第2話 小山へ
かくして僕は、境内にある小山に登り、うっすら草が生える地面に腰を下ろし、町を見下ろしながら彼女と、文字通り語らうことになった。僕の平々凡々な人生を語り、彼女は非凡な生活を語った。
「やっぱり私、神様になんかなりたくないと思うの。勿論なるべきだとは思うし、それが普通なのは知っている。でも、何にもなくなるって、怖いことよ」
彼女の話をまとめると、彼女はいずれ神様になるらしい。今はその卵と言うべきか。この神社に住まう神様の次の代として君臨すべく、彼のもとで日々精進している。
「私は神様になることが、願いを聞き届けることが嫌なわけではないの。神様になれば今までよりもっと色々なことが出来るし、今は退屈だって思っていても、それが当たり前になる。退屈だと思わなくなる。・・・・・・何も、感じなくなる」
声のトーンが落ちたので町から彼女に視線を移すと、俯いて口を堅く結んでいた。
「まぁ、今より色々出来るようになるし、今の悩み事である退屈っていうのがなくなるのは、いいことだよね」
それくらいしかいえなかった。勿論、彼女はそんな言葉を望んでいるわけではないことを僕は知っていた。
「いいえ、何も感じなくなるわけではないと思うの。なってみないとわからないけれど、楽しんでいる神様もいるはずなの。そう、私は不安なのよ・・・・・・」
少し口を開いては、また閉じてしまう。僕の話が終わってからは必然的に彼女の話になり、そうなってから彼女はずっとこの調子だ。話し相手も満足にいない中、ようやく出会った話のわかる人間に愚痴をこぼしたくなるのもわかる。
彼女曰く、神様とあがめられる人種ならぬ神種には、ある程度の法則がある。幼い頃、神様の卵は神社に住み先輩の仕事を見て覚える。時と経験が熟したとき、卵は本物の神となる。そのとき、人間味というのを無くすのだという。今のままでも所謂神通力は使えるが、それは人の願いを叶えられるほどのものではない。
「今だって色々出来るでしょう? 人間の世界でも同じようなことがあって、そういう時には、今を楽しめ、って考え方をする」
「・・・・・・今は退屈だけれどね。でも」
彼女は力なくはにかみ、そしてくすりと笑った。
「確かに今私は、きみと話しているね。私ならきみも楽しませられるよ」
おもむろに立ち上がり、片手を前に伸ばす。もう一方の手を胸のあたりまで曲げ、伸ばした手をそれに近づけるように動かした。ハープを鳴らしたようだ、と思った。
僕の予想は間違っていなかったようで、一瞬後には大きなハープが彼女の前に現れていた。
それから彼女の細い指は弦を美しく撫で始めた。透き通った音がこの場にある全てを震わせ、僕の心もまた、震えた。彼女は薄い笑みを浮かべ、目を閉じ、一つ一つの音を味わっているようだった。僕もつられて目を閉じ、その音に耳を傾けた。
「目を開けてみて」
彼女の声はハープと合うと思った。
言われたとおり、ゆっくり目を開ける。音色は鳴り止まない。
春になったのかと見間違うほど、辺りは一変していた。
座っている草は淡緑色に光り、木々は濃い緑色に光り、足下には色とりどりの鳥が跳ねていた。頬にあたるのは優しくほのかに暖かい風。
僕は遠くを見つめるようにして、しばらく生物たちと時を過ごした。いい時間だと思った。
しかしそれは唐突に終わった。ぷち、と場に合わない音によって。
「ああ、ごめんなさい」
彼女の方を向くと、もうそこにハープはなかった。
「弦が切れちゃった」
光も鳥も、一瞬にして消えていた。
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