019
デートの待ち合わせ場所は、新宿アルタ前、東口広場。何やらイベントが開催されているらしく、特設ステージの上でプロゲーマーが昔なつかし『超魔界村』を実況プレイしていた。同時にネット上でも配信しているようだ。
平坂が待ち合わせ時間より1時間早く到着すると、ちょうど大江もやって来たところだった。
「チョット、さすがに来るの早すぎじゃない」
「それはおたがいさまでしょう?」
「昨夜はよく眠れた?」
「まだ夢を見ているようですよ。こうしてあなたが目の前にいるなんて。もしかしたら僕の妄想かもしれない、とか考えちゃって。触れてもみていいですか?」
「ふ、触れるって、どこを?」
例のごとく、周囲には人目をはばからずセックスにいそしむ若者たちが何人かいた。まさか大江も仲間に加わりたいのか? 言葉を大切にしている点で、ほかの連中とは違うと思っていたが、やはり性癖は同じなのだろうか。もしホントにそうだとしたら、ここは年上として余裕を示すべきなのでは――などと、平坂が悶々と考えているのをよそに、大江は右手で彼女のほおに触れて、やさしくなでた。
「ああ、チャントここにいる――」
「ト、トーゼンでしょ。これは夢でも妄想でもなくて、れっきとした現実なんだから。ヘンな大江くん」
あまってしまった1時間を、ふたりはそのまま広場でダラダラ――イチャイチャともいう――過ごしたあと、当初の予定どおり新宿武蔵野館へ移動した。スコット・イーストウッド監督の『グッド・バッド・アグリー』公開に合わせて、オリジナルの『続夕陽のガンマン』が上映されているのだ。
平坂はすでに先日ひとりで、リメイク版を新宿ピカデリーへ観に行ったが、かなり思い切ったリメイクだった。ブロンディはオリジナルよりさらに無口になっており、トゥーコは女優が演じ、エンジェル・アイは中国人だった。ストーリーは大幅に短縮され、上映時間は102分。セルジオ・レオーネ独特の、引きと顔アップを多用したカメラワーク、緊張感ただよう長回しにはいっさいとらわれず、簡潔でわかりやすいエンターテイメントに仕上がっていた。ようするに完全な別モノだったが、リメイク版『十三人の刺客』くらいには評価してもよいのではないだろうか。惜しむらくは、スコット・イーストウッドが若いうちにみずから主演できていれば、さらによかったのだが。もっとも、今の年齢で監督として作ったからこそ、ここまでの出来栄えになったのかもしれないが。
オリジナル版をタップリ3時間近く観終えて、ふたりは遅めの昼食を摂った。老舗の洋食店レストランアカシア。平坂が通っていたころと変わらないロールキャベツの味だ。店内もレトロな内装で雰囲気があってイイ。
「すごくおもしろかったです。“世の中にはふた種類の人間がいる”のくだりは、しばらくマネしちゃいそうだ」
「でしょでしょ。やっぱイーストウッドはサイコーよね」
「そうですね。でも僕はリー・ヴァン・クリーフのほうが好きですが」
「アタシたち別れましょう。もうやっていけないわ」
「エッ!」
「ウソウソ。ジョークよジョーク。真に受けないで」
「カンベンしてください……その顔で言われると、本気かそうじゃないかわかりづらいんですから……」
「ゴメンゴメン。だって大江くん、イチイチ反応がカワイイんだもん」
それから大江たっての希望で、紀伊國屋書店新宿本店へやって来た。しかし場所は新宿3丁目ではなく、南口の甲州街道沿いにある小さな店舗だ。
「へえ。見当たらないと思ったら、こんなトコに移転してたのね。知らなかったわ」
「実店舗の本屋なんて、もう都内でも数件しか残ってないんですよ。イマドキ紙の本を持ちたがる物好きは、少数派ですからね。まァ僕もそのひとりですが」
「アタシも紙のほうが好き。本ってのは、ただ読めればいいってワケじゃない。紙の匂いと手触り。手に持ったときの重み。ページをめくる音。そして何より、本棚に並べて飾るインテリアでもあるのよね。自分がどれだけ趣味のイイ本を集めて読んだか、ひとり眺めてほくそ笑む。もちろん集めるのは電子書籍でもできるけど、単なる電子データと、実体をもって空間が占有されるのとでは、やり遂げたっていう達成感が段違いよ。アタシは通帳に記された数字の羅列なんかじゃなくて、金銀財宝の山を前にして狂喜乱舞したい」
「大量の本が壁一面に、ところ狭しと並んでいるのを見るのが好きなんですね」
「ええ、とっても」
「どうしても本棚に入りきらなくて、床のあちこちに積み上げて塔を作っているのは?」
「ゾクゾクしちゃう」
「だったらチョット、ガッカリさせちゃうかもしれないです」
「エッ?」
書店に足を踏み入れてみると、そこは想像していたのとはまったく違った景色だった。
本棚は並んでおらず、紙の本はいっさい陳列されていない。
その代わりに置かれているのは、さまざまな用紙のサンプルだ。普通紙にかぎらず、和紙や羊皮紙、パピルスもある。それから厚紙や光沢紙、さらにはなぜか牛をはじめとした動物の天然皮革もある。
たったひとりの店員は、みごとな営業スマイルで、「本日はどのような本をお求めですか?」
「メアリー・シェリー『フランケンシュタイン/あるいは現代のプロメシュース』を、四六判の革張り装丁で欲しいんですが。フランケンシュタインの怪物そのものを思わせるような、おどろおどろしい装丁で」
「それでしたら、こちらのフェイク人皮ががオススメです。表紙にも本文にも使えます。装丁にはそれっぽい縫い目を印刷しましょう。フォントはどうしますか?」
「本文は手書き風でお願いします。この作品は書簡体ですからね。表紙のタイトルは洋書っぽく英語にして、フォントはどうしようかな……」
「でしたら、こちらの焼印風のフォントと印字なんかはいかがでしょう?」
「ああ、なかなかイイですね。それでお願いします」
「オーダーは以上でよろしいですね? 書籍データはすでにご購入済みでしょうか?」
「著作権切れの旧訳でお願いします。森下弓子で」
「かしこまりました。では刷り上がるまで、30分ほどお待ちください」
そう言い残して、店員は奥へ引っ込んでしまった。
「最近はこうやって、1冊ずつ客の好みに応じて印刷・製本するのが主流なんですよ。今みたいにひとつひとつ決めるんじゃなくて、ごくフツーの文庫本とかテンプレートもいくつか用意されてます。あえて安っぽいペーパーバックにするひともけっこういるらしいです」
「でも、かなり値が張るんじゃない?」
「まァ電子書籍の倍じゃアきかないですね」
「店側にしても、1冊1冊印刷するんじゃアよけいにコストがかさむように思うけど」
「それでも、製本したものを在庫として大量に抱え込むリスクに比べれば、はるかにマシだとか。印刷・裁断前の紙なら、ほかに転用もできますし」
「フーン……あ、でも製本したヤツをまったく置いてないワケじゃないのね」
レジ横のスペースに、1架だけ本棚が設置されていた。そこにわずかな紙の本が並べられている。
「ああ、そこのはサイン本ですよ。新刊の販売促進キャンペーンで、数は少ないですが、わりと頻繁に入荷されるんです。今日は何か新しいのは――あっ、スゴイ! 前野ひろみちの新刊サイン本だ! しかも残り1冊だなんて、今日はツイてる!」
「前野ひろみちって――」平坂の記憶では『ランボー怒りの改新』とかいう、タイトルからして狂っているとしか思えない作品でデビューした奈良県の新人作家だ。奈良を舞台にした作風に定評があるらしい。そういえば平坂も読もうとして購入したのだが、その前に脳死になってしまったのだった。
大江が大ハシャギで手に取った新刊のタイトルは『続・高野の用心棒』――メキシコ国境近くの町に現れた高野山の僧侶フランコ・ナラが、棺桶に隠し持った機関銃で大活躍する物語らしい。ワケがワカラナイ。
「その作家、好きなの?」
「好きっていうか、日本で今一番の大御所作家ですからね。映像化もたくさんされてますし。数年前から、ノーベル文学賞の最有力候補に挙げられてます。たとえ作品を読んだコトはなくても、名前だけなら前野ひろみちを知らないひとなんかいないんじゃアないかなァ」
「へえ、そうなんだ。――あ、よかったらその本、アタシがプレゼントしてあげよっか? 初デート記念に。何ならさっき頼んだ分も」
「エッ? いいんですか? いや……でも、そんな……悪いですし……」
「いいのいいの。年下なんだから遠慮しない。ここはおねえさんにドーンと甘えておきなさいな」
「……じゃア、お願いします」
しばらく経って製本された書籍を受け取り、サイン本と合わせて平坂が〈M.I.N.O.S.〉で支払った。会計が予想以上に高額だったが、そこは怠惰な表情筋に助けられた――フクザツな気分であるが。
大江のよろこぶ笑顔が見られたので、自分の表情なんてどうでもよくなった。
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