雪の国の懲りない面々

常陸乃ひかる

ゆきんこ

 人口が一万人ほどの、小さな国がある。

 舗道以外は年がら年中、白銀に染まりきっている雪国で、大きな事件も起きずに誰もが平穏に暮らしていた。

 一見どこにでもありそうな小国だが、他国と大きく異なる特徴があった。雪像に命を宿せるという、唯一無二の特徴である。

 雪だるまや雪うさぎを作れば、そいつらは雪原を飛び跳ねる。また人型の雪像を作れば、歩行したり人語をしゃべったりするのだ。国民は雪の生命体を、親しみを込めて『ゆきんこ』と呼んでいた。

 仮にこの話を、他国の者が人伝に聞いたとしたら、何とも便利なものと取り違えてしまうだろう。生き物同様、ゆきんこにも寿命があるのを知らないからだ。

 個々によって長さは異なり、人間よりもはるかに短命で、この世である程度の期間を過ごすと蒸発してしまう。まこと、儚いものである。


 町の外れに、家族と住んでいる男が居た。男は画家を志す青年で、暇さえあれば絵を描いていた。青年は部屋で絵を描く片手間、つきっぱなしになっていたテレビのニュースに目をやった。流れていたのは町の郷土情報だった。

 白い景色の中、祭りの様子が映し出されている。

「観てみろ。あっちでもこっちでも、ゆきんこと一緒に暮らしている人ばかりだな」

「ペットか何かと勘違いしているんじゃない?」

 青年がつぶやくと、深深と静まった野外を窓辺で眺めている同居人の女が返答した。女は、あたかも六角形の結晶でも凝視するかのようにじっと目線を逸らさない。青年も同様、再び画布を凝視し始めた。

「俺の絵が売れれば、気軽に街へ遊びに行けるんだけどな。上手くいかないもんだ」

「わたしは好きだよ、君が描く絵。その時、その一瞬を捉えたかのような躍動感ある風景は、あたかも自分自身が今を生きていることを実感させてくれる。白ばかりのこの国の風景を描き続ける様は、まるで雪を取りのぞきたい思い。君自身のアンチテーゼにも聞こえてくる。なんてね」

「よくもまあ、そんな口八丁を。おだてても何も出ないぞ」

「本気で言ってるんだけどな。ところで人物は描かないの?」

「ああ。生き物はいつか居なくなっちゃうだろ。だから寂しくなっちゃて描けないんだよ。風景は変わりゆく姿が美しかったり儚かったりするけど、動物という生き物は常に悲しさを孕んでいるんだ」

 二人はまるで目を合わせずに会話している。それが平生の光景だった。

 互いの存在を認め合いながら、苦にならない関係を維持している。恋人のような、はたまた家族のような、発展しない関係こそが二人の距離感だった。決して、くっつこうとはしていない。


「難しいね。でも少子化になる一方。作り物とデートして、作り物と暮らして」

「ああ。そうだな」

 ゆきんことは不思議な生き物であると、二人は延々と続く雪道をひた走るかのような、漠然とした思いで一考した。人間そっくりに色や形を変え、時が来ると浮世に溶けこみ、そのうち蒸発してしまう。

 社会に貢献しようにも、ウエイトレスの業務中に蒸発してしまえば料理が台無しになるし、スーパーのレジを打っている店員が蒸発したら、客が商品を購入できなくなるのだ。ただ生まれ、ただ死を待つしかない存在。創造された『物』の定めなのである。

 人々がゆきんこを作り出す理由なんて私欲に他ならないが、昨今では『ゆきんこは廃止しろ』と訴える団体と、『人権もない生き物には守る尊厳もない』と突っぱねる政府の痴話喧嘩を、ちらほら見かける。

「いっそ、ゆきんこ同士で結婚して子作りするとか」

「馬鹿みたい。ゆきんこがくっついたら同化しちゃうじゃない」

 興味を示さない態度に耐えきれず、青年は話をすり替えようとした。ここのところ部屋に籠りっぱなしだったし、絵が一段落したところで女と街に出かけようと思ったのだ。

 女は寒さを理由に、外にはほとんど出ないが、デートに誘ってみれば案外あっけない答えが返ってくる、という目論見だった。

「ところで、お前はどっか行きたいところはないのか?」

「うーん。君がどこか行きたいなら一緒に行く」

 意思というものを感じさせない、あっけらかんとした答えに、「そうか」と相槌を打った青年は、再び画布に向かって筆を華麗に躍らせた。人物画は描かないと豪語しただけあり、青年が作り出す、色で構成される世界は、やはり無機質な物ばかりだった。

 絵の中央には窓が描かれ、窓に浮かぶ野外の白色は寂寥とし、暖かそうな部屋には、今にも誰かが入ってくるかのような期待感を持たせる。

 描いている絵は、二人が会話しているこの部屋の風景だった。

「明日は晴れるし、気温も暖かいらしい。どこかに出かけるのも悪くないかもな」

 女からの返答はなかったが、青年は利き腕を動かし続けた。秒針の音も響かない部屋で、どれほどの時間が流れたのだろうか、外が暗くなり始めた頃にようやっと筆を置いた。

「さて、仕上げは明日にでも――」

 青年は大きな背伸びをし、女が座っていた窓辺の椅子に目を向けながらあくびを行ったと思うと、急に黙り込んでしまった。青年は言葉を失っていたのだ。日が暮れるまで会話が生まれなかった理由が判明したからだ。

「なんでだ? 蒸発してる」

 青年は表情を硬くし、力なく椅子に座った。それから、室内はまるきり静かになってしまった。絵の世界とは異なり、暖房器具の稼働音すらしない極寒の部屋は、実に静かだった。室内で淀み、蔓延する沈黙は、これから何年も続いてしまうと錯覚するほどのわびしさがあった。


 部屋の会話が途絶えて小一時間が経った頃。

 ドアをノックし、部屋に入室したのは家の主だった。

「誰も居ない? そうか、二体とも蒸発してしまったか」

 部屋の有り様を見た家主は、うんざりしながらつぶやいた。

 青年の形をしたゆきんこが描いた、人が居ない部屋の絵は、まるで二人が居た部屋の結末そのものを表しているかのようだった。

 青年のゆきんこは、女のゆきんこを生き物として認めていたからこそ絵に表さなかったのだろうか。あるいは、互いをゆきんこと認識していなかったのだろうか。

 家主は残された謎を解き明かせぬまま、永遠に続く窓からの風景を眺め、白くも青い息を吐き出した。

「さて。また雪でも集めてくるか」


                                   了  

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