第3話 神社へ(終)
「ああ、ごめんなさい」
彼女の方を向くと、もうそこにハープはなかった。
「弦が切れちゃった」
光も鳥も、一瞬にして消えていた。
「明日また来て頂戴」
彼女は大して悪びれもせずそう言ったのだった。
言われた通りにするのも気が引けたが、それよりも約束を破ることに良心が痛んだ。だから僕は午前中から神社に足を運んだ。凍てつく寒さと曇った空は変わらなかったが、昨日より幾分か家々に活気があるような気がした。掃除機の音や子供たちの声も聞こえる。
昨日と同じように手水を済ませ、階段を上り、賽銭を入れる。昨日と同じ一円だ。
鐘をならし二礼二拍手一礼する。たいして何も考えずに一礼したが、顔を上げたとき、また彼女はいた。
「おはよう、今日は早いのね」
少しだけ、彼女の顔が青ざめているような気がした。
「丁度起きたし、朝は人がいないから」
僕は何でもないように言い訳をした。
「そう? じゃあ、また昨日の所に行こう。私が出来ることは、ハープだけじゃないんだから!」
彼女が先導して山を登り、そしてまた腰を下ろした。彼女は座らず、僕の前に立ったままだ。
「今日はね」
それだけ言って片手を前に出す。一瞬後には弓が握られていた。もう一方の手に光が集まり、細く長く、やがて矢のようになった。
彼女はそれをつがえ、ぐっと引き絞る。結ばれた口元には笑みが浮かんでいた。
斜め上、丁度雲に向かって弓を射る。
流れ星のように矢は飛んでいき、雲に小さな穴を開けた。
小さな穴は少しずつ大きくなり、雲は少しずつ薄くなった。
やがて僕の上から暖かな日光が降り注ぐ。
「晴れた・・・・・・。曇りは嫌だったんだよ、寒いから」
僕は呟き、全身に光を浴びる。彼女は少し小さくなった笑みで、
「お別れを言おうと思ったの」
僕の方をまっすぐ見つめた。
「年が明けたら、私が神様になるの。そう言われた」
それだけ言って彼女は僕の隣に座り、僕と一緒に光を浴びた。どちらもしばらくの間、町を行き交う小さな人々を見つめていた。
さすがに学生服は見られなかった。ただ、スーツ姿で歩くサラリーマンらしき男性は、黒いバッグを片手に颯爽と駅の方へ向かっていった。駅の近くにあるスーパーのシャッターが開いた。住宅街に目を移すと、ポスティングをしている初老の女性がいた。すぐ近くを郵便の赤い箱を乗せたバイクが走り去る。
最初に口を開いたのは、彼女だった。
「それだけ、伝えたかっただけなの。またね」
視線を移すと、彼女は見えなくなっていた。
僕は何もすることがなくなったので、そのまま家に帰った。
正月になって、僕は僕の家族と一緒に初詣に行った。どんなに僕が引きこもろうと、それは毎年変わらず行われた。
長々とした列に並び、参拝者のペースに合わせて階段を一段ずつ登り、賽銭箱の前にたどり着く頃にはもう、疲れ果てていた。彼女のことを忘れていた。
参拝を済ませて顔を上げると、しかし、その記憶はすぐによみがえった。
彼女はほほえんで僕の前に立っていた。
しかしその目はどこか虚ろで、僕を視界に納めているだけのように思った。
僕は彼女の背景に、なりはててしまったのだ。
だから僕も、彼女を背景にした。
彼女は神様になってしまったのだから。
神社のエルフ 宮里智 @miyasato
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