027

「どうしてここが?」

「探偵のカン、って言いたいトコだが違う。居場所を知られないように端末を破壊して、公衆電話を使ったのは悪くねえ考えだが、ツメがあまいな。自分が全身いじくりまわされたって事実を忘れちゃいねえか?」

「……ナルホド、発信機が埋め込まれてたってワケね。とんだピエロじゃない、アタシ」

「公衆電話で呼び出しておいて、やっこさんが家を出てったところにおまえさんが忍び込むから、何だと思ってあとから調べてみりゃア、おお出るわ出るわヤバイ写真の数々が。解析室が不眠不休で苦労してたのが、ある意味パーになっちまった」

「……彼はこれからどうなるの?」

 あやうく殺されかけたというのに、平坂は大江に同情せずにはいられなかった。代われるものなら代わってあげたいほどに。

 本当に好きだったのだ。そうやすやすと嫌いになどなれない。やさしかった彼を覚えているから。

「なァに、よくて精神病院行き、悪くても無期懲役だ。死刑なんて野蛮な制度は、とっくに廃止されちまったからな」

「そう……」

「つーか他人のコトより、自分の心配したほうがいいぜ」

「今さら聞くまでもないわ。どうせ始末されるんでしょ? おイタをした実験動物の末路なんて、だいたいそんなトコだものね」

「ネガティブだな。おれが言いたかったのは、いつまでもそんな恰好してると風邪を引くってコトなんだが」

 平坂は思い出したようにクシャミをひとつ。

 黄泉は彼女の拘束をとき、そのへんに放り捨ててあった彼女の服をわたしてくれた。

「……ありがとう」その紳士的な態度に、困惑しつつも素直に礼を述べると、平坂はさっさと服を着込んだ。

「ところでアンタの口ぶりだと、アタシはおとがめナシみたいに聞こえるんだけど? 気のせい?」

「いいや、気のせいじゃアねえさ。せっかく表情が戻ったんだし、もっとうれしそうにしてもいいんだぜ」

 けれども、平坂はむしろ怒りもあらわに、「冗談じゃないわ。アタシは殺人犯なのよ? まさか完全に内部での出来事だからって、もみ消そうっての? 大江くんの過剰防衛なんかとはワケが違う。アンタらには、治安を守る警察としての誇りってモンがないの? これだから民間企業は。ホント信じられな――」

「うるせえ」不意討ちに黄泉の拳が、平坂の下あごへえぐり込まれた。容赦のない一撃に脳が揺れる。

「イ、イキナリ何す――」

「おれだってなァ、おまえさんみたいな人殺しが無罪放免なんて冗談じゃねえぜ。お偉方の厳命がなけりゃア、とっくに射殺してるトコだ」

 平坂は殴られた場所を押さえて、呆然と立ち尽くす。

「いいか? おまえさんが殺した饗庭博士は、そりゃアすげえひとだったんだ。その研究で、数えきれねえほどの命を救ってきた。これまでも、これからも――そのハズだったてェのに。おまえさんはひとりしか殺してねえつもりだろうが、実際には大量虐殺したのと同じだ。そいつを肝に銘じとけ」

「……わかったわ。ただ、もうひとつだけ訊かせて。アタシが無罪放免になった理由は何? お偉方がどうとか言ってたけど」

「実を言うとな、おまえさんを目覚めさせる実験が成功したあと、ほかの脳不全患者数名にも、同じ脳移植手術が施されたんだ」

「アタシ以外にも、オランウータンの脳を移植されたひとたちが」

「もちろん表向きは、使用してるのはクローン脳ってコトになってるがな。患者たちのなかには、大江春泥に襲われた3人めの被害者もいる。あいにくショックで事件時の記憶はなくしてたが」

「ギリギリ脳不全で生き延びてたってコト? いや、そんなワケは――」

 その被害者が殺害されたのは、平坂が目覚める1週間前だ。だいたいプロファイリングのさい確認した捜査資料によれば、司法解剖さえおこなわれたハズだ。

「忘れたのか? おまえさんだって脳だけじゃなく、全身の臓器とかも残らず取り替えただろ。塩原ナツメのばあいも同じコトだ」

 黄泉はアッサリ言ってのけたが、あまりにも信じがたい事実だ。

 平坂のばあいはあくまで脳が機能不全に陥っていただけで、生命維持はなされていた。人工呼吸器と心臓によって、全身に酸素が供給されていたのだ。

 けれどもその被害者は、死後1週間が経過していた。

「それってつまり、死者を生き返らせたってコト――」

「博士によれば、死の線引きってのはそもそもあいまいなモンなんだと。早すぎた埋葬って知ってるか? 心停止が基準になったのも、実はわりと最近の話だ。古くは呼吸が停止したどうか――息を引き取った――が基準の時代もあれば、死体が腐乱するまで死を断定しない時代もあったらしい。もし饗庭博士が生きていれば、そのうち腐乱死体すら蘇らせてみせたかもだ。――っと、話がそれちまったな。そういうワケで、蘇生された患者たちの経過は良好。明日の昼にも、この画期的な治療法について記者会見が実施される予定だった。〈ガネーシャ・プロジェクト〉の名はすでに告知されてるし、ある程度の情報はもれちまってるだろうから、今さら中止にはできねえ。それなのに万が一、被験者第1号が精神に異常をきたして、主任研究員を殺害したなんて事実がおおやけになってみろ。アステリオス製薬の株価は大暴落する。それだけじゃねえ。脳移植手術を受けた患者たちが、あまりに不憫だ。移植された脳のせいでいずれ凶暴化するかもしれねえって恐怖を、これから一生抱え続けていくハメになる」

「確かにそうね……アタシだって正直、死にたいくらいだし……」

 オランウータンの脳の影響で凶暴化するのが事実かどうかはべつにしても、そんなコトを考えながら生きていたら結局、現実になってしまうだろう。今の平坂にはそれがよくわかる。

「言っておくが、自殺なんて許さねえぜ? 脳移植のせいで精神が不安定になったと思われるからな。平坂らいかう、おまえさんは凶暴化なんかしてねえ。トーゼン殺人事件も起こしてねえ。饗庭博士は実験中の事故で、被験体のオランウータンに殺されたんだ。すでに記録上はそういうふうに処理されてる」

「……アタシが言えた立場じゃないけど、もっとマシな死因はでっち上げられなかったの?」

「博士の功績からすれば、どう考えても不名誉だ。けどしょうがねえ。絞殺痕がハッキリ残っちまってるんだからな。ヘタに偽装しようとすると不自然になる。まァ首吊り自殺よりはいい。もしも罪悪感を覚えるなら、おまえさんは博士に救われた命の続くかぎり、ほかの誰かを救え。ご自慢のプロファイリングで、クソッタレの殺人鬼どもを捕まえろ。犠牲者をひとりでも多く減らせるように。それがおまえさんにできる、ゆいいつの罪滅ぼしだ」

「……どうやらアタシに、選択肢なんて存在しないらしいわね。……上等だわ。やってやろうじゃない」

 密室殺人を扱った世界初の推理小説において、犯人の正体はオランウータンだった。

 しかし彼女は殺人鬼ではなく、名探偵になると心に誓う。

 犯した罪が消えるコトはないが、そうすればきっと、人間のままでいられると信じて。

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ガネーシャの首 木下森人 @al4ou

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