014

 大江の両親は、自然を愛する人たちだった。

 国産の有機野菜、天然のエサで育てられた家畜を好み、緑豊かで空気がキレイな田舎暮らし。

 言うまでもなく、わが子を〈ヘッジ〉にするなどもってのほか。大江は正しく愛の結晶として、自然妊娠により生を受けた――ただし、出産は帝王切開だったが。

 昨今は〈ヘッジ〉にしなければ障害を持って生まれると思われているようだが、それは大きなカンチガイだ。出生前診断をしようとしまいと、健康優良児は生まれてくる。実際、大江は病気ひとつせず順調に成長した。

 けれども、健全な肉体に健全な精神が宿るとはかぎらない。大江の心は生まれつきゆがんでいた。

 女の子らしくない妹が放り出したソフビ製の着せ替え人形に、彼が興味を示したのは4歳のころだった。はじめはごくフツーに話しかけたりしていただけ。人形との会話を想像するのが楽しかった。

 だがそのうち、人形の服を脱がしてハダカにし、年齢相応のかわいらしいペニスをこすりつけて遊ぶようになった。当人としては、悪い怪物に少女が襲われているごっこのつもりだ。毎週放送している女児向けのアニメで、主人公たちがピンチに陥った場面を再現したのだ。むろんアニメのほうは、あくまで健全な内容だったが。

 ――もしこの人形が、人間だったら? 幼心に無邪気とは言いがたい妄想が芽生える。

 不思議な魔法で人形にされてしまい、逃げたくてもカラダは動かず、助けを求めたくても声は出ず、表情さえ動かせないので苦痛をあらわすコトもできない。ただなすがままにされるだけ。そう考えるとますます興奮した。あるいは屈辱的な仕打ちを受けた人形が、無表情の裏で何を感じているか想像するのも、また楽しからずや。

 ペニスに刺激を与えるとキモチイイコトに気づいたのも、キモチイイと勃起するコトも、精通を経験したのも、着せ替え人形と遊んでいるときだった。精液まみれにされた人形は、さらに彼を高ぶらせた。

 あるとき、姉が何の気まぐれか人形を引っ張り出して、ヘンな臭いがすると母親に報告したときは、さすがに肝を冷やしたが、結局、彼の行為が露見するコトはなかった。そうして彼と着せ替え人形との逢瀬は、中学卒業まで続いた。

 一方、学校生活における感情豊かな同級生たちとの交流は、彼に人間への嫌悪感を抱かせた。泣いたり笑ったり、せっかくのなめらかな肌にシワを作って、一定に保たれない表情の多彩な変化は、つねに美しい表情で固定された人形と比べて、彼の目にはどうしようもなく醜く映った。

 大江の住んでいたような田舎でも、性に関する価値観はかなり開放的になっていた。中学生にもなればセックスはアタリマエのコミュニケーションであり、恋人同士でなくても気軽にヤるのがフツーだった。大江はクラスの誰ともそれなりに付き合っていたが、本当の意味で友人と呼べるような相手はいなかった。だからこそ多くの異性と関係を結ぶチャンスはあったが、美少女がブサイクに顔をゆがませてあえぐのを見ていると、どうしても途中で萎えてしまうのだった。

 たとえ無愛想な少女であっても、まったく感情がないワケではない。特に、ベッドの上でポーカーフェイスを保ち続けられる娘はまずいない。ゆえに彼を心ゆくまで満足させられるのは、人形だけだった。

 自分が他者と違うのは、〈ヘッジ〉ではないせいだと考えた。自分と彼らは違うイキモノなのだと。彼には、それ以外に理由が思いつかなかった。もっとも、同じ〈ヘッジ〉ではない家族からも、彼は疎外感を感じていたのだが。

 高校生のとき、VRセックスと出会った。開発された当時はもてはやされたらしいが、とうの昔にブームは過ぎ去っていた。現実で妊娠も性病も心配せず、気楽にセックスできるのに、わざわざバーチャルに手を出す意味が見出せない。アニメキャラタイプはともかく、実写系やリアルなCGのタイプは、イマドキ誰もやりたがらない。

 しかし、これが大江には合っていた。CGのモデルは容姿やスタイルに加え、快感に対してどんな反応を示すか自由に設定できる。大江好みの生きた人形を作るのもカンタンだった。

 もしかしたら、自分は屍体愛好者ネクロフィリアなのではないかと考えたコトもあったが、その疑問が間違いであったと悟るには充分な――かつて感じたコトもない快感だった。ただの穴に過ぎない死体と違って、生きた人形はけなげにしめつけてくれる。その差は歴然だった。

 ああ! これがCGモデルと連動したUSBオナホールではなく、実際に生身のカラダ相手だったなら!

 ぬくもりのある肌。抱き上げたときの重み。胸に顔をうずめれば心臓の鼓動が聞こえる。首を絞めて呼吸できなくすると、苦しげに痙攣するが、それでも表情は彫刻のように美しい。たとえ心のうちは恥辱にまみれていようとも、それをおもてに出すコトはできない。

 大学進学のため上京したころには、もうVRでも満足できなくなった。留年してまでバイト代を必死に貯め、今度は高級なラブドールを買った。接続された電動オナホールは、ホンモノの性器と同じようにうごめくようプログラミングされている。現代ではこれが最先端の技術だ。

 しかし、使っているうちに段々と物足りなくなってきた。何かが違う。欠けている。

 考えてみれば当然だが、いかに精巧に造られていようと、しょせんは人形、そこに精神サイコは宿っていない。

 そうではない。大江が幼いころから抱き続けた妄想は、人形を犯すコトではない。人形にされた人間を犯すコトだ。少女が抱く苦痛を、嫌悪を、無念を、抵抗できない殻のなかへ押し込めてやりたいのだ。

 となると、妄想を現実へと昇華するためには、どうすればよいのだろうか。

 夜の新宿で、泥酔した女をホテルへ連れ込んで犯してみた。

 サークルの後輩に睡眠薬を飲ませてもみた。

 けれども、イマイチしっくりこない。眠っているのでは本人に犯されている自覚がないのだから、ただの人形と変わらない。それではダメだ。

 起きた状態のまま無抵抗にしたければ、筋弛緩剤を使うのが一番手っ取り早くて確実だろう。しかし、筋弛緩剤など一般人が手に入れるのはムリだ。

 行き詰まっていたとき、転機が訪れた。

 森教授の受け持つ生命倫理の講義で、脳不全と植物状態について教わったのだ。

「脳不全患者や植物状態の患者に対して意識不明というとき、意識がないという意味合いで使われがちだ。しかし本来、意識不明とは、意識があるかないか判断できない状態のコトを言う。また脳波が計測できないから意識がないと言う者もいるが、これも正しくない。たとえ脳に直接電極を埋め込んで厳密な深部脳波の計測を行ったとしても、それはしょせん脳の神経活動を観測したに過ぎない。『脳波があるから意識がある』は真だとすると、『意識がないから脳波がない』は真だが、『脳波がないから意識がない』がかならずしも真とはかぎらない。意識の有無はあくまで不明なのだ。デカルトが“ワレ惟ウ、故ニワレ在リ”と言ったように、何もかも不確かなこの世界で、信じられるのはおのれの思考のみ。そう、おのれの思考だ。断じて他人の思考ではない。『おまえには意識がない』などと決めつけるコトは誰にもできやしない。君たちの年頃は“シュレディンガーの猫”が好きだろう? 意識も同じで、閉ざされた箱のなかに入っている。だから脳不全や植物状態のコトは、意識障害ではなくコミュニケーション障害とでも呼ぶべきだろう。意識がないのではなく、コミュニケーションをおこなう能力が不自由になっているのだ。実際、植物状態から回復した患者は周囲の様子をチャント憶えている。まばたきの回数でYES/NOを返事させるコトも可能だ。むろん間違っても彼らのそばで、安楽死の話題などしてはいけない。こちらが真摯に耳を傾ける努力をすれば、彼らも泣き寝入りせずに自分の意思を示せるのさ。だから君たちも、彼らとじかに接する機会があったら、おのれの頭で考えて、おのれの心で感じてほしい。彼らがホントに何も考えず、何も感じない存在なのかどうかを」

 森教授の講義はすべてが衝撃だった。これまでおのれが何となく理解している気になっていた問題を、まるごとひっくり返されてしまった。そして何より、脳不全や植物状態の在りかたが、大江の長年思い描いてきた妄想の、生きた人形と合致しているコトを知り、心が震えた。ずっと探し求めていたものは、そこにあったのだと。

 そして、新たな試行錯誤の日々が始まった。

 東急ハンズで電動ドリルと購入し、手始めにモルモットの脳天に穴を開けた。

 作業に慣れたら次は、野良犬と野良猫を捕まえて使った。

 もっと大きい動物で試してみたくなり、奈良まで行って鹿を襲ってみた。見つかった死骸がチョットした騒ぎになったが、すぐに忘れ去られた。

 できればサルでも実験しておきたかったが、あいにく手に入らず、自信不足のまま本番に挑まざるをえなくなってしまった。

 エモノの物色は新宿でおこなった。この街は平日の昼間からひとで満ちあふれている。これだけたくさんひとがいれば、大江好みの人形らしい少女もきっと見つかるハズ。

 しかし、考えが甘かった。大学帰りにほぼ毎回探していたが、彼のガラテア候補はいっこうに現れず、2年もの月日が流れた。

 歌舞伎町のドン・キホーテ前でようやく見つけた1人をストーキングして、自分と同じ品川大学の学生だと知ったときは、さすがに笑った。まさしく灯台下暗しとはこのコトだ。

 しょっぱなから身近な場所の人間を狙うのは、いくらなんでもリスクが大きすぎるのではないかと思ったが、大江はもはや欲求を抑えられなかった。

 毎日、彼女の行動を監視してスキをうかがい、いざチャンスが訪れたときは迷わなかった。

 小学校の修学旅行で買った十手で殴って気絶させ、ボーイスカウト時代に使っていたロープで拘束、そして電動ドリルで脳天に穴を開けた。上手くいったかどうか確かめるため、頭以外の場所もドリルで突いてみたが、表情は苦悶に染まっていて、なかなか人間性が消えない。アレコレ試しているうちに、ようやくそれが死に顔だというコトに気がついた。加減に失敗して殺してしまったのだ。

 もくろみどおりにいかなかったとはいえ、このまま捨ててしまうのも気が引ける。せっかく手に入れたのにもったいない。このうっとうしい顔さえつぶせばいくらかマシになるだろう。アスファルトに何度もたたきつけるのは骨が折れたし、肌はすでに熱を失って冷たくなっていたが、ナカは比較的まだ温かく、締めつけがない点を除けば、それなりではあった。次はもっと上手くやろうと決意も新たに夜明けを迎えた。

 今度のエモノを見つけたのは、映画館でのコトだった。新宿武蔵野館に友人ふたりと、半世紀の時を経てようやく映像化された『ランボー怒りの改新』を観に来ていた女子校生。ふだんは川越の高校に通っているらしい。ストーキングのついでに観光もできて一石二鳥だった。成田山川越別院本行院の池には、外来種のミシシッピアカミミガメに混ざって、なぜか1匹だけスッポンがいた。それから彼女の通う高校の部室棟2階、一番手前の窓には魔法少女のシルエットが貼りつけられていた。川越はいろいろと謎の多い街のようだ。

 エモノがひとりになったところを見計らい、この前と同じように殴って気絶させ、ドリルで脳天を貫いた。前回の失敗を教訓にして、よりていねいに扱うよう心がけた。

 手応えはあったが、しかし今回も失敗。死に顔デスマスクも綺麗にととのえられなかったので、やはりアスファルトにたたきつけてつぶした。前回よりも失敗に気づくのが早かったおかげで、死体は人肌に温かく、抱きしめていると心が落ち着いた。けれども、まだ理想にはほど遠い。

 3人めのエモノは、新宿アルタ前で母親と歩いているのを見かけた。彼女は中学生だった。べつに大江はロリコンというワケではない。どちらかというと、幼いほうが人形らしいだけに過ぎない。サイズが小さいし、肌も作り物めいたなめらかさ、眼球はガラスのように透き通っている。だからけっしてロリコンなどではない。

 三度めの正直、とうとう上手くいった。生きた人形。自分だけの人形。幼いころから描き続けた妄想どおり、VRでシミュレーションしたのと寸分たがわない、いや、むしろはるかにうわまわる、夢にまで見た理想の人形とのセックス。

 それは天にも昇るような、あるいは深い泥の底へと沈んでいくかのような、鮮烈で、荘厳で、このまま死んでしまうのではないかと怖気の走るほどの、すさまじい快感だった。

 だが、行為を終えてから時間が経つにつれて、不思議と満足感が薄れてきた。

 まだ工夫の余地があるのではないか?

 もっと上手いやりかたがあるのではないか?

 ――いや、きっとあるハズだ。

 そんなふうに考えてしまう。

 そして、ふと気がつくと、大江は新宿の雑踏に4人めのガラテアを探し求めている。

 しかし、それもアタリマエだ。彼はガラテアと一夜をともにしたいのではない、ガラテアと一生添い遂げたいのだから。

 次こそは、次こそは花嫁を手に入れる。

 ――その切なる祈りが神に届いたのか、ついに空から天使が舞い降りてきた。


  天は造化に命じたり、

  あまねく美徳えりすぐり

  ただ一人の身満たすべし。

  造化はただちに集めたり、

  ヘレンの見た目の容色を、

  クレオパトラの尊厳を、

  アタランタの俊敏を、

  ルクレーシアの貞節を。

  かくして生まれぬロザリンド、

  神々がその力もて、顔も瞳も心根も

  美しきものにしたまいぬ。


 まるでギリシャ彫刻が動き出したかのような、完全無欠の似姿。その肌は大理石のように白くなめらかで、その相貌はもっとも美しい形に彫られている。

 これぞまさしく神の造形。天上の芸術。

 その究極の美を前にしては、ひれ伏さざるをえない。

 けれども大江は衝動にあらがい、ひざを屈さずにおもてを挙げて、畏れ多くも天使のそばへ近寄った。

「――綺麗なおねえさん、僕とお茶しませんか?」

「ひゃいっ?」平坂らいかうは無表情のまま、裏声でスットンキョウな返事をした。

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