第229話 最終話

 遠のきそうになる意識をなんとか繋ぎ止めながら自分に回復魔法をかけた。

すぐに頭の中がはっきりとしてくる。

改めて考えてみるとかなりヤバい状況だったな。

意識が戻らなかったらあのまま死んでいたはずだ。

次に洗浄魔法を使って血で汚れた服と体を綺麗にしてから、錬成魔法でシャツの破れたところを治した。

ここは都心のベッドタウンとなっているとある市街の外れだ。

時刻は深夜。

確かこの日は仕事が長引いて終電で帰ってきたのだ。

「大丈夫ですか!?」

通行人らしきおじさんに声をかけられる。

「はい、なんとか……」

「すごい音が聞こえたんだけど……」

「ギリギリ避けられたんで、自分よりトラックを運転していた人が……」

トラックは歩道に乗り上げ電信柱を前面にめり込ませて止まっていた。

慌てて駆け寄って運転手にスキャンをかけた。

この人、脳梗塞を起こしている。

それで意識がなくなって俺をはねてしまったんだな。

すぐに治療を施してその場を離れた。

騒ぎになるのはいやだったからだ。

幸い警察と消防にはさっきのおじさんが連絡を入れてくれたようだった。


 ポケットに手を突っ込むと、思った通りアパートの鍵がそこにはあった。

不思議な気持ちのままアパートの鍵を回す。

扉を開ければそこに広がるのは記憶にあるままの自分の部屋だった。

これ以上ないくらいに生活感が漂っているのに、まるで現実感のない世界。

それが今俺のいる場所だ。

自分の匂いが染みついたベッドなのにまったく自分の物という気がしないのだ。

恐る恐る座ってみると、心に立ち上ってくるのは懐かしさよりも虚無感だった。


 どうやら本当に俺は元の世界に帰ってきてしまったらしい。

決して望んだ帰還ではなかった。

魔王を倒した直後に起こったあの亀裂は時空の歪だったのだろう。

そういえば、新婚旅行で行ったスドロア迷宮でそんな話を聞いたことがあったな。

そしてどういう理由かはわからないが、時空の歪に落ちた俺は元いた場所に戻ってきてしまったようだ。

「……」

言葉も出ない。

俺は……あちら側には戻れないということか? 

パティーにもボニーにもゴブにももう二度と……。

込み上げる絶望が涙となって溢れ出した。



 翌日は一日中家の中で過ごした。

そうしたかったからではない。

何をしていいのか思いつかなかったのだ。

次の日もその次の日も同じように過ごした。

ある日、自分は腹が減っていることに気づいた。

戸棚を開けると米があったから数年ぶりにご飯を炊いて食べた。

冷蔵庫にあった納豆も食べてみた。

インスタントの味噌汁に刻んだネギを入れて食べても見た。

懐かしい味に感動するかと思いきや、自分でもびっくりするくらい醒めた気持ちのままだった。


 何日か経過して誰かが部屋のチャイムを押した。

開けて見ると記憶にある顔だった。

会社の同僚である杉浦だ。

「宮田ぁ、心配したぞ。電話してもちっとも出ないからさぁ。どうしたんだお前……って、病気か?」

この何日間かずっと髭を剃っていない俺の顔を杉浦は不思議そうに見ている。

そういえば俺のスマートフォンは事故の時に壊れてしまっていたな。

「あ……ああ」

「宮田、何があったか知らないけど無断欠勤は拙いって」

この時、顔一面に無精ひげを生やしていたのはよかったことかもしれない。

さもなければ杉浦は俺の変わり果てた姿にもっとびっくりしたことだろう。

服や怪我などは転生前に戻っていたが、俺の顔や体はしっかり3年の年月が経過していたからだ。

「す、すまない。事故に遭ってな、スマホもこの通り壊れてしまって……」

おずおずとヒビの入ったスマートフォンを見せる。

「おいおい、どうしたんだよいったい?」

俺はトラック事故に遭ったこと。

幸い怪我は大したことなかったが打ちどころが悪くて気を失っていたなど、虚実を織り交ぜて杉浦に説明した。

「そんなことがあったのか……」

げっそりとやつれた俺を見て、杉浦はしごく心配そうな表情をしてくれた。

「わかった。課長には俺からも説明しておくけど、宮田も明日はちゃんと電話して謝っておけよ」

「ああ。悪かったな。家まで来てもらってしまって……」

杉浦を見送って、初めて外が暗いことに気が付いた。

もう夜のようだ。

この時、自分が時刻を喪失していたことにようやく気が付いた。

このままではイカンな。

杉浦と会話したおかげか、久しぶりに頭の中に自分自身が帰ってきた感覚がする。

とりあえず今後のことを考えるために飯でも食いに行くか。


 牛丼の大盛に卵をかけてかきこみながら、今後のことを考えた。

飯を食って落ち着いた頭で、あの世界に帰れる可能性に思いを馳せる。

真っ先に思い出したのは大賢者ミズキこと、一ノ瀬さんのことだ。

一ノ瀬さんは彼の地より此の地への転移を欲して時空転移装置を開発した。

時空転移は理論的には完成されているのだが、なんといってもエネルギーが足りなかった。

先代魔王がドロップしたSランク魔石を使って一ノ瀬さんが出来たことは、家族に自分の無事を知らせる手紙を送ることだけだったようだ。

次元の壁を越えて手紙を送るのさえそれほどのエネルギーがいるのだ。

ましてや人間ほどの質量を時空転移させるとなればその何十倍ものエネルギーが必要となってくるだろう。

「1.21ジゴMPか……」

これが人間一人を専用カプセルに入れて任意の場所に転送させるのに必要なエネルギー量だ。

次元の壁を超えるには更に数千倍のエネルギーが必要になってくる。

だが、この世界にはエネルギーや、素材の元になる魔石がない。

魔石を得ようにも魔物などどこにもいないのが実情だ。

先ずは魔石をどうするかが問題だった。

 だけど悲観することばかりでもない。

俺はこの世界に戻ってきても魔法が使えている。

回復魔法も洗浄魔法も錬成魔法さえも使えている。

つまり、この世界にも魔素はあるということだ。

さらに錬成魔法が使えるということは以前同様に神のデーターベースにアクセスできるということでもあった。


 数日後俺は会社を辞めた。

とても仕事が続けられる状況ではなかったからだ。

どうやら俺は精神を病んでいるのではないかという噂が立っていたらしく、すんなりと辞表は受理された。

まあ、仕方がない。

いろいろ引き留められても面倒ではあるが、やっぱりちょっとだけ寂しかった。

親しかった仲間が俺の送別会を開いてくれたが、わずか数日間で変わり果てた俺の姿に皆が驚いていた。

実際は3年以上の月日が流れているんだよね。

その夜、若干老けて精悍な顔と体つきになったおれは何故かスネークと呼ばれた……。


 仕事を辞めた俺は貯金を食いつぶしながら研究に明け暮れた。

まず最初に着手したのは人造魔石の製造だった。

この研究はあの世界でも、国や神殿によって密かに研究されていると話には聞いていた。

だが魔力の結晶化は成功の目途も経っていないというのが実情だったらしい。

俺も研究に着手してみたものの、用いる手法がことごとく失敗する毎日だった。

最初にやったのはMP回復ポーションの数十倍の魔力濃度をもつ溶液をつくることだ。

これは比較的簡単にできた。

しかし、次にその溶液の中に核となる物質をおいて魔力の結晶化を図るのだが、これが全くと言っていいほどうまくいかなかった。

様々な方法を試したがうまくいかず、最終的に溶液を諦め、自分の身体に核を埋め込むことで極小さな魔石を作る出すことに成功したのは、こちら側に来てから1年後のことだった。

「Iランク魔石か……」

自分の身体から取り出した人造魔石を眺めて独りちる。

血にまみれた魔石は天然の低ランク魔石と変わらない品質を持っていた。

結局のところ魔石というのは生物の身体の中でしか育たないものなのかもしれない。

幸い俺の魔力量は膨大だ。

魔王も言っていたが、魔力保有量に限れば俺は魔王さえをも凌ぐ。

このまま体内で魔石を育て続ければやがてはSランクを超える魔石を作り出すことも可能かもしれない。

だけど、計算によればそれには60年かかる。

60年か……。

生きてはいるかもしれないけど90歳オーバーかよ……。

そんな爺さんに会えて、パティーとボニーは喜んでくれるのだろうか……。


 思い返してみると、この頃の俺はある種の狂気にとり憑かれていたのかもしれない。

俺は動物などに魔石を埋め込む生物実験に着手しようとしていた。

だが、よく考えてみればその行為は人工的に魔物を作り出すことにつながる可能性もある。

自分の身体から人造魔石を取り出した日に気が付いたのだが、自分は体内の魔石のせいで実は魔族化しかけていたようなのだ。

結局、体内で魔石を育てる方法も諦めざるを得なかった。


 突然のことだったが、ある朝いつものように研究を始めようとしたら、なんの脈絡もなく拒否反応がでた。

どうしても実験をしようという気になれなくなってしまったのだ。

手に蕁麻疹じんましんも出来ている。

このイヤイヤ病は俺の性格に起因するものだと思う。

どうしようもない衝動が沸き上がって、財布だけを手にすると俺は電車に飛び乗っていた。

目的の場所があったわけじゃない。

ただただ広い場所に行きたかった。

息の詰まるような閉塞感をなんとか打破したかったのかもしれない。

そして俺は草原にいた。

たまたま新宿駅で見つけた旅行会社のパンフレットを掴みその場所まで来たのだ。


 人気のない草原では名も知らぬ高原植物の花が咲き乱れていた。

その様子はパティーと初めて出会った草原を思い出させた。

俺は気の向くままに歩いた。

シーズン前の平日とあって観光客の姿はほとんどない。

そんな僅かな人影さえ、奥地へ歩みを進めるごとに消えて今では人っ子一人見当たらなくなっている。


「パティー、ボニー……もう一年以上たったよ……」

諦めるにはまだ早い、だけど……。

自分の心を徐々に侵食する諦念ていねんを払うように頭をふった。


どこかで雲雀ひばりが鳴いた。

別に自殺をしにこんな場所へ来たわけではない。

暫く自然あふれる高原地帯をうろつきながら冒険者の真似事をして家に帰るつもりだった。

要は気晴らしの野宿キャンプに来たというわけだ。

気を取り直してナイフでも錬成してみるか、そんなことを考えていた時だった。

突然頭の中に声が響いたのだ。


「(ついにマスターの居場所を突き止めましたぞ!)」

ゴブ?

「(誤差修正-000032・-000001・+000002・-000029.お兄様、座標軸の固定完了しました)」

アンジェラ?

「(出力、順調に上昇中。魔導融合炉、臨界まであと1分)」

ハーミー

「(今度こそ成功させるんだから……)」

メグもいる!

「(耐衝撃シールドをチェック……オールグリーン。いつでもいけます!)」

ハリー!

「(次元転移装置起動します!)」

クロ!

「(ワームホールを確認……いよいよだな)」

閣下!

「(魔導融合炉……臨界)」

ボニー!!

「(全員衝撃に備えろ! ジロリアン発進する!)」

パティー!!

 ……ってジロリアンって何?


眩い光と共に見覚えのある飛空船が高原の上空に現れた。

あれはジローさん二型・改!

全身の力が抜けて茫然と見上げる俺の上空からパティーとボニーが飛び降りてきた。

「イッペイ!」

「やっと……みつけた」

小さな子供のように抱きついてくる二人を抱きしめながら髪の匂いをかぐ。

ああ、パティーとボニーだ……。

「会いたかったよ……」

俺の胸で嗚咽を漏らす二人にもう一度頬を寄せた。


船から次々と仲間たちが下りてくる。

「マスター大変お待たせいたしましたがお迎えに上がりました」

ゴブが優雅な所作で頭を下げる。

「ゴブありがとう。それにしてもこの船は……」

「時空転移船ジロリアンでございます。マスターが倒された魔王よりドロップしたSランク魔石を使用してジローさん二型を改造いたしました」

「うわお……よく次元転移のエネルギーを作れたもんだ」

「魔導融合炉の開発に成功しましたので」

そう言えばゴブは魔導融合理論についてずっと研究してたもんな。

それにしたって実用化するには大変な苦労があっただろう。

「資金に関しましては山のようなオリハルコンが残っていましたので、メグ様が上手に販売してくださいました」

「メグありがとう」

メグははにかんだ笑顔を見せてくれた。

「船の開発にはグローブナー公爵、クロ様、ハリー様、ハーミー様が協力してくださいました」

「みんなありがとう。……ってSランク魔石を勝手に流用して大丈夫だった!?」

「はっはっはっ、いまやゴブは逃亡者でございます!」

ゴブは嬉しそうに胸を張る。

いやいやそこは喜ぶところじゃないだろう? 

ゴブは一人で罪をかぶって姿をくらましたことになっているそうだ。

「ゴブは顔など自由に変えられます。それに世界は広く水平線は限りなく続いておりますれば大した不自由はございません」

さすがはゴブだよ。

「いこう……船の中を案内する」

ボニーとパティーに手を引かれてデッキに上がった。

「向こうに帰ったらびっくりするわよ。イッペイは魔王を倒した救国の英雄ってことになってるんだから」

パティーの言葉にげんなりしてしまう。

「そういうのはちょっと勘弁してほしいな」

「ん? イッペイ……少し強くなった?」

流石はボニー! 

気づきましたか! 

実は魔王を倒してレベルが2になったんだよ!

攻撃力が2、素早さが3ポイントもアップしたんだぜ!


 草原を強い風が渡っていく。

大きく息を吸い込むとどこか懐かしい香りがした。

この匂いは少年の日、夏休みの時にかいだあの空気だ。

空は青く、入道雲が大きな日だった。

さあもう一度冒険の旅に出かけよう。

俺の人生はまだ終わりじゃないんだから。



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究極のポーター 最弱の男は冒険に憧れる 長野文三郎 @bunzaburou

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