね」

「えっ?」

「夕暮れ」

 僕が目をやれば、夕日が半分ぐらい沈みかけているところだった。奥にある山々との間から漏れる光が眩しい。

「待ってる」

「待ってるって?」

「そういう意味」

 気づけば、西渡の姿は、教室のどこにもいなかった。

「夢?」

 僕は口にしてみたが、反応はどこからもない。

「クーリングオフされたら、僕としては、悲しいだろうな……」

 僕は言いつつ、自然と、教室からベランダの方へ足を進ませていた。

 おもむろにスマホを取り出すと、SNSで、梶原にメッセージを送ってみた。

「色々と、ありがとう」

 画面に映った自分のメッセージはすぐに既読とならなかった。

「さて」

 僕はベランダの手すりを掴み、下を覗いてみた。

 教室がある四階はさすがに高さがある。落ちたら、生きてることは難しいだろう。

「僕はこうしたいんだ」

 僕は意を決して、手すりを乗り越え、外側に立ってみる。両手だけで自分の体を支え、周りを眺めてみる。

 時折当たるそよ風が気持ちいい。

「本当に、それでいいの?」

 幻覚かわからないけど、西渡の声が聞こえる。

 僕はゆっくりとうなずいた。

「悔いは、ないかな」

「ウソ」

 耳に届く西渡の声は笑っているかのようだった。

 僕は表情を綻ばすと。

 両手を手すりから離し、真っ逆さまに下へ落ちた。

 僕は生きること自体、クーリングオフしたのだった。

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クーリングオフ 青見銀縁 @aomi_ginbuchi

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