第67回『黒猫幻想曲』

使用お題→【黒猫】【蜘蛛の糸】【洋館】【コンサート】




 私は夢を見る。

 同じ夢を何度も。


 それは朽ちかけた洋館のホール。

 窓の外はいつも暗闇で何も見えなかった。

 隅に追いやられた埃まみれの小さな丸いテーブルに燭台が置かれ、蝋燭の火が辺りをぼんやりと照らしていた。


 少し体重を移動させるだけでガタつく木製の椅子に腰掛けて、その時をじっと待つ。

 口をつぐみ、静けさで耳が痛くなるのを堪える。


 しばらくすると、一層濃い影が現れる。

 燕尾服を着た一人の男性。

 髪をオールバックにして、時折鋭い眼差しを虚空に向ける。

 しなやかな動きで足音も立てず、するりと現れる姿から、私は彼を黒猫と名付けていた。


 勿論、本当の名など知らない。

 私の夢の中の人なのだから。


 黒猫は私の正面で立ち止まり、少しの後、右腕を横にゆったりと動かす。

 深いコントラバスの音。

 伸びやかな響きがホールを満たす。

 その音にそっとバイオリンが重なり、聴きつけたビオラも続く。


 うっとりと聴くうちに、私の目の前に弦楽団が結成されていた。

 しかし、姿があるのは黒猫だけ。

 いくつも音はあるのに、他の団員は居ない。

 それでも繊細で華やかな四重奏、壮大で迫力のあるフルオーケストラが夢のひと時を存分に満たしてくれた。


 黒猫の独奏が始まると、私の気分は沈んでくる。

 夢の終わりを告げる曲。

 醒めないで、と何度願ったことか。

 今夜も弦に触れる黒猫の綺麗な指先を、瞳に焼き付ける様に見詰める。

 どうしてあんな器用に動かせるのだろう、不思議でたまらなかった。


 あの指が、私に一度でも触れてくれたら。

 優しくゆったりと、そして時に激しく、荒々しく。


 この一曲が終わってしまったら、黒猫はまた闇に消えてしまう。


 その時が来る。


 最後の一音が響き、余韻が天井に吸い込まれていった。

 席を立たねば。


 カタン、カタン。


 初めて椅子を倒してしまった。

 いくらバランスが悪くても、一度も倒した事なんてなかったのに。

 直そうとして椅子の背に手を掛けた瞬間、背後から重苦しい空気と共に冷たい手が私の首筋に伸びてきた。

 おそるおそる振り返ると、黒猫が居た。

 無言のまま、私を貫く様にあの瞳で見詰めてくる。

 今までの恍惚の時間などすっかり忘れ、全てを振り払い、私は駆け出した。


 怖かった。

 瞳の中に黒い何かが見えた。


 夢の出口、振り返らず真っ直ぐ進めば白い朝日が迎えてくれる。

 なのに、蜘蛛の巣に捕まる。

 払おうともがけばもがく程、細い糸が身体に絡み付いた。

 追いついた黒猫が再び、指先で首筋を撫でた。

 背筋が震える。

 触れられる事をあんなに望んでいた筈なのに。

 黒猫は瞳を見開くと、鋭い爪で私の喉を裂いた。




 あんなに飼いたがった黒猫を、人の居なくなった洋館の前に捨てたのは私だ。

 幼い日のそんな出来事を遠のく意識の中で思い出す。

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月光催眠研究論~にごたん編~ @kanamezaki

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