第21話

 翌日の夕方、りっくんと早和が会いに来た。

 りっくんは日に焼けてちょっとかっこよくなっていた。中身は相変わらず、冗談ばかり言ってて楽しい。

 早和は青白い顔をして左頬にシップを貼っていた。サラサラだった黒い髪も襟足が結べそうなくらい伸びて艶がない。ガリガリに痩せているのはりっくんの方だったのに、今は早和の方がやつれて見える。

「ほっぺ、どうしたの?」

 聞くと、りっくんと喧嘩したそうだ。へえぇ。


 眠っている間に季節がひとめぐりして、僕は一つ歳をとっていた。でも、あんまり驚かなかった。なぜって、僕はずっと皆と一年を過ごしてきたように感じていたから。なぜそう感じるかは分からないんだけど。


 僕の意識が戻ったことで、今度はお父さんが倒れてしまった。昨晩は僕の横に簡易ベッドを置いてもらって並んで寝た。お父さんは相当疲れてしまっていたらしく、薬が効きすぎて、なんだかもう起きないんじゃないかってくらいグッスリ眠ってしまっていた。僕は心配で、ずっとお父さんの寝顔を眺めて一晩を過ごした。


 そんなお父さんは、今朝は早くから起き出して、僕の髪を洗ってくれたり、身体を拭いてくれたり、まだ起き上がる体力がないから、着替えを手伝ってくれたりした。午後にりっくんと早和が来るって聞いたから、花を飾って、お茶を用意して二人を迎え入れた。

 四人で少し喋って、それからお父さんはりっくんに声を掛けて、二人で部屋を出て行った。さりげなく大人の気遣いを見せたみたいだけど、バレバレでウケる。気持ちはありがたいんだけどけど。


 早和はあんまり僕を見ようとしない。せっかく綺麗に髪を束ねてもらったのに。

 僕は早和と二人きりになって、何を話したらいいかわからなくなって黙り込んだ。早和はベッドの傍には来ないで、窓際の椅子に腰掛けて本を読み始めた。こうやって人と距離を置くところは変わってない。猫みたいな奴。僕は、その姿をどこかで見た気がした。

 そのまま、僕らは何も言わないで、ただお互いが傍にいることを感じていた。それで十分だった。


 日が傾いて、風が出てきた。窓ガラスの向こうの木々が揺れている。早和は本を閉じて、

「窓、開けてもいい?」

 と聞いた。僕がいいよ、と応えると、早和はエアコンをOFFにしてサッシを開ける。さあっと風でカーテンが揺れ、夕暮れの風が僕の部屋に夏の音と匂いを運んできた。窓に手を掛け、目を閉じて気持ちよさそうに風を受けている早和の髪が、風に遊ばれて、夕日を受けて光っていた。

「ねえ、さわ。」

「ん」

「泣いた?」

「泣いたよ。」

 そう言うと、早和は初めて僕を真正面から見つめて、それから少し照れたように微笑んだ。

「でも、もう、乾いちゃった。」

 逆光だったけど、すごく綺麗な笑顔でドキドキした。


 早和とりっくんは一度帰って、その晩、氷川家はもう一度全員浴衣を着て集まった。僕も、皆が来る前に薄紅梅の浴衣に袖を通してみたけど、まだちゃんと立ち上がれないから、着付けるお父さんは苦労したみたい。浴衣はすごく可愛くてすごく嬉しかったけど、手足が伸びて袖が少し短いのが残念だ。僕は眠っていた一年で身長が5センチも伸びてしまった。すごく悲しい。


 ベッドの向きを変えてもらって、外の景色を眺める。病室の電気を消して、皆で窓から小さく見える、鎌倉材木座海岸の花火大会を観た。ベッドの周りに椅子を並べて、皆は屋台で買ってきた焼きそばやお好み焼きを食べていた。急に通常食はイケナイので、僕は綿あめとりんごあめを買ってきてもらって、ちょっとずつなめた。一年ぶりに感じる甘味は、体と脳には物凄い刺激らしく、勝手に涙が出てきて驚いた。りんごあめはとってもきれい。そのツヤツヤした表面に花火が映るのを、僕はうっとり眺めていた。

 萌葱色の浴衣に藍色の帯を締めた早和が、枕元に腰掛けてきた。僕は浴衣を褒めて欲しくて笑いかけた。けど、やっぱり早和は僕を見ようとしないで、夜景ばかり見つめている。身体は前とあんまり変わらないけど、花火を眺める横顔は、少し大人になったように見えた。

 まだ長い時間体を起こしていると疲れてしまうので、僕は早和の背中にもたれて目を閉じた。体温や鼓動がくっつけた頬から伝わってくる。下ろし立ての浴衣の香りと共に、早和の匂いが僕の鼻を擽った。赤ちゃんみたいなポカポカした匂い。言葉を交わさなくても、今の僕らはそれだけでわかり合えた。

 僕らの長い夏が花火みたいに終わってゆく。


 ***


 早和は二年生を留年した。でも、二学期から一年生クラスへの編入を許された。これは学校側の異例の措置で、早和とわじさんは、二人で何回も学校に脚を運んで、先生方と話し合ったみたいだ。

 そんなわけで一年生をやり直している早和は、今すごく頑張っている。

 毎日二年生の授業の後に一年生の補習を受けて、学校から帰る頃にはすっかり暗くなっていると言う。僕と同じく、早和はあんまり勉強の成績が良い方ではなかったから、一年生からやり直してちょうどいいと苦笑いしていた。

 そんな勉強で忙しいはずの早和に、最近仲のいい友達ができたみたいで、僕はヤキモチを爆発させた。友達のことを話す早和の表情はクルクルと変わって、学校生活を楽しんでいるのがわかる。よかったね、早和。

 でも、たとえ僕が二年生から復学出来たとしても、所詮他校だし、このままでは、きっと同じ学校の誰かにとられてしまうと思うと複雑な気持ち。


 ***


 僕が日常生活に支障がでないくらいの筋力がついて、やっと退院できたのは、十一月になってからだった。それでも定期的に通院は必要で、今僕は自宅で通信制の授業を受けながら自宅でリハビリを続け、二週間に一度通院する生活を送っている。

 これから何とか高校一年の単位を取得しなくてはならないので、毎日えりりんが勉強に付き合ってくれるけど、僕は学校の勉強がキライなので正直リハビリよりツラい。それでも退学にならずに済んだのは、家族みんなのおかげなのだから、何とか頑張ってる。一月末には進級試験だ。僕だって、早和と一緒に高校を卒業したいもん。


 ***


 冬。

 クリスチャンである僕は、毎年この時期は世間はクリスマスの準備で大忙しだった。それなのに今年は試験勉強に忙しい。ようやく脚の筋力が戻り、外を出歩けるようになって来たというのに、と僕が切ない溜め息を吐いていると、早和が家族には内緒で二人きりで出かけたいと誘ってきた。何だろう、なんかドキドキしちゃうな。

 早和に付いて行くままに乗った電車は空いていて、どうやら行き先は郊外にあるみたいだった。ちょっとした旅行気分で売店で買い物をして、向かい合わせのシートに二人で腰掛ける。

 しばらくすると、いつのまにか窓の外には粉雪が舞っていた。

 駅に付いたら傘を買わなきゃね、と話しかけると、なんだか早和は心ここに在らずという感じで、手摺に頬杖を付いている。そんな、遠ざかってゆく景色を眺めてぼんやりしている早和を見ながら、行き先も教えずに人を誘っておいて、それは無いんじゃないの、と僕はちょっと膨れた。

 窓の外の粉雪はだんだん膨らんで、あっという間に積もり始めた。流れる景色はもう真っ白だ。不意に早和がコートのポケットを探り、小さなメモを取り出した。メモと停車駅のプレートを見比べて、早和は慌てて言う。

「降りるよ。」

 早和が僕の手を掴んで引っ張って、ドアは僕の背中ギリギリで閉まった。

「ごめん。大丈夫だった?」

 申し訳なさそうに僕の顔を覗き込む。ちょっと可愛いから許す。

 大きいサイズのジャンプ式ビニール傘を一本買って、二人で一緒に入る。相合傘だなんて思われるかもしれないけど、早和が僕の手を引くのに傘があっては邪魔だからだ。転んで怪我しては大変だから、慎重に歩いてゆく。踏みしめた雪の感覚はなんだかとっても懐かしい感じがした。

「どこへ行くか聞かないの?」

 雪が降り積もる音で掻き消されてしまうくらい、小さな声で早和が言った。

「どこでもいいもん。」

 僕が答えると、早和はちょっと驚いたように脚を止めて聞いた。

「お墓参りでも?」

 場所は中学の担任だった志水先生に聞いたそうだ。早和は最近また携帯を持って、先生ともメールのやり取りをしているらしい。

 行き先は「ゆり」のお墓だった。

 散々早和を苦しめて、ひどいことをして泣かせた子。

 僕の時間を奪って、僕の家族をいっぱい泣かせた子。

 でも、死んじゃった可哀想な子。

「どんとこい。」

 そう言って僕が歯を見せると、早和は黙って頷いた。そして真っ赤になった顔をマフラーに埋めて、また歩き出した。僕の手を握る手が温かい。

 そうやって、ゆっくりゆっくり進んで、雪で視界がぼやける中ようやく、「ゆり」のお墓を探し当てた。なんだか、もっと色んな感情が起こると思ってたけど、墓前に立つと、それまでの彼女への憎しみも哀れみも萎んでしまった。まるで、僕の中にも雪が静かに降って来て、濁った色の気持ちを覆い隠してしまったみたい。

 僕は君を許すことはできないけど、君のために祈ることはできる。

 アーメン。

 供える花も何もないけど、僕は早和の後ろで傘を差し掛けながら、しゃがんだ小さい背中を見ていた。雪が早和の髪や肩に舞い落ちて消えていく。早和は手を合わせて、

「メリークリスマス。」

 僕に聞こえる声でゆりに話し始めた。

「おひさしぶりです。今日まできちんと君に伝えないで、ただ俺の中の君に怯えて、黙って逃げてごめんなさい。今日は、君ときちんと話がしたくて、聖名と一緒にここまで来ました。」

 雪みたいに、息が白く浮かんでは消えてゆく。早和の言葉を消えてしまったあの子に届けるように。

「悪いけど、君とはお付き合いできません。ごめんなさい。理由は・・・中学の卒業式で、君に初めて会ったときから・・・決まってたってゆうか。あの頃の俺は、まだ自分をよく分かっていなくて・・・自分ともちゃんと向き合おうとしてなくて、だから時間がかかったけど、俺は・・・」

 言葉を切って確認しながら、そこまで言ったさわは大きく深呼吸した。

「君とはお付き合いできません。君だから駄目だったって訳じゃなくて、俺は・・・俺は・・・女の人と恋愛はできません。」

 凍えているからなのか、早和の声は震えていた。

「俺はゲイです。」

 僕の脳天に、冬の稲妻が落ちてきた。小さい頃からずっと一緒だった。このまま一緒に大人になるんだって思っていた。早和のことなら何でも知ってると思っていた。この衝撃的すぎる告白に、僕はしばらく氷のように固まって動けなかった。傾げた傘に積もった雪がドサリと音を立てて落ちる。

 さすがにこれ以上このままでいると凍え死ぬと思っていたとき、肩に雪を積もらせたまま、早和は振り返らずに「帰ろっか。」と言った。寒いのか、恥ずかしいのか、緊張しているのか、耳が真っ赤になっている。

「うん。」

 僕は返事をして、何事も無かった様に並んで歩き出した。



 駅までの帰り道、来るときつけた僕らの足跡にもう雪が積もり、その雪をまた踏みしめて足跡をつける。何度も何度も滑って転びそうになりながら、その度に僕らは、また固く手を繋いで歩いていった。身体は冷え切って、既に足裏の感覚が無い。寒さに耐える顔は鼻水を垂らしてひどく格好悪く、お互いの顔を見て思わず噴出した。早く家に帰ろう、あったかい家に帰れば皆がいて、僕らを迎えてくれる。


 ビニール傘を雪が覆い、あの日の真っ白な日傘みたいだ。

 ふと僕の脳裏に、鳥かごの形をした気持ちのいいテラスが浮かんだ。

 どこかにあるそのガラス張りのテラスにも、雪は降っているのだろうか。

 雪の結晶が溶けてもう戻らない様に、消えた命は還らないけど、僕らの体と心は確かにここに存る。止まっていた時間が動き出して、歩き始めた僕らは、あの夏の日を思い出に変えることができる。


 思い出は遠い夏の日のむこう。

 この冬が過ぎて、春が過ぎて、また新しい夏が来る。

 僕らが生きてる限り。

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