二人をつなぐもの、それこそが世界を構成するためのすべて

さかな

二人をつなぐもの、それこそが世界を構成するためのすべて

 人があふれる雑踏。その中に仲良く手をつないで歩く一組の男女がいた。

 片方は金に近い茶髪の青年。もう一人は日本人形のような長い黒髪に色白な少女。

 制服こそ来ていないものの、大学生にしては幼さを残すふたりは、誰もが普通の高校生カップルだと思うはずだ。

 取り立てて言えば、青年も少女もかなり整った顔立ちをしている所為で、道行く人々の目を引いているといったところだろうか。


 けれど、決してその人々が気づくことはない。

 二人の間柄は「カップル」などと言う陳腐な言葉で括れるほど、普通ではないということを。

 青年を見上げてうれしそうにはにかむ少女。彼女が、傍らの男がいないと町でさえまともに歩けすらしないということを。

 そしてその逆もまた然り。


 ――それは束縛にも似た、確かな救いなのだ。





せい……大丈夫?」

「へーきだよ! らんがてをつないでくれてるもんっ」


 隣を歩く男が心配そうにのぞき込む。歩調を合わせてくれているようで、あまり歩くのが得意でない青でも、彼についていくのはたやすい。それをわかっていてなお、彼は遠慮がちに心配を口にした。


 青の幼馴染の男、瀬崎嵐せさきらん

 鋲うちのされた黒革のジャケットに、ダメージジーンズ。ベルトのあたりにはいくつかの鎖が下がっていて、歩くたびにジャラジャラと音がする。その音は決して耳障りではなく、むしろ心地よいリズム感を生むものだ。

 栗色の目はぱっちりとしていて、まつ毛も長い。くりくりとした大きな目の所為でどこか幼げに見え、高校生や中学生によく間違えられる。そんな童顔男の実年齢は二十五歳である。

 金髪に近い茶髪と服の所為でチャラ男にみられがちだが、髪は染めているのではなく、ロシア人の祖母から受け継いだものだ。実際は至って温厚、というより気が弱く恐がりな青年である。


「顔色が少し悪いよ……青、お願いだから、無理しないで……」

「どうしてすぐみやぶっちゃうの? やっぱり嵐にかくしごとはできないね。でもダイジョーブだよっ、ちょっとアタマいたいだけだし……」

「だめ。しばらく……あのベンチで、休む、から……」


 だいじょうぶ、という青の主張はあっけなく却下された。頭痛がすることは事実だったので、少女は抵抗することなく男の言葉に頷く。そんなに心配しなくても死なないよ。そうきゃらきゃらと笑う青は、顔に似合わぬ怖い顔をした嵐に引っ張られ、結局は問答無用でベンチに連れて行かれることとなった。


 ――もう、しんぱいばっかり。だいじょうぶなのに。


 そう思ったけれど、逆らうと余計に怒られるのでここは我慢をした。

 原因は自分にあるのだ。青が文句を言える立場ではない。

 それどころか、嵐がいなければこうして外を歩くことすら出来ないのだ。


 青は、連れて行かれたベンチに座るとほぅっと息をついた。ずきずきと明確に主張を始めていた頭痛は、思考回路を鈍らせる。座ったことで足の疲労感や、体のこわばりを改めて自覚させられた。

 なんだかんだいって、久しぶりの外出で体力を削られていたらしい。一息つくと少しだけ体の力が抜け、楽になった。


「はい……飲み物と、甘いもの……」

「ありがとー! わぁ、わたしのすきなやつだっ」

「当たり前……それが、俺の居る意味、だから」

「嵐、だいすきー!」


 渡されたのはすぐそこの自販機で買ったらしいホットココアと、鞄から取り出したらしいミルクチョコ。すぐに食べたかったけれど、今はそれより嵐にくっついていたい気がする。

 そう思って、あとでたべるから、と二つを傍らに置く。

 それから隣に座る彼にそっと寄りかかった。


 嵐はこの世で唯一心を許し、直に触れることの出来る存在だ。

 そのことにどれだけ救われていることだろう。

 彼無しに生きられない。生きていけない。

 そして彼もまた。


「青。手が、どんどん、冷たくなってる……どうして、はやく、言わなかったの……!?」

「ごめん、しんぱいかけたくなかったの。でも嵐がてをつないでてくれるなら、だいじょうぶだよ?」

「手を、つないでても……だめなの、は、知ってる……! お願い、だから……」


 無理、しないで。


 何度も悲痛な声で繰り返す嵐にぎゅっと抱きしめられた。それから、そのままの体勢で手や足や肩や背中、体の至る所に触れられる。

 それは、いつも儀式のように繰り返される行為だった。まるで、触ることで目の前の存在を確かめているかのような。青は己のものだと、主張するかのような。そんな行為だ。


「嵐……?」


 彼には珍しい甘え方に戸惑う。

 嵐に触れてもらうことはうれしい。だからそれを表すために、抱きついてくる嵐を抱きしめ返した。自分たちは、そうすること以外に気持ちの伝え方を知らない。たったそれだけでしか、お互いの存在を確かめることができないのだ。


 どれぐらいの間そうして抱きしめ合っていただろう。ようやくゆるんだ抱擁の力からそうっと抜け出すと、嵐と目が合う。そこで先ほど自分がもらった物の存在を思い出した。


「いけない、さめちゃう……」


 完全にその温かさがなくなってしまう前にとホットコーヒーに手を伸ばした。側面に手を触れるとまだ暖かくて、良かったと安堵の息をもらす。

 だが、そこで手元が狂った。


「あ……、っ!」


 ホットコーヒーを少し持ち上げたはずみで、隣に置いてあったミルクチョコをはたき落としてしまった。慌ててベンチから立ち上がり、転がっていくチョコを捕まえようと追いかける。あめ玉みたいに丸いチョコは待ってくれなくて、あっという間に道行く人の雑踏の中へ進んでいく。早く行かないと踏みつぶされてしまう。人の足の間を縫い、やっと転がるのを止めたチョコに屈んで手を伸ばした。


 手元に戻ってきたそれを大切につまむ。

 それから、とったよー、と嵐のほうを振り返った。

 いつもの彼なら、良かったね、と笑顔で返してくれたはずだった。


 だが予想した反応は返ってこない。なぜか顔を蒼白にした嵐ははじかれるように立ち上がってこちらへ手を伸ばす。

 けれどそれは一瞬だけ遅く。

 名前を呼ばれるとともに衝撃が走ったのは次の瞬間だった。


「青……っっ!!」


 必死な嵐の叫び声と、肩に当たるドン、という衝撃。それ自体は軽い物だったのだろうが、そこから頭に突き上げる衝撃に耐えられなくて悲鳴を上げた。

 頭に無理やりねじ込まれた、聞きたくない感情モノ

 普段人々が心の中に隠す激情。本来なら、苛立った言葉をぶつけられるだけで済むもの。


 青はそれが何倍にも増幅された形で、直接頭に響くのだ。


(邪……だ……ね、クソ……!!!)


 切れ切れに聞こえてくる言葉は、すでに形を成していない。

 思考に直接叩き込まれたその感情に、名前など要らない。

 あまりにも強い強い負の感情――形容はただそれだけでいい。体がバラバラにされるようなほどの痛みを伴う、けれど訳の分からないそれに思考回路の一切を奪われる。

 頭の中が沸騰する。焼き切れる。ただ体を支配し続けるそれは強い頭痛とめまいを引き起こした。手足の痺れと立っていられないほどの吐き気が襲い、がくりとひざをつく。


 もうなにもかんがえられない……。

 

 らん、たすけて……。


「あ……ああぁぁ……ぅあ、やだ、やめてえぇ……ッ!!!」


 頭の中を埋め尽くすそれを振り払うかのように頭を抱え、首を振って絶叫する。



 い た い 、

   あ つ い 、

     く る し い 、

       き も ち わ る い 。


    これいじょうあたまのなかにはいりこまないで。


          いや、やめて。


 たすけてたすけてたすけて。

        

          た す け て … …



 体の感覚はすでにほとんどなく、かろうじてそれをつなぎ止めているのは皮肉にも全身を引き裂かんとする痛みの感覚だ。早くそこから逃げたくて、この世でただ一人それが出来る人の名を譫言うわごとのように呼び続けた。


 めちゃくちゃに叫んで泣いて。

 その人だけを求めて、闇雲に手を伸ばす。


「ら、ん、らん、ら…ん……っ!」


 周りの景色なんてもう見えない。

 自分がどこにいるのかもわからない。

 それでも必ず彼は来てくれる。

 自分が彼を求めれば、全力で助けに来てくれる。

 だから、助けてと嵐の名前を呼ぶ。


 けれど、必ず来てくれると信じていてもそれは永遠にも感じる一瞬で、耐えるにはあまりにも辛すぎる時間。

 あまりの痛みに目の前がチカチカとスパークを始める。

 ああ、さすがにまにあわないかもしれない──そう覚悟したとき。


「……い、せい、青……っ」


 すべてが混沌とした地獄から引き上げてくれたのは、待ち望んだ救いの声だった。闇に差し込む、一筋の光にも似たそれは何よりも求めたもの。自分を包み込む手の温もりを感じると同時に、感情を支配していた痛みが引き潮のようにゆっくりと引いていく。


「らん、やっときてくれた……」


 立ち上がれないほどにひどい倦怠感に襲われながらも、この上ない安堵にそう呟いた。


(やっぱりきてくれた。きてくれるってしんじてた――)


 ぎゅっとしがみついて彼を見上げる。涙で滲んだ世界の中。嵐は、迷子の子供が長時間彷徨い続けて、やっと母親を見つけた時のような顔をしていた。


「青、ごめん、ごめん、ごめんね……っ」


 そう繰り返す彼もやっぱり泣きそうな顔をしている。

 まだ思考がうまく回らない。

 だからどうして嵐がそんな表情をするのか全然わからなかった。


 どうしてなきそうなの?

 なぜあやまるの?

 嵐がたすけにきてくれただけでうれしいのに。

 どうしてそんなにかなしそうなの?


 そう問いかけると、嵐はさらに泣きそうな顔になった。だいじょうぶだよ、ありがとうという気持ちを込めて、彼を抱きしめる。すると、ぎゅっ、と苦しいくらいにきつく抱きしめ返された。


「俺 が、傍に、いたのに……また、青に、苦しい思い……させた……っ!」

「そんなことないよう……嵐はわるくない、わるいのはわたし」


 とん、とん、と背中を優しくたたいてなだめようとしたが、嵐はぶんぶん首を振って言葉を続ける。同時に抱擁がさらにきつくなった。


「違う……俺、が、ちゃんと……見て、なかった、から……!!」


 ごめん、お願い、だから。

 俺、を、残して、どこか、に、行かないで。


 途切れ途切れの震える声で呟く嵐。

 それを聞いて、こちらからもきつく抱きしめ返す。


「どこにもいかないよ。嵐が、わたしのせかいのすべてだから」

「うそだ……っ、だって、こんな、にも……体が、冷たい、のに……!!」

「だいじょうぶ、嵐がきてくれたから。わたしはもうだいじょうぶ」


 わたしはまだこのせかいにいる。

 そういいたくて、嵐を強く強く抱きしめる。


「本当、に……? 本当に……っ?!」

「うん、いるよ。どこにもいかないよ。やくそくしたでしょ?」

「そうだ、約束、した……俺、が、青を……助ける、代わりに……」

「わたしは嵐のそばにいる。ぜったいにいなくならない」



「「約束、だよ」」



 同時にそういうと、二人は少し離れて目を合わせ、笑った。

 それこそが二人をつなぐただひとつのものだったから。


 もういつしたのかも覚えていないぐらいに古い古い約束。

 初めて、自分がこの世界に存在していると理解した日のことだった。


 人に触るだけで感情を自分のもののように体験してしまう青。

 触れる人に自分を拒絶させてしまう体質ゆえに孤独な嵐。

 青にとってその拒絶は救いであり、

 嵐にとって初めて自分を拒絶しない存在だった。


 だから、離れられない存在となった。

 お互いなしに、生きていけなくなった。


 互いは互いを求め、そこに自分の存在を見出す。



 ――それは束縛にも似た、確かな救いなのだ。




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