城址門番

くにさだ のりか

城址門番

 はばかりながら拙者越方こしかた帰右衛門きうえもんと申し、この常磐ときわ藩に仕える端侍はざむらいの一である。先祖は半士半農の足軽ながら、戦国乱世にその名を成したる深町武蔵守謙時かねとき公より格別の御高配を賜り、領内の街道筋を抑える十郡そごり城の城番を仰せつかって、以来当家は代々その表門を御守り致しておる次第。禄は切米きりまい三十俵に一人扶持ぶち二親ふたおやはとうの昔に物故して、石女うまずめの古女房は去年の流行り病で逝ったから、腰の曲がった飯炊き婆と拙者の二人、つましくしく暮せばなんとか困らぬ勘定だ。今朝も暁鶏ぎょうけいを聞きながら、経木に包んだ塩握り二つと沢庵二枚を手弁当に、擦り切れた羽織、菅笠、藁草履で身支度を整え、父祖伝来の脇差しに竹光と六尺棒を形ばかり携えて、半里の道を登城する。登城と言ってもそこは城址である。とうの昔に焼け落ちて、今や見る影もない十郡の城の、崩れ苔生す石積みを眺めるともなく眺めつつ、往時は御門の柱を支えた沓石くついしのその傍らに、日がな一日所在なく立っているのが拙者のお役だ。

 こうして無為に齢を重ね、今年で不惑の貧乏寡夫やもめに後妻の来手などまずなかろうから、跡取りの生まれなかったがせめても救いと言うべきか。大きな声では言えないが、かような懲役を御免なさらぬ御公儀の仕置きは全く以て理不尽極まる。親の因果が子に報いの謂れが真なら、越方の家に生を受けたが運の尽きと思うて我と我が身を呪うばかりだ。こう申しては罰当たりやも知れぬが、なに御先祖様も目角は立てまい。何しろ拙者がかかる憂き目に遭うているのも、元を正せば当の御先祖様の不始末に由縁があるのだから、目角を立てる筋合いならば寧ろこちらにある道理だ。


 何故なにゆえかような仕儀に相成ったかと申せばこれが長い話で、遡ること二百年前、この常磐国ときわのくにを二分して割拠する深町家と芳山よしやま家の間に和議が結ばれ、深町家御嫡男良時よしとき様と、芳山家御当主芳山肥前守春明はるあき公が御息女せい姫様との御縁談が纏まったのを機に、謙時公がここ十郡の里に城を築いて良時様にお与えになったのがそもそもの縁起である。この時我が家祖越方鬼右衛門きうえもんも番手の一人として召し抱えられ、以降この十郡城の門番を相務めることとなったのであるが、深町家と芳山家は昔から小競り合いこそ度々あれど縁深き仲、また互いに天下取りには手の届かぬ遠国おんごくの小大名同士のこと、その領境いに普請され、いずれ両家の若君と姫君が住まうお城とくれば、門番などは体裁ばかりのそれは長閑のどかなお勤めであったそうだ。加えて世姫様に於かれては、御婚礼の日が待ち遠しうて堪らぬと見え、芳山の居城である角川城から三日にあげず繁々しげしげと良時様の元へ通い詰められ、そのお二人の仲睦まじさたるや比翼の鳥か連理の枝か、白楽天も筆を折りかねない有様、城内の者はみな目のやり場に困るほどであったという。戦国乱世もどこ吹く風、この頃が常磐国の最も麗しき日々に相違なかった。


 されど雲行きは変わるもの、北のかたより大大名の大林備後守宣道のぶみちにわかに勢いを得、周辺諸侯を次々併呑、とうとうこの常磐国まであと一歩まで迫り来て、深町、芳山両家の命運はまさに風前の灯と相成った。急ぎ隣国に援軍を請うも、頼みの筒井摂津守鷹康たかやすは今の大林と事を構えるを良しとせず、常磐国いかようにも切り取られよとばかりいっかな重い腰を上げようとせぬ。いよいよ戦を決せられたる謙時公、芳山軍と連合し大林の奴ばら迎え撃たんと、城に僅かな留守居を残し、これが初陣の良時様と二百ばかりの手勢を従え、いざ御出陣という段になり、お出ましになったは世姫様の輿こしである。姫様は輿を降りられて、馬上の若様に取り縋り、御武運お祈り申し上げます、きっとお戻り遊ばされませ、姫はお待ち申しております、再びまみえる時までは、どうぞこれを御守りに、姫と思うてお持ち下さいと、朱塗りの鞘も鮮やかな懐刀ふところがたなを差し出せば、漆艶めく甲冑の備えも凛々しき若様は、しかとぞこれを受け取られ、行って参るとただお一言ひとこと言いざまに馬の腹を蹴り、御父君の後に続いて御出立遊ばされた。あわれ、これがお二人の今生の別れとなったのである。

 街道を進む謙時公を出迎えたるは芳山の手勢三百余り、これと合わせて陣を敷き、山のあわいに攻め来る敵を地の利を活かして討ち取るはずが、春明公は姿を見せず、代わって大将に任ぜられたる堀川主膳利徳としのり、道を阻んで申すには、深町武蔵守謙時公、心ならずも主命によりて御首みしるし頂戴仕る、お家大事が武家の本懐、昨日の友は今日の仇とは戦国の世の常なれば、不義理は元より承知の上、いざや御覚悟召されたしとて問答無用に軍配振れば、どうとばかりに押し寄せる。謙時公もこれに応じて、奸賊芳山許すまじ、者ども怯むな押し返せとぞ号令なさるも、両の脇から背後から大林の伏兵数多あまた現れ、退路を断たれた深町軍は奮戦虚しく全滅し、謙時公、良時様はともどもに無残な御最期を遂げられた。

 かくして深町のお家は滅亡、常磐国は大林宣道の手に落ち、その軍門に下った芳山公は所領安堵を許されて、十郡の城は武功あったる堀川主膳の居城となった。お可哀想なのは世姫様である。大林に強いられての仕儀とは申せ、実の父君ちちぎみが下知により明日の夫がお討ち死に遊ばされたと聞いてはとても正体を保つに能わず、花の紅顔みるみる青ざめ、ついにはお心失こころうしてしまわれたという。そうして良時様の御葬儀にもお出ましにならず、長らく臥せっておられたが、お体の具合が戻られてからは、角川城から三日にあげず繁々と十郡城へと通い詰められ、門前で輿を降りられて、良時様はお戻りかと、自ら門番に問われるが常となった。鬼右衛門ら番手衆はその度に、若様は旅先にてお手間取られたる御様子なれど、いずれ必ずお戻り遊ばされますと、偽りのお応えを申し上げるよう、姫様の侍女よりきつく言い含められていた。これが十郡城門番の、新たな務めとなったのである。


 それから幾年月が過ぎ、大林が当主の代替わりを機に衰えを見せるや、代わって勃興したのが西北に勢力を張る細田越中守真盛さねもりであった。細田が鉄砲衆を巧みに用いて大林の所領を脅かせば、そこへ筒井が漁夫の利を狙ってたびたび横槍を入れる。この三つ巴の戦に巻き込まれた常磐国はあたかも荒海に揉まれる一艘の小舟の如し。春明公は大林に臣従を誓った身なればその采配に背くわけにも参らず、虎の子の将兵をあらかた召し上げられてしまった。大林にとっては芳山家など捨て駒の一つに過ぎなかったのであろう。常磐はいきおい手薄となって、十郡の城の守備もまたつわもの僅か四、五十ばかり、城内の小者、女衆を駆り集めても百に満たない小勢であった。中にはもちろん番手の一人として越方鬼右衛門の姿もあった。鬼右衛門ら城番組の番手衆は城主堀川主膳より御門の警護を厳に言い付かり、その御出馬を見送ったと伝えられている。

 ある暮れ方のことである。東の空には真っ赤な月が掛かっていたという。鬼右衛門は表門の当番であった。戦の最中さなかとは言え合戦場は遠く、干戈かんかの音が十郡の里まで届くことはなかった。城内には重苦しさがおりのように溜まっていた。いつ来るとも知れぬ敵に気を張り続けた留守居の者どもは心労を募らせ、それはやがて油断となった。昨夜ゆうべ来なかったものは今宵も来ないであろう、そうして門番のお務めにも緩みが生じた。その夜、表門を一人で守っていた鬼右衛門は、何を思うたか一時いっとき、持ち場を離れた。

 鬼右衛門が戻った時、十郡城はごうごうと火の手を上げていた。門の内には味方の骸がそこここに転がり、敵はとうに立ち去った後であった。細田の軍勢は気配を消して表門に近づき、物見櫓に人影なきを見るや、塀にはしごを掛けて内より閂を外し、易易やすやすと討ち入りを果たしたのである。城内の見張りは音もなく背後から喉を掻かれた。留守居のへいどもは槍を取るいとまもなく次々討ち取られていった。小者や女衆までもが容赦なく槍で突かれ、兵糧や武具は残らず運び出され、無用の城には火が掛けられた。細田勢にとっては十郡城など武具倉ほどの値打ちしかなかったのである。遠方から火の手を認めた堀川主膳が隊を率いて慌てて帰城したる時、鬼右衛門は火に包まれた表門の前に膝をつき、今しも燃え落ちんとしている城を、ただ呆然と見上げているばかりであったという。厳しい詮議の末、鬼右衛門はその場で切腹を賜った。これが我が御先祖様の、不始末の一部始終である。


 鬼右衛門の子松郎兵衛まつろうべえは辛くも連座を免れたが、その代わり十郡城の再建成るまで焼け落ちた城址で門番を務めるという惨めなお役を申し付けられた。堀川主膳とはまこと恨みがましき男である。しかし松郎兵衛は父の失態を恥じ、甘んじてこの懲らしめを受けた。やがて戦は細田真盛が勝ちを収め、常磐国はその知行するところとなった。大林は所領の幾ばくかを削り取られて本領へ引っ込み、老獪な筒井は悪しからざる条件で細田と和睦した。戦の矢面に立たされていた春明公は壮絶なるお討ち死にを遊ばされ、かくして芳山のお家は滅亡した。家臣団ただ一人の生き残りとなった堀川主膳は逆心を隠しながら言葉巧みに細田に取り入り、その奉行となって十郡の里を与えられたが、十郡城の再建についてはなかなかお許しが得られず、先延べにされた。それから十年の歳月が流れ、天下は豊臣の号令するところとなった。諸侯はあまねく関白に恭順、その許しなく挙兵するを禁じられた。密かに細田への下克上を目論んでいた主膳は歯噛みしたという。

 それからさらに十年が過ぎ、天下分け目の関ヶ原、細田、大林、筒井は徳川内府の遣り口を嫌って一斉に西軍へ付いてしまったが、ここで敏なる立ち回りを見せたが堀川主膳である。盛んに徳川へ密書を送っては細田の内情を逐一報せ、戦勝の暁には常磐三万石の恩賞を賜るとの約定を取り付けていたのだ。果たして戦は東軍勝利、細田、大林、筒井が揃って領地没収の上改易の御処分となった一方、堀川主膳利徳は約定通り常磐一国を与えられ、天下晴れて譜代大名の末席に連なる僥倖を得た。ところが領内も落ち着いて、ようやく十郡城再建に手を付けんとしたその矢先、幕府より出されたお触れが一国一城令、十郡城址は捨て置きの御処分と決したが、堀川主膳は意地でも松郎兵衛にお許しを与えず、病を得て死したる後もその遺命により、越方家は末代まで城址門番を務める仕儀と相成った。かくして当家はこの世にも珍しきお役目を代々受け継いで参り、拙者でとうとう十一代目となる。


 不思議なことが一つある。十郡城炎上と時を同じうして、何故なにゆえか世姫様がかた知れずとなられたのである。姫様ばかりか護衛のへいや侍女、輿かきまでもが諸共もろともに姿を消してしまったというのだ。どうやらいつものように良時様のお戻りを確かめようと、角川城から十郡城へと向かう道すがらのことであったらしく、おそらくは細田配下の郎等どもにかどわかされたものと思われた。戦の後、堀川主膳はこの変事について新たな主君におずおずお伺いを立てたが、細田にしてみればどうせ滅ぼした家の姫、ろくろくお調べしようともせぬ。主膳は手の者を方々に放ち、それはもう狂ったように探し回らせたが、神隠しにでも遭われたか、御遺骸を見たという百姓も現れず、世姫様の御消息が知れることはついにかなわなかった。

 とまれ、主膳がこれほど血眼になったは、姫様に懸想していたからに相違ないと、下々の者の間では専らの噂であったという。なにしろ世姫様のお美しさは、例え正気を失われておいでと言えど昔とまるで変わりなく、また堀川の出自に鑑みれば、姫様を娶って家格を上げんとするは、いかにも主膳の企みそうなことであったからだ。もしこの巷説まことなら、主膳が越方の家に永年に渡る城址門番などを命じたは、城より寧ろ姫様を失うた腹いせだったのやも知れぬ。というのもある時、姫様が例の如くお供を連れて十郡城を訪れ、良時様はお戻りかと門番に問われたところへ、良時様の直垂に折烏帽子、帯には姫様の懐刀という出立ちで堀川主膳が颯爽と現れ、待っておったぞ我が姫よ、さあ早う中へ入るがよいと臆面もなく申し上げたことがあったからである。世姫様はたちまちまなじりを釣り上げ、おのれ何奴、誰の許しを得て良時様のお召し物を着けておる、何故なにゆえわらわの懐刀を持っておる、さても面妖な、定めし狐狸妖怪の類いであろう、者ども構わぬ、この化け物め斬って捨てよと金切り声で命じられ、護衛のへいらもここを死に場と心得て、刀のつかに手を置けば、堀川主膳恐れ慄き、尻尾を巻いて城内へ逃げ戻ったという。この一件、常磐国の者なれば、女子供から年寄りに至るまで知らぬ者とてない語り草だ。


 この話を、拙者は飯炊きのすえから聞いた。我が父母は陰口を嫌う性分だったのだ。幼少のみぎり、村の餓鬼どもに父上のお役を馬鹿にされ泣いて帰ると、末はこっそりこれを耳打ちし、悪いのは初代のお殿様でございますよと教えてくれた。そして続けて、でも決して余所で言っちゃあなりませんよ、まことのことを口にして、命を落とすこともございますからね、と言った。その末も今年で古希ともなろうか。こんな卑しい越方の家に、よくも長らく奉公してくれた。今朝も塩握り二つと沢庵二枚を経木に包み、擦り切れた羽織、菅笠、藁草履を取り揃え、父祖伝来の脇差しに竹光と六尺棒を差し出して、城址へ出仕する拙者のせなを、こうべを垂れて見送ってくれる。まこともっかたじけない。親と思うて孝行せねば罰が当たろう。

 半里の道を登城して、今日も今日とてお勤めだ。城址門番のお勤めは、実のところは懲罰であるが、名目上はまことの門番である。もしこの城址を荒らす者あらば、棒で懲らして召し捕らねばならぬ。そのためにも、立って辺りを見張るより他、何もやってはならぬ決まりだ。冬には雪を被りつつ、夏には蚊やぶゆに食われつつ、ひたすら立ちん坊を決め込む。やがてお天道様が昇りきり、腹が減ったら飯時だ。この時ばかりは座して食事が許される。おのれ独りのお勤めならば、何も馬鹿正直に突っ立っていることもなかろうと思うか知らんが、ここは小高い山の上、しかも城址の一帯は立木もまばらで見通しがよい。眼下には松木の並ぶ街道と、十郡の里が一望できる。ここから見えるということは向こうからも見えるということで、もし寝転がっているところでも見咎められたら厳しい仕置きが待っているのだ。足軽とは言え武門の端くれ、合戦であれ果し合いであれ、せめて武士らしう死にたいと思うたこともないではないが、この泰平の世に槍働きの機があるでなし、どうせ人間五十年、残る余生をここでこうして朽木のように立って終わるが拙者の定めというものであろう。


 十五で元服してからは、父上が御隠居されるまで、二人で毎日この場に立った。お勤めの間は私語はならぬが、昼飯時には父上は、よく門番の心得を教えてくれた。城址門番は禅なるぞ、握り飯を頬張りながら、空に流れる雲を見て、ある日父上はそう言った。ただ立つことが禅ですか、さような話は聞きませぬ、と拙者が口応えをすると、父上は楽しげにからから笑い、人の暮らしは行住坐臥ぎょうじゅうざが行屎送尿こうしそうにょう一切禅じゃ、座禅を組むのが坊主なら、さしずめ儂らは立禅りつぜん行者、心を無にして静かに立てば、この身はたちまち小山の一部、彼我の垣根は無くなって、やがて涅槃の境地に至る、迷いもなければ恐れもない、澄んだ泉の水面みなものようじゃ、そこまで行けばしめたもの、日々の勤めも苦にならぬ、むしろ一日邪魔もなく禅の修行が積めるのだから、これは役得というものじゃ、と言った。

 またある時はこう言った。責めといえるは受くるにあらず、責めは自ら拾うもの。これも俄には得心できず、その心は、と口を尖らせ拙者が問えば、父上の答えて言ったことには、どれだけ責めを負えるかで人の器量は決まるのじゃ、己の咎でなかろうと、器量があるならいくらでも、他人ひとの分まで取ってよい、さよう思えばいかなる難も、器を磨く役に立つ、だから不平を言うてはならぬ、全ては天の賜物じゃ。

 とてもそうとは思われません、どうすればさよう思えましょうか、と重ねて聞くと、今すぐ分からずともよい、いずれ腑に落ちる日も来よう、それまではただ忍従じゃ、忍従するが人の道じゃ、などと訳の分からぬことを言う。役得と言ったり忍従と言ったり、こうして言辞甚だ矛盾したるが我が父上の常であった。傍目には涅槃の境地に遊ぶほど悟ったようにも見えなんだから、要はこのお勤めの甲斐無きと、どうにかこうにか折り合う仕方を伝授してくれようとしたものか、或いは己に言い聞かせていたか。とまれ、その腑に落ちる日とやらは、いつまで待てば来るのやら。


 十郡城址に吹く風も、めっきり涼しくなってきた。つくつく法師を聞きながら日がな一日立ち尽くし、夕ともなれば虫のが騒々しいほど辺りを包む。やがてとっぷり日も暮れて、宵空よいぞらが藍に染まったら、あとは暮六つが鳴るのを待って、今日の勤めもお終いだ。やれやれと腰を叩いて身を反らし、ふと麓の方へ目をやった時である。街道を、二十人ばかりの黒い人影が列をなして歩くのが見えた。中ほどには何かを運ぶ者もある。あれは葬列であろうか。運ばれているのは棺であろうか。いや、あの先に墓地などなかったはずだ。それにしても、この夕闇になぜ提灯を持つ者がいないのか。旗竿になぜ旗が付いていないのか。いぶかりながら見ていると、その奇妙な葬列は小山の麓で道を折れ、こちらへ向かう細道に入った。長年ここで番しているが、かようなことは初めてだ。何が起こっているものか、あれは一体何なのか。不意に背筋が寒くなり、内なる声が逃げよと告げる。この暗さならもう里の目が届くこともなかろうし、去ろうと思えば立ち去れた。だが人のさがとは不思議なもので、知りたい欲に駆られると、どうにも足が動かない。黒い葬列は小山の道をうねうね辿り、静かに此方こなたへやってくる。気づけば虫のは消えて、風もぴたりと止んでいる。動かぬ夜気に生き埋めになったが如き心地の悪さに耐えながら、扱いも碌々ろくろく知らぬ六尺棒を構えて待てば、葬列はついに城址へ辿り着き、拙者の一間いっけん手前でを止めた。これほど近くへ来てもなお、先導の顔も判じ得ぬ。だがおおよその姿形から、どうやら多くは槍を手にした侍と見えた。侍たちはうっそりとその場に立ち尽くし、身じろぎ一つしようとしない。やがて列の中ほどでゆらりと動くものがあった。小袖姿の女の影であった。小袖は棺に近づいて、御簾みすに手を掛け巻き上げた。棺と見えたは輿であった。そうして輿から降り来たは、身ごなしもそれはみやび打掛うちかけ姿の女の影であった。女の影は衣擦れも立てず滑るように寄ってきて、鈴の鳴るような声でこう問うた。

──良時様はお戻りか。

 これはうつつか幻か、呆気に取られて黙っていると、女の影もただ黙ったまま、こちらの応えを待っている。これは一体どうしたものか、頭がうまく働かぬ。恐ろしいのかどうかも分からぬ。この身はあたかも、この奇っ怪なる影絵の中に取り込まれてしまったかのようであった。これを逃れるすべはといえば、ただ一つより他に思い当たらぬ。我が口は操られるように自ずと動き、幼き頃より父上が繰り返し聞かせてくれた言葉を紡いだ。

「若様は旅先にてお手間取られたる御様子なれど、いずれ必ずお戻り遊ばされます」

 すると打掛を着た女の影は、見るからに大きく肩を落とし、さようか、と溜息混じりに言葉を吐いて、ゆるゆると輿へ戻っていった。女が輿に乗り込むと、行列はぐるりと向きを変え、再びうねうね音もなく、小山を下ってゆくのであった。


 その様を呆けたように見送りながら、行列が街道に戻った辺りで、はたと拙者は我に返った。あれは何だ、今このまなこは何を見ているのだ、黒い影どもの行列は街道を蛞蝓なめくじのように去ってゆく、このまま見過ごしてよいものか、いや、よくはない、かようなことは二度と再び無いかも知れぬ、今をみすみす逃したならば拙者は死ぬまで悔やむであろう、あれが本当にそうなのか知りたい、せめてあの女の顔を見てやりたい、たとえあれが幽鬼の群れであろうとも、それでこの身がどうなろうとも、どうせつまらぬ人生だ、なんとしてもあれの正体を見極めてやりたい、まだ暮六つの鐘は鳴っていないが、そんなことは知ったことか。

 さよう心が定まると、弾かれたように駆け出した。月明かりを頼りに影どもの行列を目で追いながら、走って走って小山をくだり、細道から広い街道へ出ると、行列の十間じっけんほど後につけ、並木の松の幹から幹へ、身を隠しながら後を追う。行列はやがて街道を外れ、広いすすき野を渡る野路へと入った。その先にある峠を越えて、ずっと進めば角川城址だ。かつて芳山春明公の居城であった角川城も一国一城令でお取り壊しとなり、今では十郡城址と同様に僅かな石積みが残るばかりである。往時は城下の街も栄えていたというが、今ではすっかり人家もまばらで、とても輿に乗るような止事無やんごとなきお方の住まうような所ではない。いや、そもそも今どき駕籠かごでなく、輿に乗って歩く者がどこにいるのか。やはりあれは尋常のものではないのだ。

 くねくね曲がる野の路を、深いすすきに身を潜め、足音を忍ばせ行列をつける。ところが暫くひたひた進むと、行列がぴたりと動きを止めた。したり、気取られてしまったか。影どもは静かに佇んでいる。息を殺して見ていると、やがて小袖の女が輿に近づき、再び御簾を巻き上げた。その手につかまり輿を降り来た打掛姿の女の影が、列の此方こなたへ進み出ると、それに合わせて侍たちも一斉に向き直り、槍の鞘を抜き払って青い月影に銀の穂先を炯々けいけいと光らせる。まずいことになった。だがここは広い野原のただ中、もはや逃げるに逃げられぬ。こちらを認めているのやら、打掛姿の女の影は、遠くからでもよく通る甲高い声で誰何した。

──わらわをつけるは何奴じゃ、正直に言わねば容赦はせぬぞ。

 ええいままよ、どうせ顔を見てやる腹積もりだったのだ。寧ろ好都合ではないか。そう意を決して一呼吸、丹田に力を込めると、えいやとばかり路の真中まなかへ躍り出て、片膝ついて言上ごんじょう仕る。

「拙者は、先刻の門番めにござります」

 さすがに気後れして名乗りは上げなんだが、これを聞くなり相手の気配は一変した。女はくうを飛ぶように滑り寄り、我が眼前までやってきた。夜目にもしるきそのかんばせは花のように美しく、喜びに満ち溢れていた。両のまなこは大きく見開かれ、射抜かんばかりにこちらを真っ直ぐ見据えていた。血のような紅をさした唇は物狂いにしか作れぬ禍々しい笑みに歪み、それが二匹の赤虫のように動いてこう言った。

──良時様がようようお戻り遊ばされたのだな。

 そのとき我が胸中に去来した思いが如何なる類いのものであったか、今でも皆目見当がつかぬ。夢路をさまよう者にまことの味を知らしめてやりたくなったものか、浮かれて歩く者に足を掛けて転ばせたくなったものか、この池に石を投げたら何が出るか試してみたくなったものか。どれも当たっているようで、どれもいささかしっくり来ない。いずれにしても人の行状というものは、常に必ず自らをよしとするでもないようだ。人の腹には虫が棲み、ここぞばかり主に背いて口や体を勝手に操る。この時もきっとそうした事が起きたのだ。何かがずれたような気味を脳裏に漠と覚えつつ、拙者はまるで他人事のように、我が口の紡ぐ言葉を聞いた。

「恐れながら良時様に於かれましては、世姫様が御父君、芳山肥前守春明公が御成敗により、大殿、深町武蔵守謙時公ともども、お討ち死に遊ばされましてござりまする」


 女は両の眼をかっと見開き、喉の奥から声ともつかぬ掠れた音を絞り出しながら、暫し狂おしく呻いていたが、やがてその喉をひいと鳴らして天を仰ぎ、胸深くまで息を吸い込んだかと思うと、次なる刹那、夜空を切り裂くようなけたたましい叫びを叫びだした。金串で脳天を貫かれるようであった。虎鶫とらつぐみなど可愛いもの、もしぬえなる怪がまことにあらば、かような声で鳴くのであろう。この世のものとは思われぬその声には、森羅万象のことわりを狂わす霊力が備わっているやに感ぜられた。女は両の手でくうを鷲掴みにするように指を強張こわばらせ、全身をわなわなと震わせながら叫び続けている。こちらは体の芯が抜き取られ、尻が宙に浮くような気味にずっと耐えねばならなかった。いつの間にやら小袖姿の女が寄り来ていて、叫ぶ女を後ろからそっと掻き抱いた。すると女はぴたりと叫ぶを止め、今度は一転、時が止まったかのような静寂しじまが訪れた。

──あれほど言うたに。

 小袖の女が憐れむように拙者を見下ろし、静かな声で呟いた。打掛の女は身をのけ反らせ、手の指を鉤爪かぎづめのように曲げたまま、石のように動かない。その口は声無き声を叫び続けて虚ろに開かれ、その目は凍てついたように遠く虚空の一点を見つめていた。気付けば小袖の女も侍どもも輿かきも、皆一様に同じかたを見つめ、絵のように動きを止めている。侍どもの槍の穂先が奇妙に赤い光を照り返していた。一体この者たちは何に目を奪われているのか。拙者の背後には何があるのか。振り返って確かめたい。だが背を向けた途端これらが一斉に襲いかかってきたら何としよう。心が二つに引き裂かれる思いで暫し逡巡していたが、こうしていても埒が明かぬ。じりじりと後退あとじさりし、女たちから三間さんげんほど遠ざかったところで、手強い不安に抗いながら、首をねじって後ろを向いた。

 東の空に真っ赤な月が掛かっていた。

 ところが再び前を向くと、女も輿もお付きの者も、みな忽然と消えていた。目の前にはただすすき野が、蒼い月影に銀の穂を揺らしているばかり。気づけば虫のも戻り、再び騒がしく辺りを包んでいる。これは一体どうしたことだ。まるで何事もなかったかのようだ。今しがた起きた出来事は、全て我が妄念の所産であったか。日々のお勤めに頭が疲れ、乱気したものであったか。五体には確かに走った覚えが残っていたが、世の中には夢を見ながら歩く者もあるというから、或いはこの身もそうした気病きやみを起こしただけなのやも知れぬ。総身にかいた汗が冷え、着物にべったり張り付いている。懐から手ぬぐいを取り出して首の周りを拭いていると、やっと暮六つが鳴りだした。十郡の里に鳴り渡る古寺の鐘を聞きながら、拙者は暫し呆けたようにその場に佇んでいた。遠く山影は星辰を遮って黒々と居並び、鐘に応えて狼たちの遠吠えするが微かに届く。何一つ昨夜ゆうべと変わるところなき、秋の初めの宵の口であった。やがて梵鐘は鳴り終えて、尾を引くこだまも静まれば、もう家路についてよい刻限だ。このまま帰るには忍びないが、夜通しここに立ちん坊ともゆかぬ。釈然とせぬ思いを抱え、頭を振り振り踵を返ったところが、はたと我が目に飛び込んできたは、小山に上がる火の手であった。


 異変は未だ終わるを知らず、我が鼻面を引き回す。あれはまさしく十郡城址のある辺り、その燃えざま存外甚だしく、もはや山火事と言って差し支えなき有様であった。雷の落ちたでもなければ風の乾いているでもなく、あんな火の気のない場所にどうして火の手が上がるのか。あるとするなら火付けだが、荒れ果てた城址に付け火して喜ぶ輩などあるだろうか。いや、とにかくこうしてはおられぬ。拙者は城址門番である。二百余年の長きに渡るこのお役目の来歴に照らしても、これは未曾有の一大事、何は無くとも駆けつけて、何か為さねば家門の恥だ。幸いにして脇差しがある。これにて燃える草をなぎ、枝を払うなどすれば、多少なりとも燃え広がるを防ぐ程度の役には立とう。

 思うが早いか駆け出して、もと来た道を一目散、小山へ向けてひた走る。街道の松の枝越しに見え隠れする山火事をちらりちらりと気にしつつ、ようやく麓の細道へ息を切らして辿り着き、仰いだ小山の頂に、果たして見えた光景は、紅蓮の炎を身に纏い、舞い飛ぶ火の粉に飾られて、輝くばかりに美しく、威風堂々そびえ立つ、それは立派なお城であった。

 またもやこれは夢なのか、拙者はその場に立ち尽くし、あまりの偉観に目を奪われた。崩れていたはずの石垣は美しい曲線を描いて積み上がり、その上にどっしりと三層に重なった天守が下界を睥睨している。その壮麗さたるや、白壁にも破風にも屋根瓦にも、全てに金の箔を押したようで、あたかも城全体が光を放っているかの如き絢爛たる威容、天界にもし武人の城あらばかくやといった風格を湛えていた。あれはそう、まごうかたなく十郡城址のあった場所、そこにああして建っているなら、たとえ幻であろうとも、あれが十郡城であることはもはや疑う余地もない。我が父が、祖父が、曽祖父が、越方家に連なる代々のご先祖様たちが、二百年に渡って御護りしてきた十郡城とは、かくも見事なものであったか。

 空堀を越え、よく均された広い坂道をお城へ向かって駆けのぼる。一足ごとに少しずつお城は見せる角度を変えて、まるでゆっくりこちらへお顔を向けて下さっているようだ。炎はごうごうとお城を包み、いよいよ勢いを増している。もっと近くで見なくては、まだ美しいうちに目に収めねば、早う行かねば焼け落ちてしまう。

 お城の表門が見えてきた。堅固な石垣に支えられた、実に壮麗な白壁の櫓門であった。あれこそ我がまことのお勤めの場、あの御門を長年護ってきたかと思うと、なんとも誇らしい心持ちである。炎に包まれてはいるが、その悲壮なる佇まいもまた、御門の美しさをいっそう際立たせるに寄与していた。

 ところがいざ御門の前まで来てみれば、そこに広がっていたのは地獄絵図であった。門の内にはそこここに、へいと言わず女と言わず年寄りと言わず幼子と言わず、無残に切り刻まれ、突き殺された者どもの骸が転がり、おびただしい血の海に水漬いていた。どの骸の顔も怯えと苦悶に歪み、己にかような死をもたらした不心得者の失態を恨むようにくうを睨んでいた。こちらを向いた子供の骸の、無念の眼差しと目が合うた気がした。拙者は思わず腰が砕け、へなへなとその場に膝をついた。お城は相変わらず美しく、炎の中で輝きを放っている。ああ、天界と地獄とは、これほどまでに近きものであったか。やがて天守の高欄から、幾本かの欄干ががらがらと崩れ落ちた。十郡城はその滅びゆく様すら美しかった。拙者は今しも燃え落ちんとしているお城を、ただ呆然と見上げているばかりであった。そうして、遠くから地鳴りのように近づいてくる無数の馬蹄の轟きにも気付かなかった。


「ええい、そこの者、聞こえぬか、なんとか申せ」

 という声が漸く耳に入り、やおらそのかたへ顔を向ければ、一人の鎧武者が馬上から阿修羅の如き剣幕で怒鳴り散らしていた。気付けば既に拙者のぐるりを五、六人ばかりの足軽どもが取り囲み、こちらに槍を突きつけている。

「応えよ、お主は何者じゃ、そこで何をしておる」

 阿修羅の如きその武者は、並み居る手勢を従えて、ひときわ立派な馬に乗り、大豆の鞘を象った黄金こがねの前立ての頭形兜ずなりかぶとと、紺糸縅こんいとおどしの甲冑を着けた、面立ち険相な武将であった。震える軍配をこちらへ突き出し、怒りと狼狽の入り混じった目で拙者をめ下ろしている。あまりの気迫に気圧されて、とっさに言葉が出てこない。拙者はまるで痴れ者のように、呂律ろれつの回らぬ口をのろのろ動かし、間の抜けた応えを返した。

「お城が」

 阿修羅の武者の背後には、四、五十ばかりの騎馬の一隊、さらにその後ろには百から二百の足軽雑兵が控えていた。皆ただ目を丸くして燃えるお城を見上げ、棒杭のように突っ立っている。どうやら火を消し止めるのは諦めているようだ。さもありなん、ここまで激しく燃え盛っていては、もはや手の付けようもない。

「お城が燃えております」

「愚か者、見れば分かる、敵襲であろうが」

 ひん剥いた両の目の端に炎の色をめらめら映えさせ、阿修羅が怒号を響かせた。これはまだ夢の続きであろうか。しかしあまりに手応え確かで、とても夢とは思われぬ。あたかもまことに目の前に、戦国の世の武者たちが打ち揃うているかのようだ。

「お主は誰かと聞いておるのじゃ」

 それはこちらが聞きたいことだ。さよう思うてよく見れば、つわものどもが胴の背に指す幟旗のぼりばたには丸に剣花菱の紋、それはまさしく我があるじ、堀川のお殿様の御家紋であった。それを認めるや、木っ端侍のこれが性分、拙者の体は飛び退すさるようにして阿修羅の武者に向き直り、地に両手をついてを下げた。

「身どもは城番組番手衆の一、越方帰右衛門と申します」

「きうえもんか」

 いや、しかしこれは異な事だ。ご隠居様ははや還暦を過ぎておられるはずだし、お殿様とて四十をとうに越しており、御世継の若様は一昨年元服したばかり。ところが目の前の阿修羅とくればどこからどう見ても三十路みそじそこそこ、今の堀川家にかようなよわいの者があるなどついぞ聞かぬから、やはりこれは夢なのか。

「門番が何故なにゆえ一人だけ生きておる。真っ先に討たれるであろうに」

「それは」

 拙者はいよいよ応えに窮した。夢だからだ、と言っても通用すまい。いやはや今宵は何たる夜か。色々な事があり過ぎて、念慮が上手くまとまらぬ。

「お主、よもや細田に内通し、敵を引き入れたではあるまいな」

 阿修羅がやにわに声を荒らげた。その拍子に、拙者を取り囲む足軽たちがびくりと身を強張らせ、あやうく槍を突き出しそうになる。拙者も思わず肝を冷やしたが、その覚えの明瞭なること、やはり夢とも思われず、ますます惑乱するばかりであった。

「めっそうもないことで」

「ならばこれは一体どうしたことだ、何があったか有り体に申せ」

 阿修羅が震える軍配で、今度は燃えるお城を指し示す。拙者は地面に伏したまま、千々に乱れる思いを必死に収拾せんとした。有り体に言ったところで信じて貰えるはずがない。さりとて偽りごとを言う訳にもゆかぬ。聞きたいことは山ほどあるが物問いできる身分ではない。とにかく敵は見ていない。拙者はここにらなんだのだ。有り体に申せと言われるならば、有り体に申し上げるより他にない。

「暫しこの場を離れ、戻ってみればこの有様で」

「持ち場を離れたと申すか」

 阿修羅の武者の声音こわねには静かな怒気が満々とこもり、まるで大岩がかしいで今にも転げてきそうな重みと危うさを感じさせた。気を呑まれるとは正にこの事、拙者は蛇に睨まれた蛙の如く身を縮め、かすれる声を辛うじて絞り出した。

「は」

何故なにゆえ離れた」

 間髪を入れず阿修羅が問い質す。さて困った、ゆえなら確かにあるにはあるが、あの輿の女が果たしてまさしくその人なのか、断言するは憚られる。あれを捕らえて連れて来るすべもなければ、証しの品の一つもない。拙者は言葉を濁した。

「門前に不可思議なものが現れましたので、後を追いましてござります」

「不可思議なものとは何じゃ、何が現れた」

「それが」

 何と申せばよいであろうか。あの影どもは明らかに、どこか気配が違っていた。いま眼前にいる武者たちには生々しき人のがあるが、あの影どもには、虚ろで奇妙な物のしかなかったように思う。大体が、あんな人間離れした叫び声は、やはり人外の物にしか出せぬのではなかろうか。そうだ、きっとあれはそうした怪異だったのだ。

「それが煙のように掻き消えまして、拙者、どうも何かに化かされたかしたようで」

 いや、どうだ、眼の前の武者たちとて、まことに人とは限らぬではないか。今はまざまざと見えていても、束の間目を離した隙にたちどころに雲散霧消してしまうやも知れぬ。そもそも今日日きょうびこんな大時代ななりをした戦国武者が大挙して野辺をうろついているはずがない。何より今ここに十郡城が建って燃えていること自体、どう解すればよいというのか。これが先刻来の怪異の続きであるならば、こやつらだけはそうでないと何故なぜ言えよう。そう疑いながら、拙者は阿修羅の武者を上目遣いに盗み見た。

「あれは定めし」

 こやつも定めし──、

「狐狸妖怪の類いであろうと」


 かちり、という音が聞こえるようであった。阿修羅の武者はみるみる血相を変え、ますます目玉をひん剥いて、幽鬼でも見るように拙者を見下ろし、耳をつんざく金切り声で、狂ったように喚きだした。

「黙れ、黙れ、黙れこの下郎」

 拙者に向けて突き出された軍配はますます小刻みに打ち震え、まるで阿修羅が釣りたてのうおの尾を掴んで必死にとらまえているような塩梅であった。

「この不届き者めが、門番が門を離れて、城を焼かれて、その言い逃れが狐狸妖怪じゃと」

 いかなる情に歪んでか、赤い炎に照らされてなお蒼白と知れる阿修羅の顔は、歯を上下とも奥まで剥き出し、獅子舞のように顎をせわしく動かし続けていた。

「よくも人を愚弄しおって、この木偶の坊め、償え、今すぐ、ここで」

 突然沼に沈んだように、辺りの音が静まった。炎のごうごう燃え盛る音も、柱梁の焼かれて爆ぜる音も、逆巻く風にざわめく葉擦れの音も。

「腹を切れ」

 そのたった一言が、かくも世界を一変させようとは思わなんだ。拙者は燃え盛る炎の熱で肌の表を炙られながら、冷え切った重い石を腹の底にずしりと沈められたかのような恐れに肝を掴まれた。拙者に槍を突き付けていた足軽の一人が、手にした槍を後ろの者に手渡し、腰の物をぬらりと抜き払った。高々と掲げられた刀身に、ぎらりと血の色をした光が照り映える。槍に囲まれ、騎馬に迫られ、雑兵たちに退路を断たれて、これにて拙者は袋の鼠、あとは下命に従って、腹を切るしかなくなった。阿修羅も他の武者たちも、黙って拙者の身動きするを待っている。鈍く重たいその沈黙は、分厚い粘土の壁の如く、拙者の鼻先に立ち塞がった。

 ああ南無三、もし世に仏神あるならば、どうかこの妖かしどもを消し去り給え、心に念じてきつく目を閉じ、再びそろりと開いてみたが、そこに見えたは元のまま、阿修羅の武者とその手勢。辺りの音は絶えて戻らず、静けさは我がしんの臓を押し潰さんと伸し掛かる。

 どれほど長く両の手を地面についていたろうか、場の重苦しさに耐えかねて、とうとう拙者はおもむろに、帯びた脇差しに手をやった。これを抜いたらお終いだ。振り回すことも出来ようが、それではただの罪人だ。もはや命運は尽きたのだ。忍従という語が脳裏に浮かぶ。思うてみればこれはこれで一つの救いなのやも知れぬ。元服このかた二十五年、毎日ひたすら立ちん坊の案山子のような拙者の生に、最期の最期に武士らしう死ぬる好機が訪れたのだ。それはあたかも目の前に投げ与えられた果実の如し。これを拾うて一齧りすれば、全ての事に片が付く。これこそまさに拙者が長年求め続けたものではないか。

 おのが心にそう言い聞かせ、着物をはだけて腹を出し、父祖伝来の脇差しの鞘をゆっくり抜き払う。手入れのたびに愛でてきたやいばの形をしげしげ見れば、不思議と心は落ち着いて、澄んだ泉の水面みなものようだ。今から拙者のこの躰がお前の鞘となるのだぞ、そう心中で語りかけ、やいば根本ねもとを右手に掴み、切っ先を腹に押し当てる。辞世の言葉も許されず、重き無言に促され、あらゆる迷いを振り捨てて、いざ、とかいなに力を込めた。途端、焼け火箸でも突っ込んだような、或いは氷柱を刺したるような、凄まじい痛みが脇腹を襲う。体中から血の気が失せて、冷たい脂汗をかきながら、これが最後の一仕事と、手強い腹の筋を断ち、真一文字にやいばを引けば、とうとう大きく腹は割れ、血にまみれたるはらわたの蛇の如くに溢れ出て、あまりの痛みに気が遠くなり、ふらりと前へかぶいた刹那、介錯人の気合が聞こえ、ついに拙者の命の糸は、ぷつりとばかり断ち切れた。

 たちまち真っ暗闇となり、拙者はそのまま暫しの間、ただただ瞑目していたが、やがてこわごわ目蓋を開けば、仏神に願いが通じたか、武者どもは残らず消えていた。そうして足元に目を落とし、そこに拙者が見たものは、とうの昔に焼け落ちて、今や見る影もない十郡の城の、崩れ苔生す石積みに、蒼く落ちたる月影と、往時は御門の柱を支えた沓石くついしのその傍らに、腹かっさばいて横たわる、おのれ自身の骸であった。


 これが拙者のつまらぬ生涯、その結末の段である。かくなる上は未練もないが、それにつけても不可解なのは、あの輿の女の一行だ。あれは真正の人であったのか、はたまた幽鬼であったのか、何故なにゆえあの時あの場に現れ、どこへどうして消えたのか。伝え話に聞くところでは、神隠しに遭うた者が何年かして、消えた時そのままの若さでひょっこり現れることもあるというから、あれらも今なお現世うつしよ幽世かくりよの狭間を、良時様の姿を探して彷徨い歩いているのやも知れぬ。或いはあの狂おしい叫びを上げたきり、石のように固まったまま、時の止まった真っ赤な月の夜に、閉じ込められているのだろうか。

 いや、嘘偽りなど申してはおらぬ。これは真にあったこと。何、拙者が死霊であるならば、今この話をしているのは誰なのか、そこが解せぬと言われるか。おや、これはご無礼仕った。其処許そこもとは、閻魔様ではござらぬようで。

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城址門番 くにさだ のりか @3971446A3635324A

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