001
りきみすぎて不明瞭な言葉を、ハッキリ聞き取れた者は実際ほとんどいなかっただろうが、それでも何を言われたのかは状況から見てたやすく理解できたに違いない。
その男は突如ふところから拳銃らしきものを取り出して、こう告げたのだ――動くな、と。
「動くんじゃねえ!」男は念を押すように再度告げた。「全員、そっちの壁の隅に集まって縮こまってろ。妙なマネをしやがったっら殺す」
銀行強盗は3人組だった。みな拳銃を手に持っている。1人は出入口を封鎖し、1人は客を1ヶ所に集め、そして最後の1人は窓口の銀行員と向き合った。「今さら言わなくてもわかると思うが言うぜ。カネを出せ」
ちなみに、1名常駐していた警備員は何をしているのかというと、10名の客に混ざって人質になっている。警棒しか装備していない時点で、拳銃に対抗しようがないのも事実だろうが、そもそも定年間近とおぼしき華奢な初老男性に、なぜこの仕事が務まると思ったのか――今すぐ警備会社を問いただしてやりたい。平坂らい
いや、それを言うなら、2016年の日本で白昼堂々銀行強盗を実行した犯人たちにうんざりだ。あきれを通り越してむしろ、感心してしまいそう。
何の偶然か、平坂は非番中の女刑事だ。警視庁捜査一課期待のホープ。もちろん銀行強盗は管轄のうち。とはいえ相手が3人、見たところ拳銃もホンモノ――トカレフの粗悪な中国製コピーのようだが、正直勝てる見込みは薄い。よくよく考えてみれば、警備員のコトをとやかく言える立場ではないのだった。
さりとて、ただおとなしくしているだけでは気が済まない。ほかにできるコトもないし、彼女は犯人たちをプロファイリングしてみた。プロファイリングは本来、異常性犯罪者専用の技術だが、こういう典型的な犯罪者相手なら、ある程度は応用できないコトもない。
犯人たちはみな、せいぜい20代前半、もしかしたら10代かもしれない。サングラスとマスクで顔を隠しているが、ハリツヤのある肌や声色で、そのくらいは推定できる。
虚勢でごまかしているものの、挙動不審で自信に欠けるのが見て取れる。手のひらの汗が止まらないようで、何度も服になすりつけている。
おそらく連中は今流行りの半グレか何かだろう。拳銃の入手先としてヤクザが絡んでいる可能性もある。
3人ともこの銀行強盗を主体的に取り組んでいない。カネ持ちになりたいのが動機なら、ひとりくらい笑みをこぼすヤツがいるハズだ。しかし彼らの様子は、まるで親にムリヤリ勉強させられる子供みたいに見える。おおかた年上のセンパイあたりに、難クセのような理由で相当額の支払いを迫られ、ヤケになり犯行に及んだといったところか。
明らかに計画的な犯行ではないし、お世辞にもあまり賢い連中とは言えない。誰も逃げ出して通報しないよう、まずはハデなパフォーマンスでフロア全体ににらみを利かせたが、それが失敗だ。そこは最優先で、銀行員の動きを封じなければならなかった。
空のバッグを手渡された窓口の女性は、恐怖でカラダがすくんでいるのを装い、モタモタと札束を詰めているが、実際のところ単なる時間稼ぎだ。
すでに5分以上経過している。早ければそろそろのハズ――そのときパトカーのサイレンの音が聞こえてきた。強盗が最初に叫んだとき、銀行員が非常通報装置を作動させていたからだ。
「クソッタレ! やりやがったな!」男は目の前の女性行員の襟をつかんで、その額に銃口を突きつけた。「ぶッ殺してやる!」
ほかの2人は泡を食って、「オイ、早まるな。落ち着けって」
「うるせえサル! てめえはだまってろ!」
サルと呼ばれた男はそれきり黙ってしまう。
一方出入口前にいたもうひとりは、「冗談じゃねえ! コレ以上付き合ってられるか!」
そうわめくやいなや拳銃を床に捨て、外へ逃げ出してしまった。
直後、駆けつけた警官に取り押さえられたのが、騒がしさでここからでもわかった。サイレンの数は増えて、さらにパトカーが集まってきている。
そうこうしているうちに、拡声器で警官隊から呼びかけ。「君たちは完全に包囲されている。人質を解放し、おとなしく出てきさない。今ならまだ間に合う」
リーダーは出入口のほうへ近づいて叫ぶ。「何が間に合うだチクショウ! 俺たちの人生はな、とっくに終わってンだよ! 間に合うも何も、生まれる前から終わってやがるのさ!」
「おまえにも両――」「両親がいるだろうとか言うなよ? 両親を悲しませる前にってか? 俺を見ろ、俺を見ろ! 見ろよこのザマを! 親が悲しむって? ひと目見りゃアわかるだろ? 大事な息子が、こんなあからさまなチンピラになって悲しまねえとしたら、そいつはゼッタイに親じゃねえ。親の資格なんてねえ。俺の親がそうだ。別に説得させたけりゃア呼んでかまわねえが、ハッキリ言っておくぜ。あいつらの言葉なんざ、俺の心にはこれっぽっちも響かねえ」
交渉役は返答に窮したのか、しばらく沈黙が続いた。
だが、やがて搾り出すように、「……要求はなんだ?」
「ヘリを用意して、俺たちを逃がせ」
「この場所は狭すぎる。ヘリを降ろすのはムリだ」
「バーカ。ヘリポートまでおとなしく案内しろってコトだよ。そのくらいわかれってんだ。――ああ、クルマなら自分たちのがあるから心配するな。すぐそこに止めてあるだろ」
「わかった。すぐに手配する。その代わり用意できたら、人質を解放すると約束しろ」
「いいぜ。ただし、1人は連れて行く。ヘリを撃ち落とされたら敵わねえからな」
ここは日本だぞ。そんなマネをするワケがない。だいたい人質だけではなく、ヘリのパイロットだっているのに――平坂は心のなかで突っ込んだ。
リーダーは人質たちを見まわして、そのなかの1人を銃口で指した。「おまえだ。おまえにしよう。一緒に来てもらう」
「エッ? わたし、ですか……?」
「そうだ。おまえだ、おまえ」
彼が選んだのは、あろうことか妊婦だった。イマドキめずらしいくらい若い妊婦。比較的結婚するのが早いヤンキーのたぐいでもなさそうだ。童貞と殺人鬼が好きそうな黒髪の清純乙女。
なかなか評価の難しい選択だ。妊婦を連れて逃げるのは骨が折れるが、その反面、人質としての価値は非常に高い。なにせ1人で2人分の命を有しているワケだから。万が一、死なせるようなヘマをすれば、警察へのバッシングがどれほどになるか――平坂には想像もつかない。
むろん、それが妊婦であろうとなかろうと、市民を守るという使命を果たすため、平坂はみずから名乗り出る。「待って。人質にはアタシがなるわ」
「あァン? ンだよババア! 呼ばれてもねえのにしゃしゃり出てくるンじゃねえ!」
「ババ――アタシはまだ20代よっ」平坂は殴りかかろうとする衝動を必死で抑え込んだ。「人質なんて誰がなっても同じでしょ。妊娠してるのにムリさせられないわ。もしお腹の子に何かあったらどうするの?」
「そうだぜリーダー。そのオバサンにしとこう」
「だまってろサル。……しゃーねえ、ババアでガマンしとくか」
そう舌打ちしつつ吐き捨てたときの表情を見て、ふと平坂は思った――もしかして単に好みで選んだだけかもしれない、と。
それから小一時間ほど経って、「待たせたな。ヘリの用意ができた。これからヘリポートまでパトカーで先導する。クルマに乗ってついて来てくれ」
強盗のリーダーは、平坂の背後から首を腕で抱えて盾にし、彼女の側頭部に銃口を突きつけた状態のまま、ゆっくりと銀行の外へ歩み出る。サルもその横に並んで、油断なく拳銃を構える。
「まったく、クソ暑いな……異常気象だぜ……」
猛暑の容赦ない陽射し。高い湿気のせいで、肌にまとわりつく熱。今朝の天気予報では、最高気温35℃を超えるというハナシだった。近年の節電志向で空調の設定が控えめとはいえ、建物の内と外ではかなりの温度差がある。
出入口からクルマまでの距離は10m程度。用心深く慎重に近づく。
あまりに遠く感じる。
時間の流れが遅い。
対照的に、心拍数は急上昇していく。暑さのせいか、それとも緊張のせいか。
強盗たちの注意は、周囲を取り囲む警官ばかりへ向いていて、どこか建物の上に狙撃手が配置されている可能性には、どうやら気がついていないようだった。この銀行前にいる標的を狙いやすい位置はかぎられる。平坂は消去法で見当をつけ、正面の雑居ビルの3階、半開きの窓から銃口が覗いているのを発見した。
あとはタイミングを見計らって強盗の腕を振りほどき、狙撃手が狙いやすいよう――というか万が一にも誤射されないよう、即座に身を伏せればいい。それでこの立てこもり事件は一件落着だ。
ただし、ひとつだけ懸念材料がある。
狙撃手の腕は信頼するしかないとして、厄介なのは強盗が使っている中国製のトカレフだ。その事実に平坂は戦々恐々としていた。今この瞬間に暴発しても、なんら不思議ではない。
だがそれ以前の問題として、イヤな事実に気がついてしまった。
「……ねえ、あのさ……いそがしいトコ悪いんだけど……その、引き金から指、外してくれない?」
「あァ? なに言ってやがる。それじゃアいざってときに、撃つのが間に合わねえだろうが」
「いや、アンタはシロートだから知らないかもしれないけど、銃っていうのはね、撃つ瞬間まで指を引き金にかけないで、まっすぐ伸ばしておくものなのよ。そうしないと、何かの拍子に暴発するおそれがあるから」
男は鼻で笑い飛ばして、「俺がそんなヘマするふぁ――ふぁア、ふぁっ」
――温度差によって、アレルギーに似た症状が起こるコトがある。寒暖差アレルギーと呼ばれるそれは、季節の変わり目など急激な気温変化によって引き起こされる。今の場合は、空調の効いた建物内と外気温との差が原因だ。
「ヤだチョット待っ――」
どれだけ切に祈ろうと、一度出かかったクシャミを止めるコトは、神さえできない。
――
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