城址門番
くにさだ のりか
城址門番
こうして無為に齢を重ね、今年で不惑の貧乏
されど雲行きは変わるもの、北の
街道を進む謙時公を出迎えたるは芳山の手勢三百余り、これと合わせて陣を敷き、山の
かくして深町のお家は滅亡、常磐国は大林宣道の手に落ち、その軍門に下った芳山公は所領安堵を許されて、十郡の城は武功あったる堀川主膳の居城となった。お可哀想なのは世姫様である。大林に強いられての仕儀とは申せ、実の
それから幾年月が過ぎ、大林が当主の代替わりを機に衰えを見せるや、代わって勃興したのが西北に勢力を張る細田越中守
ある暮れ方のことである。東の空には真っ赤な月が掛かっていたという。鬼右衛門は表門の当番であった。戦の
鬼右衛門が戻った時、十郡城はごうごうと火の手を上げていた。門の内には味方の骸がそこここに転がり、敵はとうに立ち去った後であった。細田の軍勢は気配を消して表門に近づき、物見櫓に人影なきを見るや、塀にはしごを掛けて内より閂を外し、
鬼右衛門の子
それからさらに十年が過ぎ、天下分け目の関ヶ原、細田、大林、筒井は徳川内府の遣り口を嫌って一斉に西軍へ付いてしまったが、ここで敏なる立ち回りを見せたが堀川主膳である。盛んに徳川へ密書を送っては細田の内情を逐一報せ、戦勝の暁には常磐三万石の恩賞を賜るとの約定を取り付けていたのだ。果たして戦は東軍勝利、細田、大林、筒井が揃って領地没収の上改易の御処分となった一方、堀川主膳利徳は約定通り常磐一国を与えられ、天下晴れて譜代大名の末席に連なる僥倖を得た。ところが領内も落ち着いて、
不思議なことが一つある。十郡城炎上と時を同じうして、
とまれ、主膳がこれほど血眼になったは、姫様に懸想していたからに相違ないと、下々の者の間では専らの噂であったという。なにしろ世姫様のお美しさは、例え正気を失われておいでと言えど昔とまるで変わりなく、また堀川の出自に鑑みれば、姫様を娶って家格を上げんとするは、いかにも主膳の企みそうなことであったからだ。もしこの巷説
この話を、拙者は飯炊きの
半里の道を登城して、今日も今日とてお勤めだ。城址門番のお勤めは、実のところは懲罰であるが、名目上は
十五で元服してからは、父上が御隠居されるまで、二人で毎日この場に立った。お勤めの間は私語はならぬが、昼飯時には父上は、よく門番の心得を教えてくれた。城址門番は禅なるぞ、握り飯を頬張りながら、空に流れる雲を見て、ある日父上はそう言った。ただ立つことが禅ですか、さような話は聞きませぬ、と拙者が口応えをすると、父上は楽しげにからから笑い、人の暮らしは
またある時はこう言った。責めといえるは受くるにあらず、責めは自ら拾うもの。これも俄には得心できず、その心は、と口を尖らせ拙者が問えば、父上の答えて言ったことには、どれだけ責めを負えるかで人の器量は決まるのじゃ、己の咎でなかろうと、器量があるならいくらでも、
とてもそうとは思われません、どうすればさよう思えましょうか、と重ねて聞くと、今すぐ分からずともよい、いずれ腑に落ちる日も来よう、それまではただ忍従じゃ、忍従するが人の道じゃ、などと訳の分からぬことを言う。役得と言ったり忍従と言ったり、こうして言辞甚だ矛盾したるが我が父上の常であった。傍目には涅槃の境地に遊ぶほど悟ったようにも見えなんだから、要はこのお勤めの甲斐無きと、どうにかこうにか折り合う仕方を伝授してくれようとしたものか、或いは己に言い聞かせていたか。とまれ、その腑に落ちる日とやらは、いつまで待てば来るのやら。
十郡城址に吹く風も、めっきり涼しくなってきた。つくつく法師を聞きながら日がな一日立ち尽くし、夕ともなれば虫の
──良時様はお戻りか。
これは
「若様は旅先にてお手間取られたる御様子なれど、いずれ必ずお戻り遊ばされます」
すると打掛を着た女の影は、見るからに大きく肩を落とし、さようか、と溜息混じりに言葉を吐いて、ゆるゆると輿へ戻っていった。女が輿に乗り込むと、行列はぐるりと向きを変え、再びうねうね音もなく、小山を下ってゆくのであった。
その様を呆けたように見送りながら、行列が街道に戻った辺りで、はたと拙者は我に返った。あれは何だ、今この
さよう心が定まると、弾かれたように駆け出した。月明かりを頼りに影どもの行列を目で追いながら、走って走って小山を
くねくね曲がる野の路を、深いすすきに身を潜め、足音を忍ばせ行列をつける。ところが暫くひたひた進むと、行列がぴたりと動きを止めた。したり、気取られてしまったか。影どもは静かに佇んでいる。息を殺して見ていると、やがて小袖の女が輿に近づき、再び御簾を巻き上げた。その手につかまり輿を降り来た打掛姿の女の影が、列の
──わらわをつけるは何奴じゃ、正直に言わねば容赦はせぬぞ。
ええいままよ、どうせ顔を見てやる腹積もりだったのだ。寧ろ好都合ではないか。そう意を決して一呼吸、丹田に力を込めると、えいやとばかり路の
「拙者は、先刻の門番めにござります」
さすがに気後れして名乗りは上げなんだが、これを聞くなり相手の気配は一変した。女は
──良時様が
そのとき我が胸中に去来した思いが如何なる類いのものであったか、今でも皆目見当がつかぬ。夢路をさまよう者に
「恐れながら良時様に於かれましては、世姫様が御父君、芳山肥前守春明公が御成敗により、大殿、深町武蔵守謙時公ともども、お討ち死に遊ばされましてござりまする」
女は両の眼をかっと見開き、喉の奥から声ともつかぬ掠れた音を絞り出しながら、暫し狂おしく呻いていたが、やがてその喉をひいと鳴らして天を仰ぎ、胸深くまで息を吸い込んだかと思うと、次なる刹那、夜空を切り裂くようなけたたましい叫びを叫びだした。金串で脳天を貫かれるようであった。
──あれほど言うたに。
小袖の女が憐れむように拙者を見下ろし、静かな声で呟いた。打掛の女は身をのけ反らせ、手の指を
東の空に真っ赤な月が掛かっていた。
ところが再び前を向くと、女も輿もお付きの者も、みな忽然と消えていた。目の前にはただすすき野が、蒼い月影に銀の穂を揺らしているばかり。気づけば虫の
異変は未だ終わるを知らず、我が鼻面を引き回す。あれは
思うが早いか駆け出して、もと来た道を一目散、小山へ向けてひた走る。街道の松の枝越しに見え隠れする山火事をちらりちらりと気にしつつ、ようやく麓の細道へ息を切らして辿り着き、仰いだ小山の頂に、果たして見えた光景は、紅蓮の炎を身に纏い、舞い飛ぶ火の粉に飾られて、輝くばかりに美しく、威風堂々そびえ立つ、それは立派なお城であった。
またもやこれは夢なのか、拙者はその場に立ち尽くし、あまりの偉観に目を奪われた。崩れていたはずの石垣は美しい曲線を描いて積み上がり、その上にどっしりと三層に重なった天守が下界を睥睨している。その壮麗さたるや、白壁にも破風にも屋根瓦にも、全てに金の箔を押したようで、あたかも城全体が光を放っているかの如き絢爛たる威容、天界にもし武人の城あらばかくやといった風格を湛えていた。あれはそう、まごうかたなく十郡城址のあった場所、そこにああして建っているなら、たとえ幻であろうとも、あれが十郡城であることはもはや疑う余地もない。我が父が、祖父が、曽祖父が、越方家に連なる代々のご先祖様たちが、二百年に渡って御護りしてきた十郡城とは、かくも見事なものであったか。
空堀を越え、よく均された広い坂道をお城へ向かって駆けのぼる。一足ごとに少しずつお城は見せる角度を変えて、まるでゆっくりこちらへお顔を向けて下さっているようだ。炎はごうごうとお城を包み、いよいよ勢いを増している。もっと近くで見なくては、まだ美しいうちに目に収めねば、早う行かねば焼け落ちてしまう。
お城の表門が見えてきた。堅固な石垣に支えられた、実に壮麗な白壁の櫓門であった。あれこそ我が
ところがいざ御門の前まで来てみれば、そこに広がっていたのは地獄絵図であった。門の内にはそこここに、
「ええい、そこの者、聞こえぬか、なんとか申せ」
という声が漸く耳に入り、やおらその
「応えよ、お主は何者じゃ、そこで何をしておる」
阿修羅の如きその武者は、並み居る手勢を従えて、ひときわ立派な馬に乗り、大豆の鞘を象った
「お城が」
阿修羅の武者の背後には、四、五十ばかりの騎馬の一隊、さらにその後ろには百から二百の足軽雑兵が控えていた。皆ただ目を丸くして燃えるお城を見上げ、棒杭のように突っ立っている。どうやら火を消し止めるのは諦めているようだ。さもありなん、ここまで激しく燃え盛っていては、もはや手の付けようもない。
「お城が燃えております」
「愚か者、見れば分かる、敵襲であろうが」
ひん剥いた両の目の端に炎の色をめらめら映えさせ、阿修羅が怒号を響かせた。これはまだ夢の続きであろうか。しかしあまりに手応え確かで、とても夢とは思われぬ。あたかも
「お主は誰かと聞いておるのじゃ」
それはこちらが聞きたいことだ。さよう思うてよく見れば、
「身どもは城番組番手衆の一、越方帰右衛門と申します」
「きうえもんか」
いや、しかしこれは異な事だ。ご隠居様ははや還暦を過ぎておられるはずだし、お殿様とて四十をとうに越しており、御世継の若様は一昨年元服したばかり。ところが目の前の阿修羅とくればどこからどう見ても
「門番が
「それは」
拙者はいよいよ応えに窮した。夢だからだ、と言っても通用すまい。いやはや今宵は何たる夜か。色々な事があり過ぎて、念慮が上手くまとまらぬ。
「お主、よもや細田に内通し、敵を引き入れたではあるまいな」
阿修羅がやにわに声を荒らげた。その拍子に、拙者を取り囲む足軽たちがびくりと身を強張らせ、あやうく槍を突き出しそうになる。拙者も思わず肝を冷やしたが、その覚えの明瞭なること、やはり夢とも思われず、ますます惑乱するばかりであった。
「めっそうもないことで」
「ならばこれは一体どうしたことだ、何があったか有り体に申せ」
阿修羅が震える軍配で、今度は燃えるお城を指し示す。拙者は地面に伏したまま、千々に乱れる思いを必死に収拾せんとした。有り体に言ったところで信じて貰えるはずがない。さりとて偽りごとを言う訳にもゆかぬ。聞きたいことは山ほどあるが物問いできる身分ではない。とにかく敵は見ていない。拙者はここに
「暫しこの場を離れ、戻ってみればこの有様で」
「持ち場を離れたと申すか」
阿修羅の武者の
「は」
「
間髪を入れず阿修羅が問い質す。さて困った、
「門前に不可思議なものが現れましたので、後を追いましてござります」
「不可思議なものとは何じゃ、何が現れた」
「それが」
何と申せばよいであろうか。あの影どもは明らかに、どこか気配が違っていた。いま眼前にいる武者たちには生々しき人の
「それが煙のように掻き消えまして、拙者、どうも何かに化かされたかしたようで」
いや、どうだ、眼の前の武者たちとて、
「あれは定めし」
こやつも定めし──、
「狐狸妖怪の類いであろうと」
かちり、という音が聞こえるようであった。阿修羅の武者はみるみる血相を変え、ますます目玉をひん剥いて、幽鬼でも見るように拙者を見下ろし、耳をつんざく金切り声で、狂ったように喚きだした。
「黙れ、黙れ、黙れこの下郎」
拙者に向けて突き出された軍配はますます小刻みに打ち震え、まるで阿修羅が釣りたての
「この不届き者めが、門番が門を離れて、城を焼かれて、その言い逃れが狐狸妖怪じゃと」
いかなる情に歪んでか、赤い炎に照らされてなお蒼白と知れる阿修羅の顔は、歯を上下とも奥まで剥き出し、獅子舞のように顎をせわしく動かし続けていた。
「よくも人を愚弄しおって、この木偶の坊め、償え、今すぐ、ここで」
突然沼に沈んだように、辺りの音が静まった。炎のごうごう燃え盛る音も、柱梁の焼かれて爆ぜる音も、逆巻く風にざわめく葉擦れの音も。
「腹を切れ」
そのたった一言が、かくも世界を一変させようとは思わなんだ。拙者は燃え盛る炎の熱で肌の表を炙られながら、冷え切った重い石を腹の底にずしりと沈められたかのような恐れに肝を掴まれた。拙者に槍を突き付けていた足軽の一人が、手にした槍を後ろの者に手渡し、腰の物をぬらりと抜き払った。高々と掲げられた刀身に、ぎらりと血の色をした光が照り映える。槍に囲まれ、騎馬に迫られ、雑兵たちに退路を断たれて、これにて拙者は袋の鼠、あとは下命に従って、腹を切るしかなくなった。阿修羅も他の武者たちも、黙って拙者の身動きするを待っている。鈍く重たいその沈黙は、分厚い粘土の壁の如く、拙者の鼻先に立ち塞がった。
ああ南無三、もし世に仏神あるならば、どうかこの妖かしどもを消し去り給え、心に念じてきつく目を閉じ、再びそろりと開いてみたが、そこに見えたは元のまま、阿修羅の武者とその手勢。辺りの音は絶えて戻らず、静けさは我が
どれほど長く両の手を地面についていたろうか、場の重苦しさに耐えかねて、とうとう拙者はおもむろに、帯びた脇差しに手をやった。これを抜いたらお終いだ。振り回すことも出来ようが、それではただの罪人だ。もはや命運は尽きたのだ。忍従という語が脳裏に浮かぶ。思うてみればこれはこれで一つの救いなのやも知れぬ。元服このかた二十五年、毎日ひたすら立ちん坊の案山子のような拙者の生に、最期の最期に武士らしう死ぬる好機が訪れたのだ。それはあたかも目の前に投げ与えられた果実の如し。これを拾うて一齧りすれば、全ての事に片が付く。これこそ
たちまち真っ暗闇となり、拙者はそのまま暫しの間、ただただ瞑目していたが、やがてこわごわ目蓋を開けば、仏神に願いが通じたか、武者どもは残らず消えていた。そうして足元に目を落とし、そこに拙者が見たものは、とうの昔に焼け落ちて、今や見る影もない十郡の城の、崩れ苔生す石積みに、蒼く落ちたる月影と、往時は御門の柱を支えた
これが拙者のつまらぬ生涯、その結末の段である。かくなる上は未練もないが、それにつけても不可解なのは、あの輿の女の一行だ。あれは真正の人であったのか、はたまた幽鬼であったのか、
いや、嘘偽りなど申してはおらぬ。これは真にあったこと。何、拙者が死霊であるならば、今この話をしているのは誰なのか、そこが解せぬと言われるか。おや、これはご無礼仕った。
城址門番 くにさだ のりか @3971446A3635324A
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます