行平4
もう僕には、現実と夢の境目がわからないんだ。
昼も夢を見続けているかのように、ぼんやりした世界に人の声が交錯していく。夜に身体は横たえていても、意識だけは覚醒している気がする。休んだ気がしない。
本当の自分はどこに存在する? 辻褄の合わない夢の自分が本物で、昼間の自分は虚像かもしれない。みんな気づいてなくて、ただ反対に見えているだけなんじゃないのか。昼間の死が人の最期ではなく、夢を消す方が世界の果て、自分の終わりだとしたらどうだ?
だって、こんなに僕の夢はリアルで、手が届きそうなのに。
*
木のカウンターは黒く艶やかで冷たかった。僕はそれを身体中に感じたくて耳を近付け、体を折り曲げ、何度も手を滑らせて感触を確かめている。温度は信じていいものだろうかと。
彼女が僕の頭を抱えて優しく髪を撫でてくれる。耳元で何度もささやく。
「お願いだから、もう夢は見ないで」
泣きながら僕に頼むその姿が視界に入る。だが、その声ももう遠い。音が消される世界に入っていく。また夢に堕ちていく。
現実の僕は首を振って必死に戻ろうとする。ねえ、僕は気が狂い始めたのかな。怖いよ。眠らなくて済む薬が欲しい。どんどん何かに足を取られて引きずり込まれていくんだ。月のない夜に、流砂に侵され絡み取られていくように。
もう目の前のあなたさえ誰だかわからなくなりそうだ。僕と周りをつなぐ光の穴が次第に小さくなって、もうすぐ閉じていく。
*
桜の花が舞っていた。風に煽られて斜めに降っていた。
桜の木の下には鉄棒がある。背の高い鉄棒と子供用の低い鉄棒の組み合わせ。隣のブランコが揺れて、小学校の校舎が遠くに見える。
桜は僕たちをドームのように包み込む。枝の隙間から僅かに見える空を仰ぐと無性に泣きたくなり、でも涙は容易には出て来なくて頭がキーンとする。
僕はそれを誤魔化すために背の高い鉄棒に飛びつき、懸垂を始めた。君は横の背の低い鉄棒にしがみつたまま。なんだ、君は逆上がりも出来ないんだね。僕は、地球を逆さまに見ながらこうもりにだってなれるよ、ほら。
何十年振りかな、こんなことするのは。膝を引っかけたまま体を前後に揺らす。昔は楽しかったよね。こういうことができるかどうかが全てだった。
君はブランコに揺られながら、嬉しそうに僕を見ている。
うわっ、しまった。着地失敗して、砂場の角で腕を切ってしまった。痛みがないのは夢だからなのか。
*
開いた窓から光を連れた風が吹き込む。まだ僕は此処に存在している。戻って来た。
いつのまにか季節は春になっていた。もう夢でしか君に逢えないのなら、せめて昼間だけは忘れてしまいたい。そう願う僕の手のひらに、贈り物の代わりに桜の花びらが風に舞って届く。そっとかざした時に、至近距離で錆びた鉄の匂いがした。
彼は気がつく。腕に砂が一列に入った赤い傷があることに。確かに痛みの感覚があるから、きっと今は現実にいる証。
*
迎えに来ました。と君が笑う。
私が見た夢をあなたにも見せてあげる。もっと、もっと、先を、続きを、こちらの世界に来ませんか。
薄い半透明のカーテンの向こうに、布と同じように透けている君がいて、いつか消えてしまう運命を物語るかのように佇む。
思わず腕を引っ張ると、まだあたたかい感触がある。引き寄せて抱きしめる。
あの時、君の申し出を受けなかったことをずっと悔やんでいた。ただの臆病な僕を。君を未来の恋人に託すだなんて格好つけてただけだ。本当は抱いてみたかった。でも、傷つけたくなかったのも本当だ。大切にしていたつもりで。
桜かと思ったらそれは、春の雪。白く光りながら絶え間なく降り注ぐ。真っ白く重なり合って、だんだん白が黒になっていく。
長い間、君を暗闇の中に一人きりで待たせてしまったね。今から薄明かりを掲げて、もう僕もそちらに行くよ。待っていて。
<完>
そして、エピローグに還る。
花潜む雪 水菜月 @mutsuki-natsumi
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