第3話「食うか食われるか!? 流血のバトルキッチン」
「しっかし、スターまる儲けだな」
三十郎はここ数ヶ月、身の回りの変化に戸惑っていた。
ボブ撃破から始まり、公式試合に呼ばれるようになった事。公式試合により自身の知名度が一気に上がった事。そしてファイトマネーがストリートファイト(路上試合)のカンパに比べ、桁がまるで違っていたのだ。
「すげーな、コンビニの買い食いとか贅沢の極みだろ」
コンビニから出てきた三十郎の手には、ビニール袋にぎっしりと詰まった食料品や雑誌などがあった。それを見てニコニコ笑う三十郎を、
「それはフリーターの日常でヤンス!」
今やマネージャーとなったメガネが、そんな三十郎に喝を入れる。曰く「能力ある人間は、その生活水準を引き上げる義務と責任があり、節約は金のない貧乏人がやればいい」との事だ。そう語るメガネは調子付いていて、実に偉そうだと三十郎は思った。
※あくまで個人の思想です。金持ちでもケチな人や、金遣いの荒い貧乏人は実在しますし、彼らの人生や生活を否定する言葉ではありません。
「……で、こういう店で食えと?」
ある日、三十郎はメガネの案内で高級レストランの前にいた。聞けばテレビ番組でも紹介され、月単位で予約待ちをされるほどの人気店らしい。
メガネの目論見はいくつかあって、一つは予約なしで店に入るという「スターの特権」を三十郎に体感させること、二つは純粋に高級食材という物を食べさせる事。そして最後に自分も何食わぬ顔で、タダ飯(出費は三十郎の財布から)にありつこうという、周到に計算された三つの策が実践されようとしていた。
「高級レストランねー、テレビで見たけどあれでしょ? プリン一個で千円とかしちゃうんでしょ? そんなら牛丼屋で腹一杯になれるじゃん」
「クキー! 牛丼屋じゃプリンは食えないだろ! いいから入るでヤンス!」
※近年の牛丼屋ではデザートメニューも存在します。回転寿司でケーキが流れてくる現在はおろか、三十郎たちのいる近未来においてプリンのない牛丼屋というのはそれこそ昔、公衆電話に大量に貼り付けられていたエッチな広告シールばりに、絶滅危惧種のような存在かもしれません。
「ようこそ、レストラン『オ・ニレンチャン』へ。ワタクシここのコック長を勤めます、『コック・リー』と申します」
メガネは驚いた。予約なしですんなり入れてしまった三十郎のスター性もさながら、コック長を名乗るその怪しげな男が、2メートルはゆうに超える大男だったからだ。
「へえー、あんた料理人なのにガタイいいね」
「昔、格闘技を少々……さすがに三十郎様の足元にも及びませんが」
「俺の名を?」
「それはもう、今をときめくスター選手様ですから」
当の三十郎といえば、まるで緊張する様子を見せず、早速コック長と雑談を始めている。我が家にいるかの様な振る舞いは大物としての片鱗か、はてまたは成り上がりの田舎者が見せる厚顔無恥か。
「ちょっ……三十郎、ここは超高級店でヤンスよ。静かに飯を食べるでヤンス」
「分かってる分かってる……で、メニューは? こっちも財布と相談しねえと」
そう言う三十郎に、リーはにこやかに笑ってみせた。
「いえいえ、お代は結構です。その代わり、当店自慢のスペシャルコースを、是非とも三十郎様に食べていただきたいのです」
「お代は結構って……つまりタダ!?」
「はい~」
「ちょっとタンマ」
三十郎はリーの前にパーを突き出すと、メガネの首根っこを掴んで、テーブルの下に潜り込んだ。
「何でヤンスか三十郎! 失礼にも程があるでヤンスよ!」
「いやいやいや、さすがにおかしいだろ。何か裏があるって、今からでも遅くないから牛丼屋にしようぜ」
「考え過ぎでヤンス。三十郎、こういう店は大体スターが食べに来る事に意義があるでヤンス。つまり食費を差し置いてでも、三十郎に食べてもらう事で宣伝に繋がるでヤンスよ! 食後にサインを置くとか記念写真撮るとかブログにアップするとか……」
「何だよ宣伝って、第一オレらプライベートで……」
言い掛けて、三十郎は奇妙な光景に気付いた。他の客席のテーブル下に、何やらカメラっぽい機材やらケーブルがごちゃごちゃと置いてあるのだ。どう見ても高級店らしからぬ光景である。
「リーさんリーさん」
「あい、何でしょう?」
三十郎は手招きして、リーをテーブルの下に呼んだ。
「あれあれ、もしかして取材とかやってるの?」
「あー、あれはですね、ワタクシの友人が近くで映画撮影してるのですよ」
「何だー、映画かー」
「あいー、映画ですよー」
三十郎は一安心すると、にっこり笑ってテーブルの下から這い出た。
メガネはこれから食べられるであろうご馳走に思いを馳せ、にやにや笑いながらテーブルの下から這い出た。
そしてリーは、自信満々にテーブルの下から飛び出し、キッチンへと向かった。
※皆さんはテーブルの下から這い出たら、きちんと手を洗いましょう。高級店とはいえ床にはばいきんがいっぱいです。うがい手洗い歯磨き、子供にできて大人にできないなんて言わせませんよ。
「では、まずはこちら『牛肉とビーフのソテー』です」
リーは三十郎のテーブルに料理を次々と置いていく。香り立つ熱気や、加熱してからそう時間も経たない、鉄板から鳴り止まない肉の焼ける音に、三十郎は舌鼓を打つ。
「ひょー、うまそうだナー!」
(田舎者が……実際うまいんだよ、バカめ!)
リーは心の底でほくそ笑んだ。周囲の客や厨房スタッフにはテレビ局の人間を混ぜている。そして三十郎が料理を食べる所を、今まさに生中継している最中だ。
テレビ局はスター選手の隠し撮りで視聴率を、そしてリーは料理の宣伝を、まさに両者の利害が一致しての行動である。
(三十郎……お前はお前が考える以上に、金を生む男なのだよ)
聞けば三十郎はコンビニ生活が板に付いた男、本気の料理を口にすれば歓喜する事間違いなし。三十郎が切り分けられた肉をフォークに刺し、口に寄せる。それはスロットで「7」が二つ揃った状態で、最後の「7」がゆっくりと見えている興奮にも近かった。
(さあ、極上の肉だぞ! よく噛み締めろ! その無邪気な笑顔が、陳腐な褒め言葉が、何千何万の客を、金を呼ぶんだ!)
そして、三十郎は肉を頬張り、何度か咀嚼すると、リーに向かって手を差し出した。
「醤油」
「……へ?」
リーは、何を言われたのか一瞬理解出来なかった。
「いや醤油。何か味薄くて」
「……ああ、醤油ですね! かしこまりまりまりました!」
内心動揺しつつも、リーは三十郎に背を向け厨房へ向かう。すれ違ったスタッフは、その形相を見るなり全身の血の気が引くのを感じた。
(コック・リーさんが怒っている!)
(コック・リーさんが激しく怒っている!)
厨房は一瞬にして緊迫したムードに包まれる。そしてリーがおもむろにテーブルを叩くと、一同体をびくりと揺らした。
「ネクスト(次)!」
「ベーネ(かしこまりました)!」
荒々しい英語に、スタッフはまるで軍隊の様に大声で返した。
「おいおい、雲行きが怪しくなってきたな……」
三十郎達とは離れた席から、一般客を装った撮影クルーが小声で話す。
「超人気料理店で、時の人『三十郎』が豪快に飯を食うんじゃなかったのか?」
「まあでも、これはこれで面白いものが撮れそうだ」
「チーフ?」
「何をしようが、今回の主役が料理じゃなくって『三十郎』って事だ。偉大なる庶民の、派手なリアクションに期待しようじゃないか」
料理人は思い通りの味を提供出来ずに憤り、客は食べ慣れない味に困惑し、記者はそれらを遠目に見て嘲笑する。場の空気は誰が何かを言い出すまでもなく、徐々に不穏な空気を醸し出していく。
「お待たせしました、こちら『キクラゲとクラゲのパスタ』です」
「うーん、醤油」
出された料理を一口食べるなり、三十郎は容赦なく醤油をかける。定食屋やチェーン店などと違って、味付けがしっかりとした料理店での調味料はバッドマナーでもある。
「く……『ロッキー山脈の湧水で蒸したエイのドリア』です」
「うーん、醤油」
三十郎に遠慮はない。
「ならば『ウナギのパイ包み焼き』です」
「これはうな重で良かったんじゃ……タレないの?」
彼が調味料を加える度に、リーのプライドがズタズタに切り裂かれていく。
「チーフ、ちょっとマズイですよ……」
「ふふ、高級料理ってのは、一般市民からすれば滅多に食べれないもの。気に入らない味でも『これがセレブの味か』なんて必死に正当化を試みるものだが、あいつには関係ないみたいだな」
「しかし、このままでは店のイメージが……」
「なあに、料理なんかよりも面白いものが撮れそうだぞ。いいから撮影を続けろ」
チーフの思惑通り、リーはだんだん業を煮やしていく。
「これならどうだ……デザートの『ハトのスフレ』です。味だけじゃなく、ハトの形が可愛いと評判ですよ~」
「メガネー、『スフレ』ってなに?」
「ん~、確か三十郎の言った、高いプリンみたいなヤツじゃないでヤンスか?」
「プリンねー、さっきコンビニで買ったからなあ……お、試してみたい事があったんだ」
そう言って、醤油を手に取ろうとする三十郎を見て、リーはその腕を掴んだ。
「ならねえよ……」
「ん?」
「プリンに醤油をかけたって、ウニの味にはならねえよ!」
そしてリーは、料理がまだ残ったテーブルを天井高々に蹴り上げた。
「あああ! コック・リーさんがキレたぞ!」
「い、いかん! 早く止めるんだ! みんな、いっせーの!」
厨房のスタッフが、アメフトの試合の如く次々とリーへタックルを仕掛ける。しかし怒り狂うリーからしてみれば、彼らは蚊にも満たないちっぽけな存在だった。
「ええい邪魔するんじゃない!」
「たっはー!」
窓を突き破り、次々と外へ投げ出されるスタッフ達。あまりの光景に、メガネは顔面蒼白となったが、三十郎は食事中とうって変わって、ニヤニヤ笑っている。
「おや、食後の運動かい?」
「……長年料理をやってるとな、やっぱり出てくるんだよ。貴様みたいな味オンチ、俺の料理が理解出来ない輩が」
「ほーう、そんでどうする気だ? 俺はまだデザートを食ってないぜ?」
「デザート? ふん、今までのは前菜に過ぎないぞ」
リーはエプロンから大きく丸いボタンが一つだけ付いた、いかにもなスイッチを押してみせる。すると天井から金網が振ってきて、テーブルや椅子を粉々に粉砕しつつ、一瞬にしてリーとメガネと三十郎を覆い囲ってしまった。
「な、即席リング!?」
あまりの光景に、テレビスタッフも既に隠し撮りを止め、堂々とカメラを向ける。
「聞いた事がある……かつてこの店には、メニューには載ってない『裏メニュー』が存在すると……」
「チーフ?」
「噂によれば、それは普通のメニューに満足しないVIPが、コック長直々に振る舞うスペシャルコースを、文字通りたっぷりと『食らう』ものらしい……」
チーフは金網をがんがん叩いてみる。見た目通りの強度であり、そしてテーブルを粉々に出来るほどの重量がある。おそらくこのリングを突破するにはバーナーなどで金網を焼き切るか、もしくはリーを倒し、スイッチを奪って解除するしかない。
「小僧、巷じゃ
リーはエプロンを脱ぎ捨てると、まるでギリシャの石膏像の如く洗練された上半身が露となった。分厚くもツルツルの胸板がとっても女子ウケしそうだ。
「懐かしい……昔、地下闘技場でよくやったよ。威勢だけは良いヤツ、すましたヤツ、達人ヅラして堂々としてるヤツ……みんな最後には泣いて金網を叩いてたぜ」
「そうか、じゃあせっかくの機会だ……お前をボロッボロに泣かせてやるよ!」
リーがゴング代わりに、片腕で思い切り金網を殴り付けた。
「さて、かるーく捻ってやるか……なあ兄貴?」
三十郎は隣にいたメガネを見た。ところが緊急事態に戸惑っているのか、メガネは腰が抜けてしまい、今だに全身を震わせている。
「やれやれ……とんだ作戦参謀だぜ」
改めて、三十郎は迫りくるリーを見た。大きく腕を振り上げて襲い掛かる。小細工する余地もない、あまりにも真っ直ぐな攻撃に見える。
(俺と同じパワーファイターか、望むところだ!)
三十郎も両腕を大きく開くと、大振りなパンチを準備した。攻撃に攻撃で迎え撃つ、防御も回避もない、まさにパワーファイター同士「両思い」の展開である。
「っしゃあ! こい……いィ?」
相手の拳の目前で三十郎はある事に気付いた。迫りくるリーの体、半裸であったはずの上半身に、生肉やら生魚、そして野菜がいつの間にか括り付けてあったのである。
(ヤバイ! 意味は分からんが、このままこいつを殴るのは危険過ぎる!)
まだ世間一般には知られていない事だが、三十郎は意外性や、未知のものに大変弱い。バカのくせに考えてしまい、その問いに結果が出せないまま本領が発揮出来ないのだ。ゆえに、知恵がそれなりに回るメガネ(二十九郎)が側につき、彼を支えてきたのである。
「うわあ!」
あられもない声を上げ、三十郎がリーのパンチを避ける。リーの鉄拳が金網に当たり、軽妙な音を響かせる。
パワーファイターが相手に怖じ気付き、一歩体を引く。この時点で戦いの流れはリーに傾いた。
「どうした三十郎、さっきまでの威勢はどうした?」
「お……お前、何で食べ物なんか体に着けているんだよ!?」
「俺は料理人だ。戦う相手は人間だけじゃない。こいつらは生涯をかけて戦う、人生最大の敵だ。俺はいつだってそれを忘れない」
リーがゆらりと立ち上がる。
「そして三十郎、一つ教えてやろう。『食べ物を粗末にするな』これは何も料理人だけじゃない、人類全体に課せられる鉄の掟だ」
「何だいきなり、そんな小学校レベルの事を……!?」
三十郎は喋りかけて、よせばいいのに理解してしまった。
「どうやら気付いたようだな。そうだ、今俺は食材を身にまとっている。殴ったり蹴ったりなんて、出来るワケないよなぁ!?」
「あわわわわ……」
「三十郎、料理の基本だ。肉は叩いて柔らかくすべし!」
大自然の鎧を身にまとったリーが、より大きな咆哮を上げた。
「さあーて! 突如始まりましたスペシャルマッチ、時の人『拳三十郎』対、これまた超人気レストランのカリスマシェフ『コック・リー』の、まさに食うか食われるかの大勝負だ!」
チーフディレクターが先ほどとうって代わり、突然マイマイクを取りだし、カメラが捉える戦況に合わせてアナウンスを始める。
「ち、チーフ? 実況はさておきレフェリーがいないと……」
「心配するな、こう見えても『レフェリー免許』は取得済みだ。アナウンスとレフェリーは俺が同時にやる! お前もマスコミの一員なら、時間がある時に取っておけ!」
「レフェリー免許」とは、格闘技ブームが生み出した社会的制度の一つである。格闘家が次々と誕生するにあたり、それらの戦況を追い求める「解説者」「審判」の需要が急増したのだ。
レフェリーなくして神聖なる格闘は成立せず。レフェリーなき戦いはただのケンカであり、警察の検挙の範囲内だが、逆に言えばレフェリーが認めた格闘は、立派な試合となる。格闘家のキャリアを積み上げる最低条件として、レフェリーによる公的な審判が必要となるのだ。
おそらくコック・リー陣営でも、度重なる「スペシャルコース」の振る舞いからしてレフェリーを準備していた可能性はあるが、先手を打つ形でテレビ局側がレフェリーを買って出た。
つまり、この試合はリーの暴走ではなく、あたかも初めから仕組まれていたかの様な、まさしくテレビ的展開と相成ったのである!
「てめえら最初からグルだったな!?」
僅か数十秒で出来上がった即席リングに、三十郎は思わず洩らす。
「失礼な、確かにマスコミは呼んでいたが、私とて料理以外で注目を浴びるのは不本意だ。こうなったのも全て貴様のせいだからな」
「はあ? 俺はただ、飯を食ってただけじゃないか!」
「文句さえ言わなきゃな! 貴様は黙って、ニコニコ笑いながら料理を平らげれば良かったのだ!」
リーの長い脚が、三十郎の頭部を目掛けて鋭く伸びた。それを咄嗟に両腕で防御する三十郎だったが……。
「かかったな!」
リーのズボンの裾から、瓶詰めの胡椒が現れる。勢いよく飛び散る粉末は防御する腕をすり抜け、三十郎の鼻へ到達した。
「しまっ……くしゅっ!」
三十郎は慌てて両腕で口を塞ぎくしゃみをする。その両腕を押し倒すように、リーの蹴りが突き刺さる。バランスを崩し、三十郎は尻餅を付いた。
「おっと三十郎選手、テーブルマナーが功を奏したか! 咳を散らさないよう両手でくしゃみした結果、かろうじてガードに繋がった!」
リーはまたも、しかめっ面を作っていた。
「チキショオ! その食材アーマーといい、コショウといい、武器を持ち出すなんて卑怯だぞ!」
「卑怯? 聞き捨てならないですね」
リーは突如、大袈裟なポーズを取り、まるで演説のように語り始めた。
「私は料理人。用意された食材を調理し、お客様に差し出すのが仕事だ」
「だから何だ! 飯を作れば、誰だって料理人だろうが!」
「分かってない。まるで分かってない」
リーは肩に付いていた生肉をむしり取ると、それを金網に押し付けた。すると美味しそうな音と共に、肉と金網の間から煙が上がるではないか!
「私はね、料理人と食材は対等の立場にあると思うのですよ。いくら高級食材でも、料理人がそれに見合う腕が無ければ生ゴミ同然。つまり料理人も日々食材に負けじと、腕を鍛え続けている」
「何が言いたい?」
「まだ分からないのですか? 私は単にあなただけと戦っているわけではない。ここがレストランで私が料理人である以上、私は食材とも戦っているのです!」
リーが空いた手で、先ほどの謎スイッチを取り出す。リーがボタンを押すと、リング内にあった客席が全て反転し、ガスコンロや流し台、調理器具の並ぶテーブルが姿を表した。
「なんだ? 今度は家庭科の時間か!?」
「ふふふ、これは副業でやっている料理教室の仕掛けです。今日はあなたに、私のテクニックをたっぷり仕込んでさしあげましょう……」
その時、三十郎の後ろで、金網を背に茫然としていたメガネは、背中に異常なまでの熱気を感じた。
「あつ……あ、三十郎! 気を付けろ! この金網はっ!?」
「え、なにアニキ? 金網が何だって?」
三十郎が後ろを振り向いた瞬間、リーは金網から手を離す。そしてこんがりと焼き上がった肉片を鮮やかに空中に上げると、三十郎目掛けて殴り飛ばす。
【おっと! リー選手、密かに調理していた焼き肉を三十郎へとシュート! アツアツの肉の弾丸をお届けだ!】
レフェリーが叫び、三十郎が振り向き、そして三十郎の頬に焼き肉が着弾する、全てが同じ瞬間だった。
「熱っ」
三十郎は頬に当たった肉を口に頬張ると、むっちゃら、むっちゃらと、咀嚼し始める。
「なるほど、話はよーく分かった。お前が料理人で、ここがレストランっていうなら……!」
三十郎は両手を合わせ、それを顔の前に引き寄せた。長らく忘れかけていた食への感謝、「いただきます」の精神である。
「人が食べるものを足蹴にするのはどうかと思うが、お前の料理、残さず食ってやる!」
「減らず口を!」
両腕を上げ、『肉の鎧』を見せつけながら突進するリーを、三十郎はじっと見据えた。
「ああっ、三十郎! 早く逃げるでヤンス! この状況を打破するための策が、知恵が今は!」
愛用のシュガーポッドを家に忘れ、糖分補給の出来ない焦りから、メガネが錯乱し始める。しかし三十郎はいたって冷静に、リーを迎え討った。
「お前が食材を身にまとい、そのせいで殴れないってのなら、やる事は一つ!」
「アイィィィィッ、アーッ!」
リーの繰り出すハイキックを、三十郎は屈んで避ける。そして軸足と股ぐらを掴むと、三十郎は「えいや」とリーを担ぎ上げてみせた。
「おっと! リー選手の巨体が浮かんだ! 三十郎選手、一体これからどうするつもりなのか!?」
興奮するレフェリーに、三十郎はそっとウィンクしてみせた。
「どうするかって? 決まってらあ!」
三十郎は金網まで走ると、抱え持ったリーを熱々の金網に押し付けた。肉やら何やらが焦げる香ばしい匂いと、食欲をそそる音、そしてそれらを阻むリーの絶叫が辺りに響き渡る。
「三十郎選手、抱え上げたリーを金網に押し付け、『肉の鎧』をまるごと焼いたー! 調味料も手間暇もかけない、まさに簡素で豪快な男の料理! 三十郎キッチンここにあり!」
「うらあっ!」
しばらく金網に押し付けたのち、食材がある程度焼け上がるのを確認した三十郎は、そのままリーをテーブルに下ろす。近くにあった箸を手に取ると、すっかりご馳走に変貌した『肉の鎧』を一瞬で平らげた。
「ああっ、私の必勝・不敗のスペシャルコースが……!」
「どうだ! 俺は食べ物を粗末にしなかったぜ? お陰で栄養とスタミナたっぷり付けて、てめえに倍返しだ」
「ま、待て……まだデザートが……」
「あいにく、俺は飯を食うときは、腹八分って決めてるんだ!」
三十郎はそのまま垂直に高く飛び上がると、両腕を突きだし、リーの胸板目掛けて落下した。
「GOCHISOU-SAMADESHITA!」
レフェリーがすかさずリーの元へ駆け寄る。見れば目を見開き、口を金魚のようにパクパクさせている。誰が見ても明らかな失神KOである。
「リー選手の気絶を確認! 勝者、拳三十郎!」
三十郎の名が挙げられると、辺りは歓喜に包まれる。そしてこの時、昼の番組であったにも関わらず、視聴率は50%を越えたという。
日本国内のお茶の間、食堂、スポーツバー、街頭テレビなどに三十郎が映し出される。彼はまた一歩「最強」を証明し、その名を一段と広めたのだ。
「さすがは三十郎選手、プライベートでも強かった! 早速ヒーローインタビューと参りましょう。三十郎選手、今回の勝因は!?」
レフェリーはすかさずマイクを手に三十郎へ詰め寄った。
「うーん、俺さ、ちゃんとご飯食べてるんだよ。そりゃあジャンクフードとかコンビニ飯とか大好きだけど、それでも野菜とか栄養とか、ちゃんと取らなきゃダメだと思うんだ」
「なるほど、規則正しい食生活ですか! 堅実ですね!」
「そうそう。一日三食米を食えってね。ほら、確かお坊さんが食べる料理、あれだけでも食っていけるっていうじゃん。俺も見習ってさ」
「精進料理ですね! うーんストイック! もしや三十郎選手、今朝食べてきたのは?」
「ん? 冷蔵庫に入れっぱなしだった魚肉ソーセ……」
勝者の語りは、男のリモコン動作一つで全て消え去ってしまった。
「くくく……真の強者は食べ物ごときで左右されない……か」
とある高層ビルの一室、大男はにやにやと笑いながら、名産品である高級和牛を十分に加熱させた分厚いステーキをナイフで切り分け、口に放り込んだ。
「だがな三十郎、貴様はただやせ我慢しているに過ぎない……真の格闘家は酒も飲まないしタバコも吸わない。それと同じように、食生活にだって規律を求めるものだ」
男は口の周りについた汚れをナプキンで拭き取ると、座り心地の良いビジネスチェアに深く身を沈めた。
「まだだ三十郎、貴様はもっと強くなる。強者ならば肉を食え、凡人が手にする事の出来ないカロリーと栄養を摂取しろ。更なる力で、この私を満足させてみろ!」
男はステーキを一切れ口に頬張ると、何度も何度も肉を噛み砕き、まるで溶かすように消化した。
アルティメットファイティング 拳三十郎 ジストリアス @zisutoriasu
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