015

 トマス・ハリスの人気小説と、その同名映画の影響で誤解されがちだが、プロファイラーというのは本来、捜査に直接関わるコトはない。捜査資料をもとにして、犯人像を割り出すまでが役目だ。事件発生直後の現場に足を運んだり、被害者の遺体をその目でじかに見るくらいならやらなくはないが、あくまでプロファイリングの参考とするために過ぎない。犯人との対面も刑務所のなか、プロファイリング用のデータを補強するためにインタビューするときだけ。それこそフィクションの名探偵みたいな活躍を期待されても困る。

 もっとも、本場のFBI行動科学科とは違い、警視庁時代の平坂にそんな悠々自適なポストは用意されておらず、あつかいはイチ刑事だったのだが。ALGOS警備保障にしたところで、部外者を捜査に加えたくなったというのが本音だろう。正式に所属を申し出れば話は違うのだろうが、まだその決断の踏ん切りはついていなかった。

 捜査の進展については逐一教えてもらっている。ばあいによっては、プロファイリングした犯人像の修正が必要になるかもしれないからだ。今のところは問題なさそうだが。

 とりあえず〈人形つかい〉の狩場は、どうやら新宿で間違いらしい。被害者のうち1人めは、大学帰りに足しげく寄り道していたし、2人めは殺される少し前に新宿で映画を観ていた。3人めにいたっては新宿在住だ。とはいえ新宿駅は日本最大、いや世界最大のターミナル駅であり、周辺地域から膨大な人々が毎日つどう。犯人が高頻度で新宿に出没するという情報だけでは、たいした役には立たない。

 それと、保健所に運び込まれた犬猫の死骸に関する記録を調べたところ、頭部にドリルか何かで穴を開けられたものが何件かあったらしい。新宿区で3件、埼玉県で2件、首都圏以外についてはこれから調べる。また、2年前にやはり奈良県で、1頭のシカがドリルで脳天を貫かれて殺された事件があり、そこそこ話題になったそうだ。これらすべてが、かならずしも〈人形つかい〉のしわざとは断定できないが、ほぼ間違いなく関係しているに違いない。捜査を進めていけば、ヤツの出身地を特定できるかもしれない。都内の大学には全国から若者から集まっているとはいえ、さらにそこから〈M.I.N.O.S.〉に登録されたデータを除外すれば、容疑者をイッキに絞れるだろう。むろん、平坂はそれを座して待つしかできないのだが。

 とにもかくにも、捜査に加わらないとなると、時間があまってしかたない。平坂の主観的には、ついこのあいだまで刑事としていそがしく働いていたものだから、仕事がないという状況自体が違和感だ。

 表情筋のリバビリなどに取り組んでいるが、これが例えるなら耳を動かす並みに難しく、また筋肉への負担を考慮して1日10分間しか許されていない。むろん成果がすぐ目に見えて出るワケでもなく、どこかむなしい。このままで、ホントにかつての笑顔を取り戻せるのだろうか。

 気がかりなのは表情だけではない。移植したクローン心臓の神経がつながっていないせいか、感情の動きに心臓の反応が一歩遅れる。その影響で、何だか残った感情も徐々に失われていくような気がして。

 ちなみに全身の縫い目痕もまだある。いつでも消せるというので焦る必要がないのと、彼女の無表情を不審に思った人間も、縫い目を見れば勝手に察してくれると期待してのコトだ。イチイチ事情を説明するのはメンドくさい。

 ほかにやるコトもないので、ひとりでひたすら街をブラブラしていた。少しでもこの時代を知っておこうと思った。これから死ぬまで暮らしていかなけれなならない時代だ。

 50年の歳月はあまりに長かった。家族も親しい友人もみな亡くなり、沖縄と尖閣諸島は中国に奪われ、韓国は北朝鮮に敗れて占領、アメリカは自国利益を優先して本土に引きこもり、ロシアは温暖化で使えるようになった土地の開拓にいそがしく、EUは完全に崩壊して、ドイツとフランスがアルザス=ロレーヌを巡ってふたたび戦争開始、中東にはムハンマドの正当後継者を名乗るカリスマ独裁者によって、神聖オスマン帝国が建国された。これぞまさしく末法の世。

 しかし日本は今も平和だ。自衛隊に代わり発足された民間軍事会社が日夜、国防に務めている。新宿の街を歩く人々は、メチャクチャな世界情勢のコトなど、きっと今夜の夕食ほども気に留めていない。それで問題なく生活していける。明日が来るコトを無条件に信じられる。そんな、ぬるま湯のような時代。ここに至るまでの紆余曲折はあったようだが、本質的に50年前と何も変わっていない。人々も社会も変わらない。

 それでも、平坂は今の時代に疎外感を覚えていた。ジェネレーションギャップといえばそれまでだが、彼女にとってはもっと複雑だ。まるで物語のなかへ迷い込んでしまったかのように、現実感がないのだ。例えば、小説の登場人物たちのような形式張った会話を、現実の人間は行わない。それと似た感覚とでも言うべきか。いや、そういう意味では、むしろ平坂のほうが、小説の世界から抜け出してきた登場人物と言えるのかもしれないが。こんな出来損ないの未来で目覚めるくらいなら、いっそのコト異世界にでも飛ばされたほうがまだマシだった。

 目的地もなく、人混みをさまよい、人混みに呑まれる。だが人混みと一体化しないし、一体化できない。まるで水と油。どう見ても周囲から浮いている。

 ただひとりで道を歩いているだけなのに、彼女の凍りついた無表情に気づいた人々は、あからさまに顔をひきつらせ、目を逸らし、何も見なかったフリをする。誰も彼女と目を合わせない。心を通わせない。言葉を交わす気はそもそもない。ただ一方的に表情を浮かべるだけ。言葉にできない戸惑いを、言葉にしようともせず無自覚に押しつけてくる。もうウンザリだ。

 かと言って、ディオニュソスクラブへ行く気にもなれなかった。あの場所の異様な雰囲気は、どうにも受け入れがたいものがある。むしろこうして、アテもなく街を歩いていたほうがいい。あそこは掃き溜めだ。酔っぱらいバッケーどもの、ところかまわず吐いたゲロとションベンの臭いが鼻につく。おもてでは思うようにできないからと、暗がりに隠れて集まり、仮面をかぶったくらいで息巻いている。たとえひとりが心細かろうと、口だけの連中に股を開くほど、彼女は尻軽ではないつもりだ。

 ならば、と日本を去る度胸はない。ぬるま湯とはいえ、極寒の外へ出るよりは浸かっていたい。国外と比べれば、やはり日本は平和なのだ。うかつに飛び出せば、待っているのはあまりにもあっけない死だ。

 この国に居場所はない。この国以外に行き場所はない。誰も彼女と顔を合わせない。誰も彼女と語り合わない。誰も彼女を愛さない。

 いずれ、かつての笑顔を取り戻したとしても、平坂はこの時代に馴染めない気がする。というより、馴染みたくない。自分が彼らと同じになった姿を想像すると、正直ゾッとする。

 けれど、やっぱりずっとひとりはイヤだ。

「――綺麗なおねえさん、僕とお茶しませんか?」

「ひゃいっ?」

 ふいにそんなクサいセリフをかけられて、平坂はパニックになりかけた。冷静になってみれば、そもそも自分にあてた言葉なのか疑うところだが、声のほうへ振り返ってみると、確かに年下の青年がこちらを見つめていた。熱の篭もった視線を、彼女の瞳へ突き刺していた。

 これがなかなかのイケメンで、その整った顔を真っ赤に染めながら、「突然すみません。僕と結――じゃなかった。僕を恋人にいかがってコトなんですけど」

「こ、恋人ッ?」

「あ、いや、えっと、その……ハイ。そうです」青年はうやうやしく片膝を突いて、「あなたに恋をしました。ひとめぼれです。どうか僕の想いを受け入れて下さい。愛しいひと。僕は大江春泥。あなたの名は?」

「平坂、らいかう……」

「らいかう――あなたに合った凛々しい響きですね。らいかう、らいかう、ああ、口にするたび胸が躍る」

 大正生まれの祖父につけられた古臭い名前だと、幼いころからあまり好きではなかったが、そういうふうに言われると悪い気はしない。

 悪い気がしないと言えば、年下のイケメンに告白されるというのも悪くない。周囲の人々に注目されて、かなり恥ずかしくはあったが。

 何より、彼が心を込めて、言葉を尽くしてくれたのがうれしい。彼の本気が伝わってくる。甘い愛のささやきに耳がとろけそうになる。

「イマドキめずらしいわね。そんなふうにお世辞を並べ立てるなんて」

「お世辞じゃアありません。美はお似合いの言葉によって着飾られるべきだ。ただそれだけですよ。あなたの美しさの前では、海の泡から生まれた美の女神アフロディーテさえも、失恋の涙にくれながら声もなく泡へ還るコトでしょう。パリスの審判に三女神と並んであなたが加わっていたら、きっとトロイア戦争だって起きなかったに違いない」

「ヤだなァもう! それはさすがにおおげさだってェ」もし彼女に表情があったら、おそらく気持ち悪い薄ら笑いを浮かべていただろう。

「こうして立ち話もなんですし、お茶でもどうですか? あなたの、スラリと引き締まった女鹿のようなおみ足が、棒になって地面へ根づいてしまう前に」

 確かに、彼の情熱的な瞳で見つめられ続けたら、平坂は緊張のあまり石になって、その場から二度と動けなくなってしまいそうだった。

 ただし、移植されて神経のつながれていない心臓は、彼女の胸にトキメキを与えてはくれなかったが。

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